みそ汁の香りだ…かつおといりこの出汁の香りが…昨夜誰か女を泊めたか?いやまさかそんなハズは…朝っぱらから料理…そんな女がいたら速攻結婚していたかも知れない。どいつもこいつもホテルのルームサービスやらカフェのモーニングサービスやら、私に作れと言うような女ばかりだった。
 巽は枕元にある目覚まし時計を見るため、手を伸ばす…が。無い。どう探しても無い。腕を伸ばした拍子に体中が痛む。背中はバリバリに固まっていたし、肩も腰も重い…どうした事か…
 伸びをして、滞っていた血の流れを促すと、少しずつ周囲の状況が掴めてきた。
 ここはどうやら、悠斗の部屋の、床の上。
 悠斗はちゃっかり自分だけベッドに眠っていた。
(ああそうか、昨日は悠斗を先に寝かせた後、仕事を片付けていたらいつの間にか眠ってしまったのか…)
 結婚か…寝ぼけてそんなことを考えた自分が可笑しかった。目の前で美しい寝顔を晒す少年にぞっこん惚れているくせに、なぜそんなことを考えたのだろう?
 女は引く手数多だった。それなりに男とも付き合ってみた。それが、あいつが亮を連れてきて、亮と出会った日から変わってしまった。
 巽は節々をぎしぎし言わせながら床から起きあがり、悠斗を起こさないようにそっと部屋を出た。
「ああ…心休まる香りだ…」
 みそ汁の香りに誘われるようにキッチンへ向かう。悠斗の母親が忙しそうに朝の支度をしていた。
「おはようございます、お母さん」
 お母さん…おばさんと言えば失礼だし、名前を呼ぶのもなんだし、他に適当な言葉が見つからなかった。嫁の両親と同居するとこんな感じなのだろうか?
「あら巽さん、おはようございます」
 包丁を使う手を休めて、にっこりしながら挨拶を交わす。
「昨夜は悠斗が、気が利かなくてごめんなさいね。自分だけベッド占領しちゃってて…あなた大きいからベッドに引き上げられなかったのよ」
 引き上げられなくて助かりました…
「もうすぐ出来上がりますからね、お部屋に帰って支度していらっしゃい」
 髪はボサボサ、シャツはヨレヨレ、しっかり掴んだハズの上着は半分くらい床掃除をしている…
「はははは…そうします…」
 見られたものは仕方がない。しかし、抱かれたい男No.2、結婚したい男No.2、を長年張ってきた自分のみっともない姿をさらすのはなんと恥ずかしいことか…特に立花家(悠斗の姓)では何度も晒してしまった。No.2の面目丸つぶれである。
 No.1は、紅宝院迅。こいつは無視。
 急げば三十秒、ゆっくり歩いても一分しかかからない自分の家へ向かいながら巽は、今急襲すれば迅のみっともない姿を見る事ができるな、等と思っていた。

 今日・明日は紅宝乗っ取りの事で忙しくなるはず。
 縁起の良さそうな山吹色のネクタイをきゅっと締めながら、気持ちを引き締める。
 支度を調えて立花家へ戻ってみると…
 パジャマを着たお父さん、いつものスウェットを着た悠斗、お揃いのスウェットを着た悠斗の姉、だけならまだしも、浴衣を着た山崎まで食後の珈琲を飲んで寛いでいる…
「なんで山崎さんまで…」
「お一人なので、今日からうちで朝ご飯をって、お誘いしたのよ」
 優しいお母さんだ…
「…いや、山崎さん、今日は本社に缶詰…」
「本家は凄い状態ですよ〜〜。いろいろ動き回ってる振りして、戻ってきました。久しぶりにきちんとした朝ご飯で感激してます」
「あらまあ、巽さんはもう着替えてしまったのね。汚れないように気をつけてね」
 温めなおしたのか、湯気の立つみそ汁と、卵焼き、鮭の切り身、サラダ、大盛りのごはんが目の前に並んでいる。
「いやしかし、山崎さん、浴衣とはまた古風な…」
 山崎はすっかりお父さんと馴染んでいる。
「ええ、日本へ来たときにさっそく着てみたら、これがまた楽チンで…浴衣だったら、こう、でれ〜んとしていても許されるじゃないですか」
 悠斗のでれ〜んとした浴衣姿ならまだしも、三十路男のでれ〜んなんて…悠斗の浴衣姿…考えただけで鼻からみそ汁を吹きそうになった…
「いやしかし、山崎さん、意外と筋肉ついてますなぁ〜」
「そうですか〜?以前はジムに通っていたんですけどね、最近はすっかりダメですよ」
 思わず山崎の胸元に目をやる。
 まあ確かに、三十路男にしてはプロポーションが崩れていないが。
「京史郎さんもすっごく良いからだしてるよ」
 食事が済んでテレビを見ていた悠斗がぽつりと漏らす。
「社内抱かれたい男NO.2なんだって」
 誰から聞いたそんなことーっ!
 巽は我慢できずに、口からごはん粒を飛ばしてしまった。

「では行ってきます。悠斗、今夜は戻れないから…」
 そう言って巽は立花家から出勤。
「なんだか新婚さんみたいですね〜」
 山崎の台詞に立花家が大受けしたことを、巽は知らなくて幸いだったろう。

 明けて新年。
 迅が事情聴取のため留置され、暮れの忙しさは殺人的だった。元日は取り調べも休みなので、亮を連れて迅に会いに行くことになっている。昨年末は弁護士との接見が優先で、亮は一度も会いに行けなかったのだ。
 留置場のアクリル板越しに、監視の警察官や私とイアンの視線を無視して亮は熱々ラブラブ振りを発揮。弁護士との接見の時は完全無視している監視役も、妙に顔を赤らめ、雑誌のページをせわしなくめくっている。
 私とイアンは気を利かせて後ろを向く。
 実はこの後、立花家では恒例の「新年の抱負」を発表する会があるのだ。全てが順風満帆の俺様が唯一気がかりなのが悠斗とのことで、ご両親に許可を貰ってからしか付き合わないとか、高校生になるまで清い交際しかしないとか、一人でカラ回っている。新年の抱負を語る会に出なければ印象を悪くすることは否めない。抱負を考えても悠斗の事しか考えられない。
 しかもなぜか、山崎さんまで同席するのだ。
 好印象度では山崎さんに遥か前方に持って行かれている。山崎さんの抱負は何だろう?きっとまたお父さんのツボにぴったり嵌るような抱負なんだろうな…
「巽?…巽!」
 迅に呼ばれて我に戻る。
「どうした?時間切れだ。亮を頼む」
 アクリル板を溶かしそうな様子の亮を引きはがして面会室を出る。待合室に戻ると、外人達がすっと立ち上がり、亮の周りに人垣を作る。もう三十分経ったのか…家まであと四十分くらいか?抱負の会は十五時からだ。
 あと…四時間。

  

前編
巽さんシリーズ

ごはんですよ