本田と克彦を乗せたベントレーがビルの前に静かに止まった。ビルの入り口で待機していた五人の黒服の男達が歩み寄り、車のドアを開ける。この五人の男達より本田一人の方がはるかに戦闘能力が高いのだが、組の体面を保つためには護衛の数も気取らなければならない。本田雪柾ならば十名以上の護衛がいても不思議ではないが、繁華街だと言うこともあり、控えるように伝えてある。
そんな事よりも…本当はこちらの方が重要で…
「おっす!けーちゃんおひさ〜!、黒さん今日もきまってるじゃん!あーっ、鉄ちゃんまた白髪染めてないっ!」
と、全ての組員に片っ端から声を掛けまくる克彦に付き合わされるのが億劫なのだ。
「だって挨拶は基本だよ?」
とは言うものの、この世界では目上の者が挨拶する習慣など無い。組長が率先して挨拶などあり得ない。この二ヶ月あまりでそのくらいのことは克彦も分かっているはずなので、ご機嫌麗しく愛想を振りまいているのは恐らく、票稼ぎ、のためだろう。カラオケ大会の賞は全員の投票によって決まる……
特に克彦を紹介する場面は設けていないが、本田に抱き寄せられた克彦を見れば、克彦が本田にとってどのような人物か分からないはずがない。そしてその二人の周りを取り囲むようにして座る幹部達…そこから発せられる気は、参加する全ての組員から憧憬と畏怖とを伴って迎え入れられた。
「千草さんと沼田さんはお久しぶりだね?園部さん、こないだはどうもー」
取りあえず自分に一番近くにいる幹部たちにお酌をしようとビール瓶を持ち上げると…後ろから都筑に取り上げられてしまった。
「え?なんでー?」
困ったように固まる都筑の代わりに、吉野が答えてくれた。
「克彦さんは主賓ですから。それにあなたは組長の大事な方なんですよ?そんな人にお酌なんてさせられません」
「でも…」
雪柾を見上げると、何も映していない表情で微かに頷いた。
(優しくなくても、格好いい…)
ついさっきビール瓶を取り上げられたことなどどうでも良いくらい、見ほれてしまう。この二週間、歌に専念するためにちゃんと雪柾を見ていなかったからだろうか、たぶん鼻毛が伸びていても格好いいと思うだろう。
「でも、雪柾にはついでいいよね?」
真新しいビール瓶を持ち上げ雪柾に向けると、雪柾は千草から受け取ったグラスを克彦に差し出した。
「いつもご苦労様」
そう言いながら克彦がなみなみと注いだビールを、雪柾は一気に飲み干した。
下部組織からは組長以下二名までしか呼ばれていなかったが、それだけでも50名は下らない。その幹部達の名前と顔を一致させることはもはや不可能で、克彦は半分を過ぎた頃から自分の好みの顔だけ覚えるようにしていた。やっと、楽しみにしていたカラオケ大会が始まったのは開始時刻から一時間も経った頃だろうか。司会進行の下っ端組員が参加者の名前と曲名をアナウンスしはじめた。
「雪柾、俺、前に行ってみんなの歌聴いてるね」
言うが早いか克彦は自分のグラスを掴むと、下っ端達がたむろする前方の席に移動して顔見知りの組員達の間にちゃっかり座り込んでしまった。顔見知りとはいえ、彼らにとっては組長のイロ。しかもさっきまで組長に抱き寄せられて甘いオーラを発散させていた美貌の主が紛れ込んできて、赤面する者やら前のめりになる者やら…しかし、そんな緊張も、すぐに克彦のハイテンションなノリに一掃されてしまった。
「すごいすごい!みんなうま〜〜〜い!!でも、俺のほうが上手いからね〜!」
ヤクザが下戸でどうすんのー!と飲めない組員に無理矢理飲ませながら手拍子を取りながら間の手を入れながら、前方の、その席だけが異様に盛り上がっている。
面白くないのは本田だ。
「あと一時間程で終わりますよ…その後は一番近くのホテルを予約してありますから…」
沼田がそう言うものの、本田の不機嫌は二週間の禁欲を強いられたことではなく、今眼前で繰り広げられている組員達との派手な馴れ合いだ。仲よくするなとは言わないが、昨夜、都筑のことで本田が嫉妬深い事を十分分かっただろうに…
「私が行って監視しておきましょうか?」
園部が気を利かせたつもりで進言してきた。組員に慕われている沼田が行けば騒ぎが大きくなりそうだし、吉野は先ほどから見あたらない。ここは自分が、と立ち上がりかけると。
「…お前、克彦をナンパしたそうだな」
園部はちらっと都筑に目をやる。
「都筑は報告義務に従っただけだ」
「…申し訳ありませんでした」
知らなかったと言うことは理由にならない。理不尽でも、言い訳など許されない世界だ。もっとも園部は理不尽だとは微塵も思わない。本田は園部にとって無条件に服従できる唯一の男だからだ。
「二度目が無いのは分かっているが…」
園部が禁を破って克彦を誘惑する事などないと分かっている、と言いたいのだろうが、本田がぶつぶつと聞こえないように濁らせた言葉に、園部は驚き、凝視してしまった。
久しぶりに帰国してみれば本田に男の恋人が出来ていた。恋人など甘ったれた関係の女を囲ったことは一度もなく、先で結婚したとしてもそれは完全に政略結婚だろうと思えるくらい女に執着心も無く、適当に息を抜く程度だった。園部もたまに海外から上物の女を贈った事があるがいずれも一週間と経たずに戻ってきた。その本田が、目の前で暴れている男に振り回されているなんて…
克彦は確かに美しい。
帰国したばかりの夜、事務所にちらと顔を出した後、すぐに夜の町へ繰り出した。ニューヨークでは遊び回る気になれず、契約した愛人を囲っている。見た目も身体も極上だが、肌のきめの細かさや振る舞いなどは男も女も日本人が一番で、その中でも克彦の美貌には目をひくものがあった。性格以外は…さすがにこのハイテンション振りを見てしまうといくら美貌の青年といえど、引いてしまう。強いて言うなら、物怖じしない剛胆な性格が本田の心に触れたのか?
「組長、私は帰国したばかりで知らないのですが、克彦さんとはどういった馴れ初めで?」
馴染みの修理工の紹介とは聞いていたが…それも意外といえば意外だ。
「…最初は俺を小突いて道を空けさせ、次は俺のマセラティに手形を付けやがって、三度目は菓子くずをほっぺたに付けたまま睨みつけやがった」
「…それは……克彦さんが小学生の頃のお話しですか?」
突っ込みを入れずにはおられない、そんな出会い方だ。
「そろそろ克彦さんの出番ですよ」
園部の突っ込みに苦虫をかみつぶしたような表情を見せた本田に、沼田が注意を促した。
『次はお待ちかね、黒瀬組の新しい風、本田克彦が歌います。夕日の挽歌!!』
誰が考えたのか、名字が本田姓に変わっていたが克彦自身は気が付かない様子で、笑顔で舞台に向かっていく。本田も幹部も、肩が震えている。途中克彦は、都筑から貸して貰った(本田には内緒)アルマーニのジャケットを勢いよく放り投げ、本田のワードローブから(内緒で)失敬した高級そうなネクタイをスルッと抜き、自前のボレリのシャツのボタンを外しだし…たとたんに沼田と園部が駆けだしたが、克彦はお構いなく脱ぎ捨てた。
もちろん雪柾以外に素肌を晒すはずがない。
シャツの下には、何時の間に用意したのか『太陽にほえろ!』のロゴがでかでかとプリントされたTシャツを着用していた。
「「「………」」」
安堵とも無念ともしれないため息がそこかしこから漏れる。
「おい沼田…」
本田が戻ってきた沼田を鋭く見据え、怒気を含んだ声で唸った。
「どんなに頼まれても、二度とこんな会は開くな」
「…承知しました」
「どうだった??」
あれだけ飲んで騒いで歌いまくっても顔色一つ変えず、歌い終わった途端本田の隣に滑り込んだ克彦が無邪気な顔で訊ねると、それまで強張っていた本田の表情がみるみる溶けていく。
「上手いもんだな。感心した」
嘘ではない。歌は上手かった。
「本当!?だって練習したもん。賞とれるかな?」
「取れなかったら反対したヤツ全員この場で殺す」
「ダメ。そんなことしたら、雪柾、永遠に刑務所はいっちゃうじゃん…」
「…吉野がやったことにする」
「…それもっとダメじゃん…って、千草さん、全然どこにもいないんだけど…」
自分でも少しやりすぎたかな?と思ったパフォーマンスで怒られることもなく、褒めてくれた本田にまた惚れ直し、安心した克彦は先ほどの勇姿の感想を聞こうと吉野を目で探す。
「沼田さん、吉野さんどこ行ったの?」
吉野は忙しかった。採点票を集め、克彦以外の名前を書いた者に話を付ける必要があったからだ。だが、票を開いてみると克彦優勢で、何の操作も不要な様子だ。満場一致で克彦が一等賞を取るより、多少の競争があった方が真実味があって良い。
別室で集計し、司会者と授賞式の打ち合わせをした後、吉野は宴会場へと戻っていった。
「あ!吉野さん!」
会場へ足を踏み入れた途端、克彦に呼び止められた。
「俺の歌、聴いてくれた?」
ああ、この人は本当に、裏がないのだな、と、そのまっすぐに問いかけてくる笑顔に吉野も思わず笑みを零す。
「思った以上に上手かったですよ。少し意外でしたけどね」
この人が、自分たちのせいで汚れませんように…もちろん、そうならないように守り通しますよ…死に神らしくない決意に自嘲してしまった吉野だ。
結果は、三分の二票を集めた克彦の大勝利で、「ヨドガワカメラで好きなもの三点」を購入する権利を得た克彦は、授賞式の舞台上でもはじけまくり、本田の失笑を買ってしまった。
けれども…
紅白の水引に包まれた目録を大事そうに抱えた克彦は、お開きの合図が出されるや、本田にまっすぐと向き直った。
「雪柾…これ、ありがとう。それから…二週間、我が儘ばかり言ってごめんなさい」
本田の目が驚きにゆっくりと見開かれる。側にいた幹部達も殊勝な態度で謝る克彦に視線を釘付けにしていた。
「…真面目に練習してただけだろう?」
「うん。でもね、雪柾とずっと一緒にいられなかったのは辛か…」
本田は最後まで聞かずに克彦の身体をすくい上げると、組員や挨拶をしてくる下部組織の幹部達には目もくれず、待機させた車まで足早に運ぶ。
後部座席にそっと押し込み自分もその横に滑り込むと、ドアが閉まるのを待ちきれずに克彦の身体に覆いかぶさっていった。
「雪柾…まって…」
「…待たない」
都合が良いことに克彦はTシャツ姿で、滑らかな素肌に触れるのは容易いことだった。
「だめ…」
克彦にとっても二週間ぶりの愛撫は、理性を葬り去る威力を持っていたが、今日は絶対に譲れないのだ。
きっぱりと拒み、渾身の力で雪柾を引き離す。
「克彦…」
「あのね、雪柾ちょっとだけ、待って」
「……」
「二週間、すごく辛かったんだよ?」
「俺もだ…」
「もう、この二、三日は雪柾を見ただけでドキドキしたし、遠くから近づいてくるのを見ているだけで気が遠くなりそうなほどだったんだ…だから…」
「……」
「今日は、俺がする。どれだけ雪柾が好きか、欲しかったか、分かってもらいたいから…」
雪柾をもっと良く見たい。沢山触りたい。抱き締めてその熱さを全身で感じたい。俺が雪柾に心底惚れてるんだって、分かってくれるよね?
雪柾の膝の上に乗り上げると、克彦はついばむような愛しいキスからはじめた。
END
直後のお二人はこちら☆
雪柾と克彦
番外編