空・翔る思い

番外

矢崎と陸

  食べ終わると後かたづけもそこそこに、風呂場へ連れ去られた。
「でかっ」
 同じマンション内なのに、矢崎家の風呂場は白石家の倍くらい広かった。
「風呂はでかい方が気持ちいいからな」
 そう言いながら豪快に脱いだ矢崎の背中には麒麟の彫り物がある。入院しているときにもちらと見たが…抱き合っていると背中の模様は見えないのだ。
「矢崎さん、背中のそれ、痛くなかった?」
「ああこれか?痛い時もあったな」
 呆けたように見ていると矢崎がふっと笑いながら振り向いて、これまた見事なものを見せびらかされ、陸は思わず後ろを向いてしまった。
「えとっ、ギプス用のビニールどこだっけ??」
「こっちにあるぞ」
 告白し合ってからは毎晩みていたものだが、人の物を見るのは自分が見られるより恥ずかしい気がする。
「おら、とっとと脱いでビニールはめろ」
「ちょ…」
 ぐいっと肩を掴まれ無理矢理振り向かされ…陸は思わず自分の可愛らしいものを手で隠してしまった。
「なに今更かくしてんだ。もう何度も扱いてしゃぶって啼かされただろ?」
 かぁーっと全身が熱くなり、手の中の物も僅かに反応する。
「もうっ!!そんなことっ!!」
「陸」
 前を隠して俯く陸を、ふいに矢崎は抱き寄せた。くそ真面目な声で名前を呼ばれるとますます逃げられなくなる。特に何もしなくても、素肌を合わせるだけで気持ちが良い…
「好きだ。今夜は寝かさないからな。お前の全部を俺のものにして、俺の全部をお前にくれてやる。覚悟しとけ」
 

 風呂場で喘がされることにはあまり抵抗がなかったようで、矢崎の執拗な攻めで何度か射精させられたが、入院中のように嫌がることは無かった。
「や…だめ…そこ、いやぁ」
 傷の癒えた後孔に触れると多少あがいたが…
「絶対に傷つけねぇ…こうやって…指で良く解しておけば、うんと気持ちよくなる」
「はんっ…んん…あ…」
 ボディソープのぬめりを借り、ひとつひとつの襞を押し開くように丁寧に弄る。
 ペニスを触れば直ぐに呆けていた陸だが、さすがにその部分には抵抗があるようで、硬くすぼまったままなかなか言うことを聞いてくれない。勿論レイプされた記憶も生々しく残っているのだろう。
「陸、ここに男が感じる源が潜んでる…俺がじっくり愛してやるから力を抜いてみろ」
「でも…痛くて…死ぬかと思った…」
「んなこと俺がするわけないだろ?」
 時々指先でこじ開けるように開くと、陸の身体が小さく震える。それを宥めるために、乳首を弄り耳元にキスを繰り返す。
「陸、愛してる…愛してる」
「矢崎さん…ぁ…っ」
 耳元に囁かれた言葉が気持ちよく全身に響き、それは今じっとりと触られ戸惑っている陸の気持ちを解していく。
「んんっ…はっ…ああぁ」
 つぷ…と身体の中に音がしたような気がする。それと同時に体内へ侵入する矢崎の指を感じた。
「あ…あぁっ、ん…」
「おら、な?入ったぜ?」
 痛いと言うより妙な異物感。そんなところは自分で触ったこともなく…
先輩達に乱暴に扱われ死ぬほど痛かっただけの時とは違い、淫らだが優しい矢崎の指先は陸の身体の中に魔法を掛けたのか、ぞわっとした、いつまでも感じていたいような感覚を生み出す。
「あ…んんっ…やざきさっ…あっ…あぁ…っん」
「ほらな、だんだん解れてきた…陸のここが、指に絡みついてくる…」
 ぐちゅっと一際いやらしい音を響かせながら深く浅く抜き差しを繰り返すうち、気持ちいいな、と思えるような部分が自分でも分かってくる。
「腰が揺れてるぜ。…ここか?」
 気持ちいい場所に触れてもらいたくて腰を揺らす自分が恥ずかしい。でも…
「うん…っ…そこ、あぁっ…」
「陸、もっと擦ってやるから…大きく息を吸って、ゆっくり吐いて…」
 言われたとおりにすると、息を吐き始めたとき、矢崎の指がもう一本入り込んできた。
「うぁっ…んっ…はっ…あっ…」
 圧迫感にちょっとだけ驚いたが、またすぐに快感が戻ってきた。
「気持ち良いか?陸」
「ん…いぃ…」
「そうか、じゃあ後は風呂から上がってからな」
 

「陸、どうした?」
 やはり何かが違う。風呂場ではあれだけ甘い声を上げていたのに、ベッドの上では必死で気持ちよさを我慢している。それでも強引に責め立てれば、身体は反応するが悲壮感漂う声をあげるようになるのだ。
「言ってくれなきゃわかんねぇ…お前とは真剣に愛し合いたい。そりゃあ多少エロオヤジみたいなことは言ったりしたりするかもしれんが、それだって相手がお前だからだ。えっちなことは嫌いか?」
 後孔への刺激はよほど辛かったのか、うっすらと涙の筋が頬に出来ていた。そこに舌を這わすと、陸は首を横に振りながら良い方の腕で矢崎に縋り付いてくる。
「えっちすきだろ?」
「やざきさんが、すき…やざきさんに、されるのも…すき」
「じゃあ、もっと気持ちよくなりたいだろ?ここに入れると、最初はちょっと苦しいかもしれんが…良くてどうにかなっちまうぞ?」
「ほしい…けど…」
「けど?して欲しいだろ?もっと、頭の中がまっしろになって、何にも分からなくなるくらい気持ちいいこと…」
「けど…汚い…」
「へ?何が?」
「あの時…」
 やはりレイプの後遺症のようだった。矢崎は獣のような気持ちを静めようと大きく息を吐き、陸が落ち着けるように腕枕で横たえさせた。
「ゆっくりでいい、話してみろ」
「…僕のこと、嫌いにならない?」
「なるわけねぇだろ…」
「矢崎さんが、すき」
「俺も陸が好きだ。だから抱きたい」
「だれかが…僕の…顔に…かけて……それで」
 その先を聞かなくても全てが分かってしまった矢崎は、陸の口を軽く手で塞いだ。
「分かった。全部。言わなくて良い…さて、どうすっかな…」
 先ずは陸にトラウマをこしらえた阿呆どもをぶち殺してやりたかったが、一週間近く禁欲だった下半身は思いを遂げるまで収まりそうになかった。
「陸、着替えて、ちょっとでかけるぞ」
「え?」
 言うが早いか、矢崎は起きあがり、クローゼットへと向かう。適当にスーツを引っ張り出しさっさと着替え、ぼけっとしていた陸にはスウェットスーツを被せる。
「今から?どこへ?」
「ちょっとその辺の店まで」
 

 寝室を出ると部屋の隅にいたはずの部下がいなかった。普段ならこんな野暮用は部下に任せるところだが、可愛い陸のためならどんな些細な用事でも自分で済ますことを厭わない。
「確か…この辺にあったはずだったがな…」
 ブツブツ言いながら車を走らせている。部下に任せっきりで、マンション周辺にどんな店があるかなど詳しくは知らないが、大きな看板を出しているチェーン店などは何となく分かる。
「何を探してるの?」
「ん?薬局。でっかいのがあっただろ?」
「ああ、次の信号を越えたところ。駐車場は信号を左にはいるの」
 電車通学の陸の方が詳しいようだった。
 言われたとおりに左折すると、薬局専用の広々とした駐車場が直ぐに見つかった。
 矢崎は陸と手を繋いで薬局に入り、レジにいた店員に思いっきり大きな声で尋ねたのだった。
「おい、コンドームどこだ?」
 店員もびっくりしたが陸もびっくりだ。他に客がいたらきっと注目を浴びていただろう。陸はこの店をよく使うので、顔見知りがいたら噂になっていたに違いない。店員の案内で向かった先で、恥ずかしいのは一緒だが店員だけで良かったよな、と胸をなで下ろしていると…
「サイズは?でかいのと小さいのが欲しい、どれが良いんだ?」
 そう聞かれた店員はあわてて箱の裏を確認し始めた。陸は…できれば矢崎の腕を振り切って逃げたかったが、逃げれば怪しまれるに決まっている。貧血で倒れそうになりながらもその場に踏ん張った。
「お、お客様の使い付けはございますか?」
 暇なのか好奇心旺盛なのか、それとも店員としてのプロ意識か。
「使い付け?部下がまとめて買ってくるから知らねぇな。聞いてみるか?」
「そうして頂いた方が間違いがないかと…」
 矢崎はポケットから携帯を取りだし、手慣れた仕草で11ケタの番号を押す。
「おう、俺だ。俺のコンドームの使い付けってどれだ?ああ…俺のはあんだが陸のがない。俺のじゃでかすぎるだろ。あ?うちの近くの薬局だ」
 なんのためらいもなく堂々と、そんな話しを電話でするなんて…陸の分が無いって…店員がなんと思うか…
「ああ…んじゃ、それは当分切らすな」
 ぱちっと携帯を閉じ、今にも倒れそうな陸の頭を撫でながら、
「不二かサガミのLサイズだそうだ」
「でしたらこちらです」
「一番小さいのは?」
「はい…こちらですが…」
「じゃ取りあえずどっちもあるだけ買っていく」
と、好き勝手に話を進めてさっさと店を後にしたのだった。
「もうあの店行けない…」
 陸がぽつりと呟く。
「なんで?」
「なんでって…恥ずかしいよっ!」
「恥ずかしい?連中に俺と陸がどんなことやってるかなんて想像つかねぇよ。セックスライフは貧困そうだったからな」
「そうじゃなくて…」
「分かってるって。お前一人置いて出掛けるなんて冗談じゃねぇ。俺がずっとこうやって手を繋いで一緒にいたかったんだよ。陸に触れていたかったんだ」
 そんな甘ったるいことを言われて喜んで良いのか、悪いのか…おもしろ半分に連れて行ったと思っていたのに。
「着いたぞ。さっきの続きやるか」


 安土の家と違い、矢崎の部屋へは一般入居者も使うエレベーターを使わなくてはならない。夜間とはいえ何時人が乗ってくるかわからないエレベーターの中で抱き上げられ激しい口付けを受けるなんて、陸には考えられなかった。抵抗すると壁に押しつけられ、矢崎の厚いからだと壁に挟まれた陸は、宙に浮いた足をばたつかせるくらいしかできない。
 陸を貫く機会を何度も阻まれていた矢崎は野獣のようで恐かったけれど、好きだ、と言う言葉にも魂が宿っていて、愛情故の行為なのだと、激しさを通して伝わってくる。
 寝室のベッドにそっと横たえるとすぐに、欲情が燃えさかる瞳で陸を見つめながらジャケットを脱ぎ捨て、シャツを放り投げ…ズボンを床に落とすと、矢崎のペニスははち切れんばかりに勃ちあがっていた。
 買ってきたコンドームの箱を破り、個別包装の包みを裂き、陸に見せつけるようにそれをはめる。
 呆気にとられたように見ていただけの陸もあっという間に裸に剥かれ、すっかり萎えてしまった愛らしいペニスをいきなり口に含まれてしまった。
「ああんっ…!」
 ぐちゅっ…といやらしい音を立てながら、腰を高く持ち上げ恥ずかしいくらいに両足を広げられて…その格好だけで陸の快楽が花開く。
「あ…ああん…んっ…はっぁ…」
 縮こまっていたペニスが目を覚まし、あっという間に硬度を増してしまった。陸用の小さいサイズのコンドームもまだ少し大きいようだが、今夜は仕方がない。
「気持ちよくなったらいつでも行けよ。これだったらお前が嫌なことを思い出さねぇだろ」
 ゆっくり扱いてやると嬉しそうに腰が蠢く。
「後ろは?元に戻っちまったか?」
 サイドテーブルに用意してあった潤滑剤を手に取り、陸の後孔にねっとりと指を這わせる。先程、陸は途中からしっかりと感じていた。一度指を受け入れて恐怖感が少なかったのか、小さく息を詰めただけで、矢崎の指をすんなりとくわえ込む。
「ふぁ…っ…あんっ…はぁぁっ…」
「陸、思い出せ。ここは気持ちよかっただろ?ほら、指が出たり入ったりするたびに中が動く。おら、どうだ?」
 指を入れたまま内壁を擦ると、陸のペニスがぷるんとゆれた。
「陸…」
 熱く擦れた声で耳元に囁きながら二本目の指を入れる。
「ああっ!!やざきさっ…やだ…んんっ…」
「嫌じゃねぇだろ?」
 抜き差しをだんだん深くしていくと、あるところを越えた辺りで、つるっと二本の指を飲み込み、もっと奥へ導こうとし始めた。
「おっと…陸、うまく飲み込めたな」
 ゆっくり引き抜くと、かなりの抵抗がある。ここに自分のものを突き入れたらどれだけ気持ちが良いことか…
「陸、少しだけがまんしろ…絶対酷いことはしない。大人の快楽を教えてやる…」
 苦しい体勢かもしれないが、陸の顔を見ながら我が物にしたかった。腰の下にクッションを宛がい、いきり立ったペニスの先を陸の後孔にぐっと押しつける。
「ああっ…!」
 潤滑剤で十分潤ったペニスの先端がずるっとした感触と共に陸の中に穿たれる。
「やっ…あぁっ!」
「陸っ…」
 処女を破瓜したことはあるが、これほど痛みを伴うことはなかった。男だからきついのか、小柄な陸だからか…どちらにしても、愛情と前戯を与えた後でこのきつさ。レイプされたとき、陸がどれほど辛かったか…
「やざきさんっ…いたぃよ…うぁっ…ああっ…」
「陸、力を抜け…愛している。お前と一つになりたい」
「やざきさ…うぅっ…」
 涙をにじませる陸の目元に優しく口付け、舐め取る。塩辛いはずが、陸の物は何もかもが甘い。甘い物が嫌いな矢崎でさえも酔わせてしまう妖しい甘さだ。
 荒い息で開いてしまった口を覆い、貪るように口づける。痛みですっかり萎えてしまった陸のペニスからコンドームが抜けないように丁寧に愛撫を施すと痛みと快楽がすり替わり、陸の口から艶やかな声が漏れ始める。
「力抜いとけよ…そうだ、うまいぞ陸」
「矢崎さん…」
 無理矢理痛いことをされはしないと安堵したのか、陸の身体から少しづつ力が抜けていくのが分かる。
「宗一だ、陸。矢崎じゃなくて…宗一と呼んでくれ」
「…そういち、さん?」
「ああ…陸、もっと、何度も…」
「そういちさん…そういちさん…そういち…あぁっん」
 痛みはまだあるものの、矢崎の名前を呼ぶと痛みの奥に痺れるような快感がわき起こった。それは矢崎も同じだったのか、食いちぎられそうな痛みで苦痛に歪んでいた顔が、陸にだけ見せる穏やかな表情に代わって行く。
「そういちさん…」
 この人は、自分が誰よりも信頼し愛している人なんだ…
「好き…」
「ああ、俺もだ。好きだぜ、陸」
 はっきりとした声が、陸の心にその言葉を刻みつける。
「もう、平気だから…」
「そうか…」


「はぅっ!!」
 一瞬の痛みの後、内臓が口から飛び出そうな圧迫感を感じ、陸の背が仰け反った。
「あっ…あぁっ…はぁっん」
「陸…すげぇ…お前の中…」
 この小さな身体のどこにそんなスペースがあったのか…最初から疑問に思いつつ、繋がることはやめなかったわけだが。
 最初の衝撃が去り、陸の呼吸が落ち着くまでしっかりと抱きしめる。
「そういちさん…すごい…お腹の中、いっぱい」
「みたいだな」
 クスクスと余裕の笑みさえ浮かべる陸の腰を、茶化すように突き上げる。
「あぁんっ…」
 陸の口から漏れた声は苦しいものではなく、快楽を十分に含んだものだった。
「わかるか、ここだ」
 ぐいっと腰を突き上げ、陸が感じていたところに刺激を与える。
「はんっ…んっ…うんっ」
 ゆっくり、ゆっくり、ともすれば自分が持って行かれそうになりながら、陸に快楽を与え続ける。陸のペニスもすっかり元気を取り戻し、矢崎の腹に小さな熱を伝えてくる。
「陸、動くぞ」
「え…?うん…」
 矢崎の動きがだんだんと激しくなり、絶え間なく与え続けられる悦楽に脳の隅まで支配される。手で、口で翻弄されたときとはまた違う、溺死しそうなほどの快感の波が押し寄せ、飲み込み、陸はただひたすら射精の瞬間を望む。
「あんっ…っあぁ…ぁん…はぁっ…あ、い…いぃ…もう、そういちっ…あぁぁっ!!」
「陸っ…!」
 陸の内壁が激しく痙攣し、矢崎のペニスを一層深く飲み込む。
「あっあっあぁっ…!!」
 一際高い声と共に、陸は激しい快感の中で精を放った。
 矢崎も、陸に飲み込まれる心地よさに耐え先端まで引き抜くと、深々と陸に己の欲望を突き刺し、吐精したのだった。
「くっ…!」

 
「んな?気持ちよかっただろ?」
 明け透けというかすけべオヤジというか、初めて与えられた快楽に息も絶え絶えな陸を抱き寄せニヤニヤ笑っている矢崎にほんの少しだけ鬱陶しさを
覚えながら、けれどもこみ上げる嬉しさも隠しきれない陸は、矢崎の胸に顔を埋めながら小さく頷いた。
 すぐに矢崎は固く絞った温かいタオルで陸の身体を拭いてくれて、嫌な感じも全くしない。心地よさの中でうつらうつらしていたら…
「よし、じゃもう一回な」
 陸の頭の中に大きな疑問符が現れた。もう一回って…
「…なんで…僕、もう」
「やればやるほど気持ちよくなるんだ。ほら、俺のはもう陸をかき回したくてこんなになってる」
 ぐいっと腰を下腹に押しつけられ、さっきと同じくらい硬く反り返ったペニスが出番を待っている。
「やだ…もぅ…」
 今日だけで何度いかされたかわからない。初めてのことばかりで疲れ切っていた陸はこのまま夢の中を漂いたかったのに。
「なぁ陸、もう一回、な?」
 お願いしている間にも矢崎の手は陸の身体をまさぐり、手だれたオヤジの触り方はいやらしいの一言に尽きた。
「んんっ…」
 鼻に掛かったような声が矢崎の脳を刺激し、後戻りできない状況に追い込んでくる。
「お前が俺を誘うんだ、陸。お前の全てが…」


 誰かの隣で目覚める幸せ。
 …を感じていたのは矢崎だけのようだ。
 朝っぱら、いやもう昼過ぎているが、目が覚めてすぐ、またしても陸にのし掛かろうとした矢崎をギプスで殴り、陸は這うようにして居間へ逃げた。
「近寄るな宗一!来たら絶交だからな!」
 幸いなことに、居間の定位置に矢崎付きの組員がいたので、そっちの方へ小鬼のような形相で這い進むと、何事かと驚いた組員も近寄ってきて陸を支えようと手を伸ばした。
「陸に触んな!!」
 遅れて出てきた矢崎が組員を怒鳴りつけた。
 こんな場合組員は矢崎の怒りを恐れ言われたとおりに行動するのだが、矢崎が側に置くだけあって頭の回転は速い。
 安土組の若頭を呼び捨てにする陸に、矢崎の頭が上がらなくなる日も近いのではないかと…
「かしら、絶交ですよ絶交、堅気の世界じゃ破門と同義語です」
「余計なことほざくな。陸、まともに歩けねぇんだから無理するな」
 組員の足元にうずくまる陸は子犬のように可愛い。
「悪かったよ…何もしねぇからこっち来い、な?」
「宗一、僕夕方から塾なんだ。それまでに今日の予習済ませなきゃいけないのに…」
「分かった分かった。予習でも復習でも手伝うから、機嫌直せ」
「もう…」
 陸は不満げな表情で矢崎を睨んではいたが、怪我をしていない方の手を手を矢崎に向けて伸ばした。
「宗一、動けないからなんとかして」
 矢崎が両腕を伸ばし、陸を抱き上げる。
「殴ったところ痛くない?」
「ちょっと痛いかもな…」
「ごめんなさい。でも僕…身体だけ大人になりたくない。いつか一緒に仕事も出来るような、宗一さんの手助けも出来るような、そんな立派な大人になりたいんだ」
 立派な大人…ヤクザにそんな言葉は当てはまらないし、陸にはヤクザの本来の姿など見て欲しくない。ヤクザの仕事を手伝わせるなどもっての他だ。
 当分はこの甘い生活を堪能したいが、惚れた相手がそう言うならば、今後陸の生き道に立ちはだかるもの全てをなぎ払い、いつか表舞台の頂点に立たせてやるのも悪くない。もっとも、ヤクザの自分が陸の邪魔になることだってあり得る。だが奸計の天才でもある矢崎は困難な道ほど闘志が湧く。
「分かった。勉強も、社会の表も裏も、俺が知っていることは全部お前に教えてやる。だがな、陸、今日の時点のお前の経験値はえっちな部分が最低だ。そっちもはやいとこあげないと…」
 真面目な顔もほんの数秒、目尻がいやらしく垂れ下がり始めた矢崎を無視して、陸は床を這いながら矢崎から遠ざかっていった。

END


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うちの子たちはしっかりした子が多いですね。りっくんも矢崎を振り回しながら大人になっていくのでしょう。

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