水曜日ならさぼれると言ったが、克彦は月曜日もさぼっていた。
 ついでがあって親友の義童を訪ねたのだ。もちろん、これから建てる家の事を尋ねるためである。
「あ、けいちゃん」
 五年も東京の水にさらされたのにちっとも染まっていない素朴な景也も、この事務所に入って一年が経とうとしていた。
「克彦さん、義童さんはもう少し送れるからお茶でものんでてって」
 景也が淹れてくれたお茶とクッキーで朝からまったりする。
 自宅の設計は、実は去年から克彦に内緒で義童に頼んでいたので、吉野も頻繁にこの事務所を訪れていた。スタッフとはすっかり顔なじみだが、景也とだけはあまりうち解けていない。景也にとって吉野は憧れすぎて近寄れない上に、吉野が自分を見る目もなんとなく恐い。入社して間もないぺーぺーなので役に立たないと思われても仕方ない、と景也自身が思っているのでますます距離が開いてしまった。
 吉野も表だって警戒する気は無いが、景也を見る視線が少し鋭くなってしまう。この子ウサギのような青年が実は肉食系の自分を恐れて近寄らなくても、それは致し方ない。
「吉野さん、これけいちゃんが焼いたクッキーだって。聞いてる?」
「…はい。私は何度か頂きましたから」
「あ、吉野さんのお口には合わなかった…のかも…」
「おいしいよ、これ。吉野さん食べないなら俺もらっちゃう」
 二人の雰囲気にただならぬ物を感じた克彦は、この場は見過ごした振りをして後から本田に相談しようと、数時間だけ記憶の底に封印することにした。
(けいちゃんと吉野さんだったら…やっぱり吉野さんがタチ?…でも吉野さんウケみたいだし…リバ?けいちゃんがタチってあり得ないもん!)
 と、全く関係ないことで面白がっていたのだが…
「美味しかったですよ。ただ、今はおなかも空いていないので…克彦さんに合わせていたら太ってしまいそうですね」
 う…とクッキーを喉につまらせた克彦に、景也はくすくすと可愛らしい笑顔を見せた。


 何考えてんだ、とファイルで頭をパコンと殴ったのは義童。いつもより薄いファイルで、それはとてもいい音がした。
「いてっ!!」
「下らないことばかり考えてるから間抜けな音がしたな」
「下らないことは楽しいもん」
「下らないことしにきたんなら帰れ」
「ひっどーい…すごく良い案があったから伝えに来たのに…」
「髪型変えたんだな。よく似合ってる」
「今更ご機嫌とっても遅いの」
 義童にも、誰にも、ナイフで斬りつけられたことは話していない。最初の襲撃は本田と間違われたことになっているので、克彦が襲われた理由を勘ぐられるとやっかいなことになる。その事で克彦が仕事でもプライベートでも敬遠されるようになり、克彦第一の黒瀬組の士気がさがってしまうのは困る。
「でさ、家の間取りのことなんだけど…」
 克彦のことを優先して離れまで作ってくれる…それを素直に喜べる克彦ではない。
「嬉しいけど、今の距離がちょっと短くなるだけでしょ?それじゃ一緒に住む意味ないもん…」
 克彦の希望は『凄く良い案』とまではいかなかったが、あくまでも自分のペースを崩さず好きなように暮らしてきた克彦にしてみれば、ずいぶん譲歩している。なぜそうしたか、克彦の気持ちを聞けば譲歩という言葉も傲慢かもしれない。
「分かったよ。それでやり直してみよう。本田さんには俺から伝えるの?」
 やっと大人になったか、と言いたい気持ちを抑えて義童が尋ねた。
「うーん…俺から言う。吉野さんもけいちゃんも、いっちゃだめだよ?まだ誰にも内緒!」
 

 水曜の陽気な午後、小学校の運動場かと思えるくらい広い野原が克彦の目の前に広がっていた。そこが小学校ではないことは、どういうわけかただ一つ残された門柱と表札が物語っている。
「ここに前住んでいた人、どうなったんだろうって考えちゃうよね…」
 膝下の辺りまで伸びた雑草で覆われた土地は、少なくとも二年ほど放置されているように思われる。
「気になるか?心配するな、汚れた土地じゃあない。表札の名前は削られているが、知り合いが先祖代々住んでいた土地だ。当主が嫁に行くので売って持参金にするらしい」
「そっか…お嫁に行ったんだ。幸せになったんだよね?」
「ああ。まるで産まれる前から愛し合っていたみたいだ」
「いいなぁ…ゆき、運命の糸ってやっぱりあるのかな?」
「俺たちも繋がってるだろ?」
「うん」
 本田がそっと腰を引き寄せる。住宅街の中だがどの家も門から建物まで距離があり、プライバシーが守られているのでとなりの門前で誰が何をしているか見えるはずもなかった。だから身体を寄せて歩いているわけではないが…いま住んでいるマンション近辺はそれなりに人通りもあり、建物の窓はすべて道路に面している。いつ見られるか分からない場所でも本田が気にすることはないし、歩いて5分も掛からないお互いのマンション間を二人で仲むつまじく歩いている姿はとっくの昔に近所中の評判になっていて、どうみても恋人同士で、しかも美しいカップルの姿を見ることができたら何はなくても一日中幸せな気分になれる、と噂になっているのだった。
「少し歩いてみるか?」
 車をどこかへ向かわせ、本田と克彦は吉野の示す方向へ向かって歩き始めた。
「歩いて10分程の所に、克彦さんのお好きそうなショップやカフェが集まった一角があります」
 吉野のことだ、下調べ済みなのだろう。確実な足取りで克彦と本田を案内している。
「すごい…邸宅ばっかりだ…住んでるのはどんな人達なんだろう」
「半径1km以内の事は全て分かってるぞ。後で確かめるか?」
「…知り合う楽しみが無くなるから辞めておくよ。やばい人とかいないの?」
「うちと同業か?1km以内には居ないが、もう少し離れたところに。家族で暮らす本宅だ、気にする必要はない」
「家族か…」
 家族と疎遠にした期間は長くても反目しあっていたわけではなく、自分の性癖や性格で迷惑を掛けなければ共に暮らしていたはずである。両親と兄と、こぢんまりした温かな家庭で、自分が持つとしたら実家はそのまま理想の家庭だ。
 両親には永遠に叶わないけれど…
 血より縁をよりどころとする黒瀬組は、克彦にとって得難い安住の地となった。
「俺には黒瀬のみんながいるもんね!もういっそのこと本田克彦じゃなくて黒瀬克彦に変えちゃおうかな…」
「やめとけ。役所で書き間違えても本田なら修正が簡単だ。黒瀬だと紙が一枚無駄になることがあるだろ」
「なにそれ?」
「お前の水口に棒を三本足せば本田になるだろ」
「あ…ほんとだ!3は縁起も良いしね!すっごーい、ゆきの名前には俺の名前が最初っから隠れてたんだね!これって運命だね、赤い糸は最初っから絡まってたんだ…俺は雪に含まれる、うん、数学の定義みたいだね」
 下らないことにあまり興味を示さない吉野も、二人の他愛のない遣り取りに笑みを零す。
 昼からは他の候補の土地も見て回ったが、最初に見た門柱だけ残る野原の印象に勝る土地はなく、早々に決定しそうである。
「義童が設計図仕上げたら着工だね…」
 恐らく年内には完成し、共に住み始めるだろう。
「待ちきれねぇ…」
 エサに食らいつきたくて仕方がない獣のようなオーラを発しながらそんな台詞を言われると勘違いしそうだ。
「ゆき、二人とも今から仕事…」
 克彦はともかく、本田は克彦に会わせてかなり無理をしたのではないか。暇と言えばヒマな克彦も昼間からいちゃつくことにやぶさかではないが。
「ゆきの部屋で帰りを待ってるから…」
 阻止しなければ身体が幾つあっても足りない。沙希のようにここは一つしっかり躾けようと、克彦はジタバタ足掻きながら吉野に目配せた。
「組長…お名残惜しいでしょうが昼間さぼった分は取り返して頂かないと今夜はおろか明日も明後日も残業して頂くことに」
 いつものことだろうがと吐き捨てたが、しぶしぶ克彦から身体を離して本田はゆらりと立ち上がった。
「吉野、克彦を家まで送ってやれ。俺は先に予定の場所へ向かっておく」
「分かりました」
 吉野が携帯で車を呼ぶと直ぐに二台のメルセデスが近づいてきた。さっきまでは一台の車で行動していたのに、用意周到である。
 やや小振りのメルセデスに克彦を乗せ見送った後、本田は沼田を呼び出し土地の入手を勧めるように手短に伝えた。


 沼田の恋人である山崎の仲介で土地の取引をすることになったその日、克彦は嫁に行って幸せ満喫中の売り主に会えると言うので半分ピクニック気分になっていて、予定時間より二時間も前に黒瀬組事務所に到着。手みやげ用のおやつを吟味していた。
「どんな女性かな?名家のお嬢様でしょ?俺そんな人と会ったこと無いけど、やっぱお菓子は高級品とか珍しいものとか、そんなのじゃないとダメかな?俺やっぱりいしだ洋菓子店のパイが好きなんだ。あれも珍しいよね?食べにくいからケーキが良いかな?スペシャルチョコレートケーキとかゴールドケーキ?山崎さんは彼女の好きなお菓子とか知ってるかな?仲良くなって意気投合したら値段まけてくれるかも…で、年はいくつなの、そのお嬢さん」
 何から先に答えて良いものやら…
 本田が呆れて笑っていると、仕事ができる吉野が順番に答えてくれた。
「とてもお美しく、心が純粋な方です。ご趣味はお菓子作り…料理全般ですね。コーヒーより紅茶がお好きだそうですよ。人見知りをされない、誰とでも仲良くなれる方ですから克彦さんともすぐうち解けてくれるでしょうが…値引きしてくれるかどうかは…既に破格の値段ですから。お年は確か二十一歳だったと思います。とてもお若い方ですよ」
「えええ…若い…それで相思相愛なんて羨ましすぎる…旦那はおやじ、とか言わないでね…そっか、お菓子作りが趣味か…もっと早く聞いてれば俺も作ってきたのに!」
「ご主人は…30才くらいですね?私たちよりお若くて素敵な方ですよ」
「吉野さんがそう言うなら期待できるね」
「何を期待するんだ?」
 二人の話しを聞いているうちに機嫌が急降下した本田が唸る。
「…値引き?」
 何を怒っているのか自覚があった克彦はおちゃらけてみせたが。
「大丈夫。俺はゆきが一番だから」
「二番三番もいるのか?」
「二番は昨日のゆき、三番は一昨日のゆき、四番は以下つづく、に決まってるでしょ?」
 

 職業柄それなりの邸宅に招かれたこともある。本田のマンションも邸宅と言っていいクラスだ。克彦が現在破格の家賃で借りている黒瀬組のマンションも洗練された上級の部屋。しかしここはスケールが違う。
 二人で住む家だからといって克彦まで出てくる必要は無く、新婚デレデレの売り主に会えるからついてくるかと言われ、うん、と返事をしてしまったので来ただけだったが、普段見られないものを見ることができてラッキーだった。
 最上階かと思ったら途中の14階でエレベーターを降ろされ、少しがっかりしていると降りた目の前には高級マンションには不似合いな、まるで刑務所の入り口かと思われるような監視室。本田と沼田と吉野の3人は顔パスだったが、克彦は名前を言わされIDカードと薔薇の花とどっちが良いかと聞かれ、薔薇の花と答えると胸元に白薔薇を挿してくれた。
「なんで薔薇?」
 小声で本田に聞くと、お前だけ特別待遇だ、と。
「あ…吉野さんのお気に入り…」
 監視室の先にあったエレベーターの扉の前には、見知った顔が居た。
 吉野の、表向きは訓練仲間、実はセックスの相手だとは吉野自身も気が付いていない。
 軽く挨拶を交わしながらエレベーターに乗り、着いた先は25階、やはり最上階なんだ…と扉が開いて一歩踏み出したら思った通り大きなホールに観音開きのドアが一つだけあった。
 沼田がインターホンを押すと出てきたのは…
「あ!いりこの彼氏!」
 巽だった。
「いらっしゃい、その節はどうも…」
 知り合いばかりで気が大きくなった克彦は、次に誰が現れるのか期待しつつ、巽の後ろを元気よく付いていく。
「いりこ、元気ですか?」
「ええ、元気です。克彦さんもお元気そうですね。髪型を変えましたか?」
「えへへ。さすが秘書」
「お似合いですよ…っと、これ以上口を聞かない方が良いようですね…」
 優しげないい男には取りあえず懐いてしまう克彦の背後には恐ろしいほどの冷気が漂っていた。
「ゆき…寒いよ。いりこの彼氏なんだから心配ないってば…」
「さあどうぞ」
 通された居間は思ったよりこぢんまりしておりとても爽やかな雰囲気で、そこかしこに飾られた薔薇の花の香りだろうか、うっすらと清々しい柔らかな香りも漂っている。
「亮、いらっしゃったよ」
 巽が呼びかけると、金髪に青い目の青年が奥の部屋から出てきた。
 とても綺麗なのだがそれだけではなく、滲み出るような優しさと慈愛に満ちた微笑みがこの世の者とは思えない。
「ごきげんよう。紅宝院亮です。今日はよろしくお願いします」
 

 一生のうちあと何度この挨拶をするんだろうか、もしかしたら最初で最後かも…と本場の『ごきげんよう』にごきげんようと返し、克彦は誘われるまま椅子に腰掛けた。
「あの…迅さんが少し遅くなるようなので、先にお茶にしましょうね。巽さん、お手伝いしていただけますか?」
 そう言うと亮は巽を伴ってキッチンらしき方面へ消えてしまった。
 妙に緊張してしまった克彦は隣に座る本田を見上げ、疑問符だらけの視線を送る。
「ああ、紅宝の社長とはちょっとした知り合いで、今の彼が社長の恋人であの土地の所有者だ」
「…!!お嬢さんで結婚するって…」
「お嬢さんとは言わなかったがな。結婚はした。養子縁組とも言うが…」
「…そっか。で、あの子外人だよね、名前は日本人だけど…ハーフっぽくないね」
「花月院、以前の名前だが、花月院はヨーロッパ大陸から渡ってきたそうだ。たまにあの子のように先祖返りするらしい」
「ふーん…なんかおとぎ話みたいだけど…すっごく綺麗。それに、優しそう」
 

 悠斗のことをいりこと呼ぶようになったいきさつや持参したお菓子のこと(結局いしだ洋菓子店のケーキにした)料理のことを話すうちに克彦はうち解けていった。時々、すっとぼけた答えが返ってくるのも天然か外に出たことが無いからだろう、克彦のツボにはまった亮からデートの約束まで取り付けごきげんだった。もちろん本田は面白く無さそうだったが、克彦にとって可愛らしい少年、綺麗な少年、は生きたおもちゃのようであることが何となく分かってきた。紅宝院側の大人が付いてこないのであれば許可してやっても良い。
「巽さん、迅さんが帰ってきたみたい…」
 話の腰を折ってぽつ…と呟いて直ぐ、主の車が駐車場に到着したことが告げられた。途端に、亮の艶が増す。
「今日この話があって良かった…イギリス出張で10日も会ってなかったんです。そのあと直ぐ台湾へ回る予定だったのだけど、皆さんが来るから今日だけお休みにして一時帰国してくれたの」
 心ここにあらず…そんな表現がぴったりなほどそわそわして、部屋のドアを見つめている。ドアが開く前に主人の足音を聞きつけてドアの前で足踏みしながらしっぽを振るわんちゃんのようだ。
「ただいま、亮」
「おかえりなさい」
 開いた途端に飛び付くのかと思ったら、躾が良いのかわんこはしっぽを千切れんばかりに振りながら主人を見上げている。
 二人の周りだけキラキラと星やらハートやらが飛びまくっているかのようで…克彦はガラにもなく恥ずかしくなって目を伏せてしまった。
「なんか、俺倒れそうなくらい恥ずかしいんだけど」
「取引が終わったら存分に倒れろ。介抱してやる」
 本田が耳元に小声で囁いた。


「あの場所での記憶はほとんど無いんです…お母様には思い出深い場所なのですが、僕の好きにして良いと言われていて…僕はここで迅さんと一緒に暮らすのでもう必要ないし…土地って使わなくてもお金がかかるのですって。僕はお金持ってないから迅さんが色々払ってくれてるのが申し訳なくて…」
 恐らくこの中で最も大金持ちの亮だが毎月のお小遣いは悠斗に言われて3万円なのだそうだ。土地を売れば税金で少し少なくなるけれど、自分の一生分のお小遣いくらいもらえる。それで売ることにしたのだそうだ…
 笑いたいのを克彦はぐっと堪えた。この子には世の中の仕組みなど教えたくないのか、周囲の大人達は温かい笑顔で亮の話しに聞き入っているから。
「そか…俺はばんばん稼いでるから、デートするときは奢ってあげるね」
 と一番金欠の克彦が最も態度が大きいではないか。
「そうなんですか、すごいなぁ…うれしいなぁ…悠斗も秋一さんも、みんな割り勘なんですよ。やっぱり土地を買える人ってすごいなぁ」
「買うのはこっちのゆきだし」
「え?でも名義は克彦さん…」
「はい?俺?」


「ゆき、俺聞いてない!なんで名義が俺なの?俺、超貧乏!税金とか払えないよ…」
「慌てるな、名義はお前で俺がお前の土地を借りて家を建てる。お前は借地料で土地代と税金を払ったことにして、全てチャラだ。悪くないだろ?」
 本田は全額自分で払っても良いが、自立心だけは強い克彦の首を縦に振らせるにはそれなりの建前が必要だ。
 自分にもしもの事があった場合を考え、克彦が一生泣いていても暮らせるくらいの物は残しておきたい。泣いて、飲んだくれて、病気で寝たきりになっても大丈夫なように。
「…俺、数学は得意だけど経理はだめなんだ…契約も面倒だし。端数とかあると何回電卓で計算しても違う答えが出てくるし…」
「僕も算数苦手なんですよ」
 喧嘩しているように見える本田と克彦の間に、見事なくらい空気を読まない亮が突っ込んできた。
(((さんすう…)))))
 ここが黒瀬組事務所だったら克彦と亮は会議室へでも閉じこめるのだがそう言うわけにも行かない。
「では、細かい計算は私と巽さんで片付けるとして、克彦さんと亮さんには書類へサインして頂きましょうか」
 あしらいの上手い吉野が準備した書類の束を半分ずつ克彦と亮の前に置くと、亮には巽が付き添って、吉野は克彦を言いくるめながら手際よく事を進めていった。
 本田と紅宝院迅はその間、お互いを牽制するように見合っていた。
 本田から見れば元雇い主で、師匠のイアンより上の地位にいる紅宝院。恐らく自分が従うべき唯一の人物だということは面白くないが、使える駒と考えれば多少溜飲は下がる。それにこの金髪碧眼の美しい青年は、こちら側にいる限り克彦に良い影響を与えてくれそうだった。
 本田がふと目を逸らし克彦を見つめると、サインに飽きたのか水口に三本棒を足せば本田になると実演付きで亮に説明していた。勿論その書類は書き損じたことになるので自分で手間を増やしているだけなのだが、面白がって自分の名前を弄り始めた亮といっしょに、書き損じの書類の裏に落書きを始めてしまった。
「克彦さん、書類は何部でも用意していますから、
存分に遊んでください」
 存分に、の所を強めに言った吉野の顔をちらりと見るとにっこりと微笑んでいる。能面のように張り付いた笑顔で、克彦の悪戯も一瞬で収まるほど不気味だった。
「う…吉野さんが怒ってる…ゆきはいつもこんな感じで仕事をさせられてるんだね…」
「さあ、克彦さん。あと二枚ですからがんばりましょうね?三本線を足しても良いのですよ?その時は養子縁組の書類が増えますが…」
 黒瀬組の悪戯小僧はまだそこまで考えたくなかったのか、素直に自分の仕事に意識を戻し、社会人らしくてきぱきと印鑑を押していったのだった。


「ゆき、あのさ…」
「どうした?」
 夕食後のコーヒーを飲みながら、克彦は義童から受け取った設計図最新版を本田の目の前に広げようか迷っている。
「できたのか?」
「ううん、まだ途中。ゆきの意見も聞きたいと思って」
「お前達の方がプロだからな、好きにして良いぞ。赤とか緑とか奇抜な外観にする以外はな」
「あ、そう言う手もあった…」
「以外だ、以外」
 もちろんそんなことをする気はない。
「じゃなくて、これ」
 真面目に見ると、外観が最初の物とは違っており、と言うことは間取りも変わっているはず。
「かなり変わったな」
「うん。義童には申し訳なかったけど、離れを無くしてもらったんだ。母屋だけにして、広くして…」
 本田は克彦を軽く抱き寄せながら、克彦が話し始めるのを待った。
「あのさ、小さなキッチンとか仮眠室とか付いた離れだと今の状況とあんまり変わらないでしょ?いっしょに居たいから、いっしょに暮らすのに…でさ、離れは無くしてもらったの。俺の部屋はちゃんともらうけど仕事ができるスペースがあればいい。寝室はゆきと一緒。ね?」
「それでいいのか?」
 どこにいようが自分のことだけを考えていてくれれば良いと思う。もちろん、家に帰れば常に視界の中に克彦が居る生活ができるに越したことはないが。
「うん。いつもゆきを見ていたい。やっぱりこうして側にいるときが一番安心するんだ。俺の人生、ゆきに預ける」
 まっすぐに本田を見つめて言い切った克彦の表情は真摯で尊く、見目だけでは無い、滲み出るような美しさに輝いていた。
「預かった」
 本田の、短く明快な言葉が克彦の魂に突き刺さり、甘美な痺れが全身を覆う。
「ゆき…」
 抱き寄せる腕に身を任せ、全身をふるわせる痺れが、とろけるような快感に変わるまで、そう時間はかかるまい。

END

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とこしえに統べる者、完結です。時々へこたれましたが(笑)それもこれも応援してくださった皆さんのおかげです。あの人やらこの人やら出てきましたが、たぶん彼らは次のお話しで…もう少し簡潔な萌え文が書きたいよ…がんばります、次回も応援よろしくお願いします!

黒瀬組シリーズ

とこしえに統べる者

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