秋一とイアン

春夏秋冬そして春

夏の陣
  六月。
 今年は空梅雨と言うことで、毎日爽快。
 イアンが最後の人殺し稼業に出掛けていって三ヶ月、思っていたよりもあっと言う間だった。一度も連絡無し。まあ、連絡なんぞ取れるような所に居るワケじゃないから…その辺は大目に見てやれと、部下達に言われた。俺様には、ナンの根拠もないけれど、あいつは無事だと分かっている。
 本当に傭兵辞めてくれるのかな?
 リーマンになるって…そこまではしなくて良いけど…
 紅宝院のゴタゴタも一段落着き、うちと悠斗の家族は避難解除された。一応、こっそり警備してるそうだけど、自宅に戻り、以前と変わらない生活を送っている。
 俺は下宿を引き上げて、実家とイアンの部屋を行ったり来たり。後期丸々大学を休んだので留年決定、遊ぶ気もあまりおこらなかったので、真面目に大学に通ってたりする。
 落ち着いてよく考えてみたら、イアンとの事はまだまだ問題が山積みで…就職するったって、自分の国の方が有利に決まってるだろ?でも俺はサウジの言葉なんか話せないし…英語だって無理。イアンは俺のために生活を変えてくれるんだ。俺はイアンのために何が出来るんだろう?イアンについてサウジに行っても思いっきり足手まといになりそう…向こうで仕事につくったって、言葉も話せない俺が出来る仕事なんて無いだろう?もちろん努力はするけど、それまでおんぶにだっこってのもなぁ…
 現実的な問題で悩みまくっている。

『秋一さん、今どこにいるの?』
 亮からの電話。
「ん〜、大学にいるよ。どした?」
『今日、迅さん帰ってこれないって…だから、いっしょにごはん食べに行こう』
「良いよ。どこかで待ち合わせる?」
『僕が大学まで行くから、待っててくれる?』
「分かった。じゃ、おれ5時ごろヒマになるから、学食で待ってる」
『うん。じゃあその頃ね』
 亮がここまで出てくるのは珍しい。相変わらず亮だけは危険度が高いので、出掛けるときは必ず護衛付き。迅が一緒の時は何処に居るか分からないようにしてるけど、亮だけの時は友達感覚で付いてくる。今日の当番誰だっけ?
 実は朝から気持ちがざわついてた。なんか急に予定が入りそうで…亮が学食に現れたら、それはそれで騒ぎが起きるんだろうなー。何処に行っても目立つし。亮と一緒にいると、ちょっと自慢したくなる。綺麗で優しくて、本物の天使だからね。
 午後の授業を受けている間中、なんだか心がざわざわして落ち着かなかった。少しづつ、ざわざわも大きくなる。亮とデートするのは久しぶりだもんな…前回のデートは、亮のお供で宝石屋さんに行った。亮の一番の宝物、迅から子供の頃にもらったペンダントの修理と、オーダーしたお揃いの指輪を受け取りに。
 お店の人は俺様の赤い石のピアスにも凄く興味を示した。珍しい宝石で、こんなに綺麗な物は見たことないって…。イアンから貰ったちっさい石。イアンの家宝。亮のペンダントと指輪の値段を足しても買えないかも知れないって…なんか悲しくなったよ。そんなの、俺様が身につける価値があるんだろうか…って。もし、イアンとどうにもならなくなったら、これは返さなくちゃいけないんだろうな…もっと、いい男にならないとな。
 イアンの事ばかり考えながら、構内のベンチに座って悲しくなったり嬉しくなったり、一人乙女モードに突入。その時だった。
「秋一」
 やば。幻聴まで聞こえてきたよ。
 俺様モードに切り替えるために、ぶるぶるっと頭を振る。
「何やってるんだ?」
 切り替えてるんだよ。
「前見てみろ」
 …?
「…」
「帰ってきたぞ。お前の側に」
 目の前に、イアンが立っていた。
「イアン…」
「他の誰に見える?」
「イアン…」
 帰って来たんだ…連絡ぐらいしろよ…びっくりするじゃないか…ちくしょう…なんで泣いてんだ俺様…
「イアン…」
 迷わず、イアンに飛びつく。
 寂しくないとか平気な振りしてたんだけど、本当はやっぱりたまにはこいつの温もりが欲しくて、生きてると感じてはいても、それでも心配だったんだ。
「イアン、お帰り…」
「ただいま、秋一」
 周りの目なんてどうでもいいや。俺はキスしたくてたまらなかった。腰に回された腕から、ぴったり合わさった上半身から、懐かしい温かさが伝わる。
 もっと…
 そう思ったら、イアンの唇が俺の唇に被さってきた。

「ん…んっ」
 首から俺をぶら下げて、キスを繰り返しながら、駐車場に待たせた車に乗り込む。迅のリムジン。
 シートの上に倒れ込み、自分でもわけが分からないうちに、服を脱いでいく。早く、イアンに触れて貰いたい。早くイアンに触れたい。
 めちゃくちゃもどかしくて、下半身をイアンのそこに擦りつける。恥ずかしいくらい高ぶっている俺を諫めるように項に歯を立てられた。じんわりとした快感が背筋を這って脳天と腰に溜まる。
「んんっ…あっ…」
「秋一、どうした?」
 首筋をペロリと舐めながら、熱い声で囁かれる。分かっているくせに…もう、どうしようもないくらい高ぶっている俺を、感じているくせに。
「どうして欲しい?」
 熱を持ち、体積を増しつつあるそこを、俺のそこに、ゆっくり、卑猥なリズムで擦りつける。
「あ…っきくな…んなこと…っ」
 聞かなくてもわかってるくせに…
「無理をして、傷つけたくない…」
「でも…っ!」
 イアンはあの意地の悪い笑みを浮かべながら、俺の股間に手を滑り込ませてきた。久しぶりの他人の手の動きに、身体がびくびく跳ねる。
「あっ…イアンッ…ああっ…!…はぅっんっ…ん!」
 こらえ性のない俺の喘ぎを塞ぐ、噛みつくようなキス。
 鈴口を指先でこね上げられると、もう陥落寸前だ。この三ヶ月、イアンとの事を思い出しながら何度も一人で弄ってみたが、あの時ほどの快楽を得ることは出来なかった。包み込むような熱情や背筋を貫く火柱の感覚は、一人では思い出すことさえ困難で、飢餓感ばかりがつのっていた。
「イア…もう、だめ…かも…っ」
「このまま達けるか?」
「んっ…でも…んんっ…!」
 激しさを増す手の動きに耐えられず…
「はっああっ…!」
 イアンの手の中で達ってしまった。
「秋一…最短記録だな」
 くつくつわらってんじゃねーよ!誰のせいだ!
 たぶん俺は全身真っ赤にしていたと思う。インスタントラーメンが出来るよりも早く爆発してしまった事が恥ずかしいくせに、余韻に浸りたくてイアンにべったりくっつく。そんな乙女な自分が歯がゆくて、勝手に怒って真っ赤になっていた。
「あ…亮と約束してたんだ!」
「私が亮に頼んで電話して貰ったんだ。居場所を確認するために」
 ち、策士め。

「迅の会社に雇ってもらった?」
「ああ。まあ、そんなところか」
 紅宝はサウジのどっかの企業に買収されたんだっけ?
 じゃあ、イアンが雇われても可笑しくないか…
 イアンはリーマンになったって言うけれど、証拠がない。なので、はっきりするまで返事は無し!
「お前、俺の名前全部言える?」
「イアンなんとかかんとかグラント」
「……まあ、良いか」
 アラブ系の名前は長ったらしくて一々覚えてられない。本人がイアン・グラントで良いと言ったのだから、それしか覚えていない。
「社員証とかないの?」
「あるだろうけど…まだ一度も出社してないからな」
「いつから出るの?」
「明日」
「じゃあ、ちゃんと証拠持ってきて」
 ぜったいこれだけは、何が何でも譲らない。信念とか、もうそんなの通り越して意地になってるだけだけど…
「巽に確認しておこうかな…明日貰えなかったら秋一が気の毒だからな」
「なんで俺が気の毒なんだ?」
「素直になれないだろ?」
 俺のどこが素直じゃないんだ!
 現に今だって、俺はイアンの大きな体にだっこちゃん人形のようなポーズで抱きついているというのに!

「イアン、秋一にきちんと説明していないのか?」
 イアンはこの九月に引退する父親の跡を継いで、ファルハン・グループの最高経営責任者となる。
 紅宝など足元にも及ばない巨大な企業の、こいつはトップなのだ。九月からはサウジアラビアの実家に戻ることになる。紅宝の空室(会長室)で迅の前でふんぞり返って珈琲を飲んでいられるのも今のうちだけ。
「自分の恋人がCEOと聞いて嫌いになるヤツがいるのか?」
「秋一は極普通の家庭で育った上に、馬鹿正直で律儀で超現実的で純粋な男だ。相手がエリートだろうとなんだろうとどうでもいいが、黙っていたことに対しては怒るだろうな。お前の父親が渋っていることも知らないだろう?」
 痛いところを突かれ、唸りながら天井を仰ぐイアン。
「いくら口で説明してもオヤジを納得させることはできない。それに、もう一つ超やばいことが…」
 巽に作ってもらった社員証をくるくる振り回しながら、イアンはため息をついた。
「いざというときは本当にここで雇ってくれ」
 

「ビジネス改革部・課長補佐?」
 社員証とネームプレートをじっくり見る。
「何するところ?」
「うちが一番力を入れているところ。上層部のごたごたで会社全体が揺れたからな、いっそのこと全部を崩して体質を改善させる。将来性に重点を置いて仕事を選んだり人材育成したり投資したり撤退したり。そんなところか?」
「ふーん…出来そう?」
「誰に言ってんだ?企業も戦場と同じだぞ」
「そっか。でも、ほんとに、足洗ってくれたんだ…俺は…イアンに何をしてあげられるかな…」
 卒業すら危うい学生で、将来のことも何も決めていない。自立も出来ない俺の頼みを聞いて人生さえ変えようとしているこの男に、俺は何を返したらいいんだ?追いつくことができなくても、堂々と自分の道を歩いている姿を見て貰いたい。肩を並べて歩けなくても、足を引っ張ることはしたくない。
「お前が側にいてくれないと、困ったことになる…私の側で、愛してくれるだけで幸せなんだが…」
「なんだよそれ。それは第一段階でもうクリア済みだろ?」
 側にいるじゃん。それに…
「…まだ言ってなかったよな…愛してるって」
 イアンのグレーの瞳が温かく光りながら間近に迫る。

「で、ここ、なんてホテル?実家に帰るんじゃなかったの?」
 八月。灼熱のサウジアラビア。イアンのお父さんの誕生日だと言うことで、俺もお祝いに行くことになった。迅と亮もくっついてきた。空港からリムジンに乗って連れてこられたのは、宮殿のような建物。でもそこに車は止まらず、横目に見ながら同じ敷地の中を五分ほど走った。途中には砂漠の国とは思えないような緑の森や池があり、所々に小さいけれど綺麗な建物も散在している。俺たちの車が止まったのは、わりと近代的なデザインの建物で、ちょっとがっかり。途中にあった真っ白なアラブっぽい建物とか、砂色の壁の建物とかに泊まってみたい。
 海外旅行は初めてで、最初からこんな贅沢なところに泊まれるなんてラッキーだけど、いつか一人で色々な国を旅行できるようになりたいな〜なんて考えながら周りを眺めていると、イアンに腕を引っ張られて歩みを促された。
「おかえりなさいませ」
 ずらーっと並んだ従業員の中でも年長の人が日本語で挨拶をしてきた。それを合図に他の人達がアラビア語(らしき)言葉で歓迎してくれる。
 エントランスホールは天井が高く、自然な涼しさにほっとする。
「迅と亮をゲストルームに案内して。落ち着いたら私の部屋に」
「お前が生きていたらな」
 迅は妙な事を言いながら亮と一緒に消えていった。
「秋一、私たちの部屋はこっちだ」
 イアンは一人で勝手にずんずん歩いていく。
「イアン、ここよく泊まるの?」
「そうだな、久しぶりだが…5歳の時から住んでいる」
「はぁっ?」
「ここが私の家で、最初に見えた宮殿みたいなのが、父の家だ」
「うそっ!」
 迅の屋敷でもびっくりだったのに、ここはもっとびっくり。
「イアンの家って大金持ち?」
「まあそうかな…」
「…紅宝院より広いんだけど」
「秋一、私のフルネーム思い出せるか?」
「出せない。長すぎるんだよ」
「イアン・イブン=サルマン・イブン=マジド・アル=ファルハン・グラント」
 そんな感じ?
「…ファルハンって、聞いたことないか?」
 ファルハン…ファルハン…ファルハン
「…ファルハン・グループ?」
 色々助けてくれて、迅の会社を乗っ取った…
「ああ。父の会社で、この九月には私が後を継ぐ」
「じゃあ…最初から俺のためじゃ…」
 最初から俺みたいなガキの言うこと聞くわけないじゃないか…『俺のために』とか都合良く思いこんでいた自分が恥ずかしい。
「それは違う。お前に出会ったから傭兵を辞めようと思ったのは本当のことだ。いや、辞められたんだ」
 広い部屋の一番奥の階段を三段ほど上がった所に暖炉があり、その前にソファーやらクッションやらが豪華に沢山置いてある。日本のイアンの部屋と似たような感じ。そこにゆったり座ると、あっけにとられて挙動不審になっている俺に手を伸ばす。
 側に行きたい。でも足が動かない。俺、こんな所でこんなヤツと暮らせるのだろうか?何もできないのに?
「秋一、ここにおいで」
 笑顔で言われても、動けないもんは仕方ないだろ…
 ぎりぎり手が届くか届かないかの所でどっかり腰を下ろす。ぎくしゃくしてて、マジどかっっと尻餅ついてしまった…
 イアンが笑いながらにじり寄る。
「ファルハン家は紅宝院とルーツが同じで、炎を纏う蛇の一族なんだ。光りある者に選ばれた者や守るべき者と出会った者だけが蛇の力を目覚めさせる。私は戦場で覚醒した。死んでいく仲間を守るために覚醒したのだと思った。だが、どんなに戦場で力を尽くしてもきりがなく、それどころか自分でもコントロールが効かなくなる時もあった。放っておくと蛇の力は周囲の者を巻き込んで崩壊させてしまう。のっぴきならない状況に追い込まれたとき、亮と出会った。光りある者の力で私は救われたんだが…亮は既にパートナーを選んでいて…まあそれは仕方ない。亮の光りに触れるだけで私の力は軌道修正できたからな。そしてお前に出会った。私は私が守るべき者を見つけた。亮から得たものは力をコントロールする自制心で、衝動自体を抑えるものではなかったんだ。私は相変わらず戦場を求めたし、性欲も凄すぎた。だがお前と出会ってからは…不思議だったよ。お前が欲しくて時々暴走してたけどな。だがそれは何かを破壊したい衝動とは全く異なるものだ。お前は殺伐とした世界から私を救ってくれた。」
 炎を纏う蛇って…
 そんなこといきなり言われても…
 救ったというより、強引にモノにされただけのような…
「私は、一族を巻き込まないために遠く離れた戦場で死のうと思っていたんだ」
 アホみたいなヤツと思っていたら、そんなことまで考えて戦場に行っていたんだ…
 人殺しと、偏見の目で見ていた俺の方が思慮が足りないガキみたい…
「イアン…ごめん…」
 抱きかかえられた肩から、イアンの温もりが伝わる。
 いつも暖かで、はっきり言ってこの灼熱の国では鬱陶しいけど、むさ苦しいだけのオヤジではなかったんだな…
「なぜ謝る?」
「酷いこと言った…」
「敵を殺すか味方を殺すか、どっちにしても他人を巻き添えにする事は確かだ。人殺しには変わりない」
 でもそれじゃあ悲しいじゃないか…どっちにしてもイアンも死ぬってことだろ?
「でも、ごめん。やっぱり俺、イアンのことよく知りもしないで言いたいことばっかり言ってた」
「秋一、私はお前が好きだ。何があってもお前の側にいたい。だが選ぶのはお前だ。お前が私をすっぱり切れば、私は身を引くよ」
「心も体も満たされないまま、ずっと生きるのか?」
「そう言うことだな」
「俺があんたを傷つけることになっちまうのか?」
「それは無い。お前に触れることが出来なくても、お前の気だけは感じることが出来る。お前が幸せに生きている限り、私も幸せだ。どこのだれと愛し合おうと、お前がそれで満足なら私も満足だ。私は何処にいてもお前を感じることが出来る。陰からこっそりお前を護り続けるよ。今後私たちの関係がどうなろうと、私がお前を守る蛇であることに変わりはない。それは守るべき者を見つけた私の宿命だ。お前は自由に生きればいい」
 そんな…俺に選択権があるようで、でも実際には無いってことじゃないか…イアンを砦にして好き勝手振る舞うなんて俺にはできない。そんなことになって俺が幸せでいられるはずないだろう?
「俺は、イアンが好きだ。難しいことは、今まで考えたこともなかったからわかんないけど…イアンがいなかったら、自由に生きても楽しくないよ…ここにいたい。イアンの腕の中に…」
 迅と亮がいつもくっついているのを見て、時々馬鹿にしてたけど…なんか俺もその状態になりそうな…ほら、恐ろしいことに、自分からもたれかかったりなんかして…キス、して貰いたかったりして…
 
 

 プールのような風呂から上がってアラブ風の衣装を着せて貰った。あと、なんか色々イアンから貰った耳飾りとか腕輪とか指輪とか、アクセサリー? じゃらじゃら付けてすっかり俺様気分になった所で気が付いた。
「あとで部屋に来いて、迅達に言ってたじゃん!」
 すっかり忘れて一ラウンド済ませて呑気に風呂なんか入ってしまったよ…
「ああ…でも向こうも気付いたはずだから大丈夫だろう…」
 気づいたって?
「言い忘れてたがな、蛇同士も色々大変で…近くの蛇の気を感じることが出来るんだ。やったらバレる」
 …え…