会議室の扉に異変が起こったことを誰もが気付いていた。
 会議室は幹部専用フロアにあるため人通りは多くないが、朝一番の報告を上げに来た下っ端の黒服が真っ先にそれを見つけ…
 日頃からどんな些細なことも見落とすなと言われている組員達は、その目で見た物を幹部に報告するかどうか大いに悩んだ。
 会議室と言えば克彦の領分である。
 克彦と言えば組長の、黒瀬組の至宝である。
 その克彦が陣取る会議室の異変に幹部が気がついていないはずはない。下っ端の一黒服である自分が口を出すのは如何な物か…しかし、確認・報告は何を置いても優先されるべき事項。余計なことを言って組長以下三名の幹部から怒声を浴びせられるのは避けたいが…
 

 重要事項の報告をした後、なかなか立ち去ろうとしない黒服に吉野が鋭い視線を向けた。
「何を迷っている。迷う暇があるなら報告しろ」
 克彦や沙希がいる時といない時とでは幹部の態度は180度異なる。 少しでも粗相があれば怒鳴られるか睨まれるか、最悪の場合は殴られるか、エリートの中のエリートとは言え黒瀬組はやはりヤクザ者の集団なのだった。
「はいっ…あの」
 夜叉と言われる吉野に睨まれ、黒服はびびり上がって声がひっくり返ってしまった。
「おいおい吉野、怖がってんじゃねぇか。少しは優しくしてやれや。なぁ?」
 と強面で誰よりもヤクザな園部に言われても…
「あのっ…お気づきかもしれませんが、先程会議室の前を通ったところ、会議室のプレートが…妙なプレートに取り替えられていました…」
 組長、吉野、園部、沼田の鋭い視線が向けられる。
 やはり聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと、黒服は奥歯を噛みしめた。
「…お前がここに来たのは10分程前だな?」
 比較的優しそうに、沼田がたずねた。
「は、はい」
「克彦さんと沙希ちゃんが会議室に入ったのは1時間程前…一度私が会議室へ行ったのが50分程前…お菓子を届けにいったのですぐこちらへ来ましたが…このメンバーはそれ以降ずっとここにいましたね?」
 全員がうんうんと頷いている。
「会議室のプレートがどうなっていたのですか?」
 克彦と沙希が関わることになると吉野の態度はがらりと変わって優しい物になる。柔らかな声と言葉遣いで問われ、黒服は緊張を解いた。
「はい、それが…」


「沙希ちゃん、何か良い名前思いつかない?なんだったら光組でいいかな?」
 紅宝院亮(くほういん りょう)の手作りチョコレートケーキを頬張りながら克彦がたずねた。
「うーん…亮さんは?」
「僕は…想像力が乏しいので…」
 ここは紅宝レジデンス最上階、迅と亮が住む超豪華なマンションのリビングルーム。夏休みで一時帰国した沙希を連れて、克彦が遊びに来たのである。沙希と亮がとても暇そうだったので何か面白い遊びが出来れば、と年長者らしく気を利かせていたのだ。克彦もこのくそ暑い中見本帳を持って得意先回りをするより、子供達の面倒を見ると言う大義名分の裏で何か面白いことに首を突っ込んでいた方がマシだ。
「水口…園部…紅宝院…亮君は光りある者、っていう一族なんだろう?」
「はい。迅さんが炎を纏う蛇って言うんです」
「そっか…だんなは良いとして…ひかり、にしようか?」
「僕は構いませんよ…って、僕もやっぱり参加するんですか?」
「当然!沙希ちゃんと亮くんが暇そうだからやるんだよ」
 いつもこんな感じだから暇とか思わないんだけどな…と言いたい亮だったが、自分のためと言われれば断れない性格なのだった。
「沙希ちゃん…生クリームばっかり舐めてないで…」
 克彦と亮の会話そっちのけで沙希は生クリームに取り憑かれている。
「だってこれ、美味しいんだもん…」
「美味しいでしょう!北海道から送ってもらった生クリームなんです。コクがあって…でも食べすぎたら太っちゃいますよ?」
「稽古したら大丈夫だよ。亮さんは何か運動しないんですか?」
「僕は運動苦手なの。今回のことも上手くできるかどうか…心配だな」

「…それが、光組、と言うプレートに変えられていて…」
「幼稚園か?」
 口の端を曲げながら、園部が呟いた。
「とにかく、一度様子を見てきましょう」
 吉野が会議室へ赴き、中の様子を伺いに行ったのだが…
 直ぐに、足早に帰ってきた吉野の表情は硬かった。
「組長、園部さん、克彦さんと沙希さんはどこかへ行くとおっしゃってましたか?」
 二人は無言で吉野を見つめ、首を微かに横へ振った。
「…逃走されました」
「都筑はどうした!」
 本田が一喝する。
 まだその場にいた黒服が大急ぎで携帯を取りだし、都筑を呼び出した。
『moshimoshi』
 電話を取った相手の言葉遣いは日本人の物ではなく、ましてや都筑のものでもなく、明らかに外人の発音だった。
「都筑はどうした!?」
『つづきさんわ、ねむてるよ』
「お前は誰だ!」
『わたしわ、くほいんの、けーびね』
「くほいん??」
「電話を貸せ!」
 本田が黒服の携帯をひたくった。
「本田雪柾だ、てめぇ、だれだ」
『おー、ゆきー、げんき?わたしわー、リッチー』
「なぜお前が都筑の携帯に出てる?」
『つづきさん、ねてるよ』
「なぜ?詳しく話せ」
『かっちゃんとーちびちゃんがーうちのちびちゃんにーあいにきたよ。つづきさんわー、はいれなーいから、ここでまてもらてる。ちびちゃんがーもてきたおちゃのんだらー、ねむたよ。ここはーどこよりもあんぜんね。かっちゃんがかえるまでー、まてればいい』


 紅宝レジデンスの14階をクリアするには紅宝院か花月院から直接許可を取らないと入れない。爆弾でも使えばなんとかなるが、こっそり遊びに行っているだけらしいので暫く静観することにした。恐らく都筑のお茶には睡眠薬でも仕込んだのだろう。ここまでやる理由はただ一つ。
 克彦は何かよからぬ事を考えている。
 

 本人は半年ぶりに帰ってきた沙希と楽しく遊ぶつもりなのだろうが…幹部達はそう暇でもなかった。ある事件の処理を先代から頼まれ忙殺されていたのだ。お陰で克彦と沙希の相手が出来ず、二人は暇を持て余していた。他組織が絡んでいるので二人を野放しにも出来ず、目の届く範囲に置いていたのだが…
「さすがに、2日で飽きたな…」
 はなからあの二人が大人しく会議室に座っているわけがない。
「紅宝院にいるのでしたら、そちらの方が安全かと思いますが…」
 吉野が苦笑いながら言った。黒瀬の意地に掛けても克彦と沙希の安全は確保したいが、何しろ今回は通常業務以外に政治家、組対4課、他暴力団へ人員を割いているので少数精鋭とはいえ、圧倒的に駒の数が足りない。先代が持つ組織も言い出した手前情報収集だけはしてくれるが、これは恐らく本田や現黒瀬組に対する試験のようなものなのだろう。ヤクザの本分と、克彦や沙希を迎えてなおその本分を尽くすことが出来るのか、ようするに腑抜けになっていないかどうかを見られているのだ。
 克彦と沙希の性質はとっくの昔に先代も掌握済みで、この誘惑が多い季節に遊び回れない二人が騒ぎ出す事も見越しているのかもしれない。
「紅宝院の当主はどこにいる?」
 紅宝院の秘書の一人である山崎を恋人に持つ沼田にたずねた。
「…ゆきちゃんは社長と共にアメリカですね。日本には秘書室長の巽さんが残っているはずです」
「あの優男か…」
 見た目や物腰、紅宝院での位置づけなどは黒瀬の吉野と並ぶ。が、見た目通りでアクション系ではない。
「巽さんもお忙しくて会社に監禁されてます。彼は仕事は早いですがサボり癖もありますから。本宅には亮君と家族だけ…もっとも、40人の護衛に囲まれていますから、安全性はこの事務所と変わりありません」
 問題は、全ての権限を持つのがあの超天然少年、紅宝院亮だと言うこと。克彦ならあの子を手玉に取るなど容易い。全ての権限を持つ亮を上手く操作すれば、夏の自由はやりたい放題。
「さっそく都筑が眠らされているからな…こっちもフル稼働でさっさと仕事を終わらせる」
 本田の言葉に、仕事大好きな吉野が嬉しそうに笑った。
 ところが、そうは問屋が卸さないのであった。

 沙希が一時帰国したので一緒に夏を楽しもうと思っていたのに。
 黒瀬組の仕事が何やら佳境に入っていることは克彦にも分かる。だが自分たちの行動まで制限されるとは思っても見なかった。
「なんで俺たちにまで護衛を回せないからって、閉じこめるんだろうね。こっちには沙希ちゃんだっているのに」
「そうですよね。俺、何かあったら克彦さんくらい助けられるのに。都筑さんもいるんだから…」
 その二人がいても克彦を敵の手に一時的でも渡してしまった過去は、だれも振り返らない。
「沙希ちゃんは小さいのに立派だね。僕はお菓子くらいしか作れないので…」
 俺たちの賢さと強さを見せてやるんだ。
 そう思った克彦が考えた作戦は…
「まず、光組を立ち上げる。組長は俺。沙希ちゃんは若頭。亮君は本部長。沙希ちゃんは武闘派だね。で、亮君は…金庫番?」
「僕?金庫番?」
「お金の管理をする人だよ。組員が集めてくる上納金を管理・運営して増やして活動資金にするんだ」
「僕…計算はあまり得意じゃない…組員って?上納金って何?」
「「……」」
 一応これでもヤクザのイロとして過ごしてきて、ヤクザに詳しい克彦と沙希は『何?なぜ?』を連発する亮に、まず言葉の説明からしなくてはいけなかった。


 問題は活動資金だ。潤沢な程すんなり事が運ぶ。紅宝院亮はこの3人の中で最もお金持ちだが、お金持ち過ぎて現金は毎月3万円のお小遣いしか持っていない。沙希もどこへ行くにも付いてくる園部や護衛が財布を持っており、現金は友達と遊びに行くときにしか持ち歩かない。
「俺、今日はドルしか持ってない…」 
 財布をのぞき込みながら沙希が言った。何しろ帰国してから二日間、家と組の往復しかしていないのだ。
「ドルだったら下の人達が誰か円に替えてくれるかも…僕が頼んであげましょうか?」
「そっか、じゃあお願いしよう」
「どのくらいあるの?ドル」
「…50ドルくらい…」
「4500円くらい?」
「…うん。克彦さんは?」
「俺は…給料日前だから…財布に五千円…?」
 可愛らしいものである。
「じゃあまず…沙希ちゃん、分かってるよね?亮君と二人で凌ぎ上げてきて」
「「ええええー!?」」

 金策は二人に任せ、克彦は都筑を気付け薬のようなもので起こしてもらい、まだ朦朧としている都筑を伴って黒瀬組会議室、今では光組総本部、へ帰ることにした。帰り着くまでの道のりで都筑に散々怒られたけれど、これからの楽しい毎日のことを考えると多少のお小言も素直に聞き入れようではないか。
 助手席では、携帯の着信履歴を見た都筑が慌てて吉野に連絡を取っている。きっと吉野に怒られているのだろうけど、克彦もこれをやり遂げなければならない理由がある。遊びと言ってしまえばそれまでだが、自分の将来が掛かったこの一代イベントを絶対にやり遂げてみせるぞ、とこっそり拳を握るのであった。
 光組総本部(旧黒瀬組会議室)はしんと静まりかえっていた。克彦が到着したことは伝えられたが、生憎幹部達は仕事で全員出払っていた。
「克彦さん、表のプレートですが…」
「ああ、あれ?組の名前はもう決めてたんだ。朝、ここに来たとき付け替えたの」
「光組…って何のことですか?」
「ひ・み・つ。って見たままだけど。俺が組長で、新しい組を作ったの。ここが総本部。ゆきの邪魔はしないから大丈夫」
 大丈夫なはずがない。遊びならそれでもいいが、こんな事がもし他の組にばれたら冗談では済まされない。
「ゆきに挨拶しないとダメかな?」
「挨拶ってそんな…そんな事したら遊びでは済まなくなりますよ!」
「遊び…か…」
「そんな真面目な顔で遠くを見つめてもダメです!」


 その頃沙希は、慣れない紅宝院宅でもぞもぞしていた。目の前にいる金髪碧眼なのに純粋な日本人らしいとても綺麗な青年とはさっき初めてあったばかりで、とても優しくて親切にしてくれるのだけど、何となく話しがかみ合わなくてどうしようかと迷っている。
 ドルを円に替えてくれる人を探しに行こうと言われ、外に出るのかなと思ったら連れてこられたのは同じマンションにある食堂みたいなところだった。屈強そうな外人が沢山いる。
「こ…この人達は?」
「この建物や、僕たち家族の警備をしてくれてる人達。外国の人だからドルが欲しい人もいるかも…」
 黒瀬組とは違い、みんなランボーみたいなラフな格好をしている。
「うわぁ…みんな強そう…かっこいいなぁ…」
 用事を伝えると、暫くして一人の外人が財布を持って近寄ってきた。
「沙希ちゃん、にばんが替えてくれるって。にばんはもうすぐ仕事でアメリカに行くから小銭が欲しいんだって」
「えっと、俺もNYに住んでるの。アメリカのどこへ行くんですか?」
「ワシントン。NYへも寄るよ」
「俺、ついこの間ワシントンの椿大社に行きました!…はい、これ。50ドルと、小銭もあげちゃう」
 10ドル紙幣5枚と小銭を財布の中からざーっと出し、にばんと呼ばれた男に手渡した。
「うわぁ…手も大きい…」 
 沙希が一生懸命掴んだ小銭も楽々と手の平に収まる。
「君は小さいけど、日本人形みたいで可愛いじゃないか」
 悪気があって言った言葉ではないのだろうが、沙希には小さいとか可愛いは禁句に近い。ぷっと頬を膨らませながら円を受け取ると、頭をくしゃっと撫でられてしまった。
「あれ…六千円…」
「小さいと言ったお詫び」
 ウィンクしながら去っていく姿は、爽やかで格好良かった。


 最初の予定より千円増えたからと言って、光組の活動資金には心許ない金額だ。園部は現金を増やす天才だが、沙希にはちっとも教えてくれない。
「凌ぎって、どれくらい上げれば良いのかな…」
「今、千円増えましたよね?」
「うん…」
「じゃあそれで…お菓子を作って臨時バザーをしましょう」
「は?」
「千円あれば美味しいクッキーが作れます。それをみんなに買ってもらうの。僕も時々刺繍とかレース編みとかしてお小遣い増やしてますよ」
 沙希も料理や裁縫はできるが、それがお金になるとは思わなかった。良い考えのようだが、園部みたいに大きく出たい。
「それはそれでやって良いけど、もっとこう何か…そうだ、吉野さんに聞いてみようかな…でも、吉野さんは黒瀬組の本部長だし俺たちに教えてくれるかな?」
「吉野さん…僕の土地を売ったときにお会いしました!優しそうで、素敵な人ですよね!?」
「うん。色々気がつく人でね、黒瀬組の金庫番なんだよ!」
「じゃあ僕と同じ役割の人ですね。相談してみましょう」
 

 とは言え、沙希は何をどう説明すればいいのか良く分からず途方に暮れてしまった。素直に光組を立ち上げたのでお金の稼ぎ方を教えて下さい、と言っても良いのだろうか?
 吉野のことだから、絶対に、なぜこんな事をしているのか聞いてくるはずだ。それは克彦と沙希の二人だけの秘密で誰にも打ち明けられない。亮にも本当のことは教えていないのだ。亮を誘ったのは、完全に克彦の酔狂である。黒瀬組でさえ頭が上がらない?紅宝院家なので、そこの最高権力者??の亮を仲間に引き入れておけば有利だとも思ったのだろう。
 世間知らずの沙希でさえ目を剥くような小春日和な青年だが、すっとぼけた答えや空気を全く読まない台詞にもつっこんではいけないような気がする。
 沙希は吉野直通携帯を取りだし、ワンプッシュで電話を繋いだ。
『沙希ちゃん、どうしました?』 
「えと…黙って抜け出してごめんなさい…それで…吉野さんに相談があって…」
 何時になく歯切れの悪い口調なのは、話すことが無いからだ。
『相談、ですか?私で解決できることなら何なりと』
「あの、今そこにはるさんいますか?」
『いいえ。今日は全員別行動なので、今一人です。内緒のはなしですか?』
 語尾がとても優しくて、直ぐに全てを暴露して何とかして欲しい気持ちになってしまう。
「はい…あの…吉野さん、会ってお話ししたいんですが…その…お金のことで相談が…」
『そうですか…分かりました。お昼ごはんでも一緒にどうですか?』
「はい!じゃああの、俺が場所とか決めて…すぐまたかけ直します!ちょっとだけ待っててもらえますか?」
 分かりました、と電話を切った後、沙希は策略などしたことがない素直な脳みそで、素早く色々なことを計算したのだった。

 紅宝院亮が当日いきなり誰かを昼食に招待するなど、実はあり得ない。警備上の問題もあるが、何より本人がお客をもてなすために最大限の準備をするタイプだからだ。人柄や好みなどリサーチした結果でメニューを決め、レシピや手順を何度も頭の中で繰り返す。テーブルセッティングや室内の装飾など何もかもに時間と心を注ぐ。
 一時間後に黒瀬組の本部長、吉野千草を自宅に招く事はすぐに関係者に伝えられ、もちろん紅宝の秘書であり亮の親友でもある巽京史郎にも知らされた。
「今日は突然のお客様が多い日ですね…」
 好奇心がわき上がり、亮の為なら仕事をさぼる事を厭わない性格の巽は、一時間後の食事会に間に合わせるよう、全ての仕事を部下に押しつけた。
 そして今日は何故か、黒瀬組ニューヨーク本部長の恋人まで来ているらしい。写真で見たことがあるが、着物を着たおかっぱのお人形のような子で、可愛いだけではなく武術にも優れている日本男児と聞く。
 急な来客で亮も戸惑っているだろう。どこまでもマイペースなので、慌てて料理をつくって火傷などしていなければ良いが…
「二時間半で戻ります。その間に会社を潰さないで下さいね」
 そう言い置いて巽は、見た目がのほほんとしているので落ち着いて見えるが実はパニクっているだろう亮を心配して、紅宝マンションへと急いだ。


 自分が言い出した手前、食事の準備くらい手伝おうと、沙希は亮のキッチンを点検確認していた。
「何作ろう…」
 亮に聞いてみたがにっこり笑って頭を傾げるだけで返事が来ない。
「俺が言い出したことだから、俺が作るけど…材料とか道具とか、使っても良い?」
 亮はこっくりと頷いた。
「でも、今の時間だったら下の食堂も開いてるし、そこで食べませんか?メニューも色々あって美味しいんですよ」
「さっきの食堂?」
「はい。兵士の食堂なのですが、僕たちもよくそこで食べるんです」
「兵士?」
「護衛の人達の事です。みなさん本職は傭兵さんなんです。色々な国の…」
「うわぁ…かっこいいなぁ…」
 沙希は任侠物も好きだがアクション物全般が好きである。このマンションに入ってから見掛けたいかにもな人達はみんなごつくて強者っぽかった。黒瀬組の人達も強いし黒いスーツにサングラスという出で立ちも好きだが、迷彩服やムキッとした身体にぴったりしたタンクトップ姿も格好良くて好きだ。
「沙希ちゃんは何が好き?」
「俺は、オムライス!あるかな…」
「ありますよ。美味しいのが」


 一時間ほどで吉野が来るはずだが、その前に相談事を考えなければならない。克彦さんと自分のため、黒瀬組のため、一番大事なことを隠したままどう説明すればいいのか…
 わらしべ長者のようにクッキーからケーキ、ケーキからランチボックス…と値段を上げていけば良いと言う亮の意見は取りあえず亮自身に任せることにして、今手元にある六千円を一気に増やすにはどうすればいいか…兄に聞けばきっと怒られるし、園部の部下はどんな些細なことでも沙希が関わることは園部に話してしまう。
 絶対にばれてはいけないのだ。
 考えがまとまらないまま時間だけが過ぎて行き、焦り始めたところでチャイムが鳴った。
「どうしよう…まだ考えてないのに…吉野さん、来ちゃったよ…」
「あ…違うみたいですよ…」
 玄関が開かないうちから亮には誰が帰ってきたか分かったようだった。
 暫くして居間に現れたのは、沙希が知らない男の人だった。吉野さんっぽいけどもっと雰囲気が柔らかく…ふわっとしている?
「ただいま、亮」
「巽(たつみ)さん、お帰りになったの?ご苦労様です」
 巽という人が亮を抱き締めておでこにキスをしている。甘いマスクとはこの人のことを言うんだろうな、などと考え始めるくらい、優しい感じのモデルさんみたいなイケメンだ。
「いや、お客様が来ると聞いてちょっと寄ってみただけだよ。急な来客で亮が戸惑っているのじゃないかと…」
「僕は大丈夫。巽さん、こちらが園部沙希ちゃん。少し前まで克彦さんもいらっしゃったの。もう少ししたら吉野さんがお見えになります」
「ああ、君が沙希ちゃん。お話しは山崎から聞いていますよ。文武両道でしっかり者の日本男児と。私は巽京史郎と言います。どうぞよろしく」
 朗らかな笑顔と共に差し出された手を握ると、とっても柔らかくてすべすべしていた。なんとなく吉野っぽいと思ったが、吉野の手は綺麗だけれど武術をしているだけあってがっしりしている。
「えと、園部沙希です。よろしくお願いします」
「ねえ沙希ちゃん、巽さんは内緒にするのが好きなの。だから、何か良い案があるかどうか、聞いてみれば?」
「内緒ごと?大好きですよ。私たち3人だけの内緒があるって、ロマンチックじゃないですか」
 ロマンチック…かどうか分からない。克彦さんとの間には沢山の内緒や秘密があるけれど、ロマンチックと言うより笑えるような事ばかりで…
「ロマンチックじゃないけど…超現実的なんですけど…俺達、大金が必要なんです。貯金とかそう言うのじゃなくて…ある目標が達成できるまで、何もないところからお金つくって、新しい組を立ち上げなきゃいけないんです。黒瀬組を下から支えられるような…」
 

『組織の一つくらい、持参金代わりに持ってこい。でなければ認めない』


 克彦が黒瀬組の先代組長からそう言われたのは一月程前だった。

 …らしい。


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