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緩やかなり、萌芽

夜叉と牧師

前】

 

 

 久しぶりの休暇。
 吉野はなぜか沼田と山崎のデートに付き合わされ、山崎を真ん中にして公園の遊歩道を歩いている。
 午前中は道場で稽古をしており夕方までそこで過ごすつもりだったのが、昼ご飯でも食べるかと休憩に入ろうとしたら、沼田が道場に現れた。今から山崎と食事をするから一緒に来いと…二人とも忙しい間を縫ってのデートだろうに、邪魔をするほど空気が読めない人間では無いのだが、山崎も承知しているというので、食事だけしたらまた稽古に戻るつもりだった。
 

 それなのに、なんで三人横並びでこんな所を歩いているのか…
 私服の山崎は普段の倍は若く見える。
 だが…池に浮かぶ白鳥型の船に乗りたいと駄々をこねるのはさすがにどうかと思う。
「なつかしーなー!中学とか高校の頃、ボーイフレンドと乗りませんでした?私はよく乗りましたよ。ほら、童顔の日本人って、アメリカでは成人しても小学生扱いですから、弟の友達とか言ってボーイフレンドと一緒に乗ってました」
 沼田は昔の恋人に嫉妬するほど馬鹿げたことはないと思っているタチなので、満面に笑みを浮かべながら話す山崎を優しげに見つめている。
「あ!和希さん、あそこに乗り場があるようですよ!四人乗りだから私たちにピッタリです!」
 大の大人が、しかも三十路男が三人で足こぎボートに乗るなんて…その中に自分も含まれているのかと思うと、吉野は道場での鍛錬の疲れがどっと出てきたような錯覚に見舞われた。普段ならあの程度の練習で疲れる事など無いが、ここは素直に錯覚を利用しようではないか。
「山崎さん、申し訳ないですが私は遠慮しますよ。午前中の疲れが残っているし、せっかくですから二人きりで遊んでいらっしゃい」
 しかし、そう簡単に有能秘書の山崎をごまかせるわけがない。見た目からは想像もできないが情報収集・分析能力は吉野でさえ舌を巻くほどなのだ。
「またまた吉野さんってば、分かってますよ、男三人で白鳥ボートなんてと思っているのは見え見えです!今日はホワイトデーですからね、私のお願いを聞いて頂きます」
 ああ、そう言えば沼田経由でチョコレートを貰ったような…そうか、今日はホワイトデーだった。今年は外部へのお返しは部下に任せたのですっかり頭から抜け落ちていた。
 仕方がない。今更ホワイトデーのお返しを買いに行くわけにもいかないので付き合うか…
 そう思った吉野は、ボート乗り場を目指す山崎と沼田の後を、少し遅れて歩き始めた。

 遠くからは見えなかったが、乗り場の近くまで来てみると日曜日だからだろう、子供連れの家族が何組か順番が回ってくるのを待っているようだ。子供は早く乗りたいだろうに、大人の自分たちが一台とは言え占領しても良いものか…
 まだ躊躇していた吉野はそう考えたが、自分たちが最後尾なので辞退する理由にはならない。
 仕方なく待合いのベンチに座り池の方を眺めていたら、沼田が何事か囁いてきた。
「千草、前の方に座っている大人の男性…克彦さんのお兄さんじゃないか?」
 沼田の視線の先を追うと、克彦の雰囲気とはまた違う、優しくて柔らかなオーラを纏った美丈夫が5、6人の子供達に囲まれて微笑んでいた。
「ご挨拶してきます」
 吉野はそう言うとすっと立ち上がり、ふらふらと吸い寄せられるように克彦の兄、水口光太の方へ歩いていった。

「…ご無沙汰しております、水口牧師」
 子供達と楽しげに話し込んでいた牧師は顔を上げると驚いた表情で吉野を見つめた。
「あなたは…吉野さん…弟が、いえ家族一同お世話になっております」
 十字を切った手で、吉野の手を優しくも強引に取り包み込む。まだ肌寒い季節だというのに水口牧師の手はとても温かく、あまり寒さは感じていなかったのに自分の手はかなり冷たかったのだなと、吉野は気が付いた。
「お子さん…ですか?」
 これと言って話題は無いのだが、自分から近づいていった手前、率先して会話しなければならないような気がして、この場合最もふさわしいネタを振る。妻帯者ではないので牧師の子供ではないが、子供は子供、一般的な意味での子供が取り巻いている。
「教会の、日曜学校の子供達ですよ。今日は天気が良かったので皆で散歩に行こうと思いまして…あちらにいらっしゃるのは、沼田さんですね?まさかお仕事中では…」
 と言ったところで彼らの職業を思い出し、ふと黙り込む。職業に貴賤は無いし、弟の克彦を通じて知り合った黒瀬組の人達は後ろ暗さや疚しさが感じられない。知らないだけかもしれないが、克彦の話ではヤクザというのも昔のような人を陥れ危害を加えるような商売をしていないのだそうだ。黒瀬組が経営する企業では違法なことは一切していないらしい。

 皆それぞれ隠したい過去があるような雰囲気だが、今目の前にいる彼らからは、少し勘の良い自分でも引っかかるところがないほど、誠実さに溢れている。
「今日はお休みです。沼田の隣にいる山崎さんに誘われて…出掛けてきたのです」
 水口牧師が沼田を見ると、隣でニコニコ笑っている人物を連れてこちらに移動してくるのが見えた。
「お久しぶりです、沼田さん」
「ご無沙汰しております。牧師様も白鳥ボートに?」
「はい。子供達が、乗ってみたいというもので」
「牧師様、こちらは山崎と言って私の恋人です。ホワイトデーのお返しに引っ張り出されてしまって…」
「はじめまして!山崎幸正といいます。克彦さんの恋人と漢字違いの同じ名前です!今日は引率ですか?大変ですね〜、お手伝いできることは何でもしますよ、遠慮無く言ってください」
 吉野は黒瀬組に関係のないことでは頭を働かせないが、山崎は根っからの世話好きである。世話好きが高じて秘書になったと言っても過言ではない。
「私、子供にはとっても懐かれるんですよ!」
 と言いながら、さっそく誰と誰がどの白鳥に乗るか振り分け、各ボートに大人も一人づつ乗せて池を回ることにしてしまった。懐かれると言うより、童顔なのでとっつきやすいだけだろう…
「和希さんはこっちの二人とこの白鳥、私はこの子達とこっちに乗ります。吉野さんと牧師さんは残りの子達と四人で乗ってくださいね!あ、二台帰ってきたようなので私たち先に行きますから、吉野さん、あとよろしくー」
 あっという間に取り残された吉野は苦笑っている牧師の横顔を見つめ、それから自分を見上げている子供に視線を降ろした。沙希ちゃんの友達とは少し馴染んだが、彼らよりも小さい、恐らく小学生くらいであろう子供とは話したこともない。どうすればいいのか困ったまま固まっていると…
「…すっげぇ格好いい…」
 一人がぽつんと呟いた。
「牧師様も格好いいけど、お兄ちゃんも格好いい…」
 二人で見とれながらうんうんと頷き合っている。
「こらこら、初対面なのだから挨拶が先でしょう?」
 牧師が二人の少年の肩を抱いて挨拶を促した。
「俺、雄一です。高瀬雄一」
「俺は安藤輝也です」
「私は…吉野千草と言います」
「良し。じゃあ雄一君と輝也君は前に乗ってハンドルを回すかい?ペダルもしっかり漕いでくれよ。私は運動不足で役に立たないかもしれない」
 牧師はそう言って笑いながら子供達をボートに乗せ、吉野に手を差し出した。
「揺れますから、気をつけて…」

 吉野が揺れを怖がるとでも思ったのだろうか、片手でボートを押さえ、もう片方で吉野の手をしっかり握ってボートに乗せる。自分が乗る段になると、手はしっかりボートを押さえているのだが少々及び腰で、見かねた吉野が手を差し出し一気にボートへ引っ張り込んだ。
「ふうっ…ありがとうございます。意外と不安定なんですね」
「…いいえ。私も初めてで…」
 もちろん白鳥ボートは、である。一応、小型船舶免許を一級まで持っているし、いざというときは大型タンカーでも操縦する度胸はある。10年以上乗っていないが飛行機の免許も持っている。エンジンで動く乗り物はほぼ操縦できるなど、牧師に想像が付くだろうか…
 白鳥ボートに必要なのは…脚力くらいだ。
「水口牧師は自転車に乗られますか?」
「お恥ずかしい話し、車輪が付いている物には乗ったことがないのですよ。自転車はおろか、車の免許も持っていませんから」
「白鳥ボートは、こうやってペダルを回せば良いだけですから手こぎボートより簡単ですよ。ああ、手こぎボートも自転車より簡単かもしれません」
「吉野さんは見掛けに似合わずアウトドア派なのですね」
 白鳥ボートごときでアウトドアは語れない。とは、この誠実そうな牧師には言ってはいけない言葉だろう。吉野は前方ではしゃぎ回る子供がとんでも無いことをしでかさないように視界の隅に入れながら、穏やかに微笑む牧師を見つめてそう思った。


「やあ、まいった。運動など学生の頃以来やっていないので、足がガクガクです」
 水口牧師は途中から子供といっしょに息が上がるほど真剣にペダルを漕いで、水上の暴走族と化していた。無邪気なところはやはり克彦とも似ていて、もしかしたら悪いことも相応に経験してきたのかもしれない…と、吉野の頭に一抹の不安が過ぎったが、何と言っても牧師である。職業上、社会性や倫理観はそれなりに高いはずである。
 ひとしきりボート遊びをした後、子供達は沼田と山崎に任せ、公園のカフェに移動し、牧師と吉野はコーヒーを飲みながら一休みすることにした。普段なら学生の頃から、と言う下りを聞けば大体のことが予測できるし、牧師がどんなスポーツをやっていたかなど興味もないし覚えておく必要もないのでそこで会話が終わってしまう。が、相手は克彦の兄である。これから一生付き合いが続くのだから、色々とリサーチしていても損はない。
「若い頃は何かスポーツをやっていたのですか?」
「身長だけは高かったのでバスケットとバレーを。吉野さんは何か?」
「私は、体術を少し…」
「と言うと、柔道?」
「ええ。柔道もやりますが、今は合気道と空手を。今日は一日中稽古をするはずだったのですが、昼から沼田に連れ出されてしまって…ああ、でも出てきて良かったと思います」
「そうですか。合気道と空手…それで凛とした空気をお持ちなのですね」
 そして、どこも見ていないような、周囲を一切断ち切るかのような冷たさも。

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