七夕の奇跡

園部と沙希

 本田と克彦をスィートルームに押し込んだ後、沼田は吉野を自宅まで送り、また夜の街へ舞い戻っていた。NY帰りの園部と夜を堪能するためである。吉野は遊び始めるとスイッチが切れてモーレツ襲い受けに変身し、色々な意味で世話が焼けるので今日はさっさと帰したのだ。

 

 園部は三人の幹部のなかでは比較的小柄だが、世間一般の中では大柄な部類に入る。鋭い光を放つ切れ長の目はヤクザそのもの、甘めの沼田とは対照的なクールで男らしい容貌だ。沼田が来る者拒まずに対して園部は美しい者好きなので、二人で出歩いても獲物が被る事はない。美人が二人揃って相手を物色している事も少なく、美人の隣には引き立て役が必ずいて、美人は園部が強引に、沼田は引き立て役を優しく丁寧に引っ掛けるという寸法である。
「克彦さんが良く行ってたバーなんですけどね、結構レベル高いですよ。行ってみませんか?」

 沼田は克彦と何度もその店で飲んでいたが、克彦の護衛係だったこともあり、一度も遊んだ事はない。良いチャンスだ。

「ほぉ…克彦さんがいた店なら期待できるな」

克彦ほどではなくても、園部の眼鏡に叶う男は何人か心あたりがある。

沼田の職業は不明だったが、いつも最後に現れる男(本田)のせいで、ヤクザっぽいと噂がたっていた。園部のせいで噂は真実味が増したが、克彦が大切にされていた事を知っている常連客は嘘のような真実に蓋をして、今日こそは落とされたい、とハートマークを飛ばしてくる。
 園部が気に入ったのは、この中でも際立った美人だった。ただし、
「彼は見た目は良いですがナンバー3から上がれないんですよね。性格に問題があるようで。もう少し待ったらナンバー1か2が来るかも」
園部は鼻先でフフンと笑う。
「性格?そんなものやってる最中は関係ねぇだろう?押さえ込んで無理矢理、有無を言わせなきゃ良い」
「恨みをかわなきゃ良いですがね…」
性格もヤクザそのものの園部は自分のイロに対しても容赦ない。その非情さは沼田も受け入れられないが、プライベートに口を出すような関係ではないので、とばっちりを食わない限り無視する事にしている。
「待ってて来なかったら時間の無駄だろ?他にもいるなら次回の楽しみにするさ」
 そう言って園部がさっさとその美人を連れ出した後、常連客達と楽しく騒ぎ、遅くに現れたナンバー1をちゃっかり持ち帰った沼田だった。

 

 翌朝。園部の機嫌の悪さが昨夜の顛末を雄弁に物語っていた。
「どうだったのか敢えて聞きませんが、機嫌を直してもらわないと下の者がビビって仕事にならないんですが?」
沼田が文句を言うと、園部は思いっきり睨みつける。
「あぁ?顔も体も良い方だったがな…終わった途端に恋人気取りやがって…思い上がるなっつったらギャーギャーわめくし。部屋から叩き出した。今日はもう少しマトモなやつ探す」
自分がもう少しマトモになったほうが早いのに…
お前はどうだったのかと聞かれたが、楽しくイヤらしく充実した一夜だったなどと口が裂けても言えない。
「いつも通りですよ。それより今夜は七夕ですから、願い事でもすれば叶うかもしれませんね」
「願い事?んなもん自分で叶えりゃ良いだろうも?別に恋人が欲しいわけじゃないし。まぁ、あっちもこっちも相性の良い相手がいれば良いけどな。入れあげて弱みになるのもご免だ」
「克彦さんは、組長の弱みになると思いますか?」
「あれは本物だ。弱みどころか組長の最終兵器?そんなものは、そうそう落ちてないんだよ。見つかるだろうなんて期待もしてねぇ」
しかし…今夜は七夕。恋人達の会瀬が年に一度だけ叶えられる日だ。何が起こってもおかしくない。

 

 今夜は絶対について行くと言ってきかない吉野の面倒は沼田に任せる事にして、とりあえず三人で街へ繰り出した。一人で行けばいいのにと沼田は思ったが、男前が三人揃うと三倍目立つ。と、園部が言うので沼田は仕方なく従った。組での地位は同じだったが園部は沼田と吉野より少しだけ年上なのだ。年功序列を重んじる職業なので、つまらない事でも言うことを聞いてしまう。もっとも、今夜は遊びなので面白がっている節もある。克彦行き着けのバーに向かう前に、これまた克彦お気に入りの中華料理屋で腹ごなしをする。黒瀬組のシマに最近できた店で、小さな店だが人気も上々。克彦が気に入ったため、黒瀬組の幹部がいつでも利用できるように、店の二階に専用部屋を作らせた。

「良い店だが、もう少しマシな場所に建てられなかったのか?」
美しいモノ好きな園部は人間以外も美しいモノが好きだ。この店がある場所は大きな通りから少し入り込んだ場所で、治安も悪い。それもあってオーナーは、店を構える前から黒瀬組への挨拶をかかさなかった。料理にも自信があったのだろう。オープン前日に招待を受け、食べ物に目がない克彦がどうしても行くと言い張った。シマ内の飲食店から招待されることは多々あれど、中堅組員を行かせるだけで組長が足を運ぶことなどなかったのだが…
「儲かったらもっと良い場所にうつるだろう。克彦さんはこの場所込みで好きらしい」
知的で上品な見た目を裏切る豪快な食べ方をする吉野が、呟いた。
「ふーん。変わってんな」
どいつもこいつも変わってるよ…と、比較的普通だと思っている沼田は言いたかったが、グラスに残った紹興酒と共にグイッと飲み込む。いい加減次の行動に移らないと、吉野の世話は大変なのだ。何しろモーレツ襲い受けになる前後、吉野は完全に記憶を失う。相手を確認し、ことを済ませたら回収して何事もなかったように事後処理をしておかないと、翌朝、パニックを起こす。こうなった理由を本田も園部も沼田も知ってはいるが、訳あってどうしてやることもできないのが現状だ。

 中華料理屋の二階は厨房の奥から上がれるが、大柄な男達は邪魔なだけなので、裏路地に回って店の裏口から出入りする。
そこには様々なゴミが散乱し、独特の匂いと空気感を醸し出している。園部はシルクのハンカチで口元を覆い、磨き上げられたダークブラウンのウィングチップが汚れないように、下を見ながら歩いていた。こういう場所が嫌いなわけではない。ヤクザになりたての頃は身近な場所だった。ヤクザのくせになんだが、あの頃は自分の人生の唯一の汚点のような気がして、あまり思い出したくない。
 
 

 一人苦笑いながら歩いていると、横筋から言い争うような声が聞こえてきた。関わりたくない園部は俯いたまま通り過ぎることにする。沼田と吉野は路地裏を抜けた表通りに立ち止まって園部を待っているはずだ。
 ふと、黒瀬組、と言う台詞が聞こえたような気がして、園部は立ち止まった。
「てめぇ、兄貴の居場所をはきやがれっ!黒瀬組をなめんなよ!」
(今時そんな台詞を吐く組員は黒瀬組にはいねぇだろ…)
「…兄ちゃん最近来てないっ…うぁっ!」
子供の叫び声とドスっという鈍い音がして、園部は仕方がないなと思いながらも音がする方へ向かっていった。

 生ゴミの中だったら、園部は助けなかったかもしれない。男か女か分からない声の白い小さな物体がダンボールの海に沈んでいて、ぱっと見た感じ、あまり汚れていなかったので拾い上げてみた。
「…こんなガキに乱暴しやがって、お前んとこの黒瀬組はつまんねぇ組だな」
「なっ!て…てめぇ…っ」
大して強い調子で言った覚えはない。が、同業のヤクザでさえ恐れを抱く園部の眼光と声色である。チンピラがまともに向き合えるハズがない。
「大丈夫か?」
白くて軽いその物体はどうやら少年のようだった。
「あ…はい。ありがとうございます」
「ケガは?」
「え…と」
少年は自分の体を見て足元から確認しているのか、少しずつ顔を上げる。ちょうど真正面を向いた時…
「あれ?」
顔をくしゃっと撫で、あたまを撫で…
「メガネがない」
どうしよう…と園部を見上げた瞳は真っ黒で、ほとんどが黒目だった。髪も真っ黒でただ切っただけのダサい有り様。着ている物は白い繋ぎの作業着で、足元・手元は長すぎるのか幾重にも捲られている。

「あ…」
少年が園部の足元を指差している。どうやら少年のメガネは園部が踏んでしまったらしい。片方のレンズは粉々で、フレームも歪んでいた。
「あー。やっちまったな」
拾い上げ、割れたガラス片をきれいに取り除いて少年に手渡した。
「園部さん、どうしました?」
あまりにも路地裏から出て来ないので訝しんだ沼田と吉野が背後に現れた。
「黒瀬組とか言う組のチンピラが子供相手に乱暴してたんだ。吉野、お前このチンピラに詳しい話し聞きたくないか?」
「黒瀬組か…聞いてみたいな」

「お前、家はどこだ?」
少年はメガネを見つめて俯けていた顔を上げて園部をじーっと見た。かなり分厚いレンズだったので園部の顔が良く見えていないのかも知れない。子供はたいてい園部を恐ろしがって泣くか一目散に逃げるかだ。
「すぐそこの、ビルです…」
「そうか…明日、メガネを弁償する。家を教えてくれ。お前の都合の良い時間に迎えを寄越す」
少年はびっくり目を見開く。見開いても黒目ばかりで、吸い込まれる。
「いえそんな結構です…とんでもないです!お気持ちだけでありがたいです。助けて頂いて有り難うございました!」
両手を振りながら首を振りながら、最後は深々とお辞儀をしてサッと身を翻し…た途端にウッと唸って止まってしまった。
「どうした?」
「いた…い…」


右足首を挫いたのか、地面に足をつけるのが辛そうだ。
園部はどういう心境の変化か、その少年を抱き上げ、歩きだした。


「うわぁっ!いいです!俺、ひ、一人で歩けます!」ジタバタ足掻く少年は思ったよりも軽く、今まで抱いたどの男より小さい。勿論子供など圏外だし、自分自身も身内も子供には縁がないので接した事がない。
「捻挫を甘く見るなよ。できるだけ早く冷やしてサポーターを巻いた方が良い。その後で医者だ。早く家を教えろ」
 ぶっきらぼうな言い方しかできず怖がらせているのは分かったが、応急処置をして医者にみせないと骨に異常があるかもしれない。放っておいて将来もし後遺症でも残ったら、愛らしい姿が台無しだ。

…そこまで先走った自分に、園部は愕然とする。

 小さな顔に大きくて真っ黒な瞳、真っ黒な髪、夜目にも白い肌、まるで日本人形のような少年だった。適当を絵に描いたような髪型や今時流行らない黒縁のメガネ、タブダブの繋ぎに隠されていたのがまさかこんなに愛らしい少年だったとは…そしてこんな少年に惹きつけられている、有り得ない自分

 

 1LDKと言われる間取りの奥の部屋には二段ベッドが縦に三列…ベッドとベッドの間は人が一人やっと歩ける隙間しかない。手前の部屋はダイニングキッチンで四人掛けのテーブルが置いてある。同居人が何人か在宅しており、入って来た園部を遠巻きに見つめていた。どの同居人も十代前半に見える。
「お前達…いったい何人でこの狭苦しい部屋に住んでんだ??」
「ここには6人で…職場の寮なんです」
(幾ら何でも、今時これは無いだろうも??)

「お前の場所は?」
「右端の下です…」
 言われた場所まで連れて行き、ベッドの端にそっと下ろす。


「沼田、薬局行ってこい」
園部よりさらに大きな沼田が入る隙間は無さそうで、沼田は玄関の外に待機していた。沼田と入れ替わりに吉野がやって来て、物珍しそうに室内を見回している。

 

 園部は背広の内ポケットから名刺を取り出すと、少年に差し出した。
「そのべ、しゅん、さん?」
「はる、だ。お前は?」
 少年に渡した名刺は真っ当な会社のもので、肩書きは副社長。少年は名刺と園部を交互に見つめてぽかん、としている。
「えと…俺、名刺とか持ってなくて…内野紗希です」
「紗希か。良い名だな」

「でも…女の子の名前みたいで…」
「俺の名前も女みたいだぜ」
「でも…園部さんは背も高くて男らしいから…」
 ふてくされて俯く姿はもっと少女みたいだ、と園部は思う。
「さっきの野郎が言ってた紗希の兄貴もここに住んでるのか?」
 紗希は兄の住処を知らされていなかった。紗希より3つ年上の兄貴は三年前上京し、今年中学を卒業して上京してきた紗希の仕業を探してくれた。時々やってきて何くれとなく世話を焼いて行く。
「兄ちゃん、黒瀬組って所にお世話になってたのに、何か悪い事して組に追われてるって…あ、ヤクザの知り合いなんて、園部さんには迷惑ですよね…ごめんなさい…」
 組に追われる程の悪事なら、上の方まで連絡が来ているはずだ。園部はチラッと吉野を見た。
 微かに微笑みながら首を横に振っている。
「いや、別に。それより足はどうだ?」
 
 

 ベッドの横に跪き、紗希の細い足首を膝に乗せる。腫れてはいないので骨には異常がないはずだ…傷めやすい場所を指で少し強めに押すと紗希は顔をしかめ、園部の肩を押しやろうとするが、勿論、びくともしない。紗希自身、園部がわざとそんなことをして、紗希が痛がるのを楽しんでいるなどとは露ほども思わないだろう。
 いつの間にか帰って来た沼田が、氷をビニールに詰めて園部に渡す。
 しばらく氷をあて、湿布を貼り、サポーターを巻く。
「ゆっくり立ち上がってみろ…」
と言いつつ、紗希の両脇に手を差し込んで補助する。
「あ。すごく楽」
「ムリはすんなよ」
「はい。ありがとうございます」
 狭い空間で深くお辞儀をしたらどうなるか…分かっていても素直にやってしまい、園部の胸元におでこがつっかえ、まるで甘えているかに見える紗希が園部には異様に可愛く思えた。

 ドキドキするような初さは白亜紀に置いてきた。体の芯から疼くような感覚は、獲物を落とした瞬間から感じる淫らな感覚に似てはいる。いつもの自分なら問答無用で組敷いているはずだが、この小さな少年には性的な事を微かに匂わせつつ揶揄して、本人が気がついていないことを楽しみたい。そしてできるなら、全てを自分で仕込みたい。そんな妄想で体が熱くなる。

「園部さん。大概にして引き上げませんか?ちび達が部屋に入れなくて困ってる」
 ヤクザに見えない沼田と吉野の後ろから4人ほどの少年達が部屋の中の様子を恐る恐る伺っており、どの顔も強張っていた。沼田と吉野はともかく、強面の園部は子供向きではない。
「吉野…紗希を医者に見せる」
「明日手配します」
「明日までに何かあったらどうする!」
「では…どうしたいのですか?」
 園部は自分がどうしたいのかはっきり分かっていた…連れ帰って籠の鳥にしたい…が…
「紗希、お前の兄貴は騙されているようだぜ…」
 最初から嘘やごまかしで紗希の心証を悪くしたくない。それに、紗希はヤクザ=悪と決めつけている様子ではない。
「騙されてる?兄ちゃんが?…黒瀬組に?」
「いや。黒瀬組には内野と言う組員はいない。内野と言うやつを探している事実もない」
 

 紗希はキョトンと園部を見つめている。真っ黒の瞳に部屋の蛍光灯が反射して輝く。夜空の星みたいだと、ガラにもないことを考えた自分に園部は苦笑う。
(ちっ…誰だよ、おれ)
「恐らく、黒瀬組の偽物が存在してるんだろう。力のある組の組員を名乗りたがる輩がいるからな」
「園部さんは、黒瀬組の事を知っているんですか?」
 園部はもう一度内ポケットから名刺入れを取り出し、一番奥から一枚抜き出した。
 黒瀬組の代紋が金で箔押してあるものだった。
「…黒瀬組…本部長…って…」
「まぁ、そういう事だ」
 紗希の頭に手を置いて、クシャクシャかき回す。
「黒瀬組の偽物の事をお前の兄貴に訪ねたい。紗希は今から俺について来い。お前が黒瀬組に連れて行かれたと分かったらすぐ現れるだろう」
「兄ちゃんをどうするの?」
「心配すんな。話を聞くだけだ。紗希は俺が怖いか?」
 頭に置かれたままの園部の手は今日知り合った最初からずっと優しい。顔付きはちょっと怖いけど、女顔の自分よりずっとかっこ良い。
「怖くないです」
「よし。じゃあ、ここのチビ共は紗希がいなくなったと盛大に騒いどけ」

「園部さん、いつの間に七夕のお願い事なんてしたんですか?」
 表通りの車まで抱いて行く、いや歩く、と早くも楽しげに言い争っている二人にアホらしくなった吉野が問い掛ける。
「ふんっ。ああそうだ、笹と短冊持って紗希のアパートに置いて来い。チビ共に願い事書いておくように言っておけ」
紗希は後部座席にそっと押し込まれ、初めて乗った、とても大きくて広い車にびっくりしてしまい、その後の園部の言葉が理解できなかった。
「短冊の願い事は全部叶えてやれ」
そう言いながら園部が紗希の隣に滑りこんで来る。
「紗希の願いは全て俺が叶えてやる」

 その後、沼田と吉野は夜の繁華街で笹と短冊を入手し、子供達の元に戻っていった。もちろん、自分達の願い事を短冊に書いてぶら下げる事も忘れなかった。