花・ひらく

園部と沙希

 四畳ほどのスペースに置かれた四人がけのテーブルには沼田と吉野が腰掛けている。人数的にはいつもと変わらないのだが、沼田と吉野が大柄なためかタダでさえ狭い部屋はもっと窮屈で、おまけに今時エアコンもない室内に籠もる熱気も、沼田と吉野の体積が大きい分いつもより濃厚だった。
 

 この部屋の居住者たちは皆15歳から17歳の少年で、同じ会社で働いている子ども達だった。
 一番若く小柄ながら真面目で統率力もあった沙希が怖い顔の男に連れて行かれ、沙希の代わりと言ってはなんだが、自分たちとは住む世界が全く違う格好いい大人の男が二名、現れた。笹と短冊を持って。
 好きなだけ願い事を書けと言われたが、知らない大人にいきなりそんなことを言われて「やった〜」と喜ぶほど世間知らずな子どもで達ではない。代表格の少年だろうか、沼田と吉野の前に座り、何から聞けばいいのか分からないふうで、じっと押し黙って二人の男を交互に見つめている。
「えと…俺…橋本です」
「沼田です」
「吉野です」
 

 橋本君は至極まじめに自己紹介したのだが、沼田と吉野は真面目を装って内心楽しんでいた。
「…あの…沙希、何処へ行ったんですか?」
「園部さんの家だと思うが…確証はないな」
 沼田は同意を求めて吉野を見たが、吉野はうっすら笑っているだけだ。
「危険は無いですよね?」
「たぶん…無いと思うよ」
「君たちが心配しているような危険は無い」
 沼田は普通に答えただけだが、吉野は更に笑みを深くして面白そうに答えた。
「…あの…沼田さんと、吉野さんは、なぜここに帰って来たんですか?」
 沼田はテーブルの上に置かれた笹と短冊に視線を落とした。全員の目がテーブルの上に注がれる。
「さっきのおじさんがな、沙希君の眼鏡を踏んづけて壊してしまったんだ。そのお詫びで、七夕の願い事をみんなの分も聞いて来いって俺たちに頼んだんだよ」
 

 沼田は元々優しい顔立ちをしているので少年達も少しはリラックスしてきているようだ。言葉遣いや躾も、思った以上になされている。
「さっきのおじさんはもの凄いお金持ちだから、とりあえず欲しい物でもなんでも書いておけばいいさ」
 吉野は楽しい夜を台無しにされて少し怒っているのか、不気味な笑みを絶やさない。それは沼田からみればの話しで、少年達は上品で優しそうな人と勘違いしているだろう。
 中でも歳の若そうな少年が、テーブルの上の短冊に手を伸ばそうとした。
「俺、DS欲しい…」
 他の少年達が弾かれたように「俺も」と言い始めた。すると、次から次に欲しい物が口から飛び出してくる。
 

 この年齢で親元を離れて働いている少年達は、きっと普段は我慢ばかりしているに違いない。欲しがる物は実に他愛のない物ばかりだった。
 一番近くにいた少年に沼田がペンを渡すと、その少年は短冊を手に取り、『DSの一番新しいやつ』と書いた。
「ソフトもいるだろ?FFとかドラクエとか、知ってるの全部書いとけ」
 沼田が言うと、少年は細かい字で有名なタイトルのゲームソフトを次々に書き込んでいく。それを見ていた他の少年達も、わらわらと近寄ってきて短冊を手にする。

「で、七夕なんだし、無理そうな夢も書いてみたら?」
 吉野がにっこり微笑みながら短冊に『○○レジデンス・最上階の部屋』と書いた。
「お前なぁ…」
 呆れた顔で沼田が呟いたが、吉野は気にもしないで高級時計や車など、次々と短冊に書いていく。
「そっか…夢でも良いんだよな…」
 最初に橋本と名乗った少年はまだ何も書いていなかったが、短冊を手に取ると真剣に考えはじめた。
「でっかい家とか、住んでみたいよな〜。エアコンとか、広いお風呂とか付いた家…」
 橋本君が言うと、他の少年達もあれこれ意見を出し始める。
「自分だけの広い部屋とかも欲しいよね」
「うん。友達が来たときに泊まれる部屋とかも」
「でっかいテレビとか」
「ふかふかのベッド」
「パソコンも欲しい」

「よし。みんな夢を全部書いたか?」
「「「「「はい」」」」」
 書き終わる頃には、少年たちは沼田と吉野にもすっかり懐いていた。沼田がベッドの柱に沢山の願い事が書かれた短冊をぶらさげた笹を縛り付けると、全員のキラキラと輝く瞳がそこに集中する。
「明日、これを持ってさっきのおじさんの所行くからな。その後で、ちゃんと神社に持っていくんだ。そしたら願い事が叶う」
 少年達の誰もが、その全てがかなうとは思っていなかったけれど、考えるだけでも楽しかった。
「ここはめちゃめちゃ暑いな。みんなで冷たい物でも食べに行くか?」
沼田が声をかけると少年達から一斉に喜びの声が上がった。結局一時間ほどしか笹は飾られなかったが、みんなで願い事が叶うように手を合わせて祈った後、沼田がしっかりと持って部屋を出た。

「なんで私がここまでやらなければならないんだ…」
少年達と近くのファミレスで別れた後、沼田と吉野は行きつけのバーで短冊に書かれた願い事を書き写していた。と言っても雑多な物を順序よく並べ替えて書き写していたのは吉野で、沼田はそんな吉野を肴に飲んでいただけだったが…
「そう言う細かい事はお前の仕事だろうが」
「私は組長の秘書で、園部さんの秘書ではありませんから」
「マンションとか車とか、短冊に書いていたくせに…そのくらいの面倒はみてやってもいいだろう」
「…あとでこれを全部揃えるは誰なんでしょうね…それに見合ったギャラは頂きますよ」
 高給取りのくせに。
「あの二人は今頃どうしてるんだろうな…」
 園部と沙希のことであろう事は吉野にも分かる。
「デザートにされてるんじゃないですか?」
「いきなりか?」
「いつもの園部さんならね」
 

 いつもの園部では無いから気になるのだ。
 最も、いつも通りの行動をされれば尻ぬぐいは沼田に回ってくるかも知れないが、それも今回ばかりは勘弁して欲しい。
 園部は一年のほとんどを海外で過ごしている。今回もあと二週間ほどでニューヨークに帰る予定だ。ニューヨークでは三ヶ月毎に契約する愛人が何人かいて、日本にいる間は一夜限りの相手を探して遊び回っている。そんな園部が沙希のような子どもに執着するはずもなく、やることだけやった後、いつものように放り出せば…沙希はどれだけ傷つくだろう。
「和希、お前甘すぎるんだよ。自分の身体一つでこれだけの物取れるんだ。そこは自慢するところだろう?」
 

 ざっと計算しただけでも一億円は下らない願い事。願い事は全て叶えてやれと園部は言った。まさかここまで金がかかるとは園部も思っていないだろうが、園部にもこの遊びの代償はそれなりに払わせるべきだと、沼田は思った。
「この条件に合いそうな物件、確か園部さんの持ち家にありましたよね?」
 吉野はいったい沙希の味方なのか園部の味方なのか…いや、これがヤクザの物の考え方の基本か。相応の見返り…
「新宿か?あの子達の仕事場にも近いな…」
「客室は取れませんが、六部屋に風呂とトイレは二つずつ。家具も全部揃っている。権利書は事務所に保管してあるから明日名義を書き換えておきましょう」
「千草、楽しんでないか?」
「楽しんでますよ。当然でしょう。悪代官をこらしめるヒーローみたいで」
 ヒールの間違いだろうも…と沼田は思ったが、吉野の機嫌を損ねて先ほどから自分に注がれているバーテンの熱い視線に応えられなくなる事は避けたかった。

1