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雪柾と克彦

細氷

「うーん…」
 己の通帳を凝視しながら克彦は呻いていた。
「…うーん…ううーん…」
「どうした?」
 雪柾が克彦のために淹れたコーヒーをカップに注ぎながら、キッチンからリビングを覗く。
「…なーんでーもなーい…」
 どうみても構って欲しい態度だ。
 克彦が手にしている通帳は昔から克彦が使用しているもので、雪柾も中を覗いたことはない。あれこれ画策しているようだが、呻くほどの問題があるのなら自分に話せばいいものを…
 この時期ならアレの事だろう。そう、クリスマスプレゼント。
 
 去年は煩わしい女に振り回され内心では最悪のクリスマスであっただろう。だがそんな素振りは一切見せず、愛しい恋人は自分のために自作の守りをプレゼントしてくれた。過去にも多くのプレゼントはもらったが送り主にも品物にも興味が沸かず、全て組の若衆にばらまいた。
 克彦はイベントとは関係なく他愛のない物を誰彼無しに贈るのが好きなようで、自分も、克彦と出会う前なら一瞥もしなかったような小物、例えば犬の形をしたライターやペンギンのカードホルダーを贈られ、書斎のデスクに飾り眺める時間を楽しんでいたりする。
 たとえその場の出来心であろうと自分にくれた物には克彦のさりげないが何かを愛する気持ちが込められているようで、どんな高級な品物より大切に、永遠に自分だけのものとして手の届く範囲に置いておきたいと思う。
 プレゼントそのものより、そうやって克彦が自分のために悩み抜いてくれた事実が、何よりの贈り物なのだ。

「ゆき、何か欲しいものある?」
「あるが…」
 抱き寄せてにやりと笑う。
「あ…俺とかダメだからね。それはおまけで漏れなく付いてくるから。ちゃんと記念に残る物。でもさ、ゆきは良い物沢山持ってるし、何でも手に入れることが出来るから…いつも悩むんだよね」
 手入れの行き届いた滑らかな髪を指にくるくると絡めながら口を尖らす。
「お前を手に入れるのに一番手こずったな」
 克彦が表情豊かな瞳でまっすぐに見つめた。
「…今だから白状するけどさ…初めて会ったときからゆきに囚われてたよ。それまでも良いなーとか一目惚れっぽい瞬間はあったけど、あんなに誰かを強く意識したことはなかった。大大大嫌いって思ったんだけどね、嫌いなら忘れてしまえばいいのに、ゆきの事ばっか考えてた。だから…ゆきは最初から俺を手に入れてたんだよ。俺を虜にしてたんだ」
 持っていたコーヒーカップを取り上げテーブルに置き、克彦の身体を強く引き寄せる。暫く見つめ合ったままでいると、克彦の頬がうっすらと上気するのが分かった。
「どうした?頬が紅い…」
 滑らかな頬に指先でそっと触れる。
「ゆき、かっこいい…」
 見とれているのはこの俺だというのに。

 クリスマスプレゼントに悩んでいた克彦が突然、食事も宿泊も予約は自分に任せろと言ってきたのはクリスマスの一週間前のことだった。今から予約出来る場所は少ないだろう。大あわてで、友人共を巻き込んで一騒動起こした事は都筑から報告が来ていたが…先手必勝で裏から手を回し、全てを丸く収めたのは言うまでもない。その結果、克彦が悩みから解放され自信に満ちた美しい笑顔を披露してくれるのだから悪いことではない。
 イブの朝早く起こされ(克彦は昨夜から遠足前夜の小学生状態だった)連れて行かれたのは空港。
「えーと…」
 座席は元から空いていた。ファーストクラスともなると一週間前でも空席が見受けられる。恐らく自分の為に取ったであろうその座席は克彦にとって痛い出費だったに違いないが、乗るなら受けられるサービスはがっちり受ける、と言う当然ではあるがスマートさを好む克彦からすればいささかがっついた行動を起こす。空港内に視線を彷徨わせているのはファーストクラス乗客用のラウンジを探すためだろう。
「あ、あっちだ」
 いつものように指を指しながら腕を引っ張り、ラウンジへと歩く。だが、中に入って止まった克彦の歩みを自然にフォローするのは俺の役目らしい。 早朝とは言え数組の先客がおり、その視線が一斉にこちらへ向けられる。 入っては見たものの好き勝手に振る舞って良いものか一瞬躊躇した克彦を抱き寄せ、開いている席へと誘う。
「何か食べるか?」
「ううん、飛行機に乗ってからで良い。朝食も出るんだって」
 それはそうだが、克彦はファーストクラスの欠点は知らないだろう。ここで、隣り合わせで食べる方が美味いはずなのだが。

「…ゆき…」
 ファーストクラスの座席を見て渋面を見せた克彦にやはりな、と苦笑う。
「…仕切りが邪魔…」
 仕事で使うには良いが恋人同士で利用するには無粋なシート。ゆったりと贅沢に作られたそれは隣席との繋がりも断ち切ってしまう。人前ですり寄ってくるような真似をしない克彦も、二人を隔てる仕切りに寄りかかり越境したままでほとんどの時間を過ごした。
「ゆきはいつもこんなシートに座ってるの?」
「今までは仕事で乗ることがほとんどだったからな。隣は吉野か沼田だ。仕切りがあって丁度良い」
「…そっか…俺はやだな。今度から普通のシートにしよう?」
「ああ、ファーストクラスに辟易したのは初めてだな。お前と触れ合えない」
 
 空港からは用意された車に乗り、市街地へは向かわず雪の降り積もる田舎へと進んでいった。目的地は知っていたが、克彦が言うまで黙っていた。全てを任せて欲しい、それが克彦の希望でありプレゼントであったから。
 その辺りは鄙びた別荘地のようで、クリスマスとはいえこんな寒い時期に訪ねるものもいないのか、どの別荘も静まりかえっている。そこだけ除雪された細い一本道に車は進み、やがて小綺麗な別荘が見えてきた。
「あ、あれだよ!」
 嬉しそうにはしゃぎながら、停車した車から克彦が飛び降りる。
 外の喧噪に気が付いたのか、別荘の入り口が内側から開けられ、見知らぬ老人が現れた。
「ようこそ。部屋を暖めておきましたよ」
 にこにこと笑う老人はどうやら管理人のようだった。

「あのね、ここ友達が最近借りた別荘なの。冬はこんな状態で来ないから、貸してくれたの」
 そう言いながらばたんばたんと手当たり次第にドアを開けて中を確認している。
「雪が深くて籠もるしかできないけど、素敵なものが見られるかも知れないって」
「素敵なもの?」
「うん」
 そう言って楽しそうに笑う克彦以上に素敵な物などこの世に存在しない。
「見られないかも知れないけど、それでもここに見に来た思い出が出来るから…氷のキラキラ、ダイヤモンドダストを一緒に見たいな、って…」
 それで克彦は12月の気温が低い旭川近辺の宿泊施設を探していたのだ。実はこの場所を探し出したのは沼田で、克彦の友人名義で持ち主から一週間ばかり借り受けたものだ。周囲の別荘は黒瀬で借り上げたので、中堅の組員が昨日から詰めているはず。いつ始まるか分からない自然現象の観測がメインの仕事で、始まれば連絡が来ることになっている。マイナス10度以下の気温と湿度も必要で、そればかりは自然に頼る他はないが、暖かい部屋で丸2日、克彦を抱きしめていられるのなら…克彦はがっかりするだろうが、見ることが出来ないとしても慰める楽しみができる。
「ゆき?」
 今更照れることもないだろうに、俯きながら小声になってしまった克彦をじっと見ていたら、沈黙を不審に思ったのか逆に克彦が問いかけてきた。
「ゆきは…興味ないかな…」
 くるくると変わる表情を見たいがために意地の悪い態度を取ることがある。肩を落とし悲しそうな表情を浮かべる克彦を甘やかし、おだて、機嫌を取る行為も克彦を構うための口実なのだ。
「いいや…お前が見たいものは俺も見たい。二人で、な」

 こうやって誰かと二人きりでクリスマスを過ごす日が来るなど想像もしたことがなかった。吉野が判断して連れてきた女と一夜を共にしたことはある。が、それは他の組との付き合いや義理のためで、どこの誰と過ごしているのか把握していない事がほとんどだった。咽せるような香水の香りとねちねちとしつこい言葉や行為を五感から廃して己の欲求を満たすためだけに抱く、ただそれだけ。終わった後は口直しにまた男三人で飲む。いささか機嫌の悪い俺と手の掛かる吉野を宥めていた沼田には良い迷惑をかけたのだろう。今更報いても仕方がないが、吉野は克彦の兄の教会へ放り込み、沼田には年末まで休みをやった。そう言う気になれたのも克彦と知り合ったお陰だ。特に何をするでもなく、至上とも言える喜びとやすらぎを与えてくれる克彦が傍らにいるだけで良い。

 明日はかなり寒くなるらしい。そう聞いた克彦は21時を回らない頃からベッドに入るとぐずりだした。気温が低くなる早朝に起きる魂胆だ。
「一晩中眠らないという手もあるぞ」
「眠らないじゃなくて、眠らせない、でしょ…」
「一晩中話しをしたことは無いのか?」
 艶のある視線をさりげなく交わし、はぐらかす。
「…ある、かな」
「誰と?」
「…義童とは、将来の夢の話しを沢山した」
 義童は克彦の元恋人だ。好都合なことに向こうから克彦を振ってくれた。未練などと言う男の沽券に関わるような感情は持っていないだろう。
「どんな夢だ?俺が叶えてやる」
「ゆきがどんなに出来る男でも、俺の才能まで伸ばすのは無理だよ。俺自身が頑張らないと…でもね、ゆきが側にいてくれるから…俺を支えてくれるから、自分の可能性が広がったような気がする。こんなに幸せで良いのかな…幸せすぎて恐い」
「恐い?だとすればまだ十分に幸せではないのではないか?もっと俺に頼れ。俺に望みを言え。どんな小さな事でも不可能に思えることでも、お前のために実現してやる」
 
「ゆき、まだかな…」
 快楽の余韻から抜けきれない身体を抱き上げ、窓の外が見えるように支える。細氷の煌めきが確認できる程度にライトアップされた庭は真っ白で、時折小雪がちらつくだけだ。
「お前はゆっくりしていろ。始まったら起こしてやる」
 一度抱いただけでは収まらない情動を抑え、くったりとした克彦の身体を包み込む。力が入らないのか、それとも安心しきっているのか、預ける身体のしっとりした重みが愛おしい。
「寒くないか?」
「……」
 微かに首を振り、そのまま克彦は眠りに入っていったようだ。
 滑らかな肌の感触、気に入りのボディローションの香り、微かに聞こえてくる寝息、その瞳が閉じていても感じる視線、意識を無くしても気持ちを伝えてくる魂の輝き。
 全てが、俺だけを求めている。

『組長、始まったようです!』
 彼らも待ち望んでいたのか、電話越しに少しばかり興奮した様子が伝わってくる。
「分かった。お前達も後は好きに過ごせ」
 携帯を閉じ、ぐっすりと眠っている克彦に視線を戻す。起こすのが忍びないほど熟睡しているが、このイベントを外したことを知れば一生文句を言われそうだ。
 煌めく光の中で克彦がどんな表情を見せるのか、どんな台詞を残してくれるのか、都会の日常には無いこの瞬間の克彦を感じたい。
「…克彦…起きろ。始まった」
 頬に手の平を当て耳元に囁くと、まぶたがぴくりと動いた。
「ん…んん…」
 気持ちの良い眠りだったのか、安らかな寝顔だったのが不機嫌そうな表情に変わる。
「二人で見ると約束しただろう?」
 克彦が好きだと言った低めの声で囁きながら唇に軽いキスを落とした。
「ふ…ん…なに?」
 腕を伸ばし、首筋に絡みついてくる。
「ダイヤモンドダスト」
「…え…まじ?」
 眠りの森から転げるように駆けだして来たようだ。
「急いで着替えろ」
 この時のため、とは伝えなかったが実はこの日のために揃いのコートを買っていた。ムートンのロングコートなので薄着でも寒さが凌げる。
 
「うわ…綺麗…ゆき、すっごい綺麗だね、キラキラが沢山振ってくる!」
 空に向けられた照明の光を反射しながら舞い降りてくる薄氷を全身に受け克彦も輝いている。
「ああ、綺麗だ」
 それは克彦に向けた言葉だと、気が付いているだろうか。
 上を向いてくるくる回りながら全身に煌めきを纏う克彦は、この世の者では無いのではないかと思えるくらい美しかったが、だんだんと、克彦らしさが顔を覗かせる。
「ゆき、これってかき氷にできるかな?」
 幻想的な雰囲気を楽しんでいたのはまさか俺だけか?と苦笑う。
 食い気より色気を引き出すために、くるくる回り続ける克彦を背後から抱きとめた。
「腹をこわすからやめておけ」
 くすくす笑いながら克彦が見上げる。
「そうだね、子どもじゃないんだし…でもさ、じゃあ…」
 克彦が腕の中でくるりと向きを変えた。
「抱き締めて…キスして…他に何もいらない。ゆきだけが、欲しい」
「お前の望むままに」
「メリークリスマス、ゆき…」
「…メリークリスマス」
 極上の笑顔には抱擁を返し、あらん限りの思いを込めて舞い散る光の粉を幾ら集めても敵うことはない艶めく唇に口づけた。

 ちょっと待っててね…
 事の始まりで使われる台詞には慣れた。いや、何が起こるのか楽しみにさえなってきた。
 雪の中で冷えた身体を温めるために二人で浴槽に浸かった後、浴室から一人で追い出された。機嫌の良い克彦が出てくるまでどのくらいの時間が掛かるのか推し量ることは出来なかったけれど、思っていたより早かった気がする。
「おまたせ」
「待つのも楽しかったが…一人で何をしていたんだ?」
 ワザと甘い声で訪ねると、克彦は途端に頬を染めた。こういう所は生娘のようで、追いつめる楽しみがある。付き合った男の数は自慢できるそうだが、それにしては甘い言葉に弱い。
「…なんでもないよ」
 はぐらかすのも決して上手くはない。
「そうなのか?確かめても良いのか?」
 きっちり着たパジャマのボタンを一つずつ外しながらベッドへ押しやる。
「だめ…ゆきっん…」
 タイムだなんだと言い始める前に口を塞ぐ。
 美しい胸元に朱色の印を幾つか散らしただけで、克彦は自身の雄も立ちあがるくらいに感じていた。
「あれだけでは足りなかったか?もう大変なことになっているな」
 パジャマの上から股間に指を這わせると、一際大きく身体を震わせた。
「あっ…ちょっと…だめかもっ…!!」
 跳ねた腰を軽く押さえつけ、形の良い性器を揉み上げる。
「あっ…やぁっ!」
 いつもと少し違う反応に違和感を覚えながらも快楽の中枢を攻め続けるうちに、指先にはっきりと、金属のようなものが触れた。
「…克彦?」
「ああっ!こんなの…うそっ…!」
 パジャマを下着ごと脱がせようとすると…克彦の性器には『紐と輪っか』が食いついていた。

「沙希ちゃんっ、マジで大変だったんだから!沙希ちゃんいつもあんなもの履いてるなんて信じられない!!」
 時差も気にせず、目が覚めた途端にニューヨークの先に電話を掛けた克彦は、電話に向かって叫び散らしていた。
『え?なに?どうしたの、克彦さん?』
「どうしたのじゃないよ、もう大変だったんだからっ!沙希ちゃんからお正月にもらった紐と輪っかのやつ!!」
『あ、履いたんだ』
「履いたんだじゃないよっ!沙希ちゃんあんなことしてるなんて、子どものクセにませすぎだよ!」
『え?ええー?そうかな?そんなに大変なことなの?そうかな?』
 
 紐と輪っかにサイズなど大して関係ない。無いが、それを履く人間の持ち物のサイズは人それぞれだ。
『俺にはちょっと緩すぎるくらいだったんだけどな…はるさんが用は足してないけど見た目は最高とか言ってた…』
「俺は大変だったんだ…死ぬかと思った…」
 昨夜の事を思い出したのか、先程まで真っ赤になって怒っていた克彦がうなだれてしまった。
 特に金属の輪っかの部分が克彦の性器に食い込んで、いきたくてもいけない状態になったのだ。それはそれで死ぬほど気持ちが良い状態になることは分かっていたので、わざと放置、するどころかかなり激しく責め立てた。
『克彦さん…それって、俺のが小さいって事!?そんなことわざわざ、しかもクリスマスに宣言する!?』
 沙希は沙希で気にしていたことを指摘され、拗ねているようだった。
「そりゃ俺の方が体格も良いから大きいに決まってるだろ!?同じサイズのくれるんだったら教えてくれるとか、してもいいじゃん!?」
 怒りの矛先が俺ではなく沙希に向かったのはそれだけ愛情が深いからで、その事実は最高のクリスマスプレゼントとなった。
「克彦、ニューヨークはまだ夜中だ。そのくらいで許してやれ」
 涙目で電話を握っていた克彦を抱き寄せると…

「ゆきなんか大っきらい!!」
 鋭い一瞥と言葉が投げつけられ、それから暫くの間口を聞いてもらえない状態が続くこととなった。


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久しぶりの黒瀬です。しかも雪柾視点。そしてやっぱり沙希ちゃんも出てきました。この二人は本当に仲良しですね