吉野はふて腐れていた。
 端から見た目には涼しい顔に見えたが、実はもの凄く怒っている。
 
 
 昨夜は誕生会の後、本田も沼田も恋人と一緒に夜を過ごしていて、それは構わないのだが、自分だけが一人で家に戻された。帰りの足がない自分のために、沼田の恋人の山崎が用意してくれた車に乗り換えた後、不覚にも眠ってしまったようなのだ。確か、以前にも会ったことがあるエキゾチックな顔立ちの傭兵2名と同じ車に乗っていたのだが…彼らと一戦交えようかと言う話をしたようなしなかったような…戦いのプロである彼らとの組み手は非常に楽しい。
 以前彼らと戦ったのは伊豆の温泉だったろうか。克彦さんお気に入りの温泉旅館を借り切って組の連中を引きつれて慰安旅行のような事をした。確か、山崎の上司が若い恋人を連れて別棟に滞在していて、私もちらっと会った。役職は私と同じ社長秘書だそうだ。見た目も私とどこか雰囲気が似ているが、子供が好きと言うのは頂けない。丁度私が傭兵デュオと稽古をしている途中に沼田を訪ねて来ており、私は部屋に付随している露天風呂へ入ろうとみっともない恰好でうろついていたところを見られてしまった。いずれきちんと挨拶をしなくては…
 
 
 そう、組み手だ。昨夜は一体どうしたことか…連日の激務で疲れていたのは確かだが、車中で眠りこけるなどもってのほかだ。気がついたら朝で、上着とネクタイは外してあったが、昨夜の出で立ちのまま、ベッドに寝転がっていた。稽古はできないと思った彼らが私を自宅まで運んでくれたのだろうか?沼田あたりが自宅を教えたのだろうか?確認しておかないと、前後不覚の時に自分で自分の情報を話していたとしたら最悪だ。
 あの傭兵デュオも、なぜ私を無理にでも起こしてくれなかったのか?お互いに戦場を経験したことがあるのだ。眠いくらいで戦闘能力が落ちるわけがないと、知っているだろうに…
 それに…私は戦っていたいのだ。

 もう17年になるのか…
 私はイアンと知り合い、彼に強くなることを教えてもらった。幼い頃から武術が好きで、より強い者を求めていた私の目の前に現れたのが本田雪柾だった。ごく普通の家庭で育った私と違い、本田には親の代わりに極道の後見人が居た。成績も抜群に良く強く、その上黒瀬組の後継者として育てられたヤクザの中のエリート。この妙な環境で育った本田といつのまにか仲良くなり、本田の知り合いだった沼田とも出会い、気がついたら私もヤクザになっていた。本田に付き合ってサウジアラビアまで戦闘訓練に行った先で、イアンと知り合ったのだ。そしてイアンの師でもあったあの人に出会い、惚れてしまった。最初はその動きの美しさと破壊力に。そして人柄に。最終的に性別を超えた恋愛に発展してしまった。そして、ある日突然の彼の死で、その恋も終わった。
 はっきり言ってその時のことはあまりよく覚えていない。私は丁度その時日本の企業に就職したばかりで、黒瀬組に入る前の社会勉強のようなものをしていた。辛く、苦しかった事は覚えているが、前後一ヶ月ほどの記憶が曖昧だ。様々な事柄は覚えているのだが、一つの時間軸に繋がらないのだ。自己防衛のためだろうとイアンは言うが、私の精神はそんなに脆いものだったのだろうか?
 自己防衛本能を働かせないと耐えられないくらい愛していたのかすら、もう思い出せなくなっている。


 不思議と新しい恋をしようと思わない。
 黒瀬組の仕事は他では味わえないような充実感があるからだろうか。
 金・権力・そして私の心の隅に渦巻いていた何かを破壊してしまいたい衝動。この全ての欲求を満たしてくれる。
 人の命まで奪ったことがある私が言う台詞ではないが、腕の立つ者達と稽古をすれば性的な欲望や日頃のうっぷんがすっきりはれて、いっそ清々しい。心身共にまだ代替で満足できているのだから、寂しいからとか女々しい理由で恋人を見つける気もない。

「私の唯一の楽しみなのに…そう言えば、園部さんは私の願い事を叶えてくれなかったな…何故私だけ報われないのだ?仕事量は組長とほとんど変わらない、いや、彼以上に働いているのに…久しぶりに道場破りにでも行くか…」
 
 一人でぶつぶつ言いながらクローゼットを探り、道着を探す。自己鍛錬の時は着ないが、道場に顔を出すときはさすがにジャージ姿ではまずいだろう。吉野が持つ道着は全て師匠であり、恋人であった男からもらったものだ。彼は、何かにつけて贈り物をしてくれたが、それは全て武道に関するものだった。誕生日やクリスマスには新しい武具を貰い、稽古を付けてもらう。色気が無いイベント事だが、吉野は誰よりも師匠の技を愛していたので、それで満足だった。抱き合った記憶より、戦っていた記憶の方が鮮明だ。いつか、それも薄らいでしまうのだろうか…


『山崎さん、昨日の彼らに申し訳なかったとお伝え下さい。またお手合わせをお願いします、とも…』

「って、留守電に入ってました」
 隣でゴロゴロしている沼田に、山崎は伝えた。
「…お手合わせ、か…妙な催眠術をかけたもんだな…」
 そうしなければ、吉野も生きてはいなかったかも知れない。師匠の死に目に会い、ショックを受けて廃人になってしまった吉野を現実に戻すために、イアンが取った奇策…が、催眠術だった。幾重にも掛けられており、恐らく一生解けることはないだろう。
 それが良い選択だったのかは誰にも分からない。
 けれども、吉野を短い時間で正気に戻すにはこれしかなかったのだ。
「ホントに稽古の時もあるんでしょう?」
「ああ、もちろん。稽古だけで終わるときもある。終わりそうにないときは目つきや顔つきで分かる。相手の強さによっても違う」
「やっぱり師匠に似た人が良いのかな?」
「見た目というより、戦い方がな…」
「どんな人だったの?」
「俺たちの前では刃のように鋭くて厳しい人だった…」

 もちろん、訓練以外では優しい人だったようだが、沼田は訓練以外で師匠と付き合った時間が少ないのでよく知っているとは言えない。
「一度だけ吉野と師匠が二人きりでいるところを見たことがある。二人とも見たことがない軟らかい表情だったよ」
「今の吉野さんも、幸せそうだよ。だから、今のままでいいんじゃないかな?」
「あいつの面倒は最後まで俺たちが見る。たとえ途中で夢から覚めて、気が狂ってしまったとしても…」
 もしかしたら、自分たちのエゴで吉野を生かしているだけで、倫理的には大きな間違いを犯しているのかも知れない。が、一生、感情もなくただ死ぬのを待つよりは良いのではないか?
「ゆきちゃん、お前には克彦さんのことや吉野、組のことで余計な気苦労ばかりかけるかもしれないな…許してくれるか?」
 山崎は持っていたマグカップをサイドテーブルに置き、ゴロゴロしている沼田の隣に寄り添う。
「私は和希さんのそういう人情味溢れた優しさに惚れたんですよ。あなたがあなたらしく振る舞う所を見るのが好きなのであって、それが自分に向けられないからと拗ねるのは、愛ではなくてそれこそエゴでしょう?私も世話好きですから、止めろと言われたら自分を否定されたようで、嫌です」


「それに…私は和希さんの事を信用していますから。これでも人を見る目は確かなんですよ。あなたが克彦さんのネタになるような事をしていないのは私が一番よくしっています」
 そう言って一層近くに寄り添ってくる山崎が纏っているシーツを剥がし、素肌を密着させる。恥ずかしがり屋の山崎は少しむちっとした身体が気になるのかいつもちゃんと見せてくれない。童顔の上に微妙な幼児体型が可愛らしくて、本当だったら一日中裸でいて欲しいのだが…思いっきり剥くと殴られるので、剥がすと言うよりシーツの中に潜り込んで、温かい素肌に抱きつく。
「…くすぐったいです。それより、お腹空きませんか?」
「ああ。何か作るか?」
「…どっちが?」

「「…」」
 
 実はこの二人、二人揃って料理の腕は壊滅的だった。
「着替えてカフェにでも行きますか…もしかしたら夕食には、克彦さんと組長さんからお誘いの電話があるかもしれませんよ。私たちの動向に興味津々のようでしたから…」
「…それまでがまんするか?家でゴロゴロするのもたまには良い」
「たまにはって…うちにいるときはいつもゴロゴロしているような気が…」
「よし。じゃあカフェに行って、帰ってからまたゴロゴロしよう」
「そうですね。そうしましょう」

END.

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

吉野さんの過去をちらっと。一応、悲惨な恋の話があるのですが、これは皆さんのご想像にお任せします。沼田さんと山崎さんは…当サイト一のなごみ系カップルです。みんなのお父さんとお母さん?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

1
獅子座な男

おまけ1