クリスマスには克彦を誘うな。
 このお触れが克彦の友人達に発令されたのは12月に入って直ぐだった。
 週に一回しか会えない本田と克彦のために、イブとクリスマスは二人きりになれるように予定を調整してくれと、友人代表の倉石義童に黒瀬組の吉野千草が頼んだのだ。
「タレントのスケジュール管理みたいですね…」
 義童は眉間に皺を寄せて申し訳なさがる千草に微笑んだ。
「全くです。克彦さんの交友関係は把握しているのですが、うちから直接お願いするわけにもいかず…ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」
「吉野さんは、クリスマスのご予定は?」
「私は無宗教ですので」
 たぶん、冗談なのだろうが。端正な表情で言われるとどう突っ込んで良いか分からなくなる。
「…冗談です」
 自己申告するところが妙に可愛い。義童はくすっと笑ってしまった。ヤクザと付き合ったのはこれが初めてで他を知る気もないが、黒瀬組の人間はみんな何処か温かで愛嬌がある。克彦の我が儘気ままにも振り回されることなく、先回りして受け止める。自分でも良くやった方だと思うが、克彦を受け止めるためにはこんなに大きな器が必要だったのかと、それが自分の役目でなくなって良かったと、義童は胸をなで下ろした。


「克彦、イブとクリスマス、予定はあるのか?」
 今年は何故か、全てが23日までに収まって、克彦自身も驚いていた。いつもなら24日と25日はパーティーを掛け持ちする事もしばしばだったのに。
「無い…」
 それはそれで悲しい。
 手帳を良く見たら、去年誘われたところからは今年も漏れなく声が掛かっている。今年は黒瀬組で過ごした時間が長いので新しい仲間との出会いは無かった。だからいつも通りでOKと言えばOKなのだが。
「あ!そうか!」
 今年はその黒瀬組のクリスマスにまだ呼ばれていないではないか。
「雪柾!俺はどっちでも良いからね!予定は早い者勝ち」
「どっちも開けておけ。最低48時間は拘束だ」
 

 イブの夕方に迎えに来るから待っているだけで良い、と本田に言われ、どこでどうやって過ごすのか全く教えてもらえなかった。けれどまあ、48時間と言うことは泊まりかな?
「お泊まりセット、お泊まりセット…」
 と立ち上がったところで、そんなものは本田がとっくの昔に準備万端整えていてくれるだろうと思った。
「あ、雪柾へあげるプレゼント!」
 普段は全く使わない書斎の机の引き出しに隠してある。
 とても小さな包みだったが、もの凄く心と手間と時間が掛かっているのだ。
「えへへ…喜んでくれるかな?喜んでくれるよね?」
 午前中に仕事を終え、午後からはゆっくりお風呂に浸かり全身を磨き上げ、今夜のための服を選んだ。あとは着替えるだけなのだが、いつも事務所を出る前と到着の五分前に電話をくれるので最初の電話をゆっくり待てばいい。
 去年までとは違うクリスマスに、克彦はワクワクするのを抑えきれない。
 今年は雪柾と一緒だから。
 今までの誰よりも愛しい人と一緒だから。

 

 いつもより少し明るめのスーツを着た本田はエリートと言うよりはモデルに見える。ライトベージュのカシミアのロングコートは夜目に目立ち、道行く人の視線を一心に集めていた。
 …と、克彦は思う。
 道行く人の視線を集めていたのは克彦も一緒だが、四六時中本田に恋をしている克彦は自分の美しさなど最早どうでも良かった。
 これも今までとは違うところだろうか。付き合う相手には最低限の清潔感やセンスしか求めず、自分が前に出て派手にキラキラを振りまくのが好きだったのだが…綺麗でいるのは自分のためだったけれど、今はひたすら本田に愛されたいがために磨き上げている。
 どんな女でも簡単に手にはいる立場にいる本田。豪華で煌びやかで艶やかで、そんな女が本田の隣に立つと、自分などとは比べものにならないくらい完璧な一対になるだろう。誰もがさすが男前が連れている女は違うなと言うのに比べて、克彦が隣にいるときなどは男に血迷ったヤクザ、と言う有り難くない言葉のレッテルを貼られるのだ。
 そりゃあ、普通にその辺を歩いている女よりは綺麗だし努力もしているしあっちの相性もばっちりだけど…本田が陰口に甘んじていられるのも今のうちだけに決まっている。
「克彦…またお前、何を考えている?」
 頬を紅潮させながら自分を見上げ、うれしそうに歩いていたが、だんだん耳が垂れてうつむき加減に歩くようになってきた。
「なんでもない…」
 この人と死ぬまで一緒に暮らすにはどうしたらいいんだろう…
「克彦」
 克彦の歩調に会わせてゆっくり歩いていた本田が立ち止まり、克彦を抱き締めた。銀座のど真ん中で。
「ちょっ…」
 出勤中の美しい女性達がわんさかいる中で、男同士で抱き合うなんて…
 それに、どこに同業者がいるか分からないのに…
「俺はお前のものだって、もう忘れたのか?思い出さなきゃ、思い出すまでここでこうしてるぞ。これだけじゃ俺の気が済まないからな、キスしてしまうかもしれん」
 吉野・沼田・都筑ともう3人の黒服が本田の周囲を取り囲み人垣を作る。隠すと言うより無防備な二人を守るためだ。克彦が不安に苛まれているとき、本田は全神経を克彦に向ける。愛する者に対しては当然の事であり、最強のヤクザがごく普通の人間に戻る時間でもある。
 今までいつ誰に狙われるか分からない職業の本田が警戒を解いて無防備な心をさらけ出す瞬間などついぞなかった。が、本田が素の心を晒しその心に触れることができた事で、黒瀬組全体が擬制の血縁関係以上の絆を結ぶことができたような気がする。
「ゆき…今日予約してくれたお店、初めてで凄く楽しみにしてるんだ。だからゆきは俺のものってことで、早く行こうよ…お腹空いた」
 いい大人が毎度毎度、同じ事でぐるぐるして同じようなパターンの行動を取るのは辞めてもらいたいが…まあこれを見るのも最近の楽しみの一つでもあるな、と吉野は思った。

 
 食事の間は本田と二人きりにしてくれた。みんなでわいわい食べても良いのだが、クリスマスくらい二人でどうぞ、と沼田に言われた。
「沼田さんも恋人いるのに…わるかったなぁ…」
「恋人がいるのは沼田だけだろう。その恋人も紅宝院の仕事でヨーロッパに行っているはずだ」
「ヨーロッパかぁ…本場のクリスマスは素敵だろうな〜」
「じゃあ来年はヨーロッパに行こう」
「え…いいよそこまでしなくても。ゆき、今日だって忙しいんじゃなかったの?」
「いや。今日から二日間、アメリカとヨーロッパの市場はクリスマス休暇だ」
 克彦は市場のことなどこれっぽっちも分からないが、誕生日の後、みんなから預かったお金を吉野に渡したところ、もうすぐ倍になりそうだった。克彦だけではなく、克彦の友達にも気を配ってくれる。
 嬉しすぎてちょっぴり涙ぐみそうになったけれど、泣いたらせっかく本田が準備してくれたディナーが食べられなくなってしまうではないか。
 克彦は深呼吸をして、目の前の料理に集中した。
「んー…じゃあこれ食べよっと」
 本マグロのなんチャラをぽいっと口に放り込む。
「なにこれ、まじうまーっ!!」
 美味しくて叫びだした料理はもう一度注文し、そうやって食べまくること3人前。克彦のお腹がぽっこり膨れたところで店を出て、少し歩く。
 歩くのが億劫なほど食べた克彦は、少しお酒も入って気分が良かったのか、本田にピッタリ寄り添って歩いている。人前でベタベタするタイプではないが、嬉しいときは素直にくっつきたがる。クリスマスという雰囲気に飲まれてしまったのかも知れない。今日はクリスマス・イブだからか二人連れのカップルが多く、他人の恋人に目をくれている場合ではないのに、だれもが本田と克彦を振り返る。
「あ。さっきのお店に手袋忘れて来ちゃった…」
 本田が黒服に目配せすると直ぐに電話で確認を取り、誰かに取りに行かせる。合流するまで寒いだろうからと、本田は片方の手袋を克彦の手にはめ、もう片方の手をとり自分のコートのポケットに差し込む。ポケットの中で指を絡めると、克彦が恥ずかしそうににっこり微笑んだ。
「あったかい…」
「ああ。これから行きたいところがある。付き合え」
「うん。どこ行くの?」
「着くまで内緒だ」


 車で三十分ほど走った閑静な住宅街の一角に、美しいイルミネーションが煌めく教会があった。そんなに大きくはないけれど建物は新しく、ウエディング専門の教会ではないようだ。白とブルーで統一されたクリスマスの装飾は煌びやかな中に清楚な印象があり、商業主義的クリスマスに浮かれていた克彦の気持ちを引き締める。
 門の脇には小さな掲示板があり、一週間の礼拝スケジュールや聖書の一節を書いた紙が貼ってあったりする。克彦にとって、子どもの頃を思い出させる少しだけ懐かしい場所だった。
「ここ…」
「今からクリスマスの礼拝があるそうだ。と言うか…もうはじまってるな。急ごう」
 暖房の効いた車の中でもポケットの中で手を繋ぎっぱなしだった。克彦はその手をそっと解いてポケットから出す。
「どうした?」
「やっぱりさ…神様の前だし」
 自分の性癖で悩むことなどもうないけれど、子どもの頃はそれなりに悩んだのだ。その辺の女の子よりはよっぽど可愛くてちやほやされる一方、意地悪な女の子からはこれでもかと言うほど容姿のことで難癖を付けられた。そのお陰で口げんかにはめっぽう強くなり、ますます男の子からは慕われるという悪循環。お互いに憧れているのに女子と男子の間には長くて深い溝があり、格好良かったり、スポーツができたり、優しかったり、そんな子達は簡単にその溝を跳び越えなおかつ女子からも歓迎され、そのどれでもなく綺麗で気が強い克彦は溝のこっち側で慰めてもらうばかりだった。
 女嫌いなのか男好きなのか分からない時代を経て、中学最後の年に、先輩に恋をした。うじうじ悩んでいるうちに実は先輩も自分の事が好きだったと判明。『卒業の思い出』に告白するという迷惑な行為をされ、告られた次の瞬間には『ありがとう』と言われて終わってしまった。
 それからは好きになったら取りあえず告白、玉砕を繰り返した後、最悪の男に引っかかってしまった。

 最悪だったのはそれだけではない。克彦が大学生になって実家に寄りつかなくなったのには理由がある。卒業して社会人になってからも、実家は直ぐ隣の県なのに一度も帰ったことがない。本田と付き合う理由にもなった出来事を知る知り合いに会うかもしれないという不安もある。そのことや、克彦がゲイであるということが実家にばれて、いたたまれなくなったのだ。
 気が強い克彦のことだから、そのくらいのことではへこたれないはず。でも、自分のことで家族全員が、特に父と兄の職業上の信頼を奪ってしまっては、強がりばかりも言ってはいられなかった。
 父と兄は、プロテスタントの牧師だった。
 カトリックに比べればリベラルだが、それは牧師や信者によって違う。マイノリティに対する考え方は教会によって違うので、同じ考えの信者同士が集まってくる。父の教会にはたまたまゲイやセックスに関して保守的な人が多かったので、克彦がそうだと分かった途端、信者は離れていった。信者が少なくなれば収入が減り生活は苦しくなる。そんな状況にさせてしまったにもかかわらず、父も兄も克彦を責めなかった。それが一番辛くて家を出たのだ。


 クリスマス・イブのミサはもうはじまっていて、本田と二人で最後列の隅っこに座る。黒服達は教会の外で待機している。
 ゲイで、しかも恋人はヤクザ。家族からは正反対の立場に立っちゃったよな、と苦笑う。
 教会やミサは好きだ。賛美歌や聖書の言葉は産まれる前から聞いていたのでしっかり覚えているし、中学卒業まではたまに礼拝の手伝いをしていたので進行だってよーく知っている。聖歌隊で歌っていたお陰でカラオケも得意だ。うちの教会は結構ぼろかったけど、ここは新しくて羨ましいな。
 本田のことだから、自分の家のことはとっくの昔に調べて知っているのだろう。その上で、ここに連れてきたのは何故だろう?
 クリスマスの定番と言えばそれまでだが、大事なときには泣きたくなるほど完璧に克彦のツボを押さえてくれるから…
 聖歌隊の歌が終わり、次はこの教会の主がクリスマスの説教を聞かせてくれる。
 つまらない話しだったら鼾をかいて寝てやろうと思ったら…
 牧師の衣装に身を包み、出てきたのは兄だった。
「うそっ…」
 声を上げそうになって、自分の手で自分の口を塞いだ。
 隣の本田を見上げると口元に指を立てて、静かにしてろ、と優しく囁いた。
 

 説教の内容はほとんど覚えていない。
 前の人の背中に隠れるように座り、たまに兄の姿を覗く。そう言えば兄は自分より10才も上で、もう何処かの教会の主になっていても良い年ではあった。少し早いから、聖職者としては優秀なのだろう。しかもこんな立派な(新しくて綺麗という意味で)教会の牧師だなんて。
「ゆき…知ってて連れてきたの?」
「ああ。知ったのは最近だ。お前が何年も実家に帰っていないようだったから…挨拶するにしても、しないにしても、状況を知っておきたかった」
 言いたいことは山のようにあったけれど、献金が回ってきたので急いで財布を出す。ちょっとだけ懐がいたくなる程度、で良いが、一万円札しかなかったのでそれを出してしまうと何となく悲しい。財布の中の一万円札を指で摘んだまま迷っていると、本田が克彦の手を押さえ、懐から小切手帳を取り出してすらすら数字を書いていく。
「一、十、百、千、万、十ま…百!?」
「少ないか?」
 ぷるぷると頭を横に振るのが精一杯だった。兄のボーナスは過去最高になるだろう。
 献金が終わるとミサも終わりに近づく。克彦は本田の腕を取り、終わってしまわないうちに、兄が出入り口で一人一人に声をかけ始める前にさっさと帰ろうと立ち上がったが…逆に本田に腕をがっしりと掴まれ、椅子にペタンッとお尻を着いてしまった。
「ゆき、早く外に出なきゃ、兄ちゃんが来ちゃうよ…」
 焦って腕を振り払おうとするが、がっしり捕まれて動けない。
 会いたくない。と言うか、突然すぎて何をどう話せばいいか分からないし、またいつかの組織犯罪対策部刑事の時と同じように、辛かったことや嫌だったことを思い出し、足元が震え始める。
「言っただろう、お前を苦しめるものは俺が排除するってな」
「え!?兄ちゃんを排除するの!?それダメだからね!」
「…」
 そうではないと分かっているが、つい口を滑らす克彦に、本田は一つ肩を震わせて鼻で笑った。


 信者がおおかた教会を後にし、静かな空気が流れ始める。本田はずっと克彦の腕を取ったまま動こうとしないし、克彦もどうして良いか分からず、無理があるのは分かっていたが身体をずらして椅子の背に隠れるように座っていた。後ろから見たら眠りこけているようにしか見えないだろう。でもそんなことはどうでもいいや、と投げやりな気分で座っていると、静かな足音が近づいてきた。
 やばいやばいやばい…
「久しぶりだね、克彦」
 兄の声は自分より柔らかいが張りがあって、信者には好評だった。
 本田の拘束が解け、今度は先に立ち上がった本田に引きずり上げるように立たされる。
「ひ、久しぶり、兄ちゃん。今日の説教良かったよ、相変わらず良い声なんで途中から居眠りしちゃったけど。でも、あれだね、兄ちゃんこんな立派な教会で凌ぎ上げてるなんて、凄い出世だね、あはは。あ、この人本田さん。本田さん、こっちが俺の兄。水口光太(みずぐちこうた)」
 兄は柔らかな微笑みを湛えながら本田に軽く挨拶した。
「相変わらずおしゃべりだね、克彦は」
「兄ちゃんも相変わらずいい男だね」
 間髪入れず克彦が返した。確かに兄の光太もいい男だった。克彦よりは男っぽいが、落ち着きがあり、清潔感が漂っている。
「克彦も随分大人っぽくなって…会いたかったよ。本当に。心配でたまらなかった…」


「この度は本当にありがとうございます」
 教主室に招かれ入る。実家の教会とは違い広くて綺麗だが、置かれている物は質素で兄らしかった。
「克彦も良く来てくれたね」
「まあ…雪柾に騙されて連れてこられたっていうか…」
 本田を見上げると、本田は真面目な顔で背筋を伸ばして座っている。
「克彦は今日ここに来ることを知らなかったのだね?お前を騙して連れてくるなんて、本田さんはお前の行動パターンを良く把握していらっしゃる…」
「うん。俺が蓋をしているクサイ物を勝手に開けて洗っちゃうんだ」
「克彦はなんでも我慢して、我慢しすぎて大爆発を起こすからね…気が付いてくれる人が見つかって良かったじゃないか」
 性癖が性癖だから、家族に恋人をちゃんと紹介した事なんて無い。そんなわけで本田を何と言って紹介すればいいのか克彦は迷っていた。
「本田さんがここに来られたのは今日で二度目だよ。初めてお会いして直ぐに、お前を下さいと言われて驚いてしまった」
 兄が笑いながら二人を交互に見た。
 克彦もそんな話しを初めて聞いて、恥ずかしいやら嬉しいやら、開いた口が塞がらなかった。
「な!なんで、もうそんなこと言っちゃったの!?」
「お前と家族の間に何かあるのは分かっていたから、それを解決しておこうと思ったんだ。理解も得られて、わだかまりもとれて一石二鳥だろう?」
 理解というかわだかまりというか、もの凄くこっぱずかしい。
 若い頃は色々悩んで帰りたくても帰れない状況を自分で作っていた。けれどここ数年は、自分で高くした敷居を越えるのが億劫になっていただけだった。たまに電話をもらっていたがわざと留守電にしたり、かけ直す場合も礼拝中で絶対時出られない時間帯を選んだ。自分が作った試作品の家具を送り、元気で仕事をしていることだけはきっちり伝えておいたが。
「お…お父さんは?」
「父にも挨拶してくれたようだね。驚いて、それこそ腰を抜かしたそうだ。克彦が送ってくれたソファーが後ろにあって良かった、とも言っていた。今日はキャンドルサービスがあるから来られないけど、いつでも好きなときに帰ってお出でと…」
「…うん」
 何も言われないのを良いことに、なるべく家族には触れないようにしてきた。若い頃と違って、寂しさを紛らわす方法も沢山知っているし、家族に会いたいなと思うことはあっても、あの嫌な街に足を踏み込む勇気がなかった。その事に気力を使うより、恋人や友達を追いかける方が楽しかったから…
 でも、生まれて初めて失いたくない人と出会い、その上家族ともまた会えて、全部がうまく行くことの幸せったら…
「なんか視界が…」
 ぼやけるな、と思ったらみるみる涙が溢れてきた。
 顔はゴシゴシしたらいけない…ハンカチも持ってない。
 仕方がないので俯いて、本田のスーツの袖口をぎゅっと握る。
 その袖口で涙を拭きそうな克彦に慌てた兄が、急いでハンカチを渡す。
「お前は…ちゃっかりしているところも昔と変わってないな…いや、それ以上かな?」
 呆れ顔を笑顔に変えた後、克彦を素のまま受け入れてくれた本田を、兄は十字を切って祝福した。


「…ゆき…嬉しかった。ありがとう…」
 子供のように後部座席に後ろ向きに座って手を振っていた克彦は、兄が見えなくなった途端に本田にしがみついた。
「すっごいクリスマスプレゼントだった…」
「一応、別のもあるんだが…」
「…もういらない。一生分もらった感じ…」
 お腹もいっぱいで、気持ちもいっぱいで、早く本田に抱かれたかった。
「一応ホテルも予約してあるが…うちとどっちが良い?」
「ゆきのうちが良い…」
 きっと豪華なホテルの部屋を用意してくれていたのだろうと思う。これも我が儘かも知れないけど、でも、本田との思い出が沢山詰まっている部屋で愛し合いたかった。
「少し飲むか?」
 居間のテーブルの上にはシャンパンが準備されていた。
「ううん…ごめんね、せっかく用意してくれたのに。でも、もうだめかも」
 克彦がしなやかな腕を本田の首に巻き付け、唇を寄せる。
「ゆき…好き…大好き…」
 本田の熱い舌を自分の口の中に誘うように絡め取り、深く深く口づけた。
 

 翌日は昼頃までゆっくり眠り、目が覚めたらまた愛し合って…いつもなら獣のように貪られるのだが、今日は違っていた。そこはかとなく優しくて、克彦が好きなことを沢山してくれる。我が儘気まま傲慢なようで実は淋しがりやの甘えたがり…映画を観たり、食事をしたりする間はずっと抱き締めていてくれたし、背中の刺青をスケッチしたり、身体を好きなだけ触らせてくれたり、普段ゆっくりと過ごす時間があまりなかったので、いちゃいちゃデレデレしまくった。
 いや、しょっちゅう会っているのだが、裸に剥かれて喘がされるか克彦のお騒がせに巻き込まれるかで、二人きりで心ゆくまでのんびりしたことがないような気がする。
 あまりにも幸せすぎて、克彦がプレゼントのことを思い出したのは次の日の朝だった。
 
 もっと感動的なクリスマスになる予定だったのに。自分ばっかり感動して大切な事をすっかり忘れていた。自分ばかりプレゼントをもらって、上げるのを忘れてたなんて、前代未聞だった。情けなさ過ぎて涙が出る…
「どうした、克彦?」
 ボロボロ涙を流す克彦に本田は慌てたが、理由も予想が付いていた。
「克彦、昨日言ってたもう一つのプレゼントだが、実は…」
「ゆきっ!!ごめんっ!!俺、あんなに素敵なプレゼントもらったのに、ゆきにプレゼント渡すの、忘れてた…!!」
 ああ、そっちか、と実はほっとした。もう一つ準備していたプレゼントは、もう少し趣向を凝らしたかったのだが、今回はちょっとしたことで時間と日にちが足りなかったのだ。
「これ」
 克彦は小さなプレゼントを本田に手渡した。
「ゆきにはいつも沢山素敵なものをもらってるのに、俺…昨日も一昨日もすっごい幸せで…ごめんね。でも、一生懸命作ったんだ…」
 本田がその小さな包みを解くと、小さいけれどそれにしては大きめのお守りが出てきた。
「沙希ちゃんと電話でクリスマスプレゼントは何にしようか話してたんだ。ゆきも園部さんも、良い物は沢山持ってるでしょう?なんでも喜んでくれるのは分かってるから、俺たちが買えるもので良いんだろうけど…でも特別な物をあげたくて…手作りのものをあげようって。そしたら沙希ちゃんは、園部さんとお揃いのお守りを作るって。で、俺は…」
 本田の手からお守りを取り上げ、お守り袋の中身をとりだして見せた。
「これは…」
「ゆきの後ろの守りは万全だから…聖観音、地獄道から救ってくれる観音様。胸の内ポケットに入れてもらえれば…これね、俺が手彫りで作ったの。金属彫るのは難しいから、蝋を彫って、石膏で型を取って、そこにシルバーを流して作るんだ。ゆきを危険から守ってくれますように、って。最初はね、鉄板入りの財布にしようかなって思ったんだけど、重くなるし、おしゃれじゃないからさ…」
 本田もそれは御免被りたかった。
 克彦は隅々まで見ちゃダメ、と言いながら本田の手からシルバーのプレートを取り上げ、お守り袋に入れ、スーツの内ポケットに滑り込ませた。
「克彦、ありがとう」
 ありがとうなど、何十年も言ったことがない。プレゼントなど当然のように受け取り、何処へ仕舞われたのかすら知らない。女達から貢がれたものは、吉野か沼田が適当に処分し、それ相応のお返しをしてくれたはずだ。別に有り難いとも思ったことがない。欲しい物は、自分で手に入れれば良いと思っていた。
「ゆき、いつもありがとう。ゆきに会えて良かった。こればっかりは神様にもありがとうって言わなきゃね」
 

 自宅まで本田に送ってもらい、仕事に出掛ける準備をする。広い部屋のソファーに身を沈め、いつ本田がもう一つのプレゼントに気が付くか、どきどきしている。今日かな、明日かな…来年かも知れない。ずっと気が付かなかったらどうしよう…でも、きっと本田は一人になったとき、あのお守りの中の聖観音を良く見ようとするはずだ。その時、気が付いてくれるはず…
 克彦は本田から借りたこのマンションに引っ越すとき、もう一つ鍵を付けてもらった。玄関を入ってすぐ小さな部屋があり、そこには克彦の部屋のフロアを監視するカメラの映像をチェックする部屋がある。組員が一人常駐しているが、克彦とは一切顔を合わせなくて良いようにトイレやシャワー室を増設した。そして居間に繋がるドアにカード式の鍵を取り付けてもらった。その鍵は克彦しか持っていないのだが…
 シルバーのプレートと一緒に、そのカードキーを偲ばせておいた。来るときは必ず連絡してから…と言うことにしていたが、いつでも好きなときに入って良い、と暗に伝えたつもりだ。
 そのことにいつ気が付いてくれるだろう。本当は一緒に暮らしたい。でも恐くて出来なかった。別れるようなことがあっても、何処に行く当てもなかったから…
 このクリスマスで実家や兄と通じ合うことが出来たのは偶然だったが、そのお陰でもっと深いところに踏み出す勇気ももらった。
 やっぱり今日の夜かな…仕事に行くような素振りだったし…悶々とすること一時間あまり。
 玄関の分厚い扉が開き、暫くして、居間のドアがノックと共に静かに開いた。


「雪柾…遅い」
「すまん」
 克彦がぶつかるように抱きつくと、本田はがっしりと支え抱き締めた。
 さっきまで一緒にいたのに、何日もあっていない時のような新鮮な気持ち。嬉しくもあり、恥ずかしくもある。
「もう少しだけ、時間があるか?」
「ゆき、48時間開けとけって言った。夕方の5時まで、まだ九時間も残ってるよ?」
 そうだったな、と言う言葉は囁き声のように小さくなり、どちらとも無く塞がれた唇に飲まれてしまった。
 

END

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

たまにはしおらしい克彦を。克彦の実家は教会だったんですね。我が儘な女王様とは言え、正直なところは親譲りかな?兄も出てきました。どんなひとなんでしょうね?お父さんも…

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

雪柾と克彦

ありがとう