園部と沙希
「エセル、あそこにアイスクリームの屋台が出てる。一緒に食べる?」
うん、と頷いたエセルを連れてた沙希が、園部に目配せしてから通りの反対側にある屋台を指さした。さっきはフライドポテト、今度はアイスクリーム…またかよ、と呆れた顔でゴー・サインを出した園部に笑顔を向けて、沙希達は通りを渡って行った。
それっきり、沙希とエセルが姿を消してしまったのだった。
「どうせあのガキが子分を使って攫いやがったんだ!ベリーニのジジィに連絡を取れ!両方とも無事に返ってこなかったら孫の命は無いと伝えておけ!!」
沙希のGPSは空港の近くにいることを示していた。
「空港のどこだ?正確な位置は?」
どこに潜んでいたのか黒瀬組の直参が揃っており、GPSの電波を拾っていたがピンポイントで正確に把握するためには近くまで向かわなければならない。フェスティバルの交通規制で中心部は車が入れないため、目抜き通りから少し離れた場所に待機させた車へ向かって園部は全力疾走した。
「…ベリーニと電話が繋がってます」
車に乗ってすぐ差し出された電話をひったくり、いきなり罵声を浴びせる。相手は日本のマフィアなど知らない、孫はワルだが子供のすることだから様子を見て連絡する。そう言って園部の機嫌をますます悪化させ、どれだけ怒り狂っているかを相手に知らしめるため、日本にいる吉野から送ってきた情報を元に、その場でベリーニの口座の全てを凍結してやった。
「分かったかジジィ!孫が行きそうな場所は!?空港周辺限定だ」
その頃沙希とエセルは縛られた上で屈強そうな3人の男達に取り囲まれていた。
何が楽しくてこんな少年に従っているのか分からないが、たぶん相当な小遣いでも貰っているのだろう。小さくて女みたいだが妙な技を使うので気をつけろと言われているらしく、不用意に沙希に近づかなかったので沙希も手の出しようが無かった。先にエセルを奪われたこともあり、エセル一人を行かせるよりは自分も一緒に捕まった方が良いと判断し、大人しく捕まったのだ。
「こいつ、ここ2日ばかり豪華な服着て街んなかうろついてたぜ。あの綺麗どころのグレンの客だそうだ。ホストが綺麗なら客も綺麗どころだな。て言うことはこいつもゲイか?」
男の一人が媚びた笑いを振りまきながら近づくと、沙希の股間をぐっと揉む。
身の毛がよだつような感覚に身体を折り曲げ丸くなる。園部以外に触られるなんて…たとえ服の上からでも、冗談でも嫌だ。男の手は沙希の股間にがっちり入り込み、遠慮会釈なく蹂躙する。何とかその手を退けようと藻掻くが、両手両足を縛られ口にはガムテープを貼られ、面白がる男達に押さえつけられてはどうしようもできない。
「気色の悪いことすんな!」
幸か不幸か、それ以上の事が起きなかったのはあの少年のお陰だ。いや、そもそもあいつのせいでこんな目に遭ったのだが…
「はいはい。で、マフィアのぼっちゃん、これからどうするんですか?」
「そっちの女だけ連れてマイアミのオヤジの別荘に行く。そいつはお前らの好きにして良いぞ。できるだけ痛めつけて」
その少年はエセルを立たせ、乱暴に腕を掴み、格納庫らしきその場所で出発の準備をしていた小型の飛行機に連れて行こうとしている。少年が踵を返した途端、男達の一人が沙希の袴の紐を解いたが、その下に着ていた丈の長い着物の裾が縛っていたロープに阻まれてずり上げられなかったため、邪な気持ちを優先してロープを解いてしまった。格好の機会を沙希が逃すはずがなく、足元にいた男の目元を狙って蹴りを入れるとあっけないほど簡単に一人目が昏倒。肩を押さえていた残り二人がひるんだ隙に身体をひねり、両足の間に片方の男の首を挟み込む。両手が使えないので効果は低いが、顔を真っ赤にして苦しんでいる男から離れると男は激しく咳き込んだ。3人目のあっけにとられている男は取りあえず無視して急いで立ち上がると、沙希を見て自分も必死で抵抗を始めたエセルの元に駆けつけた。
エセルを引きずって飛行機に乗せようとしていた少年目がけて跳び蹴りを食らわす。沙希がアメリカに来て教わったことは、まず急所を狙う、だった。身体が軽い沙希の拳や蹴りはパワーがなく、情けをかけると自分が負けてしまう。真っ先に急所を狙って気絶させるか戦意を喪失させるかが最善策だ。顔面は鍛えようがないので、余程訓練したものでない限り攻撃された場合のダメージが大きいのだ。この少年のように根性の足りなさそうなヤツには効果てきめんだった。吹っ飛ばされて仰向けのまま床に倒れ、あっという間に意識を失ってしまった。
後はとにかくここから出なくてはいけないが両手が不自由なままだと走る速度も落ちる。沙希は、小柄だからこそできるがみっともない姿になるのが恥ずかしい縄抜けをするべく…後ろ手に縛られた両腕の間にお尻を通して、芋虫の脱皮よろしくもぞもぞするあれ…地面に寝転がった。
さっきの男達は体勢を立て直してまた近づきつつあった。
思った以上にするすると縄抜けが出来た沙希は自分でガムテープを外し、大声で園部の名前を呼びながら、目の前の男達に突進していた。
「はるさんっ!!はるさーん!!」
絶対に直ぐそこまで来ているはずだ。自分の場所を知らせるために、喉が痛くてたまらなくなるほど叫びまくり、攻撃可能な距離の少し手前で立ち止まり、後ずさったと見せかけて、右から次々と技を繰り出していく。倒れたところでそれ以上深追いはせず、脱兎のように逃げる。途中でエセルを捕まえて格納庫のドアに向かって突っ走る。
大きなドアだけれど、映画で見たときには簡単に開いていた。渾身の力で横にスライドさせようとするが、動かない。エセルはドアをガンガン叩きながら助けてと叫びまくり、再び沙希がドアに力をかけたとき、難なくがらがらと巨大なドアが開いた。
「沙希!!」
園部だった。
「はるさんっ、はるさんっ!」
まだ両腕は縛られたままだったけれど、はやく抱き締めてもらいたくて、ぴょんぴょん跳ねる。
「じっとしてろ…ほどけないだろう」
結び目がほどけると、いても立ってもいられず、絡みつく縄を振り落とし、自由になった両手で園部の首に飛びつく。
「怪我してねぇか?」
しっかり抱き締めて耳元に囁くと、力強く何度も頷くのが感じられた。
黒瀬組の部下達が床に伸びている少年を平手打ちでたたき起こし、グレンを取り巻いていた男達が、格納庫の奥にいた男達を取り押さえた。
グレンはエセルを抱き寄せ、恐かったね、と優しく背中を撫でていた。
「沙希が凄く強かったの。だから、恐くなかった」
気が抜けた沙希は、エセルの前だと言うことも忘れて園部にしがみつき、唇を噛みしめて嗚咽している。
「どうした、沙希?お前が全員やっつけたのに、なんで泣く?」
と、園部の視線が格納庫の奥に落ちてくしゃくしゃになっている袴に気が付いた。
「沙希、どいつがやった?」
園部の声が、異様なほどの怒気を含んでいた。奥にいた3人の男を順番に睨みつける。
「はるさん…俺、だいじょうぶだから…」
「お前が泣くようなことをしたのはどいつだ、って聞いてんだ」
「はるさん…」
「右端の男。そいつが沙希にいやらしいことしようとしてた」
声を上げたのはエセルだった。
「腕に汚い刺青してるヤツか?」
「うん」
「お前、いい女になるぞエセル」
12才の子供に言う台詞ではなかったけれど、日本語で会話していたのに園部の雰囲気を察したのだろう。美しさも察しの良さもグレンと似ているなら、最高の女になれるなずだ。女に全く興味がない園部の言葉としては最上級の賛辞と思って良い。
が、問題は沙希で…
ばらしたのがエセルだろうと他の誰だろうと、園部に知られたのが一番嫌だった。抵抗が出来ない態勢だったとは言え、園部以外の人間に触れられたことが悔しくて仕方がない。早く忘れてしまいたい、いや、できれば園部に知られたくなかった。
背筋がぞっとするような感覚を思い出し、また園部にしがみついてしまった。エセルの前なのに、そうしないといられない、弱っちい自分を見せるのが恥ずかしい。
「ベリーニが来ました」
少年の事など最早どうでも良く、園部は沙希を泣かせた男の始末をどう付けるか考えていた所だった。
「グレン、部屋を用意させたから沙希とエセルをそっちに連れて行ってくれないか?用事が終わったら呼びに行く」
「わかった」
グレンが子供達を連れて部屋を出た後、園部はベリーニに向き直った。
「さて爺さん。お前の孫がしでかしたことの落とし前はどうやって付ける」
エセルの取り巻きが話していたとおり、ベリーニの見た目は気の良い爺さんだった。しかし、マフィアのベリーニ家は、この爺さんが興した。それなりのことはしてきたはずだ。
「わしはもう引退しておってな。何があったかはっきり分かってないんだ。家内と二人で暮らしていて、護衛も形だけで情報など集めてくれる優秀な部下も連れてきていない。孫が何をしでかしたか、教えてもらえんか?あんたの事も良く分かってない。優秀なジャパニーズ・マフィアのようだが…」
隠居とは名ばかりで、島流しにでも遭ったと思われても仕方がない。これが隠居すると言うことならば、自分は死ぬまで現役でいたい。黒瀬組を後ろ盾してくれた人物もすでに引退しているが、それは表で動いていないだけで、裏では今でも最高権力を持っている。情報網も現役の自分たちよりは余程広く深く、ヤクザ社会の動きは全て把握している。
「俺の恋人の親友に手を出そうとして、関節技をかけられた。その腹いせに二人を誘拐し、俺の恋人は男達の餌食にされ、親友はマイアミの別荘に連れて行かれそうになった」
「…孫が最初に手を出したのか…あの子は…うちでも手を焼いている。どうにかならんだろうか」
「……」
開いた口が塞がらないとはこのことだった。子供の教育くらい親がしろ…と言いたかった。だが、このすっかり気が抜けたじじいならグレンやエセルに嫌がらせをする事もないだろう。
「無理だな。自分達でどうにかしろ。今度エセルに手ぇだしやがったら五体満足で生きていけると思うな。明日、俺の恋人に手ぇ出した野郎に制裁を下す。それに孫を連れて行ってたっぷり拝ませてやる。孫が考えてるほどマフィアの世界は甘くないってことを教えてやる」
「孫をマフィアにしたいわけじゃないんだ…」
「あいつは無理だな。その辺のギャングにもなれねぇ。いずれ捕まって刑務所行きか殺されるかのどっちかだ」
「沙希…」
膝の上に抱き上げると、沙希は赤ん坊のように抱きついてきた。頬や首筋に優しく唇を這わし背中を撫でてやると、甘えるような小さな声で園部の名前を呼ぶ。
「明日はクルーザーで無人島や海の上の観光地を見て回ろうな…今日はゆっくり休め」
「はるさん…俺のこと、嫌いにならない?」
「あ?」
「他の人に、触られて…」
「…お前のせいじゃないだろう?辛かったのに、必死でエセルを助けたじゃないか。自慢の恋人だ。明日はご褒美にカボチャのランタン沢山かってやるからな」
「アイスクリームもね。今日、食べ損ねちゃった…コンク貝の殻も欲しいな…キー・ライムもNYに送って良い?みんなにパイを作って上げるの…あとそれから…」
「キーウエストごと買ってやる」
「今日は…しないの?」
ゆっくり寝ろと言われて、沙希は嫌われたのではないかと不安になったのだった。園部の愛情を疑っているわけでは無いが、確かめる術も沙希には思い浮かばなかったから、求められるのを気持ちのどこかで待っていたのだ。
「沙希がこうして、ここにいる幸せを噛みしめてるんだ。ほんの一時間くらいだったが、生きた心地がしなかったんだぜ?」
園部の大きな体をぎゅっと抱き締め、厚い胸に顔を押しつける。
「眠れるか?」
「ん…」
抱き上げてベッドまで運び、覆いかぶさりながら唇を奪うと珍しいことに沙希が自分から舌を絡ませてきた。
「ん…んん」
恐る恐るといったぎこちなさが可愛らしく、園部の理性に危うく火を付けそうになる。
「かぼちゃ…いっこで良い…」
「あ?」
目を閉じて口を半開きにしたままむにゃむにゃ言っているが意味を成さず、試しに質問してみたら見当違いの答えが返ってきた…
「沙希、にいちゃんは?」
「…ネクタイ」
「ネクタイ?」
「ん…明日、道場…」
「行くのか?」
「ひだりっかわ…」
そのままこの妙な会話を続けていたかったが、沙希の身体も神経も、思った以上に疲れ切っているのか…それでも園部と話そうとしていることが嬉しく、園部はまだぶつぶつ言っている沙希の耳元に、お休み、と小さく囁いた。
それから数時間後、朝日が昇り始める前に起きだした園部は部下と共に港へ向かった。沙希に触れた男達と、ベリーニの孫に自分たちの愚かさを知らしめるために。
「まだ食うか…」
朝からコンク貝のスープを3杯もおかわりし、パンもバイキングのかごが空になるほど食べたのに、外に出れば目に付く屋台を次々にのぞき込み、園部の両手も借りてたこ焼きみたいなフリッターやフライド・フィッシュを食べあさる。最後は昨日見たアイスクリームがやはり食べたくなって、お店を探していた。キー・ライムのフレッシュジュースもあったので一緒にオーダーしてみたら案外おいしかったので、それもおかわり…
「酸っぱいだろ、それ。妊娠したか?」
朝から食欲旺盛で、言われてみたらお腹がぽっこり出ていた。
「…はるさんの赤ちゃん産めたらいいのに…」
あり得ないことだが、沙希との子供だったらどんなに愛しいだろう。
子供の沙希が赤ん坊を抱えていたら弟の子守にしか見えないだろうな、等と色々考えると自然と顔がほころぶ。
「ほら、エセル達はもう先に着いてるそうだぞ」
エセルの事は沙希に問いただす気もなかった。初恋が園部で、その前は生きるのに必死で恋をする暇もなかった沙希に、少しだけ子供らしい時間を過ごさせてやったと思えば良い。エセルを前にすると途端に男を意識し始めるが、何かにつけて園部を振り返るのは沙希の心を占めているのが園部だからである。今はそれでいい。どうやら兄のこともすっかり忘れているようで…
土産を買うときに思い出して大騒ぎするのだろう。その光景が目に浮かび、強面を歪める。
「はるさん、なに笑ってるの?」
「いや…今夜は俺とお前で無人島に泊まるらしいぞ」
「え!聞いてないけど、すごく楽しそう!!あ、でも何も準備してないよ!!どうしよう…どうしよう」
準備など、部下に言えばあっという間だ。
「お前は何も心配しなくて良い。ただ俺の側を離れるな。ひとりでうろちょろするんじゃないぞ」
「うん。もうこりごり。あ、そうか、じゃあカボチャのランタン沢山いるね。俺も作るからランタンになってないやつもね」
無人島に残された砦を見てまわり、海に沈む夕日を堪能したら、エセルとグレンともお別れだった。明日の朝、迎えのクルーザーでマイアミまで行き、そこに一泊してからNYに帰る。
ここに来る前は園部とグレンの関係ばかりが気になって、衣装だけでもと気が引けるはずの(値段が高すぎて)着物を着てきた。園部とグレンが二人で並んでいる風景は相変わらず完璧で、自分がそれに勝てるとは思わない。 ただその関係は、元恋人同士というよりも、親友同士と言った方がそれらしく見える。エセルに対する気持ちも最初はもしかしたら恋かも知れないと思ったけれど…園部とのようにあんなことやこんなことをいたすなんて殺されても嫌だった。もしエセルにそんな相手が出来たら、真っ先にたたきのめすだろう。これって…
「ああっっ!!」
沙希が突然びっくりするような大声を出した。園部達だけになった静かな無人島に沙希の声が木霊する。
「どうした!?」
「兄ちゃんに、旅行行くって、ゆってない!」
「「「「……」」」」
「どうしよう…帰ったら…兄ちゃんに何て言おう…」
現在、園部の部下の使いっ走りのそのまた見習い修行で、兄の志貴は死ぬほどこき使われている。朝は語学学校、昼からは園部の事務所の最下層で日本のヤクザ社会と変わらない仕打ちでもって、どつき回されている。
時間が出来ると沙希と電話で話したり会ったりしているようだが、トップである園部とは顔を合わせていなかった。弟が、本部長の恋人だからと言って兄の自分が園部と肩を並べて歩けるわけがない。その辺の事情は志貴にも良く分かっているので、沙希を取り戻したければ自分がうえに上るしかない。
「あした空港に行く前に土産物屋に寄れば良いだろ。ホラ貝とかなんとか買っていけばいい」
「ホラ貝?」
「お前が気に入ったピンクのヤツは日本じゃホラ貝っつうんだ」
「えーっ、ホラ貝って、ぶぉーってならすヤツ?ならしてみたい!」
山伏が鳴らしているホラ貝は吹き口を付けて少しばかり加工してある。端を切っただけじゃ鳴らないかもな、と思いつつ、沙希が欲しがるものは何でも買ってしまう。ついでに山伏の衣装も頼むか…と、砂浜で沙希を抱き寄せながら園部は思った。
「そろそろランタンに火を入れるか?」
カボチャランタンを買ってこいと言ったら100個も買ってきていた…沙希も二つばかりカボチャをほじくり返し、初めてにしては芸術的な(園部目線)ランタンを作っていた。
全てを砂浜に並べて、火をともす。
「すごいすごい!」
とはしゃぎながら、色々な形に並べ替え写真を撮り、かつてないハロウィンを堪能したのだった。
END
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キー・ウエストですよ、良いですね。アメリカには行ったことありますが、こういうリゾート地には行ったことありません。沙希ちゃんが羨ましい…綺麗な海でラブラブの園部と沙希ちゃんでした。
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