秋一とイアン

春夏秋冬そして春

秋の陣
 ここはイアンの家だからイアンが王様で、日本での立場と完璧に逆転していて、ひたすら恥ずかしかった。
 床に半分寝そべった格好でイアンにしっかり抱きしめられている俺様の、俺様らしくない姿を迅と亮に見られたし…大浴場でまた欲情したからってのもあるけど…かつて無いくらい精神的に疲れた俺様は、イアンにべったり寄り添ったまま、不覚にもみんなの前でぐーすかぴーと眠ってしまったのだった。

「オヤジ、これが俺を選んでくれた守るべき者、秋一だ」
 とんでもない紹介の仕方だなぁ… 
 オヤジさんは小柄な老人だった。イアンは母親似なんだろうか?ごつい母親だったりして…
「あ…はじめまして。上月秋一です」
 オヤジさんは車いすに座っていたし、上から目線にならないように、近寄ってしゃがんで握手をした。
「ほぉ、美人じゃな」
 初めてそんなこといわれたんですが…
 イケメンと言われたことはある。今時のカッコしてれば取りあえずイケメンと言ってもらえるけどな。
 ああそうか、アクセサリーとかじゃらじゃら付けられて、ワンピースみたいな長くてヒラヒラした服を着せられてるからかな?
「じゃが、イアンの第一夫人にはなれんな」
 はい?第一?夫人?
 俺はにっこり笑ってイアンを見た。
「オヤジ、いきなりそれは…」
 結ばれたと言うか、心が通い合った俺には、イアンの動揺が何倍にも増幅されて伝わってくる。
「なんだよ…それ…」
 イアンは笑顔を崩していないが、隠し事をするときの笑顔だと、俺には分かった。
「なんじゃ、まだ伝えていなかったのか?ハレムに控えている女達がいることを?」
 ハレムときたもんだ。
 なんだそれ?女達って、あれか、アラブのお金持ちは何人も奥さんを持って良いってやつか?
 驚きの次に来た落胆でなんか身体が急降下していくような気分になった。頭がぐるぐるして、まっすぐ立っていられないような…
 俺はオヤジさんの車いすの背に掴まって、足をふんばる。誰が倒れるもんか。
「今の、なんの話しだよ、イアン!」
 

 驚きと、とまどいと、怒りがごっちゃになって何とも言えない抑揚で怒鳴った。
 なんだよそれ…!
 答えろよ!
「こいつは十三の時からハレムを持っとる。一番古い女はこいつより三つ年上で…」
「うるせえっ!イアンに聞いてるんだ!」
 オヤジさんは悪くない。けど、今ははっきり言って邪魔。
 オヤジさんに怒鳴ると、その場にいた亮がびくんと跳ね、俺に駆け寄ってきた。
「秋一さん、落ち着いて…」
 亮に腕を軽く揺すられ、ちょっとばかり落ち着いたけど、力が少し抜けると今度はぶるぶる震えだしてしまった。
「落ち着いてるけど…震えが…とまんねぇ…」
 だって、あんなに沢山言ってくれたじゃないか…愛してるって。俺の幸せがあんたの幸せだって。俺があんたの守るべき者だって。
「イアン!」
「すまないが、秋一と二人だけで話しをさせて貰えないか?」
 オヤジさんの後ろでぶるぶる震えている俺に差し伸べてきたイアンの手を、俺はなぎ払った。
 

 触られたくない。こいつに。二人だけになりたくない。こいつと。

「ここで、今、話せよ」
 イアンは困ったように、立ちつくしている。俺の今の気持ち、あんたには分かるだろう?伝わってるだろう?俺の蛇なんだから…
「もう少しお前との関係が落ち着いたら話すつもりだったんだ。それに…オヤジには伝えたはずだ。俺のハレムは解放すると…」
 イアン、分かるだろう?俺がなんでこんなに震えているか。
「ああ。隠していたのは悪かった。許してくれ、秋一」
「俺が…心に引っかかるわだかまりを全部無くしてから、真剣に付き合おうと思っていたの知ってるよな?」
 イアンは、はっきりと頷いた。
 だったら何故、こんな大事なこと隠してたんだよ。
「第一夫人って…他に誰かと結婚するつもりだったのか?」
「それはあり得ない。お前だけだ」
「でもオヤジさんが…」
「最初からお前とのことは反対されていた」
「なんでそれも黙ってたんだよ…」
「口で説明するより、会ってもらった方がお前の良さが伝わるだろう?」
 それはそうかもしれないけど…
 

 でも、俺だって負い目を感じることが沢山あるんだ…こんな大金持ちで偉い人の息子を、俺みたいなのと一緒にさせたくないよな?
 俺たちを助けてくれた時だって、普通に考えたらあんなでかいこと簡単にできるわけないだろ。なのに、このオヤジさんはいとも簡単にやってのけた。迅も亮も感謝して、色々手伝ったり貢献したりしてるだろ。
 俺は…なんにもない。なんにも出来ない。
 疎外感ってのに苛まれて、逃げ出したくなってきた。
「日本に、帰る」
 うちに帰って、全部忘れたらすっきりするんだろうな…
「秋一…」
 ここで身を引けば、イアンは放っておいてくれるはず。そう言ったよな?俺が選んで良いんだよな?
 これからまた、どんなことが起こるかも知れない。日本で一人になっても同じ事かも知れないけど、少なくともこんなに目の前がぐらぐらするような事は起きないだろう。
「やっぱさ、家族がみんなで仲よく暮らすのって大事じゃん?俺だって一応長男だし。嫁も貰わないし子供もできないから、そのぶんちゃんと面倒見ないといけない…だから、帰る」
 うん。そうしよう。思ったとたんに身体の震えが止まって、支えもいらない感じになった。
「オヤジさん、せっかくの誕生日なのに混ぜ返してごめんな。でっかい息子をプレゼント代わりに置いてくから」
 

 なんでもない、なんでもない。簡単に切り替えられるさ。なんでもないって。
 俺は扉に向かって歩き始める。イアンが俺の手を掴んだけど、なぜかするっと抜けた。
 すたすた、すたすた。
 部屋までの道はあんまり覚えてなかったけど、なんとかたどり着いた。イアンの部屋に置いてあった俺の荷物をまとめ、取りあえず別の部屋に移動。こんなとき、大きな家は便利だなぁ。
 寝室みたいな所を見つけたのでそこに入ると、俺はがちゃっと鍵をかけた。
 女みたいな衣装を脱ぎ捨てて、普段気に着替える。
 外に続く大きな窓があって、夕焼け色に染まった空が見えた。でも、覚えておく気はなかったので、カーテンをさっと引く。落ち着いて、何も考えないようにしよう。何も。それには眠るのが一番なんだ。
 やたらとでかいベッドに潜り込んで、真剣に羊を数える。せめてラクダにしようかな?羊を数えるときは、羊が柵を跳び越える所を想像しないといけないんだぞ。ラクダは障害飛べるのかな?コブがぷるぷるしそうだ…
 何時頃か分からないけど、一度目が覚めた。ノックの音が聞こえたけど、俺はそのリズムすら子守歌代わりに眠ることが出来るんだ。コンコン、コンコン、コンコン、コンコン、目をつぶってずーっと頭の中で繰り返す。振り子をみて催眠術に陥る人のように、うまく睡魔にさらわれた。
 
 

 カーテンの隙間から外を覗くと、陽はかなり高く登っていた。ゆっくりシャワーを浴びて身支度を調える。
 でもそこで、また超現実的な問題に気が付いた。
 帰りの飛行機、どうやって乗るんだよ!
 チケット無いし。空港にどうやって行くのかも分からない。
「迅を探すか…」
 迅と亮の部屋が何処にあるのか知らない。でも、迅に頼めば何とかしてくれるはず。探す間にアレに会わなきゃ良いけど…
 泥棒になった気分で、こそこそ隠れながら屋敷の探索を開始。すぐに、召使いを発見したので、聞いてみる。もちろん言葉なんて通じないから、じん、じん、りょう、りょう、と繰り返してみる。
 召使いは頷いて、手招きしてくれた。
 迅と亮を見つけた。
 ただし、アレも一緒。
 見つかった瞬間、俺はきびすを返して走り始めた。どこでもいいから、掴まらないように逃げなきゃ!
 やたらと敷地が広かったのを思い出し、取りあえず屋敷を出て、外に走り出た。
 林とかあったので、身を隠す。暫くじっとしていたが、誰も追ってこないので、様子を伺いながら歩き出した。

「しかし広いよな…」
 太陽が照りつけるので日陰を選んで歩く。緑が沢山あるので日陰は沢山あるが…昨日から何も食べていない、飲んでいない俺様はバテるのも早かった…
 一番最初に目に付いた建物に入る。トイレでも風呂場でも良いから、水…
 そこはがらんとした建物で、召使いもいない。手当りしだいにドアを開け、トイレ発見。手洗い場に蛇口があったのでひねってみたら、普通に水が出た。飲むついでに頭から水をかぶる。日陰ばかり選んだとは言え、四十度を超す気温の中歩き回って疲れもピーク。廊下にしゃがみ込んで休んでいると、また不覚にも、眠っていた…

「秋一」
 馴染みのない声で呼ばれる。
「秋一、大丈夫かね?」
 うっすら目を開けてみると、オヤジさんが心配そうにのぞき込んでいた。ああ、オヤジさん小さいけど、目元はアレに似てる…
「あ…大丈夫。です」
 多少からだがぎしぎし言うけど。
「こんな所に寝っ転がって、どうしたんじゃ?」
「んー…庭で遭難しかかって…」
「はっはっはっはっ」
 オヤジさんは愉快そうに笑った。結構シリアスな状況だったんだけどな。
「昨日から行方不明じゃったようだが?」
「ははっ。家の中にはいたんだけど。鍵しめてたから」
「そんな服を着ているとやっぱり男じゃのう…」
 親だったら、息子の恋人は女が良いよな。
「ごめんな、男で」
 アレはゲイではない。女もオッヶー。だから、俺じゃなくても良かったはずだ。なのに、よりによってこんなアホな男に入れあげるなんて、オヤジさんは思ってもみなかっただろうな…
「オヤジさん、ここで何してるの?」
「ああ、この先にな、大事なものを飾っている部屋があるんじゃ。お前もいっしょに見るか?」
「やめとく。なにも覚えておきたくないから」
 オヤジさんは暫く俺を見つめ、いつまでも廊下に寝っ転がっている俺に手を差し伸べてくれた。
「そうか。じゃあ、うちでメシでも食うか?そのくらいは良いだろう」
 正直なところ、腹が減って死にそうだった。水をがぶがぶ飲んだけど、空腹感は止まらない。
「ありがたい。でも、オヤジさんと一緒だって、誰にも言わないでいてくれる?」
 オヤジさんはうんうん頷くと、小さいくせにやけに強い力で俺を引っ張り上げた。
 俺は車いすの背に寄りかかるようにして押しながら、オヤジさんの言うとおりに進んでいった。

「生き返った!」
 これでもかと並べられた料理をたらふく詰め込んで、俺様復活。食べている間に、オヤジさんと色々な話しをした。俺様の家族の事とか大学のこととか、そんな他愛も無い話し。
 オヤジさんは悪い人じゃない。
 それは分かった。
 俺には想像も出来ないような資産家で、小さな背中には巨大な責任を背負っている。奥さんが沢山いて、子供も沢山いて、親戚の数も把握出来ないくらい多くて、その全員がファルハン・グループに所属していて、世界中に会社があって従業員がいて、今でもまだ巨大化しつつある。その、長なのだ。
 でもオヤジさんは、俺みたいな我が儘な男好きなガキに説教垂れることもなく、普通に親切にしてくれる。もしこの人がいなければ、俺も今頃どこで野垂れ死んでいたか分からないのだ。紅宝院本家に薬漬けにされて売り飛ばされていたかもしれない。
 俺の命を救ってくれた人なんだ。
 だから…
「なあオヤジさん、俺、あんたにまだ何も言ってなかったけど、感謝してるよ」
 オヤジさんは首をかしげてみている。小さいから、なんか可愛らしい。
「亮を助けてくれただろう?俺も係わっていたから、オヤジさんが助けてくれていなかったら、死んでたかも知れない」
「ああ、迅の元恋人じゃったの。悔しくはなかったのか?」
「なんで?」
「亮に奪われたんじゃろう?」
 そうか、普通だったらそう思うよな。

「それさ、凄い誤解なんだけど。迅の、亮に対する態度があまりにも酷すぎたから、俺からふったんだぜ。それに俺、迅と亮のどっちが好きかって聞かれたら、亮って答えるぜ。迅がいつまでも煮え切らなかったから、殺されても良い、亮を連れて逃げようと思った」
 それに、亮がそばにいてくれるだけで、俺は冷静でいられる。昨日だって、亮が触れてくれた途端に気持ちが楽になった。
「どうせ亮も日本にいることが多いんだし、俺も帰る。先に帰って待ってる」
 時々いっしょに遊んだり、同じベッドで眠ることだってある。そうしていると、俺の場合、全てが丸くおさまるんだ。
「イアンはな、わしらの一族の中でも最強の蛇なんじゃ…だから、期待もしている」
「子供?」
「ああ。孫の顔が見たいと思っておるんじゃが…」
「俺は産めないし。残念だけど」
「ハレムも嫌か?」
「嫌。俺、嫉妬深いんだ。ていうか…」
 オヤジさんは少し勘違いしているかも。
「ハレムを解放?するって言ったら、絶対してくれるのは分かってる。傭兵も辞めてくれた。浮気もしなくなった。俺のために、なんでもしてくれる。でも俺は…何も返すことができないんだ。一緒に人生歩いていきたいのに、いつも俺は取り残されるかんじがする。迅も、亮も、するべき事があって、オヤジさんにもお返しができる。でも俺は、一番好きな人の父親で、俺の命を救ってくれた人の望みを叶えてあげることもできないんだよ?最低の嫁。イアンは…」
 名前を口にすると、心が疼く。
「俺がすっぱり切れば、身を引くって言った。だから、今回も迅の時と同じで、俺が振ったことになるんだ」
 いささか無理な話しの持っていき方。でも良いのだ。
 現実的問題も、話してみようかな。
「あのさ、助けて貰いっぱなしで申し訳ないけど…オヤジさんにお願いがあるんだけど…」
「なんじゃ?わしでもできることか?」
 簡単だと思うけど…
「俺日本に帰りたいんだけど…チケットないんだ。飛行機の。買えないっつうか…」
 オヤジはびっくりしている。なんでだ?無理?
「あ、ていうか…これとチケットと交換ってどう?」
 俺は赤いピアスを外して、オヤジさんに渡した。
「それって、ここのうちの家宝だろ?俺が持っててもしょうがないし」
 記憶の底から消してしまいたいから…呼び起こすものは全て置いていく。
 オヤジさんは赤いピアスを見つめている。だめかなぁ…
「…分かった。用意しよう」
「ありがとう…」
 やっと帰れるよ。日常に。

 

 一足先に日本に帰った。
 オヤジさんはあの後も良くしてくれて、自分ちに俺の部屋を移してくれたり。人生最後のリムジンで空港まで送ってくれて、飛行機もファーストクラスだったりした。日本に着くとすぐにイアンの家に直行、荷物をまとめて実家に帰った。家族には根掘り葉掘り聞かれたので正直に全部話す。でないといつまでもずっと聞かれるだろうし、俺の気持ちを分かって貰えれば、そっとしておいてくれるだろうから。
 俺が帰国して約一週間後、亮が帰ってきたので遊びに行った。ちょうど俺様の誕生日で、お祝いをしてくれるって。
「おかえり、亮」
「ただいま…」
 亮はなんとなく寂しそうに俺を見つめた。言わなくても、お互いどんなことを考えているか分かる。
「あのね、お土産あるの」
 そう言って亮が差し出したのは、トルコ石の腕輪だった。凄く綺麗な水色。他の部分はシルバーで出来ていて、すっきりシンプルなデザイン。今時のやつなので気軽につけられる。
「僕もお揃い。ちょっとデザイン違うけど」
 にっこり微笑みながら腕を突き出すと、同じだけど少し細めのデザイン。ペアみたいで相当嬉しかった。
「ああ、ほんとだ。めっちゃうれしい」
 はめてみると、気のせいかも知れないけれど、元気がわき上がってくる。いつも亮が側にいてくれるような感じで、亮の温かい光りに包まれているような気もする。
まだまだ、一人になったことを思い出して寂しくなることもあるけれど、そのうちなんとかなるだろうさ。
 とても綺麗な水色の石を見ていたら、喪失感や満たされない思いがすーっと軽くなる。
 もう、あんな恋は出来ないと思う。
 出来ただけで幸せ者かな?
 亮が、ソファーに登ってぎゅっと抱きしめてくれた。登るとちょうど亮の胸に顔を埋められるんだ。
 今はまだ忘れたふりをするのに精一杯。
 でもまたきっと、大切な人は現れるはず。