秋一とイアン

春夏秋冬そして春

そして

模試。6割しか点数取れなかった…それでも、スタートは上々、ってどういうことだよぅ。佐野さんは、今から少しづつ、確実に点数を上げていけば良いと…
「俺様的には一気に合格ラインまで行ってそれをキープってのが良いんだけどなーーー」
「キープする方がきついぞ。記憶のどこから抜け落ちるか分からないからな。最初から丹念に積み上げていけば、弱いところや抜けている部分が見つけやすい」
 佐野さんとは良い関係が続いている。 話す度にますます、こんな先生になりたいな〜、と思わせる人。台詞をメモって取っておきたいくらい。
 で、休みの前の日には必ず勉強を見てくれて、傭兵食堂や亮んちで食事をするようになっていた。
 

 模試の結果を貰った日、その日は朝から熱っぽく、まあ次の模試までは時間もあるし、一度盛大に風邪をひいても良いかなと、思っていた。
 久実先生はいつもの漢方薬ではもう遅いかも、と言って注射やらなんやらしてくれたけど一向に治まらず。
「秋一君、顔が赤いな。熱あるだろ?」
 佐野さんは俺の額に手を当てた。
「ひやっこくて気持ち良いーーーー」
「薬飲んで、今日は早く寝ろ」
「薬も飲んだし注射もされた〜」
 それでも効かない。でも、風邪独特のけだるさや煩わしさがない。
 佐野さんの冷たい手が気持ちよくて、額やほっぺたにべたべた押しつけていたその時。
 二番と、久しぶりの裏切り者一番が食堂に駆け込んできた。
「ボーイ、さのさん連れて今すぐ逃げろ!」
「へっ?なんで?」
「ボスが来る」
 イアン…?
 なんで今頃?
「なんで!」
「さのさんの噂が…」
「それお前らが流したんだろ!」
「まあ、そんなところだ」
「なんで俺が逃げなきゃなんねーんだ?もうあいつは関係ねーだろ?」
「とにかく、来い!」
 一番は軽々と俺を持ち上げ、二番は佐野さんの腕を掴んで走り出す。
「おろせよっ!いちばん!絶対ゆるさねぇからな!」
 

 俺たちは車に乗せられ、佐野さんの家に運ばれた。
「まあ、ボスはあんたが何処に行っても見つけ出せるからな。ここが一番見つけにくい。見つかったら、どうにかしろ」
「はぁっ!?何わけわかんねぇこと抜かしてんだ?」
「恨まんでくれ。俺たちも命は惜しい」
「お前ら俺のボディーガードだろっ!」
「じゃあな、また会えると良いな」
「ちょっ!まて…」
 俺たちをほったらかすと疾風のごとく消え去った。
「一体何事なんだ?」
「わかんない…」
「ボスって?」
 …せっかく、落ち着いていたのに…心の穴はそのまんまだけど、慣れてきてたのに…今更…
 名前を口に出したら、もうダメになる。朝からずっと熱っぽかったのは、このせいだったんだ…イアンは、何処にいても俺を見つけられる。俺に印を付けたから…俺が選んでしまったから…

「ごめん…まだ、言えない…」
「そうか…ここで大丈夫なのかな?何処か、誰も知らない場所の方が良いんじゃないか?」
「いっしょに、居てくれる?」
「ほっとけないだろう?」
 俺は泣きそうになって顔を両手で覆った。
「大丈夫か?」
 佐野さんは、そっと、抱きしめてくれたんだ…あのタコと違って、なんて優しいんだろう。
「大丈夫。すぐ落ち着くから。もうちょっとこのままで良い?」
「ああ。構わないよ」
「ごめん…」
 

 俺は佐野さんの胸の中で、しばらくの間優しさと穏やかさに包まれていた。落ち着いたら、きっと身体の熱も冷める。そうしたら見つかるまでの時間を稼げるかもしれない。落ち着いて、佐野さんにもイアンにも言わなければならないことが沢山ある。
「温かいものでも飲むか?」
「うーん、冷たいものの方が良いかも」
 見上げると、佐野さんの柔らかい笑顔。
「ビール?」
「それやばいって」
「じゃあ、グラスと氷を用意するから顔洗ってこい。男前が台無しだ」
 佐野さんは優しく肩を抱いたまま、バスルームに案内してくれた。
 冷たい水で、ばしゃばしゃ顔を洗う。まどろっこしくて、頭から水をかぶってしまった。なんかこの光景、デ・ジャ・ブ。
 居間に戻ると、テーブルの上に、山のように氷をいれたビールジョッキとペットボトルの水がで〜んと置いてあった。それに、本が数冊。
「何これ?」
 手に取ってみると、教員試験の過去問題集だった。
「勉強していれば、雑念が消えるぞ」
 えーーーーっ…
「模試が終わったばかりなのに!」
 それから俺は、氷水をがぶがぶ飲みながら、佐野さんにびしばし鍛えられた。お陰で追っての気配が消えた。
「もう、俺だめ…ねむい…」
「私もだ…眠すぎる…」
 二人でずるずる這いながらベッドに直行。そして俺は佐野さんの腕の中で、深い眠りに落ちていった。

 

 早朝、亮から電話があった。
『迅さんが、時間ができたら顔出せって』
「そっちに帰りたいのは山々なんだけど…」
『イアンはもうホテルに移ったから大丈夫。しばらく出入り禁止になったから』
「なにそれ…」
『理由を知るために早く帰ってくるのも楽しいかも』
「なに、ちょっとだけ教えて」
『うちがめちゃくちゃ』
「わかった。まだ修理呼ぶなよ!」
『ええええーーーーっ!』
 

 電話を切ると、ちょうど佐野さんが居間から声をかけてきた。
「朝飯できたぞー」
「いまいくー」
 炊きたてのごはんとおみそ汁と目玉焼き。シンプル。でもうれしい。
「このくらいしかできないが…」
「俺なんかごはんも炊けないーー」
 炊飯ボタンを押したつもりが保温になっていて…が数回。目分量で米を入れたら…も数回。
「佐野さん、今日は学校だろ?」
「ああ。秋一君はここ隠れておくか?」
「ううん、亮の所に戻る。なんかあっちのマンション、出入り禁止にしたって。あっちのほうが安全みたい」
「そうか…」
「あの…もしよかったら…佐野さんも暫くマンションに来ない?部屋は沢山あるし…」
「そうだな…君のことも心配だから、そうするか」
 その答えが嬉しくて、嬉しくて。

「すっげ〜〜〜!」
 迅の部屋はかなり風通しが良くなっていた。玄関のドア、これは防弾仕様なんだけど、ぐんにゃり曲がっている。各部屋に通じるドアは全滅。居間の応接セットも足が折れたりクッション部分の中身が外に出てたり。
「もう、いきなり爆発音がして、ガラスの割れる音とかメリメリ言う音とかしたかと思ったら、寝室に怒鳴り込んで来たの。怖いって言うか恥ずかしいって言うか…」
 亮はぽっと顔を赤らめた。無粋なやつめ。
「亮は、怪我とかしなかった?」
「うん。でも、迅さんは力ではイアンにかなわないから…止められるのは僕しかいないから、必死で止めに入ったけど…迅さん、怪我しちゃった…」
 飛んできたイアンの鉄拳を避けようとして、腕の骨にヒビが入ったらしい。彼らの間、炎を纏う蛇の間では、力の強い者が上位なわけではない。光りある者が実在する今、光りある者の亮が選んだ蛇が王だ。
 イアンは、王を傷つけた。だから、罰を受けることになる。でも、罰を下す亮が優しすぎるもんだから…出入り禁止くらいで済んだ。もし迅に万が一のことがあって、亮が悲しみのあまり光りを失えば、一族から罰が下される。そうなれば、イアンも生きてはいられないだろう。

「ごめんな、おれのせいで…」
「そんな、秋一のせいじゃないよ」
 でも、俺のせいだ。イアンがあんなになったのは…もう、どうすれば良いんだろう…
 夜、部屋の惨状を観た佐野さんは言葉を失っていた。
 そうだよな…あんなのがもし、佐野さんの家に来てたら…
「随分な乱暴者なんだね、その人は」
「乱暴っちゃ乱暴だけど、そうさせたのは、たぶん俺だから…」
 俺と佐野さんのことを聞いたからだと思うけど…
 自由に生きろって言ったじゃないか…
 俺はただ、のどかな人生を楽しみたいと思っただけなのに…イアンといると、平静でいられない。驚かされて、振り回されて、心乱されて…最後は自分の不甲斐なさばかりが目立って自己嫌悪に陥る。
 佐野さんには、ちゃんと話さないとな…なが〜い話しだけど、ちゃんと話さないと、前に進めない。

 

 順を追って、迅との出会いから今日に至るまでの長い話しを、佐野さんは黙って聞いてくれた。天使の生まれ変わりだとか、光りある者だとか、炎を纏う蛇だとか、ファンタジーな世界をどこまで信じてくれたかわかんない。でも、佐野さんはファンタジーでは無いと言ってくれた。そこまで顕著ではないとしても、他人に影響を及ぼす力を持っている人は沢山いる。それに惹かれる人も嫌悪する人もいる。もし特別強く惹かれる人が現れたら、お互いに離れられなくなるかもしれない、と。
「秋一君、君は離れていてもずっと彼の存在を感じていただろう?日本に来た途端に熱まで出して…私に亮くんや紅宝院さんの事を理解して貰いたいと一生懸命なのに、自分の事はまるで理解していない。私には、君も亮君も同じ性質の持ち主に見えるよ。君が素直な気持ちを押し隠しているのは何故だい?」
「それは…」
 俺が何もできない人間だから。
「俺、あいつにばっかり見返りを求めて、そのくせ自分はナンにもできないつまらない人間だから…」
 ただ隣で寝そべっているしかできないなんて…
「最近はそうでもないじゃないか?目標も出来たようだし…」
「それは、佐野さんのお陰だもん」
「自分で決めて動き出したから、私と出会えたのかもな?願いが強ければ強いほど、不思議と叶うものなんだよ。秋一君が本気だと思ったから、私も手助けをしたくなった」
 

 でも俺は、はっきり言って自信がねぇ…
 イアンの隣にいる自信がなかったんだ。
 認めたくないけど、俺では分不相応だなって、思ったんだよ。あんな凄いヤツに愛されて、怖かったんだ…体も心も何もかもが、底なし沼のように引き込まれて行くのが怖かったんだ…
  

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 少し長くなったので「そして 春」を二つに分けてしまいました…NEXTボタンで「そし   て 春(完)」に飛びます。

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