巽さんシリーズ

ゆびわですよ

 巽は書斎の引き出しにしまっておいた小さなプレゼントを持って、宝石店を訪れていた。

「この指輪に鎖を通してネックレスにしたいんだが…」
 バレンタインデーに渡せなかった悠斗へのプレゼントだ。二人で過ごす時間が欲しいと言う悠斗が可愛くて、高価な物を贈るのはまだ早いかと躊躇してしまった。しかも、悠斗にとって二人で過ごす時間とは、お互いを独占する時間ではなくて、本当にただ目の前にいてくれるだけで良かったのだ。沢山の友達に囲まれていたい。その中に巽がいてくれれば十分幸せだったのだ。その幼さがまたどうしようもなく可愛くて、一度仕舞ったプレゼントを贈ろうと思ったら…【巽、まさかのウケ】発言をされてしまい、再びプレゼントを引っ込めてしまわざるを得なかった。
 

 悠斗から、本命の巽へのプレゼントはプラチナの指輪だった。
 悠斗はこのプレゼントのために自分で作ったオンラインゲームのサイトを立ち上げ、ある程度人気が出たところで売り飛ばし、適当に儲けたのだ。それは、巽のような大人の男に安物の指輪など身につけさせてはいけない、という悠斗なりの考えがあったから。
「素材はどういったものがよろしいですか?」
「指輪と同じ物で」
 自分が選んだ物もプラチナで良かったと、巽は思った。悠斗があれだけ気を遣ってくれたのだから、それ相応の物でないと立つ瀬がない。
 ベネチアン・タイプで長さを自由に調節できる物にした。これなら襟を開けたときに見えないようにすることもできる。まだ中学生なので学校で目立たないようにするべきだろう。
 あとはマンションに帰って、板井に作ってもらったクッキー生地の型抜きを手伝えば、ホワイトデーの準備が整う。

 

 ホワイトデー当日。
 悠斗は午前中、中学の卒業式の手伝いをさせられたので午後から巽に迎えに来て貰うことになっていた。小学校の入学式以来、『なんとか式』には出たこと無かったのでそれはそれで面白かった。
「立花!」
 卒業生と父兄でごった返す建物から出ようとした時、
担任よりもよく知っている生活指導の相田先生に呼び止められる。
「卒業生から菓子を山のように貰ったから、お前、持って帰らんか?」
 そういえば職員室にお菓子っぽいプレゼントがてんこ盛りだったなぁ…
「うーん…」
 でも今からデートだから荷物は少ない方が良い。とは言えない。
「今日は今からデートなんで荷物になるから…いりません」
 …言っちゃったし。
 手をぶんぶん振ってさよならすると、悠斗はいつも待ち合わに使っている近くのショッピングモールの駐車場を目指した。そこのトイレで私服に着替えて出掛ける。
 巽は少し早めに着いたのか、ショッピングモール内のカフェで、すれ違う女性達の視線を浴びながらお茶を飲んでいた。
 悠斗はその情景を遠くから見つめてみる。
(やっぱりかっこいいなぁ…)
 昼間のショッピングモールには似合わないスーツ姿。
 でもそれも格好いい。
 自然に頬が赤くなった事に、悠斗本人は気付いていないだろう。
「京史郎さん!」
 巽は声のする方にゆっくり振り向き恋人の姿を確認すると、ふっと表情を軟らかくした。
「待たせてごめんね」
「いや。待つのも楽しい」
 巽は隣の椅子に置いてあった大きな紙袋二つを悠斗に渡す。
「なに?これ」
「ホワイトデーのプレゼントその1。それに着替えておいで」
 

 慌ててトイレの個室に飛び込み、はやる気持ちを抑えきれず、包まれている薄紙をびりびり破いて巽が選んでくれた洋服をぱっと広げてみる。
 やたらと芸が細かい黒ジャケットに黒パンツ、白い綿のノースリーブ。着てみたら裾の長さとかもぴったりだった。ベルトに靴に、靴下まであるではないか。
 鏡に映った自分を見て、マジで「うぉー」と唸ってしまった。これだったら京史郎さんと一緒に歩いても可笑しくないよね?少しは格好良く見えるかな?可愛いとは言われるけど、やっぱ男だし、格好いい方が良いよね。 悠斗は着ていた制服を丁寧に畳み、急いで巽が待つカフェへと走り出した。
「京史郎さん、ありがと。格好いい?」
「ああ。良く似合ってる…」
「惚れ直した?」
「毎日会うたびに惚れ直してるよ」
 悠斗は照れて俯いてしまったので、巽もテレを隠しながらサングラスを掛けた事に気が付かなかった。
「行こうか?」

 

 門限は二十二時。一緒に出掛けるときは必ずご両親に事前に連絡する。十五禁と共に巽が自信で決めたルール。
 その日も五分前には立花家にたどり着き、週末だったこともあって少し上がり込む事にした。
「でね、この服と指輪を貰ったんだ」
 嬉しそうに両親に報告する悠斗。ネックレスに通した指輪も引っ張り出して見せる。何も隠さない。これが二人に出来る今のところ唯一の親孝行だと思っている。
「あらあら、またこんな高価なものを…悠斗にはプラスチックで良いのに」
「いえ、バレンタインの時に、悠斗には気を遣わせてしまいましたし。おあいこですよ、お義母さん」
 微妙に『お義母さん』を強調してみる。
「ああ巽君、昨日日本酒を貰ったんで、ちょっとどうかね?」
 お義父さんは手でくいっと飲むゼスチャーをした。週末、特に何もないときはお義父さんの晩酌の相手をする事も日常化していた。これがなかなか面白く、気が付くと秋一の父親も隣に座っていたりする。上月家は女性が多いし、亮の妹、由梨菜ちゃんと付き合いが深いので女の園ができあがり、居心地の悪い父親は立花家に遊びに来るようになった。弟の冬馬は秋一のカムアウト後あまり口をきかなくなり、学校でもいじめられているそうだが、何故か無遅刻無欠席で登校する根性も見せている。そのあたりは秋一よりもタフな精神力を持っているようだ。
 悠斗の父親はそんな上月家の良いアドバイザーでもある。言っていることはごく当たり前のことなのだが、だからこそ実行するのは難しい。まっとうな人間のまっすぐな考え方。理想と現実がぴったり調和したような悠斗の父親の生き方を、上月家の父親は学ぼうとしているらしい。

「さて、私はこの辺で失礼します」
 巽はそう言って立ち上がり、立花家を後にした。と言っても自宅はすぐ隣だが。
 悠斗が巽を部屋まで送りに行く。巽は玄関を開けるとそっと悠斗を招き入れ、閉めたドアの向こうで口づける。
「お休み、悠斗。今日は楽しかったな」
「うん。プレゼントありがとう。大事にするね」
 小さな身体をもう一度抱き締めると、柔らかな石けんの香りがした。

 

 新学期。晴れて悠斗も中学三年生。身長も3センチ伸びた。微々たるものだが世界は違って見える。今年こそは仔猫ちゃんを卒業したい。
「新学期早々体育の授業なんて…ツイてないなぁ」
 引きこもりだったので身体を動かすのが得意ではない。傭兵達にジムで鍛えてもらったり、護身術を習ったりしているけれど、球技や陸上競技は苦痛以外のナニモノでもない。この鈍くささを傭兵達に見られたら、仔猫ちゃんどころかナマケモノとかコアラとか言われそうだ…
 持久力もあまりないので、体育の後はぼーっとしてしまうのだが…体操服を脱ぐと違和感があった。なんだろう?ぼーっとした頭で考える。
「無いっ!」
 一気に目が覚めて叫んでしまった。クラス中が何事かと悠斗に視線を向ける。
(京史郎さんから貰ったリングのネックレスが無い!)
 今朝、シャワーを浴びた後に確かに着けた。制服から体操服に着替えたときは?分からない…
 念のため、制服や体操服を丁寧に調べてみたけれど、見つからない。足元にも無い。急いで着替えて、隣近所を探す。
「俺のネックレス見なかった?」
 クラス中に声を掛けたけど、誰も見ていない。朝は学校の近くまで巽に送ってもらったから、車の中か、車を降りてから教室に入るまでの道。体育の授業で移動した道…今日通った建物の中だけでも…と思い、次の授業が始まるまでの短い時間で出来るだけ探し回った。
 

 次の休み時間も、昼休みも返上して探し回ったけれど何処にも落ちていなかった。
(どうしよう…どうしよう…大切なものなのに…)
 泣きたいような気持ちで放課後も探し回り、落とし物コーナーにも何度も足を運んだけれど、結局見つからなかった。家に帰り、隅々まで調べたけれど…
(明日また学校で探してみて、無かったら…)
 正直に話した方が良いのだろうけれど…怒ったりされないのは分かっているけど…一番最初に貰った思い出のあるプレゼントなのに…京史郎さんだって残念に思うに違いない。もう暫く探してみよう…誰かが拾って、まだ落とし物の届が出ていないのかも知れない。誰かに盗まれた可能性もあるけど…名前入りの物なんて、盗っても仕方ないよね?
 名前入り…それもやばいかも…おじいちゃんとか、お兄ちゃん(いないけど)の形見とか言って、落とし物の張り紙出そうかな?
 いつもはわざと胸元が開いた部屋着やらパジャマやら着て、ネックレスがちょっぴり見えるようにしていたのだけど…京史郎さんもいろんな意味で喜ぶから…見つかるまで見えないようにしなきゃ…
「今日いきなり体育の授業で持久走やらされて疲ちゃった…」
 それも本当のことだし、落ち込んでいるからこそ巽の腕の中にすっぽりはまっていたかったのだけれど。なんともいたたまれない気持ちになり、いつもより早く布団に潜り込む。
「そのうち鍛えて上げるよ…」
 意味深な台詞と口づけを残して巽が帰った後、悠斗はたまらなく悲しくなって、泣いてしまった。

「立花、話しがあるからいますぐ会議室に来い」
 昼食の時間が終わる頃、生活指導の相田がやってきて悠斗に耳打ちした。三学期の間はかなり頻繁に呼び出されてあれこれ聞かれたが、新学年になってからは初めてである。いつもの事なので軽い気持ちで、会議室を訊ねた。
「相田先生、何か用?」
「ん。まあちょっとこっちに座れ」
 そう言って近くの席を指さし座らせると、ポケットから小さなビニール袋を取り出した。
 中身を机の上に取り出す。
 無くした指輪のネックレスだった。
「あ…」
 嬉しさで思わず手に取ろうとすると、相田はさっと取り上げてしまった。
「これ、お前のだな?」
「そうです。無くしたと思って…俺のです」
 相田はほっとして安堵の笑みさえ浮かべている悠斗に苦い表情で切り出した。
「この指輪に掘ってある京史郎って誰だ?」
 ふっと相田に視線を移すと、眉根を寄せた厳しい顔がそこにあった。
「誰って…」
 やばい…何か疑われてる…
「あの…おじいちゃん…です。その指輪、おじいちゃんの形見なんです…」
「…永遠の愛を込めて…か。随分おじいさんっ子なんだな…」
 そんな言葉も掘られていたな…でも…言いくるめなきゃ。
「はい」
「立花。お前、卒業式が終わった後、デートって言ってたよな?」
「はい…」
「先生な、あのあとショッピングモールに行ったんだ」
 悠斗は血の気が引いて椅子の上から落ちそうになった。
「一緒に買い出しに行った女の先生が、いい男がいるからって、騒ぐんだよ。で、俺も見にいったら…お前もいた。いい男に肩を抱かれて歩いて行くお前を見たんだ」
 肩を抱かれたりしたかな?京史郎さんは良く腕をまわしてくるけど、嫌じゃないし、それが自然だから気にならなかった…
「お前も洒落めかして、嬉しそうに歩いていた。あれは誰だ?」
「近くに住んでるお兄さんです…」
 これはうそじゃない。隣だし。

「巽京史郎、って言うのか?」
「…!」
 なんで知ってるんだよ…!
「図星か…いや、たまたま週刊誌を読んでたら巽京史郎って言う名前を見掛けてな。紅宝って会社の社長の片腕で、二人が写っている写真入りで」
 相田はその週刊誌のカラーページを開いて机の上に広げた。巽の顔にはサングラスの落書きが施されていた。
「俺がショッピングモールで見たときはサングラスをしていた。でも名前が同じ京史郎で、何となく背格好や雰囲気が似ていたから試しにサングラスを描いてみたんだ。そしたら…どんぴしゃり」
 だったらなんだよ…
「それが、どうかしたんですか?」
「…お前な、こいつら、この紅宝って会社の社長は麻薬密売とか人身売買とかしていたやつらなんだぞ?その片腕の巽って野郎も係わって無いわけ無いだろう?なんでそんなやつから貰ったものを、お前が、肌身離さず持ってるんだ!なんでこんなやつに肩を抱かれて喜んでるんだ!」
「京史郎さんも迅さんも、悪い人じゃないです!」
 相田の語調が強くなったのに釣られて、悠斗も怒鳴り返してしまった。説明したくても、誤解された事への怒りが爆発してうまく頭が回らない。
「迅さん…紅宝の社長ですけど…迅さんは本家に言われて麻薬密売やってただけです!」
「やっぱりやってやんだろうも?そんな悪党から永遠の愛をって、お前達どういう関係なんだ!」
 麻薬密売をやっていたことは否定できない。でも、ワケがあって…そのワケを説明するのは悠斗には困難だった。全部知っているわけではなかったし、亮の事はできるだけ話したくない。
「関係って…それは…」
 京史郎さんとのことを話したら、迷惑が掛からないだろうか?俺は未成年だから、俺と付き合うと京史郎さんは犯罪者にされてしまうとか、言ってたよな?
「お前達、付き合ってるのか?」
「…ちゃんと、俺の両親の了解を取ってます…」
「はぁ?麻薬密売人と付き合う了解を?どういう両親だ?」
「だから…!あんなことしてたのにはワケがあって!」
「誰だってそんな言い逃れをするんだ。それで夢中にさせて、薬漬けにして売りとばされたりするんだぞ?騙されてるんじゃないのか?」
「そんなこと無いです!絶対に!」
「何故そう言える?大体、未成年のお前と付き合うこと自体条例違反なんだ。まともな大人だったら付き合うわけないだろうが」
 好きになったのだから、しょうがない。好きになってみたら年の差があっただけで…心は止められなかった。
 止められるくらいの思いなら、最初から付き合ってない。
「とにかく、ご両親とも話しをしないといけないから、今連絡を取っている。ご両親が来るまでお前はここにいろ」

「おや。お義父さんから電話が…珍しいな、仕事中に」
 会議が始まる寸前に、京史郎の携帯が鳴った。しかもそれは仕事専用の携帯で、立花のお義父さんから掛かった事は一度もない。
 電話の後、巽はキャンセルできる仕事はキャンセルし、悠斗の学校へ向かうことにした。
「迅、悠斗との事が学校にばれて大変なことになっているらしい。あとは山崎さんに頼んでいくから、よろしく頼む」
「ああ。行ってこい。お前が知っていることは全部話して良い。後はこちらで何とかする」
「恩に着るよ」
「お前達がいなかったら今の私は無い」

 

 会議室には、校長・教頭・担任・相田先生、そしてお決まりのようにPTA会長までいた。
「全く、同じ親として信じられん。麻薬密売人の男と付き合いを認める親がいるなんて、どういう了見なんだ?」
 最初から完全に悪者扱いだ。説明する隙もなく、PTA会長がわめき散らしている。
「まぁまぁ、会長、先ずは経緯を立花さんに話して貰いましょう」
 校長が間に入る。
「経緯もなにも、だいたいその子は小学校もまともに行っていない、中学も今年から出てきたそうじゃないか。引きこもりのパソコンおたくだとか?うちの息子が言っておったぞ?どうせネットで悪いことばかりしていたんだろうが」
「ネットで悪いことなんかしてねーよ!」
 それ以外は正解なのだが。
「お前と同じようなやつが無差別殺人とかしてただろうが」
「はぁっ?そんな奴らといっしょにすんなーーっ!」
 悠斗は自尊心を傷つけられ、とうとう涙をこぼして叫んでしまった。その辺にある椅子やらテーブルやら蹴り飛ばし、泣きわめきながら抗議する。担任と相田が押さえつけたが、今度は会長に向かってデブだのハゲだの罵詈雑言を浴びせる始末。
「悠斗、落ち着きなさい。お父さんが説明するから」
 お父さんは出されたお茶を一口飲むと、悠斗の頭をぽんぽんと叩いて話し始めた。今この場で、お父さんだけ落ち着き払っている。肝が太いのか無神経なのか、どちらにしても器が大きい。というかザルのような?
「会長さん、あなたがどれだけ息子さんのことを知っているか分かりませんが、私は悠斗の事は全て分かっています」

「悠斗は子供の頃から私たちに似ず美しい子で、捨て子とか貰われっ子だとかいじめられていたんです。数字や機械に強かったのでパソコンを与えてみたら、これがこの子には合っていたようで…そっちの世界では天才ハッカーと言われるようになりました。学校へは行かなくなりましたが、私は一芸に秀でていれば良いと思いました。そのうちに警視庁からネット犯罪の取り締まりに力を貸してくれと言われるようになり、警察の仕事を手伝っていたんですよ。その時に巽さんを警視庁の方から紹介されて…。巽さんの上司の紅宝院さんが、長いこと監禁され虐待されている人を助けたいから手伝ってくれないかと。悠斗は監禁されている建物のセキュリティに侵入する役目を頼まれた。巽さんはその時の悠斗のチームのリーダーだったんです。毎日遅くまで仕事をした後に必ず家まで送ってくださって、丁寧にご挨拶されて、とても良い印象の方でした。紅宝院さんの目的は人助けだけではなく、腐りきった紅宝院本家を潰すことだったんです。大事な人達を先ず助けて、それから本家を糾弾する。その時にも悠斗は会社を他の優良企業に明け渡す手伝いを頼まれました。紅宝院の本家と言うのがまた悪人でして…分家である迅さんの側に付いた人間は保護する必要があるとかで、私たち家族も、今住んでいる紅宝院迅社長のマンションにかくまわれている状態なんです。麻薬取引に関しては、私も良く知りませんし、まだ捜査中で知っていることをお伝えするわけにはいきません。こうして私たちがここに来ている時も、見えないところで護衛の方達が見守ってくださっているんです。諸悪の根源はまだ捕まっていませんからね。ただ、悠斗は義務教育十二年のうち、九年間は不登校児でした。学校の先生方も気にしてはくれましたが、問題解決には至らなかった。それが、彼らはたった三ヶ月ほどで悠斗を変えてくれたんです。失礼ですが、あなた方と巽さん達とどちらを信用するかと問われれば、間違いなく巽さん達ですよ」

   

前編