真っ白に輝くメルセデスが玄関前の車寄せに滑り込み、静かに止まった。待機していた黒服が開けた後部座席から悠々と出てきたのは黒瀬組若頭、沼田和希と組長の本田雪柾だ。本部長の吉野千草も当然一緒だ。玄関先に整列した迎えの者達が一斉に頭を下げ、今日何度目になるのかもう分からない挨拶をした。
「明けましておめでとうございます」
 本田は軽く頷いただけで、ゆっくりとその日本家屋の中へ入っていった。
 誠仁会総本部。
 本田もその幹部に名を連ねる誠仁会の、今日は年始の顔見せだった。
 

 慶弔委員で誠仁会に所属する全ての幹部の顔と名前を完璧に覚えていて、自らも下部組織である組の幹部を務める杉浦稲司(すぎうらとうじ)は本田一行に目を留めた。
 ムダに横に広がった者や寸足らずが多い中、黒瀬組の面々は体格も素晴らしく見た目も良い。まるであの組はヤクザ物のVシネマに出てきそうな主人公クラスの俳優みたいな男ばかりだな、と心の中で呟いた。あれで中身も恐ろしいから甘く見ると泣きを見る。年齢的には自分の方が上だが、組の格は黒瀬組の方が上で、どこからあんな巨額の上納金を稼ぎ出すのか不思議である。武器取引で儲けているとも聞いたが、自分も一枚係わろうとした者は一週間もしないうちにどこぞの外国から逃げ帰ってきた。商品知識を身につけるための指導が厳しく、そのプログラムに合格しない限り取引はしないらしい。知識を身につけた後は実戦が待っている。その全てに合格して帰ってきた本田を見たことがあるが、まるで悪魔のような形相をしており、絶対に本田とは袖を分かちたくないと思う。そうなったときは自分が死ぬときである。
 

 杉浦は気を引き締め、本田に挨拶をした。
「本田組長、沼田幹部、吉野幹部、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」
 本田は足を止め、杉浦を真正面から見据えると、丁寧に返事を返した。
「これは…今津組の杉浦幹部、こちらこそどうぞよろしくお願い致します。新年早々お役目ご苦労様です」
 構成員は少ないが精鋭揃いで上納金の額も郡を抜いているとは言え、本田の方が若い。年功序列を重んじる極道の中では異質の自分たちがつまらない禍に巻き込まれないためには年若い者らしく振る舞った方が得だ。これから暫くは克彦のことでごたつく恐れもあるため、こんな所で敵を作るわけにも行かない。
 この杉浦の属する今津組の組長は、四代目黒瀬組組長(先代)と五分の盃を交わした仲で、それに加えてヤクザのくせに風雅を愛し、文芸界では有名な俳人でもある。ヤクザという異質な集団の中でも異質であれば、堅気と同じような気もするが、『ヤクザより恐い素人』と言う言葉が存在するように、『堅気と交歓できるヤクザ』もやっかいだ。
「さあ、どうぞ奥へ。控えの間にご案内しましょう。園部幹部がお子さんと先に到着して、うちのオヤジが新年早々それはもうはしゃぎ回っていて…」
 三人が顔を見合わせた。寝耳に水とはこの事だ。園部が帰国しているとは聞いていないし、お子さんと、と言う下りにも胸騒ぎがする…
 が、さすがに知らないとは言えず、本田・沼田・吉野の三人は微妙に顔を引きつらせながら控えの間へ進んでいった。


「ハッピー・ニュー・イヤー!」
 と第一声を発したのは今津組長だった。
「…明けましておめでとうございます…」
 今津組長の前には晴れ着を着た沙希と紋付き袴の園部がいた。本田は動揺を隠しながら組長に挨拶をした後、園部を睨みつけた。
「早かったな、園部」
「…はい。昨夜帰国して、今朝一番に」
 足を崩していた沙希はごそごそ正座し直し、三つ指をついてそれは綺麗な挨拶をした。
「明けましておめでとうございます。昨年は本当にお世話になりました。今年もご指導のほど、どうぞよろしくお願い致します」
「ほう…沙希ちゃんはまだ小さいのに本当にお行儀が良い。わしもこんな可愛い孫が早く欲しいのぉ…」
 今津は沙希のつやつやとした黒髪を優しく撫で、目を細めている。
「いつの間に女に子供を産ませたのかと思ったら…沙希ちゃんとは半年前に出会って、今回は養子縁組の手続きのついでに帰国したそうじゃないか。本当にこんなオヤジで良いのか?沙希ちゃん」
 沙希は園部の手をすっと握って、頬をほんのり染めた。
「俺は、はるさんが良いんです。はるさんが大好きなんです」
「だったら園部と縁組みする前にうちの孫になって、うちからお嫁にいかんか?」
「今津のおじいちゃんの気持ちはうれしいけど、やっぱり俺は黒瀬組の園部が良いです。出会えたのも黒瀬組のお陰だから…本田組長も、吉野さんも沼田さんも克彦さんもすごく好き」
 最後に克彦と言ったとき、全員の神経がぴりっと尖ったが、沙希は嬉しくて気がつかない。
「克彦さん?新しい組員か?」
 全員の視線が矢のように突き刺さり、沙希は笑顔を張り付かせたまま動けなくなってしまった。
(内緒っていわれたんだっけ…あははは…)


「今津組長、その事は後ほどの席で…」
 相談があることは初めから打診しておいた。会長への挨拶が済んだ後、そのための席も準備しており、克彦は既にそちらの方へ向かっているはずだ。会長への挨拶は大して時間が掛からないのだが、その後の新年会までは数時間待たされる。その間に近くのホテルの部屋で、克彦のことを紹介する事にしている。
 園部とは何の事前連絡も取っていないが、自分から話すような愚かなことはしないと思っていたが…沙希のような堅気の子供をこの場に連れてくるなど、誰が想像できただろう。しかも、始めてあったばかりの今津にすっかり懐いている。
 本田が少しばかり怒ったような顔で沙希を睨み、その表情は園部が何も考えていない時の顔よりマシなのだが、園部大好きな沙希には本田の方が恐いのか、首をすくめて園部の羽織の袖をぎゅっと握った。
「沙希ちゃん、相変らず元気そうですね。帰る前に一度稽古しましょうね?」
 正月早々子供相手に火花を散らす必要もないだろうと呆れた吉野が、にっこり沙希に微笑んだ。
「はい!」
 吉野と手合わせできるのが嬉しいのか、沙希は途端に元気になって返事をする。
「ほお、沙希ちゃんは何か武道をするのかな?こいつが一緒に稽古したいと言うくらいだから、筋が良いのだろう?」
「えと…俺、合気道と空手やってます。吉野さんみたいに強くなりたいです!」
 今津は驚いたように沙希と吉野を交互に見つめる。
「ほお…吉野は夜叉とか鬼とか呼ばれておるらしいぞ。俺はまだ見たことないが、うちのもんが絶対に近寄りたくないと…」
「吉野さん、めっちゃ強くてもう完璧!動きも綺麗でパワーもあって…俺の理想なんです。俺も早く大きくなりたいなぁ…そしたら猫とかうさぎの着ぐるみ着なくて良くなるのに…」
 幾つもの白々とした空気の矢が園部に放たれる。
「…着ぐるみ…いや、正月早々いい話を聞かせてもらった。本田、お前の相談とやらも楽しみになってきたぞ。最近の黒瀬組は以前にも増して活き活きしているそうだからな」
 

「いってらっしゃいませ」
 綺麗な晴れ着を着た沙希が畳に三つ指をついて、会長挨拶へ向かう者達を送り出そうとしていた。
「うむ。行ってくる」
 答えたのは今津組長。
 本田はちらっと沙希を見て頷き、吉野と沼田もにっこり微笑む。園部は最後尾で、部屋を出るとき、ちらっと自分を見ていた沙希にVサインを送って出て行った。
「…はぁ…つかれちゃった…」
 沙希は正座を崩しながら畳にごろんと横になり、独り言を呟いたつもりだった。が、小さな咳払いが背後から聞こえて大急ぎで座り直し、咳払いの主に振り返ると、ここへ案内してくれた人がまだ控えていたのだった。
 本田を案内してきた杉浦の下のもので、田添(たぞえ)と言う40代になったばかりの者だ。沙希の事をどう扱って良いのか分からない風で、さすがに会長にまで会わせるわけにはいかず居残りをさせられた沙希のお守り役として取り残されたのだった。
「…ごめんなさい」
「…いえ」
 二人ともそのまま正座で見合っていた。沙希は正座に慣れているが、田添はどうも慣れていない風で、しばらくするともじもじし始めた。
「あの…誰も見てないし…楽にしていましょうか?」
 沙希が足を伸ばし、ふくらはぎやら太ももやらを揉んでいると、やがて田添も足を組み替え、どっかりと胡座をかいた。
「やっぱ男は胡座の方が格好いいですよね」
 沙希もどかっと胡座をかいているつもりだが、田添から見ればまるで似合わない。和服の柄など良く知らないが、沙希が来ている蝶やら花吹雪やらが舞っている着物は女性用の柄にしか見えず、それがよく似合っている沙希には胡座より正座でいて欲しいのに…と思う。
「…そうですね」
「俺も、もっと足とか腕とか、ばーんと太くなりたいんだけどな…」
 袴の裾を思いっきり引っ張り上げ、生足をむにっと揉む。白くて滑らかな生足に白足袋という艶っぽい姿を見せられた田添は、『園部の恋人』らしいと言う事実が重なって妙に鼓動が跳ね上がり、視線を宙にさまよわせた。


 挨拶自体は十分も掛からない。が、100名近い傘下の組長達が挨拶に来れば一日仕事になる。
 誠仁会会長・鉄田 幹生(てつた みきお)は60代前半だが黒々と豊かな髪の毛のお陰で10は若く見える。
「おう、今津に黒瀬か。去年は世話になったな。黒瀬組のシマの近くで騒いでおった外国かぶれ共の始末は見事だった。ところで、そいつらの行った先だが、俺にも教えてもらえないのか?」
 何処かの組の馬鹿なちんぴらが密輸した銃で武装した『ギャング』を興し、街の中で暴れた。鉄田組が係わっていた店で働く女が流れ弾で怪我をし、その後始末に黒瀬組の下っ端も手伝わせたのだが、押収した銃を調べると製造番号に独特の改変が見られた。それは本田の師匠であるイアン(中略)グラントから捜索命令が出ているものと一致。ちんぴらを組員と銃ごと中近東まで船便で送付したのだった。
 30丁ものトカレフの代金を一介のちんぴら風情がどうやって支払ったのか謎だが、密輸後の一時的な保管を引き受けていただけかも知れない。暫くは騒ぎそうだったちんぴらが一夜にして街から消え、押収した銃をFBI御用達の銃に変えて鉄田組に納品?した。吉野が取り扱いの説明に行ったが、まともに使える組員がいるかどうかは怪しいところだ。
「…今頃戦場で生きているかどうか…」
 鉄田は目を見開くと、しばし呆然としながら何度か頷いた。
「ああ…お前達が訓練を受けたところだな。あのガキ共には生き抜けまい。役立たずを送っても良いのか?」
「…捨て駒が必要な時もあるので…」
「…そうだな。ところであの銃は、FBI御用達だそうだが園部が手配してくれたのか?」
 金髪にピアスに紋付き袴という悪目立ちする格好の園部を上から下まで珍しそうに眺めながら、鉄田が問いかけた。
「はい。さる筋から」
 武器密輸のルートは幾つか確保してあるが、それは身内といえど口が裂けても言えない。
「必要な物が必要なときに手に入れば、ルートは秘密でも構わん」
「…申し訳ありません。それから…向こうで手に入れた土産を会長に」
 園部が取り出したのは美しい象牙細工の箱。
「ほう…これは?」
「手に入れたのはニューヨークですが…フランスのアンティークだそうです。象牙細工を集めておられると聞きましたので」
 ロココ調の華麗な細工が施されている箱は、どう見てもヤクザな鉄田には似合わない。が、意外にも洋の東西を問わず古い物を集めるのが趣味で、博物館級からがらくたまで、もの凄いとしか言いようがない数のコレクションを持っているのだ。その中のガラクタだけを集めた隠れ家のような喫茶店まで始めたが、建物は何処かから移築した合掌造りの家屋なのだそうだ。
「これはまた…美しい…ああもうっ、正月の行事なんぞほったらかして今日一日眺めていられれば良いものを…お前達も夜の宴会まで好きなように遊んでいけ」
 

 
「克彦さん!!」
「沙希ちゃん!?」
 沙希は克彦を見つけると、だっ、と駆け出し克彦に飛びついた。
「沙希ちゃん!どうしたの!?いつ帰ってきたの!?どうして教えてくれなかったのーっ!?」
 ちょっとだけ重くなった沙希の勢いによろけながら、克彦はぎゅうっと沙希を抱き締めてこれでもかと言うくらい頬ずりした。
「昨日の夜!内緒で帰ってきたの。すっごく会いたかった!お土産いっぱいあるんだ。車に詰め込んでるから後であげるねっ!!」
「ありがとっ!沙希ちゃんよーく顔見せて。あれま、髪の毛ぱっつんで金太郎さんみたいだよ。あ!良いこと考えた。ふふふ。園部さんお帰りなさい。ゆきもお仕事ご苦労様。吉野さんも沼田さんも正月早々男前。えと…?」
 四人の男達の中心には、少し小柄だが品の良さそうな紳士が…克彦の記憶の中には無い男だ。
「克彦、こちらは今津組・今津弓彦組長だ。黒瀬組の先代と五分の盃を交わされた兄弟で、俺の叔父にあたる。今津組長、こっちは水口克彦、俺の終生の伴侶です」
 本田の言葉に、今津と克彦は違う意味で目を見張った。
 今津はもちろん驚き、克彦は嬉しいけれど困った表情だ。
「ほお…男装の麗人…ではなさそうだな…」
「はじめまして、今津組長…」
「おじいちゃん、克彦さんは立派な男だよ…」
 素直すぎる沙希が今津の言葉を訂正したところで、園部に抱きかかえられてしまった。
「沙希、今津のおじいちゃんは克彦さんと男同士の話しがあるんだ。俺たちは別室で食事でもしていよう」
「うん。おじいちゃん、また後でね。克彦さんもね」
 

「沙希ちゃんは素直で可愛いじゃないか。園部の乱行も止まったようだし…相談というのは克彦君の事か?まあ大体分かるがな。うちにも時々仲を取り持ってくれと言ってくる連中がいるからな…娘は堅気に嫁がせると言うくせに、お前だったらぜひにとも言う。黒瀬のおこぼれにでも与りたいんだろうな。お前はそんなに甘い人間じゃないと分かっていないのか…」
 黒瀬の先代は誠仁会会長と杯を交わした舎弟で、黒瀬組の組長でもあり誠仁会の顧問でもあった。誠仁会の最高幹部に名を連ねていた先代からすれば、誠仁会の単なる幹部くらいでしかない本田はひよっこ同然。ただし役職の上に胡座をかいている連中に比べれば実力と貢献度は本田の方が上で、何時最高幹部の座に就いても構わないのだが…30になったばかり、と言う年齢が邪魔をしていた。しかしそれも時間の問題で、組織の若返りが囁かれはじめた昨今では、本田の最高幹部入りが噂の的になっていた。
 そして、独身。正妻に越したことはないが愛人でも良い、本田の身内になるために小学生の娘から妻まで、子が宿せる女なら誰でも良いとばかりに見合いを持ちかけられていた。
 克彦に会う前は適当に受けていたが、この一年はもちろん誰とも会っていない。その事がまた噂を呼び、本田のあずかり知らぬ所で女達や組同士の小競り合いの原因にもなっているらしい。
「俺もとうとうお前に本命ができたのかと思っていたが…こうなるとは想像できなかったな…」
 目の前の青年はけばけばしい女達より遙かに美しく、けれども一本筋が入ったきりりとした男らしさも感じられる。
「俺の耳に一言も入ってこなかったことを考えると、黒瀬組の連中も相当大事にしているようだな。沙希ちゃんは一目置かれているようだし…克彦君はどんな子なのか、知り合うのが楽しみだ」
 
「俺は…雪柾が好きです。ありのままの俺を全て受け止めてくれた、初めての人なんです。語学も武道も株取引の知識も何にもないから黒瀬組には入れてもらえないけど、組員みんな、本当の家族と同じくらい大切な存在です。みんなが雪柾の血を引いた跡継ぎが見たいと思ってるのに、それもかなえてあげられないし、本当に俺、雪柾の利益になるようなこと何一つできなくて、取り柄なんて綺麗な顔と傲慢で我が儘な女王様の性格くらいしかないけど…あと、家具も作れるけど…でも、雪柾がいなかったら生きていけないくらい好き。その気持ちしかない。雪柾が俺に飽きて捨てられるかも知れない…そうなったら…やっぱり死んじゃう…生きるも死ぬも、俺の人生全て雪柾のものです」
 最後の一言は見得でもきりそうなくらいきっぱりと、言い切った。
「克彦君も、なかなか素直でよろしい。好きと言う気持ち以外無い…か…俺も一度で良いからそんなことを言われてみたかったな…」
 今津はふっと顔を綻ばせ、克彦の横顔をじっと見ていた本田に視線を移した。
「で、何か困ったことでもあるのか、本田」
「誠仁会若頭、道元幹部の三女、竜姫(たつき)さんの事で…」


 

 道元若頭には三男三女の子供がいて、その母親は三人。次男の沙次郎と三女の竜姫は同じ母親から生まれた兄妹で道元家の中では非常に微妙な位置にいた。自分の将来のためにも実力のある男と結婚したいと思っていたのだろう、本田に近寄ろうとして障害物に気がついた。
「噂を立てられるくらいなら構いませんが…克彦に迷惑をかけられては…それ相応の事を…」
「何をされたんだ?」
「ゆき、俺もう気にしてないから…」
 気にしてないと言いつつ、いつも真正面を見つめている顔がうつむき加減になり、語尾も小さくなる。
「ゆきの事が好きだったんだよね、きっと…」
 克彦以外の男達は鼻白んだ。
「俺はそんなこと一言も言われてないぞ」
 何度か会ったことはある。が、それはたまたま道元の家族が集まったところに出くわしたり、家に行ったら居た、くらいの話しだ。娘たちとは挨拶程度しかしたことがない。三女の竜姫は美人だが気位が高く、姉妹の中では色々と悪い噂もある。
「俺の勤めているデザイン事務所に個人の注文にしては大きな仕事が入って…新しいマンションのインテリアコーディネート一式。俺がデザインしたソファーを気に入ってくれて、それをメインにしてくれたのは嬉しかったけど…同じシリーズで二人がけ、一人がけ、色違い、ソファーだけでも12点。総額で一千万…もちろん、全てをセッティングして気に入らない物は交換したり、お客様が納得いくまでやって…OKもらっていざ納品したら…気に入らないとか言い出して…それでも我慢してやりなおしたらまた最後の段階でNG。泣く泣く商品を引き上げようとしたら、運送業者が来るほんの1,2時間の間に煙草の焦げ跡とか傷入れられて…全部ですよ?うちの手持ちは何とかなっても、借りた分なんかは買い取らなくてはいけなくて…もう最悪。クリスマスは新しい部屋で祝いたい、って言うから他の仕事は一切断ってたのに、売り上げ0どころかマイナス一千万…お金も払ってない商品を傷物にされたんだし、少しは客にも払わせようとしたんだけど…逆にこっちが訴えられそうになって…俺、仕事のことはあんまりゆきには話さないようにしてたんです。俺よりずっと忙しくて疲れてるのに我が儘は何でも聞いてくれて、だから愚痴なんかきかせられないでしょ?でも、さすがにクリスマス前のゴタゴタは顔に出ちゃったみたいで…ゆきが俺に付けてくれている都筑がゆきにばらしちゃって…で、相手の事が分かるなりゆきがうちの会社に乗り込んできてくれた」
 道元竜姫は偽名で仕事を依頼していた。克彦の会社でも、金額が大きかったのでそれなりの調査も行い、女の肩書きにあった『北海運輸』は確かに存在する優良企業だったので喜び勇んで引き受けたのだ。
「…ああ、マグロ漁船か…」
 今津が分かったように頷いた。冷凍魚の輸送が主な業務だが、中でも大きいのがマグロ漁船だ。ヤクザには付きものかもしれないが、最終処理が必要な場合に極希に利用するくらいで、今時は大した利用価値がない。道元から譲ってもらった会社だろうが、経費がかかる割に儲けが少ないので道元も放り出したというところか…
「その…うちでは桜田さんと名乗ってて、桜田さんの件は黒瀬が預かるって、うちの社長にも話してくれたんです。会社に大損させるところだったのにゆきが助けてくれて…」
 まだ金銭的な部分がどうなるか分からないので冬のボーナスは無し、と社長に言われたお陰でクリスマスプレゼントすら買えなくなり、それで貧乏慣れしている沙希ちゃんに相談したのだ。プレゼントに関しては結果オーライだが、それ以上の迷惑を、またかけてしまった。クリスマスはとても楽しかったし年末もずっとゆきと一緒で、今までの人生で最高のカウントダウンをした。
 でも、ずっと気が晴れない。
「もう…迷惑掛け通しで…どうしよう…」


「金のことより、克彦をこの一ヶ月苦しめたことに腹がたつ。その代償はきっちり払ってもらうつもりですが、仮にも誠仁会の若頭の娘。最悪の場合は道元組から狙われることにもなると思います」
「ふむ…その話しぶりだと、俺に仲を取り持てと言うことではなさそうだな」
 どうしましょう、ではない。どうするか具体的にはこれから考えるが、本田が最も気になるのは、自分が動き出せば必ずついてくる組員達の今後の事だ。
「私以外に処罰が下らないよう、できるだけのお言葉を。対価は黒瀬組の所有する企業の上位三社。今のところこの三社は黒瀬組の資金源の40%を占めています」
「…いやそれは…もらってもうちでは倒産させるのがオチだな…まあいい。お前がその気だと言うことは分かった。見返りは事が収まってからでも遅くないだろう。しかし…俺は事後に口を出すだけで良いと言うことか?」
 もう一つあったが、克彦のいる前でそれを言うのは憚られた。タダでさえ落ち込んでいるというのに、これ以上余計な心配は増やしたくない。暫くの間ゴタゴタしそうだと理解してもらって、いつもより少しだけ気をつけて行動するように、できればある程度収まるまで自分と一緒に暮らしても良いと思わせたいがために、敢えて克彦をこの席に連れ出したのだ。
 
 自分にもしもの事があれば…

 克彦が克彦らしく天寿を全うできるように、この柔と剛を併せ持つ人と吉野・沼田・園部には頼んでおきたいことが幾つかあった。それは本人には絶対に知らせてはいけないことで、今回に限らずいつでもその状況になればそうして欲しいと伝えるつもりだ。


「道元もあの娘の事はそこまで気に入っていないと思うがなぁ。竜姫はそれを分かっているからこんな綺麗な堅気に手を出したんだろう。竜姫は組の名を語った。組のことは組に任せるのが一番だ、な?克彦君」
「俺は…堅気なのかな?ずっと堅気でいて良いのかな?」
 竜姫にちょっかいを出されてから、少しだけその事を考えるようになった。
「でもさ、ヤクザになったらやっぱり会社のみんなに迷惑掛けることもあるだろうから会社辞めなきゃいけなくなるじゃん?で、黒瀬組の系列企業に再就職とかしても、俺インテリア以外できること無いし…となると独立開業しないと凌ぎ上がらないよ…ねえゆき、新入りって幾らくらい払えばいいの?出来高制でいいのかな?でもさ、ゆきに捨てられたらやっぱヤクザも辞めなきゃいけないよね?また今の会社に雇ってもらえるようにしとかなくちゃ…あ、指つめとかしなくちゃいけないの…?」
 恐る恐る本田を見つめると、真剣な話しをしているのに笑っていた。
「なんでそこで笑うかな!?俺真剣に将来のこと考えてるのに!!」
「お前は何もしなくていい。そのままで良いんだ、克彦」
 男達の笑い声の中、克彦のぴーぴー怒る声がどんどん大きくなっていった。

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