巽さんシリーズ

かいきんですよ

「巽さん、おめでとうございます!」
「おめでとう!巽さんっ!」
「いやー、よかったですね!」
 朝から会う人ごとに祝辞を受ける。
 今日は立花悠斗の入学式なのである。

 小中学校通して登校拒否の帝王だった悠斗も、中学最後の一年は無欠席で通学。高校入試も難なくこなし、今日から亮の妹も通う私立高校に入学する。
 巽はなぜか仕事を休み、悠斗の母親と共に入学式に出席することになっていた。
 巽は現在も紅宝レジデンスに住んでいる。が、立花家の掘っ立て小屋(悠斗と姉のための別棟)にも部屋を貰い、仕事がない週末は立花家で過ごしている。子供の頃から家族団らんなどしたことがなかったし、だからといって特別寂しいと思ったこともなかったので、この年になって朝から家族揃って頂きますと食事の挨拶をすることに気恥ずかしさを覚えつつ、満ち足りた幸せを味わっている。
 

 曾祖父の代からの開業医で、二代目までは医者としても優秀だったらしいが、父親の代からは取りあえず儲かるから医者になっておけ、くらいのココロザシしかない。両親とも毎晩遊び歩き、家にいたためしがなかった。監督する者がいなければ子供もまともに育つはずはなく、京史郎以外の兄妹は金を使わなければ受け入れてくれる医大などなかった。どうやって国家試験を通ったのかも謎である。そんな連中と共に働く気はさらさら無く、医大に進学するふりをして法学部に進んだ。自分の子供が何処の大学に行っているのかも知らない、そんな親だった。頭が良いことだけは知っていたので、放置していたのかも知れない。学費と生活費は親に払わせたかったので、卒業するまで医学部に在籍していると思わせた京史郎も京史郎だが、騙された親もそうとうなバカである。
 

 それに比べて立花家。
 各自が向いている方向は違うけれども、いつも一つにまとまっている。だいたい、未成年の息子の同性の恋人を家族同様面倒見てくれる家庭など、国宝級だ。
 出来ることなら自分も立花家の一員になりたい。
 それにはやはり、家族行事や冠婚葬祭にはきっちり参加し、ご近所づきあいも円滑にしておかなければ…などと考えを巡らせながら、紅宝院の駐車場から勝手に一台選び乗り込む。サウジアラビアのサルマン老人は各メーカーの新車が出るたびに勝手に送りつけてくるので専用駐車場には乗っていない新車がずらりと並んでいる。どうせ余っているのだし、借りても文句言われないので自分の車は処分してしまった。
 校内に駐車はできないが、直ぐ近くに前もって駐車場を借りており、その辺も抜かりない。
 方向指示器、ワイパー、ライト、ナビ、等の確認をして出発進行。方向指示器を付けた途端にワイパーが動き出す、お決まりの間抜けなアクシデントだけは御免被りたい。
 新しい制服姿の悠斗を見て鼻血を出さないように、あらかじめ妄想しておこうか。今ならまだ鼻にティッシュを詰めても大丈夫だ。
 妄想。
 何故みなが、巽におめでとうを言うのか。
 制服姿ごときで鼻血を出している場合ではない。
 そう、本日から、解禁なのである。

「おはようございます」
 立花家に着くと、悠斗とお義母さんはすぐに玄関から出てきた。
「あらあら巽さん、お迎えありがとうございますね」
「おはよう、京史郎さん」
 お義母さんは若草色の着物に桜模様の帯。
 悠斗は…微妙にゆとりを持たせた濃紺のブレザー。可愛すぎる…ネクタイはお義父さんが結んでくれたらしい。巽も後で結び方を特訓してやるように言われている。言われたときは何でもなかったが、後から考えると、ネクタイを解いても良いと言う事だろうかとか、言葉の裏をあれこれ探って一人で悶々としてしまった。が、あのお義父さんがそこまで深く考えているとも思えない。だがしかしもしかして…ああ、はっきり脱がしても良いと言ってくれたのなら!
 いやまて、今日は入学式の後、お義母さんと悠斗の買い物に付き合って、夜は家族(含む私)で食事に行く。脱がせているヒマは無い。それに、いきなりがっつくのも、大人としてどうだ?
 

 ゴールデンウィークも近いし、休みを取って旅行にでも行くか?二人で行くというのはあからさますぎないか?しかしお義父さんはきっと許してくれるハズ!
「京史郎さん」
「どうした?」
「信号、青だよ」
「…左右の確認をしてからスタートしなければいけないんだよ…」
 我ながら苦しい言い訳に苦笑ってしまったが、気を取り直して運転に集中する。もうすぐ、悠斗が通うことになる青嵐学園に到着する。

 

 正門から五十mも離れていない高級住宅街の一角に、紅宝院家の所有する土地があり、亮の妹、由梨菜ちゃんが通学するために利用する車の駐車場と、護衛が待機する施設が建てられた。今日はそこを利用させてもらう事になっている。駐車場に車を止め、三人でゆっくりと学校を目指す。校門を入ってすぐの所に儲けられた受付で名前を告げるとクラス分けを教えてくれて、保護者用と生徒用の二種類の書類と新入生用の生花のコサージュを貰った。ここで一旦悠斗と離ればなれになる。巽は悠斗の胸にコサージュを付けると、悠斗を教室へ向かわせ、巽はお義母さんと講堂へ向かった。
「本当に、子供の頃はどうなるかと思ったけれど…巽さんのお陰であんなに立派に育って…なんてお礼を言えば良いのか…」
 お義母さんは繊細なレースの縁取りが施された白いハンカチで目元をすっと拭っている。こうして直ぐ近くから見ると、お義母さんの目尻の切れの長さは悠斗と良く似ている。お義母さんはいつも目を細めて柔らかく微笑み、目尻が下がった風なので、キッと吊り上がり気味の悠斗のそれとは第一印象が違うのだ。

「ほら、悠斗のクラスが入場してきましたよ!」
 こうして同じ年の子供達が一堂に会すと、悠斗がまだ子供っぽさを残した少年であることが分かる。中には既に大人の雰囲気を持った子供もいて、恐らく悠斗もこれから軽やかに階段を駆け上るように大人になっていくのだろう。
 私は断じてショタコンではないが、今この時期の悠斗の全てを知りたいと言う抗いがたい欲望がわき起こり、入学式の間中心の中でもんどりうってしまった…いや、もう高校生なのだからショタではないか…
「悠斗、新しいクラスはどうだった?」
「うん、俺よりチビがいたよ」
 そう来たか…悠斗は明るく元気いっぱいに答え、お義母さんの失笑をかっている。
「そうね、あなたも随分背が伸びたものね。あまり大きくなったら巽さんと並んだ時、絵にならないからその辺で止まると良いのにね」
 お義母さん、いったい何を考えているんだか…!

 

 夕方からお義父さんも合流して、家族で食事へ行く。 今年は紅宝院が時々利用するホテルのディナー券を貰ったので(巽が無理矢理提供させた)有り難く利用することにして、普段とは違う上品で高級感漂うレストランの個室で気兼ねなく料理を堪能した。
 ひとしきり飲んで食べて落ち着き、食後のコーヒーが運ばれた頃、悠斗が中座して向かった化粧室。分厚い磨りガラスのドアを開けると手洗い場に見たことのある制服の少年が鏡に向かってタイを整えていた。悠斗と同じ青嵐の制服だった。
「あ…こんばんは」
 鏡の中で視線を合わせて、悠斗は挨拶した。
「こんばんは…君も、青嵐?」
「あ、はい。新入生です」
 先客の彼は、どうみても上級生だった。悠斗より一回り体格が良いくらいで全体的に華奢ではある。が、知性的な顔付きに柔らかい声色が大層落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「フロアでは見掛けなかったけど、個室でお祝いの席を開いていたの?」
「はい。家族全員で…」
「そうか。僕の弟も新入生なんだよ」
「何組?」
「確か…1組」
「えーっ!じゃあ僕のクラスメイトだ!」
 この人と似たような顔のヤツがいたかな?と思い返してみるが、今日会ったばかりで全員を覚えているわけではない。
「僕は海月藍(うみづき らん)弟は浅葱(あさぎ)だよ。君は?」
「立花悠斗です。よろしくおねがいします」
「立花君か…」
「あ、あの、俺、先にトイレ…」
「ああ、失礼」
 

 あはは、と笑いながら悠斗はトイレにかけこんだ。直ぐに出てきたら、海月先輩はにっこり微笑みながら手洗い場に寄りかかり、ジャバジャバ手を洗う悠斗を見つめていた。
「弟は、少し我が儘なのでクラスに馴染めるかどうか心配なんだ…迷惑でなければ気にかけていて貰えないだろうか?」
「えと…俺一応、クラス委員長なので…大丈夫と思います」
 そう、悠斗はクラスの中でもずば抜けた成績で入学した生徒で、内申も良く、担任から最初のクラス委員に指名されたのだった。ほとんど学校には行っていないにもかかわらず、である。その時、トイレのドアが開いて巽が入ってきた。
「悠斗、コーヒーが冷めてしまうよ?」
 巽は悠斗と同じ制服を着る青年に目を留めた。海月先輩はもたれ掛かっていた身体をまっすぐにすると巽に軽く目礼した。
「京史郎さん、こちらは海月先輩。こっちは巽京史郎さん。弟さんが俺と同じクラスなんだって」
「もう友達が出来たのか?」
 巽は微笑みながら悠斗の頭をくしゃっとする。
「まだ。明日声をかけてみる」
「ああ。こんな所で立ち話もなんだし、もし良かったら海月君もご家族と一緒に私たちの席にいらっしゃいませんか?」
 

 巽は悠斗の肩を抱きながら、大人びた海月君に声をかけた。海月と言えば、もしそうならば、かなり有名な宝石商である。ただし実態は指定暴力団の企業舎弟であると噂されている。どの宝石商も顧客の中に暴力団幹部を抱えているので海月家だけが怪しいと言うわけではないが。
「巽さん、とおっしゃいましたね?お申し出はありがたいのですが、弟は人見知りが激しいので…学校生活に慣れたらぜひご一緒しましょう」
 そう言って海月藍はにっこり微笑んだ。
「ええ。ぜひ」
 巽は重たい磨りガラスのドアを開けて支えると、悠斗の背をそっと押して歩みを促し、その後に自分も付き従う。
「巽さん。良い時計をしていらっしゃいますね」
 ドアを支える腕には普通のマンションが買えそうな値段のブレゲ・ミニッツリピーター。巽は内心のガッツポーズをポーカーフェイスで包み込み、小さくありがとうと答えながらドアを閉めた。この時計は巽が迅から(貸して)もらった物だ。 紅宝に最就任したとき、このくらいは持っておけと勧めた物だが、はめるたびに褒めちぎると苦笑いしながら(貸して)くれた。もちろん重要な場面では迅に返すが…どっちが持っていても別に構わない。
「その時計、格好いいよね」
 悠斗は誇らしげに巽を見上げる。
「ああ。でも迅のだよ」
「ちゃっかりしてるよね。そう言う所も好き」
 
 

 コーヒーはすっかり冷めていたが、トイレで同じ高校の上級生に出会ったこことその弟の事を話すと、両親も仲良くなったら遊びに連れてこいと言った。人見知りだろうと引きこもりだろうと、立花家は慣れている。ごく一般の家庭ではお目にかかれないような様々な人達と係わったので、何がおこっても驚かないだろう。
「そうそう、悠斗に入学祝いのプレゼントを用意しているのよ」
 お義母さんはバッグの中から小さな箱を取り出すと、悠斗に手渡した。皮の財布と定期入れのセットだ。引きこもり歴が長いので、今までそんなものは使ったことがない。
「高校生にもなったら何かと必要だと思うから、お小遣いもあげることにしたのよ」
 そう言えばお小遣いももらったことは無いのだが、悠斗は結構な額の貯金を持っていた。自分の頭で稼いだお金だ。くれると言うならもらっておいて、投資してみようかと考えた。京史郎さんや迅さんに教えてもらいながら…
「これは私からだよ」
 頭の中で考えを巡らせていると、巽も小さな箱を取り出した。
「うわ…」
 時計だった。もちろんブレゲではないが、オメガのデ・ビル・パワーリザーブ・コーアクシャル。これもシンプルで美しい。
「長く使える名品だからね…」
「あらあら、悠斗には勿体ないくらい…もう、巽さんったらここまでしていただかなくて良いのに…」
「私も少し行き過ぎかなとは思ったのですが…数少ない男の装飾品ですからね。女性が生涯かける化粧品代に比べたら安い物です。お義母さんの今日の着物もなかなか良い品物とお見受けしますが…」
 

 お義母さんは何かの折りには必ず和服を着ている。普段は洋装なのだが、たまに着る和服の時でも立ち居振る舞いは堂に入ったものだ。
「お母さんの実家は京都の和服屋でしてね…」
 お義父さんは懐かしそうに目を細めて語り始めた。
「女二人姉妹の長女だったので養子を取るはずだったんです。東京の大学のサークルで知り合った私たちはいつの間にかお互いに好きになって付き合うようになったのですが…お母さんの実家では昔から縁のある染め物やの次男坊を婿に迎えたいと思っていたようで…私とのことは認めて貰えませんでした。それで、強行手段に出たんですよ」
 この、どちらかというと大らかなお義父さんにも意外な過去があったのである。巽は興味津々で耳を傾けた。
「私はお母さんより二年先輩でしたから、一足先に社会人になっていました。お母さんが卒業するまで必死で働いてお金を貯めて、卒業式の日に駆け落ちしたんですよ。オーストラリアに」
 

 巽は開いた口が塞がらなかった。この小春日和を実体化したようなご両親に、そんな怒濤の日々があったなんて、人は見かけによらない。
「就労ビザも取っていて、就職先もある程度目星を付けていたんです。それでそんなに苦労はしませんでしたが、やはり日本が恋しかったですね。二年後に長女が産まれたので一応無事だと言うことと、孫の誕生を知らせておこうと思いました。さすがにご両親はすっ飛んできましたね。こってり絞られましたが、不自由な生活では無いことや、子供の将来のためを考えて、と言うことで結婚のお許しを頂いたのです。その後、日本に帰ったご両親から浴衣や着物を送って頂いて、知り合いの土産物屋の店頭に置いたら半日で売れてしまったんです。それで実家に連絡して多めに送ってもらったら…これも飛ぶように売れて…とうとう支店を出すことになったんです。ただ、二番目の悠斗も産まれ、姉も小学校に入学する年になりましたから思い切って日本に帰ったんですよ。私はオーストラリアの会社と細々と取引をしていた今の会社にちゃっかり入れて貰って、今に至るわけです。ですから、悠斗と巽さんの事は、自分の中では葛藤があっても許せないわけが無い。お母さんも同じ意見です。悠斗のことを、どうぞよろしくお願いします」
 

 解禁宣言発令。
 

 巽は話の展開の速さに置いてきぼりを喰らわされ、頭を下げるご両親に向かって暫くの間なんのリアクションも取れずにいた。おなじくびっくり仰天していた悠斗に小突かれ、正気を取り戻した巽は呼吸を整えると静かに深々とした礼を返した。
「ありがとうございます。一生、大切にします」

 

 だからといってなにをするでもなく、その日は立花家の自分の部屋に帰ると緊張の糸がぶつっと切れたのか、風呂に入った悠斗を待つ間に眠りこけてしまったのだった。