禊ぎをして(ただのシャワー)、紋付き袴を着る(迅のメイドに着せて貰った)。山崎さんの浴衣に対抗して揃えた物だ。時間があまりなかったので既製品でがまんした。なかなか男前だ。だが、気をよくしたのも束の間で、何を発表しようかまだ考えがまとまっていないことを思い出し、がっくりうなだれる。
 二時五十分。もう出なければ…急いで三十秒の距離をもたもたして二時五十三分。
 立花家の呼び鈴を押すと、悠斗が出てきた。和装の私を見て、悠斗の顔に朱が走る。
「京史郎さん…かっこいい…」
「そうか?初めて着たので緊張する。悠斗…今日こそ言うからな…」
 悠斗は着物の袖をそっと握ると私を中へ誘った。いつものリビングではなく、和室に通される。着物を着てきて大正解だな。
「ほお、今日は巽さんも和服姿ですな」
 お父さんも紋付袴装着。もちろん山崎さんも。
「はい。初めて着たので勝手が分からないのですが…お恥ずかしい話しです」
 お父さんを中心に、向かって左に山崎さんと私、右側に立花家のメンバーが勢揃いしている。
「さて、全員揃ったことだし、始めようか。先ずは私からだな」
 お父さんはそう言うと、懐に手を差し込み、何かを取り出した。ぱらっと開いてこちらに向ける。見事な字で書かれた今年の抱負だった。
「心を配る。今年は沢山の人達に出会って、その誰もが素晴らしい人達だった。巽さんや山崎さん、紅宝院さんに花月院さん、特に巽さんには、親の私ですら出来なかったことをしてくれて大変感謝しています。悠斗を元気にしてくれて、本当にありがとう。私ももっと、人の心に触れる人間になりたいと思いました」
 感動で、胸が潰れそうだった。
「いえとんでもない。私の方こそ立花家の皆さんに感謝しております」
 悠斗を産んでくれて。
 みんなにこにこ頷く。
「さ、ではお母さん」
 お母さんは横に置いていた料理の本を持ち上げた。
「今年は各国料理を覚えます。お母さん、和食と当たり前の洋食は得意なんだけど…正式なフランス料理とかイタリア料理とか、そう言うのを習うことにしたの。ほら、料理人の板井さん、彼が教えてくれるって」
 板井か。確かに彼の料理は美味い。紅宝院家の料理人になって十年くらいだろうか?死ぬまでここで働くとか言っていたな。外で働くよりはずっと楽だろう。
「お母さんの和食はプロ並みですよね」
 山崎さんは時々お母さんにレシピを聞いてメモっている。
「そうか、食事の時間が楽しみになるな。次は悠斗」
「僕は…ちゃんと学校に行く」
 悠斗はそう言って、まっすぐに私を見た。
「京史郎さんや迅さんに認めて貰えてうれしかった。大学まで出たら、絶対同じ会社に入って一緒に働く」
「私も迅も東大だぞ?」
 アーモンド型の目をキラキラさせながら、まっすぐに見ている。
「うん。だいじょうぶ」
「うむ。無理する必要はないが、出来るだけのことはしなさい。お姉さんは?」
「…締め切りを守る」
 お姉さんは漫画家だった。仕事場が他所にあるので気がつかなかった。家にいるときはそれこそ悠斗と同じ格好でマンガを読んでいるか寝ているか。何日も帰らない日があったが、あれが修羅場だったのか…
「…去年も同じだったよな?ねえちゃん」
「これしかない。締め切りを守るっ!」
「お父さんは何も手伝ってやれないからな…では、今年はお客人が二名。まずは山崎さん」
 山崎さんが先か…
「はい」
 山崎さんは膝の上で両の拳をぎゅっと握り、背筋を伸ばした。男の意気込みが伝わってくる。
「今年こそ…今年こそ、恋人をつくりますっ」
 ひっくり返りそうな声が痛々しい。
「よろしい。それには協力できそうだ。山崎さんはどんなタイプの女性が好みかね?うちの女子社員は良い子達ばかりだぞ?」
 よし、山崎さん、そのまま楽しい話題を振りまいてくれ。私の抱負を聞いてもショックが薄れるように!
「いえ、お父さん、実は私…」
 山崎さんは一瞬俯いたが、決意の表情をもってしっかり顔を上げ、前を見る。
「実は私、ゲイなんです」
 …………………………………………………………………………………………………………………………………
「ぇぇえええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!」
 免震構造のこのマンションが、驚愕の叫声に揺れたような気がした。いやそれとも、揺れているのは私の身体か?目眩で、気が遠くなりそうだった。山崎さんがゲイだったと言うことにではない。
 そっち方面に持って行かれたことが…頼む、山崎さん、冗談だったと付け加えてくれっ!
「驚かせて申し訳ありませんっ」
 山崎さんはがばっと土下座した。カムアウトで土下座なら私はどうすれば良いんだ!
「い、いやいや、確かに驚きましたが…何というかその…」
 お父さんはしどろもどろになっていた。
「紅宝院さんや亮君の事で、そう言う人達もいるし、私たちと何処も変わらないどころか、もっと純粋なんじゃなかろうかと思いました。いや、私が驚いたのは、その、まさか山崎さんのような庶民的な雰囲気の人が…まさか…」
 庶民的な雰囲気…たしかにな。だがそれは関係ないだろう…。お父さんは一部間違った解釈をしているのかもしれない。ゲイ=美しい男達。これはどちらかというと腐女子の妄想である。
「十年前に、高校・大学を通して付き合っていた人と別れて、そのショックで日本に来たんです。最初の五年は辛くて辛くて…でも、紅宝に入社して、社長と亮君に出会ってからはとても癒されました。もうそろそろ忘れて幸せになりたいと…」
 そんな経緯があったのか…しかし、十年もばれずに過ごしたとは…今度根掘り葉掘り聞いてやろう。
「幸せになる権利は誰にでもある。うむ」
 お父さんの一言はいつも単純明快だ。
「よし。次は巽さん」
 来た来た来た来た…
 悠斗を見ると、小さく頷いた。
「今年は、人を欺かない」
 悠斗はがっくりうなだれている。まだまだこれからだ。悠斗、山崎さん、フォローしてくれよ。
「ほう、巽さんはそんなことをする人に見えませんが…」
「いいえ。欺いていました」
 人は意を決すると、自然と拳を握るらしい。
「お父さん、私は立花家のご両親を欺いていました。私は悠斗君を恋愛の対象として愛しています。悠斗君と結婚を前提としたお付き合いをさせてください!」

「そ、それは…無理でしょう」
「父さん!さっき幸せになる権利は誰にでもあるって、ゆった!!」
 悠斗が噛みつく。
「お父さん、決して疚しい気持ちで言ったのではありません、本当に、心から悠斗のことを愛しています!」
「父さんが許してくれないなら…死んでやるーーっ!」
「待てっ!悠斗っ!」
 立ち上がって走り去ろうとした悠斗を止めるために、私も素早く立ち上がった。はずだった。
 手の端に、かろうじて悠斗のズボンの端を捉えてはいたが、私は袴の裾を踏んづけ、端正な顔を畳にのめり込ませていた。
「…だ、大丈夫?」
 アーモンド型の仔猫の目で、悠斗が心配そうに私を抱き起こす。鼻血は出ていないようだ。
「二人とも、まあ落ち着きなさい…」
 お父さんはため息を一つ漏らすと、山崎さんに尋ねた。
「山崎さん、やはりその、日本の法律では、男同士で結婚はできませんよね?」
 え?
 顔を、いや、頭を強打したせいで思考回路が麻痺している。
「え?」
 私はさっき何と言った?台本では、悠斗君と恋人としてお付き合いさせてください、だった。
 結婚?
「ええ、できませんね」
 山崎さんとお父さんは真剣な表情で話し合っている。
「しかも悠斗君は未成年です。親権者の許可がないと、巽さんは犯罪者になってしまいます。正直に話した事で、許してやって貰えませんか?」
 お父さんは深く考え込んでいる。
「しかしこればかりは…即答できない…否定しているわけではないが…巽さん、少し時間を貰えませんか?」
 親なら当然だろう。
 頭ごなしに否定されなかった事に感謝すべきだろう。
 巽は起きあがると乱れた服装を直し、両親のそれぞれに向かって深々と頭を垂れた。

「あれ〜?悠斗とラブラブしてるんじゃなかったの?」
 巽は兵士達の宿泊施設に設置されたトレーニング・ルームにいた。秋一は先客としていた。山崎さんもいる。
「まだ、お許しは出ていない」
 秋一は暇つぶし。山崎さんは恋人探しに踏み出すため。巽は体力発散のため、それぞれトレーニングにいそしんでいる。
「悠斗君は積極的だからなぁ〜」
 両親の前では大人しくしているが、いないところでは人目を構わず抱きついてくる。
「そう言う山崎さんだって、その変貌振りはなんですか?」
 眼鏡をコンタクトに変え、野暮だった髪型を、服装を変え、サナギが蝶に変わったようだ。
「京史郎さんっ!」
 悠斗が恐ろしげな目で駆け寄ってくる。ベンチプレスのバーベルを急いで元に戻し、起きあがろうとしたが、その前に悠斗に乗っかられてしまった。
「悠斗、降りてもらえないか?」
「キスしてくれたらねっ」
 仕方なく起きあがり、悠斗の唇に少し長めの、触れるだけのキスをする。
 悠斗は仔猫のような瞳を輝かせて降りてくれた。
 このくらいのキスで満足してくれる子供なのだ。
 大人の愛がそのくらいでは済まないと気付き、悠斗が受け入れる準備が出来るまで、巽は理性をコントロールする事が出来るだろうか?
 悠斗の子供らしい甘さが可愛くて、クスクス笑う秋一と山崎だった。 

後編
巽さんシリーズ

ごはんですよ