かいきんですよ
毎年この桜の咲く時期、花月院関係者はスイスで知り合った人と桜前線を追いかけて日本列島縦断中だ。悠斗は新学期早々休むわけにもいかず、巽と休日が重なったときだけ参加した。少しばかり甘い期待はしていたけれど、なぜか宿泊先は旅館の大部屋で雑魚寝メイン。巽は悠斗を抱き締めて寝ていたはずなのに、朝起きたら反転してボディガードのにばんに抱きついていた。バレンタイン・カオスで持ち上がった『巽、まさかの受け』疑惑の証拠写真を撮られてしまったが、その寝顔の格好良さに惚れ直した悠斗は巽の寝顔の部分だけ切り取って宝物のように大事にしている。誰にも見せず、時々眺めてはため息をつく。自分の寝顔は誰に見られても別に構わないが、巽の寝顔は自分だけのものであってほしい。巽が居てくれたら『みんなと一緒』でも構わないと思っていたのに、最近では二人だけの時間がもっとあればいいのにとも思うようになってきた。
もうすぐゴールデン・ウィークで、巽からは二人で旅行でもしようかと言われていたが、忙しすぎる巽の予定が全く立たない。このところ濃くなってきたスキンシップの事を思い出すとそろそろ巽はやばそうな雰囲気で、だったら別に旅行しなくても巽の家にお泊まりでも良いのに…と他人事のように悠斗は思う。
(でも今からだったら何処も予約でいっぱいだよな…)
「あのさ、相談があるんだけど」
悠斗は花見行脚から帰ってきた秋一を捕まえて、以前から聞きたくても引き延ばしにしていた事を思い切って訊ねようと思っていた。
亮にも聞きたかったが、あいにく亮はスイスで知り合ったフランス人の友人と、自宅には帰らずに旅行先から直接フランスに飛んでいってしまった。
「どうした?」
一大決心をして秋一に会ったものの、いざ本人を目の前にすると言い出せない。それどころかなんだかバカらしくなってくる。なんでもネットで調べれば良いのだけど、調べたんだけど、ネットに書かれていたことを信用して良いのかイマイチ良く分からない。それに、パソコンに向かう時間帯は巽と一緒にいることが多かった。
(ググれよ、とか言われたらどうしよう…)
いやその前に、黙っている時間が長くなればなるほど羞恥心が芽生えてきて、自分の顔が赤くなっていくのが分かる…
「悠斗、マジでどうしたんだよ」
しかも、秋一は真剣になってきている。かる〜く答えて貰った方が良いのに…
「えーっと…あのね…」
「うん?」
秋一はガラにもなく口ごもる悠斗の目をじっと見つめている。
「…あのさ…上手く聞けないんだけど…」
なんだかんだ言って秋一は、いざというときはちゃんと答えてくれるし、あにき分みたいなところもあって信頼できるのだが…
「ゆっくり考えながらでもいいぞ」
いつもと違う雰囲気、しかも赤くなってるし。大体の見当はつくけれど本人の口から言って貰わないことには答えようがない。
「…京史郎さんと…もうそろそろかな…って思うんだけど…」
「うん」
「準備とか…あのー…洗ったりとか?どうすれば良いの?」
来たこの質問。
赤くなりながらも悠斗の目は真剣そのもの。大人の男の恋人がいるにしてはすれていないし、だからといって純情すぎることもない。ひたすら真面目に巽に向かおうとしている態度は好感が持てる。
「おしりの洗い方?」
秋一の場合は赤くなるほど初心ではないので、さらっと言葉が出る。
「う、うん」
実は秋一と亮は、恵まれた環境を利用して?紅宝院お抱え医師、久実先生に腸内洗浄マシンを買って貰ったのだ。月に一度、昼寝がてら診療所を訪れ機械にお任せ。すると普段はわりと簡単に洗えばきれいになる。
「俺も亮も慣れてるからウォシュレットとかシャワーでささっと洗うんだけど…」
こいつにはまだ無理だろうな、と思い、秋一は「おしりの中の洗い方」を懇切丁寧に教えてやった。
「でもな、準備を一緒にやるのも楽しいぞ?」
「え…そ、それはちょっと…恥ずかしすぎ…」
恥ずかしがる姿を見るのがまた楽しいんだけど…そんなこと言ったら、いや、バラしたら巽にどんな仕返しをされるか分からないので止めておく。
「今から久実先生の所行ってみる?最初は週一回一ヶ月くらいやったらお腹もお肌もぴっかぴかになるよ」
巽も男を相手にしたことあるからそこまで気にしないだろうけれど、初めての悠斗がその事で緊張したり行為に没頭できないのは可愛そうだ。
「お肌は良いけどさ…」
「触り心地もだいじー」
悠斗は引きこもりだったため直射日光をほとんど浴びていない。お陰で肌は白くてとても綺麗だ。素っ裸は見たことないけれど、四肢や首筋、顔など女性が見たらうらやむようなキメ細かく張りのある肌をしている。未来永劫巽のためだけに存在するのは惜しい気がするが、独り身の寂しさから男をとっかえひっかえする虚しさを知っている秋一から見れば、はじめから唯一無二の相手と出会えて愛し合える悠斗は羨ましく眩しい。
「よしっ、いつどうなっても良いように、俺様が悠斗をぴかぴかに磨き上げてやろう」
まだ顔を赤くして俯いている悠斗の腕を掴んで、一階下にある診療室へ向かった。
「明日から五日間休む」
悠斗が久実の診療室で寝転がっている頃、巽は社長室の真ん中でそう宣言していた。たまたま来ていた重役数名はちらっと巽を見たが、それ以上の反応は見せない。忙しすぎて真っ昼間から夢でも見ているのかと言わんばかりで、何事もなかったように社長に向き直って話しを続けている。
巽もそう言っただけでその場は大人しくなり、その後もてきぱきと仕事をこなし、本来の終業時間である十八時になると全ての仕事を山崎に押しつけ、迅に向き直った。
「迅、確かお前、伊豆の旅館の特別棟を五年契約で借り切ってるよな?」
社長がデスクワークをしている横でコーヒーを飲みながらソファーに座って長い足を優雅に組めるのは巽さんくらいだよな、と秘書の山崎はファイルの山を片付けながら成り行きを見守っている。
「…ああ。重役クラスとゲストのためにと思って借りてるが…悠斗と行くか?」
山崎の耳がダンボになる。
「ああ」
「伊豆ですかー、良いなぁ」
最近恋人が出来てやたらと艶が増した山崎がうっとりしている。山崎の彼氏とやらを拝んでみたいのだが、昔から山崎はプライベートを隠すのが上手い。いつか根掘り葉掘り聞いてやろうと思っているが…
「山崎さんも恋人と一緒に行きませんか?来週末なら休めるでしょう?」
「伊豆の旅館ならもう行きましたー」
迅と巽が驚いて顔を見合わせる。あの旅館を使うときは迅の許可がいるし、そうなれば誰が何時使っているのかは巽の耳にも入る。
「あ、知り合いが一棟借りているんです。良いところでしたよ〜」
確か一番大きい所を借りようと思ったら、先約があった。そこは…
「広い方の棟か?」
迅が何か気がついたようで当たり障り無く探りを入れる。
「はいっ」
「確か、広い方は…」
「黒瀬組が借りてます。組長の名前が私と同じなんですよ」
「山崎?」
「いえ、ゆきまさ。字が違いますけど」
山崎さんの恋人はヤクザの組長??
さすがに迅も驚いたようで暫く絶句していた。
「プライベートに立ち入る気は無いが…山崎。ヤクザは…大丈夫なのか?」
「え?ヤクザ?ああ、ヤクザでしたね、そう言えば…」
仕事以外ではのんびりしているヤツだが、本当に大丈夫か?
「でも、ヤクザなんだか堅気なんだかもっと悪いのか、よく分からないんですよね…あ、皆さんもお会いしたことあると思いますよ?」
え?
「イアンさんの精鋭で、一昨年の作戦に参加してました。本家つぶしの…傭兵食堂でゆきまさって呼ばれて振り返ったら違うゆきまさで…その時はそれだけだったんですが、半年くらい前にバーで見掛けて…」
確か日本人が数名、傭兵の中にいたが、傭兵宿舎にはいなかったはずである。
「彼ら、3人ですけどね、彼らは本家つぶしの時に2、3日参加して、それ以降は係わっていないはずです。いちばん・にばんの次くらいの精鋭らしいですよ」
イアンが選んだのなら間違いは無いはずだが、それでも一抹の不安は残る。ヤクザと言えば凌ぎ、凌ぎといえば薬に人身に銃に…
「あの…社長や巽さんが心配なのは分かりますが…いずれきちんと紹介します。今あちらも組長のイロの事でごたついていて…」
巽が思わず突っ込む。
「そのイロって山崎さんじゃないんですか?」
「え?いえいえ、違います。私の相手は若頭です」
ナンバー2?これは色々と調べなければ…と頭を悩ませていると、
「後で調査報告書を出しておきますね。組長も関東本部長もなかなかの人物ですよ。いっそのこと堅気になって紅宝に入ってくれれば私も助かるのですが…」
いや、逆に山崎が引き抜かれても困るんだが…
「あ、そうだ、とても上手いマッサージのおばさんがいるんです。足腰立たなくなったらお願いすると良いですよ」
経験済みかよ…おっとりのんびりしているが、やることだけはやっているんだな、と先を越された巽は若干の嫉妬とそれを上回る好奇心で、山崎が運んできた三名のファイルを読みふけった。
「山崎さん、意外と面喰いですね」
ファイルの中身さえ読まなければ、メンズ・モデルのオーディションでもしているような気持ちになる。
「しかも仕事も出来る」
いえいえそれほどでも、と言っている割には腕を組んで仁王立ちして笑っているし。
「やっとお義父さんから解禁宣言が出たんだ。最後に残された私の幸せのために、部下と上司が協力してくれても良いだろう?いい大人が2年間も我慢しながらお前達のために激務をこなしてきた…」
巽の言葉が最後まで終わることはなく、山崎に背中を押されながら巽は社長室から追い出されてしまった。
『悠斗?明日から五日間休みが取れた。伊豆の旅館に行くから今日は早く休め』
社長室を追い出され、そのまま地下の駐車場に向かいながら悠斗に電話をした。
「え!ほんと?大丈夫なの?無理して無い?」
『無理をするのは迅と山崎さんだ』
引き継ぎくらいはしようと思っていたが、追い出されたのでその分の時間も浮いた。早く帰ってお義父さんにも一応お伺いを立てなければ…
『今から帰って、お義父さんには私から報告する』
「あ、俺今紅宝院の秋一さんの部屋にいる」
『分かった。迎えに行くから一緒に帰ろう』
「うん。待ってる」
自宅に戻り必要なものを小さ目の旅行バッグに詰め込んでいると、悠斗がやってきた。勝手知ったるなんとやらでキッチンの冷蔵庫を物色している。
「秋一さん、今から出掛けるんだって」
悠斗専用カルシウム強化牛乳を大きめのグラスに注ぐ。長年引きこもっていて運動不足だったせいか、思ったより身長が伸びないのが悩みの種だ。秋一は178、亮も176はあるのに自分だけ165cmと小さい。せめてあと5cmは欲しい。牛乳とイリコは必需品だ。
「ふん。鬼の居ぬ間になんとやら、か」
苦笑いしながら巽が呟く。秋一は相思相愛のイアンをアラブにほったらかして花見旅行のために日本に帰ってきていた。アラブでは四六時中うんざりするほどイアンと一緒にいるそうでラブラブなのだが、たまに暑苦しいとか言って帰ってくる。うんざりするほど巽と一緒にいたい悠斗には羨ましい話しだった。
「俺も嫌になるくらい京史郎さんと一緒にいたいなー」
何の気も無しに呟いたのだが、巽にとっては睦言に等しく、愛しさがわき上がる。と、同時に遊び心も…
「明日から五日間は嫌と言うほど一緒にいられるぞ」
そう言いながら悠斗の顔を引き寄せ、唇に白く残った牛乳をぺろりと舐め取る。
「な…!」
お休みなさいの挨拶やら別れ際やらに散々キスしてきたが、今のようにいきなり唇に触れると真っ赤になってたじろぐ。その初々しさに明日からの五日間が思い描かれて、巽はこみ上げてくる欲望を必死で抑えつける。情欲などひとかけらも無いふうを装った涼しげな微笑みも今日限り、これが最後だ。
(もう少しだけ、前に進んでおくのも悪くない…)
舌を絡めるキスにも容易く振り解けない抱擁にも、いつも逃げ道は作っておいた。
ゴシゴシと手の甲で口を拭っている悠斗の手首を掴んで抱き寄せ、擦れて赤くなった唇に自分の唇を重ねる。 そっと舌を差し入れ悠斗の舌に優しく絡める。悠斗が安心しきって上半身を巽に預けてくる。
ここまではいつもの通りだった。
暫くすると悠斗の方から唇を離して巽の胸に顔を埋めてくるのだが、悠斗が離れようとした瞬間、巽は悠斗の後頭部をしっかり固定し、細い腰に回していた腕に力を入れて悠斗の逃げ道を塞いでしまった。
突然の出来事に悠斗の身体が強張る。
優しかった舌が貪るように激しく悠斗の口の中で暴れ回り、痺れるほど強く吸い上げる。
「ふ…んんっ…!」
角度を変えながら、より深く淫らに上あごや舌下をまさぐられると、背筋が総毛立ち何も考えられない。身体が振るえ始め立っていられなくなり、ずるずると崩れ落ちる感覚にいつもの小憎らしい余裕は吹き飛んでいた。
全身の力が抜けたところで巽は悠斗を解放した。自力で立っていられないのか、完全に巽に身体を預け、荒い呼吸を繰り返している。
「悠斗…大丈夫か?」
真っ赤に染まった耳元に囁くと、ぶるっと身体を震わせながら両手で巽の上着を握りしめ、こくこくと頷く。
「…うん」
『腰が抜けた恋人をお姫様だっこでベッドへ運ぶ』のは明日のお楽しみに取っておくとして、片腕に悠斗を抱き取ったまま、飲み残した牛乳を流しに捨て軽く洗い流す。
「さて。うちに帰ってお義父さんに話さないとな」
「うっわー…」
悠斗は口に出して驚き、巽は心の中で呟いた。
二人の思いは違っており、悠斗はその旅館のたたずまいに、巽は客の多さと微妙な客層に…全室離れでそれぞれの棟が独立しており、どうやら紅宝専用棟以外は全て満室。しかも…一つの団体が借り切っている様子で、その団体の醸し出す雰囲気は一般客のそれではなかった。黒瀬組。秘書課の山崎さんの恋人が所属する暴力団ご一行様であった。
「悠斗、あまり一人でうろうろするなよ?」
昨夜の艶っぽい雰囲気は既に無かったが、そのぶん普段の子供らしい好奇心がうずうずしているのが分かる。子供相手に絡んでくる事はないであろうが、下っ端とおぼしき組員も多く見受けられるので気をつけなければ…
「なんで?」
「他のお客は全員その筋の人みたいだよ」
「……」
この沈黙が恐怖心から来るものではない事が分かっているだけに、巽の心中は穏やかではなかった。
紅宝が一棟を五年契約で借り切っているとは言え、本来なら黒瀬組だけの貸し切りになっていたはず。何処にどう話しを通したのか、前日急に予約を入れた自分たちがすんなり利用できるのは奇跡的だろう。昨夜会社を追い出された後、黒瀬組の事を聞いてイアンに連絡を取り紅宝も利用できるように組長に打診したか、山崎さんから若頭経由で話しを通したかのどちらかだろう。
山崎さんの恋人をじっくり観察してみたいとは思うが、その前に悠斗、である。
「京史郎さん、大浴場とか喫茶室とかあるって。特製和菓子も売ってるって。行ってきて良い?」
昨夜から、悠斗の雰囲気がどこかしら緊張を帯びている。巽を避ける様子は無いが、視線をすぐに逸らす。
「一緒に行こうか」
腰を抱き寄せる腕は有無を言わさない強さがあり、逃げられずに腰砕けになった昨夜のことが思い出される。
「…うん」
「どうした?」
「京史郎さん、なんかヘンだ」
「そうかもしれないね。やっと今夜、悠斗を抱けるのだから」
「な…っ!なにいってんのっ!」
真っ赤になって離れようとするが、がっしり抱き留めた腕は容易には振り解けない。
「本館に行きたいんだろう?悠斗に徹底的に付き合うぞ?やりたいことがなくなったら、次は私の番だ」
さて、いつまで逃げていられる事やら…
「よ、よしっ。じゃあ、本館を見て回ったらお昼ごはん食べて、大浴場に入って、喫茶店で冷たいもの飲んで、和菓子で3時のおやつ……」
本館までの道のりで、ぶつぶつとタイムスケジュールを組み立てる悠斗であった。
本館にはやはり数名の組員達がたむろしていたが、旅館に到着したばかりの時とは打って変わって、みな巽と悠斗にも軽く会釈をするようになっていた。
高級旅館らしく土産物コーナーなどもなく、和菓子や旅館特製の品物が品の良いショーケースにさりげなく展示してあるだけで、特に人が集まるような場所ではないのだが、行き交う組員達はどうやら仲居の仕事を手伝っているらしい。
フロントで和菓子を注文すると、今から作って後から部屋に届けると言う。悠斗の希望通り、3時頃に部屋に届けて貰うように頼むついでに、大浴場の事も訊ねてみた。入ったら辺り一面刺青の展覧会、という場面には遭遇したくない。
「みなさま各部屋の露天風呂をご利用になるそうです。大浴場をお使いになるのはお一人だけですので、巽様とお連れの方はご自由にお使い下さいとのことです」
その一人と言うのが問題なのだが…恐らく組長だろうが、悠斗の裸を見せるわけにはいかない。利用するときに確認して貰うことにして、取りあえず次の行動に移すことにした。
寿司が食べたいという悠斗のリクエストで向かった寿司屋はネタを並べるケースも見あたらないカウンターだけの小さな店で、悠斗にとっては恐ろしげな店だった。
カウンターには先客がおり、一人は美貌の青年、その連れは昨日ファイルで見た黒瀬組組長、本田雪柾その人だ。ちらと目があった本田の視線が微かに揺れる。恐らく向こうも巽の事を認識したのではないかと思う。連れの青年は美しい顔で不躾なくらい巽と悠斗を眺め倒している。しかし差し出された寿司を大口を開けて放り込む姿は、繊細な美しさから想像できない男っぷりだ。そしてそれに答えるかのような興味を隠さない悠斗の視線。男っぷりでは悠斗も負けていない。カウンターに座るやいなや、
「あの、小皿を一つ貰えますか?」
と妙な注文をだすと、上着のポケットから小さな包みを取り出す。目の前に置かれた小皿に包みから出されたものは…
いりこだった。
全員の視線がそこに集中する。
「だってほら、背を伸ばしたいし…」
美貌の青年がカウンターの隅で軽くむせている。
「そうだったね。まあ、あまり気にするな。高校でまた伸びるよ」
少し長めの髪の毛をくしゃっと撫でると、くすぐったそうに目を細める。その猫のような仕草も、もう仔猫のものではない。アーモンド型の瞳も鋭さを増し、可愛らしい少年から美しい青年に様変わりし始めた。
しかし、差し出される寿司にかぶりつく姿はまだまだ色気とはほど遠く、黙ってさえいれば壮絶なくらいに美しいカウンター端の美貌の青年とどこか共通点がある。
「あ…京史郎さんは、俺の背が高くなっても良いの?」
「どうして?」
「だって…お母さんも言ってただろう、並んだバランスがどうのこうのって」
お義母さんがどういうつもりで言ったのか分からないが、抱き締めたときのサイズとしては今よりもう少し小さかった、幼かった頃の悠斗がちょうど良かったかも知れない。
「もう少し育って腕力もつけないと、私の腕の中から逃げられないぞ」
「またっ!そう言うことをっ!」
適当に誤魔化せばどうという事もない会話で、しらばっくれるのも得意なはずなのに…赤くなって俯けば分かるヤツには分かるだろう。
美貌の青年はにっこり微笑み、本田も口の端を僅かに歪めたようだった。