☆紅宝レジデンス主催・バレンタイン・カオス☆
 このマンションの入居者であればどなたでも参加できます…云々

 このポスターがキングズコート・レジデンスのエントランスホールに貼られたのは二月に入ってすぐの事だった。実は『キングズコート・レジデンス』が正式名称なのだが、十三階から上は全てが紅宝院家の所有になっており、濃い連中が住んでいるので、いつの間にか紅宝レジデンスと呼ばれるようになっていた。
 十二階までの住民達とは付き合いがあまりないのだが無さ過ぎてもナンなので、バレンタインにかこつけて紅宝院家とキングズコート住民達の親睦会を開催する事に、誰かがしたらしい。
「誰だよこんなこと考えた奴は!」
 厨房で大量のチョコレートと格闘しながら、シェフの板井は3日前から日に何度となく叫んでいた。
 ポスターが貼られたすぐ後から【参加希望・○○○号室・○名】と書かれたメモが紅宝院のポストに投函されはじめた。不思議に思った巽がフロントに確認して初めて、バレンタイン・カオスなるものが紅宝院主催で開催されると知った。 迅に確認しても知らないと言う。亮も知らない。
 では誰が?
 誰も知らないと言う。しかし、日にちは迫るし今更中止するのは紅宝院の名が廃る。仕方がないのでやる事だけ決定して、あとはもう一人の有能秘書、山崎に丸投げしたのだった。
 巽はバレンタインの日、必ず空けておけと悠斗に言われていた。紅宝院のパーティーなんぞにクビを突っ込めば忙しくなるに決まっている。悠斗の機嫌を損ねる方が恐ろしい。
 元旦に未成年者である悠斗との交際をご両親に認めて頂いて以後、抱きしめる以外何もしない巽に、悠斗はイライラして当たり散らしてばかりいる。気持ちは分からないでもないが、やはり十三才の悠斗に手を出すなどできない。
 なので、バレンタインにデートする時間くらい作らなくては…
「大人の事情ばかり押し付ける気はないが…参ったな」
 巽は悠斗へのプレゼントを街で物色しながら、とうぶんは悠斗が一番欲しいであろうものをあげられない虚しさから、独り言を呟いてしまった。
 プラダのショーウィンドウに飾られたシンプルだけど美しいバッグを見つめながら静かにたたずむ男前…
 決して狙ったポーズではないのだが、会社の近くのこの店でバッグを見つめていたと言う噂が社内に広がって、今年も大漁のプレゼントを貰ったとしても、別に困る事ではない。
 巽は腕時計で時間を確認すると、秋一との待ち合わせ場所に急いだ。

「悠斗が欲しい物?そんなの本人に聞けよー。てか、あんたが知らないことを俺が知ってるわけないだろ?」
「何でも良いんだ!明日までに調べてくれないか?パソコン関係なのだろうが…何でも自作だから秋葉原のオタショップに行ってみても
、さっぱり分からなかった…」
 そんなもんじゃないだろうも、と秋一は思うのだが。
「やっぱ一番欲しいものはアレだよなアレ」
 ニタニタ笑いながら巽の腕を指でツンと押した。
「秋一、真面目な話し、お前の初体験は何歳だった?」
「そう言うあんたは?」
「私か?私は確か…十六だ」
「ふーん。俺は十五。高校入ってすぐ。憧れの先輩と。歳が近い者同士だったら障害も少ないよね」
 はーっとため息をついて、巽はカウンターに顔を伏せた。そんな巽を見たのは初めてで、後ろのギャラリーがざわつく。
「なんかあんたのファンがこっち見てっぞ。よりどりみどりなのに、なんでショタに行ったんだ?」
 一緒に仕事をしているうちに少しづつ好きになって…悠斗から告白され、傷つけるのも可愛そうだったから向こうが飽きるまで付き合ってみようと思った。
 わけではなく。
「可愛いから…」
 どうも最近はクールな会話が出来なくなっている。
「頭も良いし顔も良いし、ませてるかと思えば子供らしい所もある。まっすぐで良い子だよな」
 うんうん。
「そんだけベタベタに惚れてるんだし、年なんか気にしないで成り行き任せで良いんじゃないの?あっ!そうだっ!」
「なんだ、どうした?」
「そう言えばこないだ悠斗が聞いてきた!どこで買えば良いのかって…俺が買ってきてやろうと思ってたんだ。知りたい?」
「秋一、頼む、教えてくれ…」
「浣腸セット」
 巽は力なく立ち上がると、足元に一陣の寒い風を巻き起こしながらバーを後にした。

「京史郎さん、遅い!」
 その頃悠斗は、シェフの板井に無理矢理手伝わされていた。亮も一緒である。チョコレートの甘い香りも度を超すと気分が悪くなるようだ。しかも、今作っているソース、香りはチョコレートなのだが甘くない。むしろ苦いし辛い。こんなの誰が喰うんだよ!と思いながら鍋をかき回している。
「秋一さんと飲みに行ってるんでしょう?」
 亮は見た目と香り通りの甘いチョコレート・ソースの鍋をかき回している。
「うん…相談があるんだって。俺も早く大人になりたいな…」
「どうして?」
「だって、子供だから京史郎さんと一緒に飲んだり、相談にのったりできないじゃん。ただでさえ会える時間少ないのに…」
 今は仕事が忙しくて帰りが遅い。出張も多い。
 不登校だった悠斗は、三学期から学校に戻ることに決めた。決めたらやり遂げる。でもそのお陰で夜も早めに寝なくてはいけない。京史郎を待って起きていれば怒られる。
「秋一さんと飲みに行く時間があるなら、早く帰ってきてくれれば良いのに…」
「おーい、ちびちゃんず、今度はこっち手伝うか?」
 一人でぷんすか怒っていると、板井さんが色々な形の型抜をテーブルに出して、クッキーの生地を切るように言ってきた。
「好きなように切っていいぞー。こうな、恨みを込めて、ぐさっ、とかやっていいからな〜」
 途中から、ぐさっ、どころか、ばき〜ん、べしっ、がしゃーんと派手な音と同時に笑い声が聞こえてきて、板井は苦笑いしながらケーキの生地をこね始めるのだった。

 バレンタイン・カオス当日。
 明け方からマンション内にチョコレートの香りが立ちこめる。今日、一般開放されるのは傭兵食堂・二十四階のリビング、二十五階のリビング・ダイニングの三カ所。二十五階は迅と亮の部屋だが、下の階だけでは入りそうもない二百名を越える参加希望者があったので、仕方なく開放することになってしまった。
 清掃や室内を整えるためにいつもより早くたたき起こされ、迅は仕方なく会社へ、亮は割烹着を装着して手伝いに借り出される。秋一一家と悠斗一家からも椅子やテーブルを借り出し、朝からある意味カオスの様相。
「もう、ほんとに、誰が言い出したんだよっ!」
 三人がけのソファーをイアンと二人で運びながら、秋一が叫ぶ。
「結局誰が言い出しっぺか分からないらしいぜ」
 イアンは頭にネクタイを巻いて荷物運びをしている。なんかちょっと違う気がする…陣頭指揮を取っている山崎さんが頭にタオルを巻いているので、真似をしたんだろうけど…
 150坪ほどある大きな部屋に次々と椅子やテーブルを運び込み、余計な物は倉庫にしまい込む。午前中一杯かかってやっと終わると、今度は料理を運び込む。今日ばかりはケータリング・サービスからも助っ人と料理を頼んでいるが、それは仕方がないことだろう。
 
 カオス受付開始時刻の十七時には既に全員疲れ切っていた。
「はい、今から一階フロントで受け付けを開始します。案内と警備以外の係の人は、速やかにシャワーを浴びて男前を上げておきましょう!」
 山崎さんが叫ぶと同時に、戦闘服姿のむさ苦しい傭兵達がぞろぞろと豪華な部屋から退場。
「さ、亮くん達も着替えて!社長も直ぐに帰宅されますから」

 巽は朝からそわそわしていた。一昨日も、なぜ秋一と飲む時間があるくらいならさっさと帰ってこないのかと、悠斗に泣きつかれた。昨日の朝は機嫌もなおっていたが、仕事が遅くなって夜には会えなかった。今朝は早く出掛ける迅に付き合わされたので、やはり会えなかったのだ。
(悠斗が一番欲しい物は、時間、だよ。巽さんと二人で過ごす時間)
 昨夜、巽の帰宅を待って、秋一が教えてくれた。
(たぶんあいつは、今すぐ抱いて欲しいとか、そんなこと考えてないよ。あんたの方が意識しすぎてんじゃない?大人の下半身事情は封印して、抱き枕かくまのぬいぐるみになったつもりで、まぁがんばりな)
 一応プレゼントを用意したのだが、その言葉を聞いて巽は小さな箱に入ったプレゼントをそっと書斎の引き出しにしまい込んだ。これはまだ、早いのかも知れない。
 仕事の隙を狙って、大急ぎであちこち電話を掛けまくる。ものの二十分も掛けずに、お子様悠斗用デートコースを設定してしまった。
 あとは退社前に悠斗に連絡を入れればよい。

 一階フロントで受付を済ませた後、十三階まで直行するエレベーターに乗って警備室を横切り、二十四階まで案内する。二百名近くの人を一台のエレベーターで上げるだけでも相当な時間が掛かる。二十四階のリビングではホストである迅と亮が一人一人に丁寧に対応することになっている。お客が全員揃ったら紅宝院側の住人を簡単に紹介し、乾杯。その後は好きに過ごして貰う。傭兵食堂やトレーニングルーム、医療施設も開放することにした。今後は恐らく、完全予約制でそれらを開放するかもしれない。
 お客達は、部屋の豪華さよりも、そこに住む人間の華麗さに感心したようだった。主である紅宝院迅は一時期、話題の人であり、全てのメディアにその姿を晒されていたが、日本中の女性がその容姿に魅了されてしまい、悪い噂すら払拭してしまった。実物はやはり、それ以上だった。そして、その横には噂でしか聞いたことがない金髪碧眼の天使が寄り添っている。この美しい少年のためにこのマンションは存在するらしい、くらいの噂であったが。同じマンション内でもほとんどお目に掛かったことがない。そのくらい厳重に、この少年は守られているのだ。美しい蒼い瞳に見つめられると、誰もが息を詰めた。全身から溢れる優しさに、心から癒された。
 今日は、各自五つまで気に入った人にチョコを渡して良いことになっているが、恐らくダントツ一位は亮だろう。

「はぁっ?京史郎さん何言ってんの?今日はこっちでカオスじゃん!」
「なにって…今日は時間を空けておけと言われたから空けて、二人で出掛けようと思ったんじゃないか!」
「とにかく、早くこっち帰ってきて。もう始まってるから」
 巽は激しい憤りを感じて、乱暴に携帯を切った。
 二人で過ごす時間が欲しいのは巽も同じなので、今回の大騒ぎ(=カオス)に参加しない事にした。それは何より悠斗が望んでいたことだろうと思ったのに。
 やはり子供には振り回される。
 冷静でいられない。
 疲れるな。
 それが巽の、正直な気持ちだった。

「おや、今日はパーティーがあるんじゃないですか?」
 よく秋一と一緒に利用するバーに行くと、オーナーが声を掛けてきた。イベント事がある日には必ず顔を出すオーナーだ。
「ちょっと行き違いがありましてね。落ち着いてから帰ろうと思って…」
「あちらで巽様のファンがお待ちかねですよ。ご一緒にいかがですか?」
 ちらと見回すと、いつものギャラリーが勢揃いしている。今日、ここに来ることは誰も知らないはずだが…来ないかも知れない相手を、あてもなく待っていてくれたのかと思うと、男冥利に尽きるではないか。巽は十分おきに鳴る携帯を切って、大人の世界に戻っていった。

「イアン、悠斗がブッチ切れる前に巽さんを引っ張って来いよ」
 秋一は、次第に様子が怪しくなる悠斗を、つきっきりで宥めていた。
「GPSで探したら直ぐ分かるだろ?」
 イアンは頷くと近くにいたにばんを連れて巽を捕獲しに行く。
「…ったく。どいつもこいつも俺様に面倒かけやがって…」
 
「おら、帰るぞ巽」
 いつものバーで女達に囲まれていい男を気取っていた巽の襟をひっつかみ、イアンは引きずるように巽を車に乗せる。
「余計なお世話だ」
 引きずられて乱れた服装をきっちり直しながら巽は言い捨てた。
 紅宝レジデンスの地下駐車場に着くと、待ちかねていたように秋一が車に駆け寄ってくる。
「っとに、あんた要領悪いっつうか…良い大人が自分中心に子供を振り回すなっつうの」
「子供の身勝手に振り回されているのは私の方だと思うが?」
「ああもうっ!ご託並べてないでさっさと上あがれ」
 顎でしゃくって巽の歩みを急がせる。
「あんた、どこまで本気で悠斗のことを思ってるんだ?子供子供って言うんなら、子供目線で見てやれよ」
「あいにく私はまだ子供を育てたことがないし、私自身物わかりの良い子供だったので、子供目線とはどういう物なのか分からない」
「分からないんだったら本人に聞けば良いだろ?鼻の下伸びるような妄想ばっかりしてるからすれ違うんだよ!」
「怒鳴るな。ドアが開く」
 マンションの住人達が、またぞろ現れた男前に視線を向ける。完璧な笑顔で応じる視界の端に、亮に縋り付いて目を真っ赤にしている悠斗の姿が飛び込んできた。
 悠斗より先に巽に気付いた亮が、寝室に続く扉を指さす。そこに着くまで、どれだけの時間が掛かったことか。次々に話しかけてくる住人に失礼がないように対応しながらようやくたどり着く。
 ただ、その間に、秋一が言った言葉をよく考える時間もあった。
 本人に聞けばいい。
 妄想ばかりしているからすれ違う。
 確かに言われた通りだ。よからぬ考えがあったがために、一緒にいる時間を作りたいというささやかではあるけれど一番大切な事に気がつかなかった。一緒にいれば欲が膨らむが、会えない寂しさとどちらが辛いか。
 避けていた。
 愛しているから抱きたいと思っていたのは自分のほうで。十五禁指定までした上で更に『避けて』一人もんどり打っていた。
 悠斗は欲しい物は何でも私に要求してきたはずだ。つたない言葉で、そのほとんどが当たり散らすような暴言だったけれど、暴言の裏を返せば良いだけの事だった。
「ちょっと帰りに揉めてな。遅くなって済まない」
 悠斗は亮の側ですっかり落ち着いている。『亮効果』がやはり発動されたのか。
「…お帰りなさい」
 亮から離れて抱きついてくる悠斗に、巽の心の中にわだかまっていた様々な暗い思いがすーっと消えて無くなる。
「ただいま、悠斗」
「あのね…これ」
 悠斗はポケットからごそごそ何かを取り出した。
「こっちはバレンタインのチョコレート。で、こっちはプレゼント」
 時間よ止まれ、とか言う台詞だか歌詞だかあったな…
 緊張して震えそうな手を、大人の余裕をかき集めて出来る限り優雅に動かしながら、包みをほどく。
「板井さんに教えて貰いながら作ったんだよ。秋一さんと、亮も一緒に作ったの」
 亮は分かるが、秋一は誰のために作ったんだか。
「甘すぎないようにして、それで、胡椒とか唐辛子とか入れたの」
 …胡椒?唐辛子?チョコレートに?
「でね、こっちも空けて」
 プレゼントを早く空けろと、せっつく。
 それは、どうみても指輪だった。しかもプラチナで、高価な物だ。
「悠斗、こんな高価なもの…」
「意外と高給取りなんだよ、俺」
 息を飲んで、きつく抱き締める。
 愛しすぎる。
「ありがとう。嬉しいよ、悠斗。ありがとう」
 ちらっと亮を見たら他所を向いていたので、キスしてしまおうかと思ったその時、最悪のタイミングで邪魔が入った。
「いったい誰がこんな事をやろうと言い出したんだ…」
 迅だった。ポケットというポケットから、チョコレートの包みらしきものと名刺の束が溢れている。一歩足を踏み出すたびに声を掛けられ、愛想を振りまいて疲れ切った様子である。
「ごめんなさい…俺です…」
 答えたのは悠斗だった。
 一同絶句。
「お前、どうして…」
 悠斗はまた涙目になりかけている。
「京史郎さんと、いっしょにいる時間が欲しくて…ごめんなさい…」
 忙しくて、帰って来れないから…ここで大きなパーティーがあったら、絶対早く帰ってくるでしょう?涙目になりながら蚊の鳴くような声で、何度も何度も、悠斗は謝っていた。
「もう謝るな…謝らなくて良いから」

「あー畜生、誰だよこんな事やろうって言い始めた馬鹿は。犯人分かったらぶっ殺してやる」
「だな」
 良い雰囲気をぶちこわしながら、今度は秋一とイアンが逃げ込んできた。
 亮が無言で、抱き合う二人を指さす。
「えっと…悠斗か?」
「ごめ…なさい…」
「いやまぁ…べつに…たまには良いけど…」
 泣く子と仔猫には誰もが負ける。しかも、仔猫のように可愛らしい子供であれば尚更。
「さて、オトシマエは明日以降にしてもらって、私の部屋に行こうか?私もプレゼントを用意してるんだよ」
 途端に悠斗が跳ねた。
「なんで?」
「いや、なんでって…バレンタインの常識…」
「何が?」
「本命にはプレゼント付きだろ?」
 悠斗は心底驚いたような目で巽を見ている。
「ちょっとまって…」
 悠斗の様子がおかしい。
「バレンタインデーは、普通、女の子から男の子にチョコとかプレゼントとかあげるんだよね?」
「まあそうだな?」
「ここにいるみんな、男同士だから…」
 みんなを見回す悠斗。
「亮が迅さんに」
 うん。
「秋一さんがイアンに」
「やらねーよ」
 それは置いといて。
 悠斗が仔猫のような目を思いっきり見開いて叫んだ。
「京史郎さん!…まさか!…京史郎さん、まさかの受け!?」

 寝室の厚い扉の向こうで、世にも美しい男達が大口開けて笑いながら床をのたうち回っているなど、夢にも思わない住人達であった。 

 

巽さんシリーズ

ちょこですよ