克彦が行きたがったその店は高級住宅街のそばにあるフレンチ・レストランだった。二階にはアットホームな雰囲気で立食が可能なパーティー用の部屋があり、そこを借り切って盛大に騒ぐ予定だ。一階はガラス張りで前庭や中庭が見渡せ雰囲気があって良いのだが、本田達の警備の都合上、外から見えない二階の方が策を講じやすい。元彼の義童の同僚には本田がヤクザであることを隠して参加することを伝えてあり、吉野を通じて口裏を合わせて貰うように話を付けてあるので、黒瀬組幹部が集まっていることは参加者の誰も知らないはずである。
 黒瀬組の場合は三人の幹部が最強で邪魔をすれば後から怒られる(特に吉野)ので護衛の数も最小限度。本田も克彦だけであればここまで厳重にしなかっただろう。ヤクザのイロとは言え、まだ慣れないことが多い克彦に護衛を無理強いする気もない。はっきり言って克彦以外の人間がどうなろうと知ったことではないが、今日もし万が一の事が起こって彼らを見捨てでもすれば、克彦は一生自分を恨む。そのための護衛だ。克彦からは何も奪わず、全てを手に入れて一生笑って過ごさせたいのだ。隣には必ず自分もいる。今までは自分をここまで押し上げるために頭と身体を張ってくれた者と組織のために、彼らを任せられる後継者を育てるまでは死ぬわけにはいかなかったが…今は克彦のために天寿にさえ逆らう気でいる。
「雪柾??」
 

 自分の方をじっと見つめて黙り込む雪柾を訝しみ、克彦が話かけてきた。
 クリエイティブな人間とは付き合ったことが無いが、克彦の友人達はどうやら一般常識からかけ離れた常識ハズレ集団で、会話の内容にはいささか呆れるモノがあった。
 女王様と取り巻き、と言うよりガキ大将と悪戯小僧達。
「ああ」
「ちゃんと話聞いてた?」
「資金繰りか?」
「うん。みんな今は雇われだけど、いつかは独立したいの。で、その資金作るのに投資の仕方とかを吉野さんに教えて貰いたいの」
 克彦もそうだが、金をくれとは言わないのが彼らのプライドのようだ。
「わかった。今ある金を吉野に渡しておけ。必要な額に増やしてやる」
 太っ腹、等と素直に喜ぶのも常識ハズレ集団だからかもしれない。うまい話には裏があると疑って掛かるのが常識人で、また、自分で何とかしたがるのも常識で、人の好意に素直に寄りかかるとは見上げた根性だ。試しに資産運用をさせてみたいが、どんなドタバタ劇の後始末をさせられるか分かったものではない…
「…え、俺達の担当なんか小難しいことばっかりいってちっとも増やしてくれないですよ…」
 こいつらに才能があるとして、こいつらの担当とやらは売れっ子になったときの金目当てに、今は付かず離れず、増やすことが目的ではなく、将来こいつらから流れてくる金を狙っているわけだ。
「仕事はプロに任せるのが筋だろう?お前達はたまにその才能を貸してくれれば良い」
「雪柾…吉野さん忙しいのに…」
 鳩が豆鉄砲でもくらったように皆がボー然としている。
 勘違いされては困るが…克彦が喜ぶ顔が見たいだけだ。
「その代わり、欲しい額をはっきりさせておけ。幾ら儲かったかは聞いてくれるな。お前の名義で増やしておくからあとで割り算しろ。そのくらいはできるな?」
「ちょっと!一応これでも理系だよ?デザイン科だけど数字も得意じゃないと出来ないんだよ?暗算得意なんだからね?雪柾のサイズだって見ただけで分かっちゃったんだからね!」
 そうやってぴーぴー騒いでいる克彦が一番克彦らしい。
 お前はただ笑っていてくれれば良い…


 あまり馴染めていない桑野と清水だったが、山崎のフォローでなんとか営業職らしく振る舞っていた。ただ彼らもガキ大将集団にはいささか振り回され、克彦さんだけで勘弁してくれと思う。この二人、男の世界にどっぷりはまっていたがそう言う趣味はなく、こっそり渡された電話番号に首をかしげながら、幹部どころか組長まで嵌ってしまった異次元世界の入り口で右往左往。
「…これはあの〜…」
「克彦さん達の世界は、ある意味タブーが無いですからね」
 堅気のくせに、妙に裏世界を知り尽くしている山崎に言われると説得力が増す。今日のメンバーの中では山崎が一番黒瀬組に利益をもたらしそうな人材である事に二人とも気付いていたが、組に有益な人間はみなホモか?と勘違いしそうになったのも事実だ。だからといって自分達にはとても入り込めそうになかったが…
「人生経験が増えて、良いじゃないですか」
 にぱーっと笑う山崎の奥の深さに感動する。
「さて、そろそろ二次会へ移動ですかね」
 吉野が流れるようにその場を取り仕切るのとは正反対で、山崎はきっちりと切り替える。切り替える様はおっさんくさいが、童顔なのでどこか微笑ましい。
「あなた達は彼らと同年代なので最後まで付き合ってくださいね。本田社長は一旦引き上げて、全てが終わってから克彦さんを迎えにいくそうです」
 

「雪柾…先に帰っちゃうの?」
 そっと室外に出て行った本田の後を追い、克彦も喧噪の中から出てきた。                              「ああ。少しやり残したことがある。二、三時間で終わるから、後で迎えに行く。お前は好きに楽しんでろ。沼田と吉野は残していく」
「うん。ありがと」
 本田が生きてきた世界と全く違う自分たちの世界。本田が面白くないだろう事は最初から分かっていて、それでも克彦のために世話を焼いてくれたどころか顔まで出してくれた…
「いつ死んでも良いくらいうれしい…」
 友人繋がりの恋人が多かったので敢えて紹介した事が無い。こんなことは克彦にとっても初めてだし、これが婚約とか結婚披露とかだったらもっと嬉しいんだろうな…と自分では永久に味わえないだろう喜びの欠片くらいは知ることが出来た。
「それは困るな。まだ俺の気持ちの1%もお前に伝えてない」
 自然と克彦の身体が本田に寄り添い、どちらともなく唇を寄せ合う。何度もキスしたはずなのに克彦の身体は微かに震え、熱く蠢く舌に口内を貪られると一人で立っていられなくなる。
「んん…」
 本田は克彦の身体をすくい上げるように抱き締め柔らかな唇を堪能した後、白い項に甘く噛みついた。
「また後でな…」


「克彦さん、大丈夫?」
 ドアの外で魂が抜けたように座り込んでいた克彦を見つけたのは矢ノ口景也という、克彦の友人の中でも最も若い青年だ。清楚で儚げな面持ちは克彦の華やかさと相反し性格も正反対なのだが、と言うことはつまり、お互いに自分が持ち合わせない部分に憧れや好感を抱いている。二人とも根が素直なので正反対でも付き合っていけるのだ。
「あははははは…腰、ぬけちゃった」
「…もうっ。でも、すっごく素敵な人ですよね。俺もやっと社会人になったけど、あんな人、上司にもいないなぁ…」
 景也は克彦の後輩でこの春大学を卒業したばかりだ。田舎育ちでいつまでたってもあか抜けないが、そこが景也の良いところ、と克彦は思っている。                           「けいは彼氏いるからかっこいい上司なんていらないじゃん」
 ちゃかすように言うと、花びらが舞うように景也が微笑んだ。
「もうっ、けいちゃん可愛いっ!」
 景也の叔父は建築家。田舎で個人事務所を開いているので大学卒業と同時に田舎に帰るのかと思いきや、もう少し東京で学んでから帰る事にしたようだ。景也の彼氏は幼なじみで地元の造園業者の息子で、景也が東京の大学に進学する前にすったもんだの挙げ句結ばれ、四年間の遠距離恋愛を乗り切り、この先何年になるか分からないがその間も遠距離でがんばるつもりらしい。毎月田舎から会いに来る彼氏と何度か会ったことがあり、そのたびに克彦は揺るがない強い意思を持った二人を羨ましいと思ったものだ。
「克彦さんも、すごく綺麗です。いつも以上に」
 

 しかし、矢ノ口景也は克彦と同じくヤクザが嫌いだ。克彦にとってはすでに過去形の話だが、景也には死んでもヤクザを嫌い続ける理由があった。
「まぁ…細っこい可愛い系だから、本人がうちをどうこうって事はないだろうが…」
 事務所へ向かう車の中で調査書類をめくる。
 克彦の友人達の履歴を調べてみると本人達には問題がないが、家族に不審な死に方をした者が一人…それが矢ノ口景也だった。
「三代前か?」
「はい」
 助手席に座っている吉野の部下の一人が短く答えた。
「参ったな…」
 三代前の黒瀬組の不始末なんぞ、何で今更掘り返さなくてはいけないのか…
「俺が5歳の頃の話か…」
 その頃の黒瀬組はちんぴら集団で、残っている写真を見るだけでもおぞましい。恐喝、詐欺、密売、典型的なヤクザ集団で、それを今のような一見品行方正な経済ヤクザに育てたのは先代である。
 先々代までは実子が跡目を継いでおり、この三代前は黒瀬組を起こした初代の長男である。要するに、黒瀬組は本田で五代目で、先代が世襲制だった黒瀬組を乗っ取り、少数精鋭の強固な組へ立て直し始めた時期からが本田にとっての黒瀬組である。

 
 矢ノ口景也の父は20年前、自殺した。自筆の遺書が残されていたが、本人が望んで書いたかどうかは知れない。
 景也の父は大手ゼネコンの優秀な若手社員だった。会社の上層部と政治家の黒い繋がりに気が付いた父を、黒瀬組が脅してきた。黒瀬組は政治家に麻薬と女を売っていた繋がりでその仕事も請け負ったのだが…産まれたばかりの景也と若い妻のことを誰よりも大切に思った父が会社を辞め田舎に戻ろうとした矢先、会社と政治家の繋がりが明るみに出そうになり、難を逃れようとした上層部は父に、政治家は秘書と隠し子に、全てをなすりつけ黒瀬組に処理を頼んだのだ。
 恐らく、黒瀬組は景也と母を人質に遺書を書いて自殺することを強要したと思われる…
 景也と母は解放されたが、精神に異常を来した母はそれ以来ずっと田舎の病院を点々としており、景也は叔父に引き取られ見た目は幸せに暮らしている。
「…が、知っているんだな?黒瀬組がしでかしたことを…」
「はい。叔父が本人には全てを話しているようです。フロント企業の一つに中堅どころですが土建屋もありますから、父と同じ建築関係に進めば黒瀬組ともどこで遭遇するかわかりません」
 柔らかく儚げな印象だが、人間いつどう変わるか分かったものではない。 こちらから敢えて名乗りを上げる気もないが、もし克彦が黒瀬組に深く関わっていることが分かった場合の対処を考えておくべきだろう。


 二次会からは義童の恋人の雷、景也の恋人の工藤一月(くどう いつき)が加わり、都筑の知り合いのスナックを借り切ってやはりのカラオケ大会…
 昔懐かしい雰囲気のスナックなど行ったことがない連中だが、ちょっと年の行った気さくなママに息子のように可愛がられ、居心地は抜群だった。
「ママ、スナックのママじゃなくて、ママって呼んでも良い?」
 親元をとっくの昔に卒業して気ままに生きている克彦だが、家族が恋しくないわけじゃない。本物の親に相談できることは少ないが、親のような存在の他人にはすらすら話せる事柄もある。
「良いわよ。子供が増えるのは大歓迎。本物は一人しかいないし、それも最近すっかりご無沙汰だしね」
「息子さんがいるんだ。じゃあ俺とも兄弟ってことになるね!紹介して!」
「いいわよ。克彦ちゃんの隣にいるのがうちの馬鹿息子」
「え」
 隣にいるのは都筑だ…
「えー!都筑のママ!?」
「…ママっつうのはちょっと…」
「ちょっと!なんでちゃんと言わないんだよ!いつもお世話になってますって花束とかケーキとか持ってきたのにー…吉野さんも沼田さんも、もしかして知ってたの?ずっるーい。俺だけ知らなくて失礼なこと言ったりやったりしたらどうするつもりー?俺の友達だって酔っぱらって出入り禁止行為とかしないように、そう言うことはちゃんとしとかないとー…はい、みんなー!じゃんじゃん飲んで良いけど、おしとやかにねっ!」
 何かあってもここなら後かたづけが楽なので連れてきたのだが…
「よし!都筑!歌うぞ!例のやつ!」
「や、そりゃまずいっすよ…」
「なにいってんの!ここで歌わなくてどうする!じゃあいくよ」
 慌ててマイクを握って歌い出したのは…兄弟仁義でも兄弟船でもなく、宇宙兄弟船だった…転調と字余りが激しいオタクなこの歌を、都筑は好きではなかった…けれどもヤクザものを歌われるよりはマシである。二人でどう歌えと言うのか…しかし克彦はノリノリでコブシを回しながら適当にハモってくる。親である組長から言われた仕事に疑いを持つわけではないが、憧れてやっと入れた黒瀬組で、まさかカラオケを熱唱するハメに陥るとは…時間が空くとこの店に寄っているがそのたびに、変わったね、と母や従業員に言われる。それが良いことか悪いことか判断は付かないけれど、何もやり遂げられなかった学生時代に比べると充実感がある。
「…歌う曲まで変わったね」
 格好いい歌よりも盛り上がる歌、これが最近の都筑のコンセプトだ。上手いやつは何を歌わせても上手く、それこそが格好いいのだ。黙ってすましていればどこぞの王子様かと思わせる克彦さんが、世話好きの悪戯小僧で口が悪いんだか素直なんだか思ったことは何でも口に出さずにはいられない性格で、マイクを持たせればお笑い芸人より笑わせてくれて、若さと美貌を保つ努力もハンパなく、組長に愛されるために必死であれこれやっていて…月並みだが何事にも全力投球な生き方は清々しく、誰よりも男らしいと思う。 


「克彦さん、そろそろ…」
 吉野がそっと耳打ちしてきた。この後、本田が迎えに来ることになっている。ちょうど元彼義童の恋人、雷をおちょくっていて義童に頭を叩かれていたところで、今日、恐らく最後の難癖を雷に付けているところだった。
「ああ、残念。チビ猿はからかい甲斐があって面白いのに…」
「はいはい。いつでも相手しますよ」
 義童のお陰で他人と深く付き合う恐怖が薄らぎ、他人の色々な面がちょっとずつ見えるようになると、克彦がただ相手を嫌って難癖付けているわけではなく、こうした方が良いよと豪速直球を投げつけているだけだと感じる。チビで猿みたいなのもそうだし、色気もないし。チビで猿はどうしようもないけれど、色気は、めちゃくちゃ恥ずかしいことを心臓発作で意識不明になりそうなのをがまんして言ったりしたりすると、義童さんが喜ぶことが分かり鋭意努力中。でも、つい最近、パンツだけは自分の方が克彦さんに勝っていた事が判明して、ちょっぴり嬉しかった。それで、義童と相談してプレゼントはパンツにした。忙しそうにしていたけれどプレゼントだけは誕生日当日に渡したそうなので、もう履いたかと思うと、今日の憎まれ口も可愛く聞こえる。
「あと五分ほどで到着されますよ。みなさんにご挨拶をしたほうが…」
「うん。ありがと」
 

 沼田と山崎は何かあったときのために、営業部員一同(?)とその場に居残った。吉野は本田と同じ車に乗り込んだが、途中で山崎が連れてきたと言う屈強そうな男達が乗る車に押し込まれ、何処かへ連れて行かれた。
「あーあ…沼田さんと山崎さん、最後まで居たね。どうなったか明日所長に聞いてみようっと」
 車の中で本田にぴったり寄り添いながらも、克彦はまだ悪戯が足りない仔猫のようにごそごそしながら他愛もないことを喋り通している。
 ほんの2時間ばかり離れていただけなのに、その間に本田が身に纏う雰囲気が一変していた。目眩がしそうなくらい強烈なフェロモンが噴出しているのだ。このままだと克彦は自分がとんでも無いことを口走りそうで、気を紛らわすためにどうでも良いことをしゃべりまくっているのだ。
「吉野さんを連れて行った人達は、旅行の時に見た人達だよね?三人でどこかに行くのかな?」
「…いや、吉野を連れて帰ってもらっただけだ」
「ふーん…?吉野さん強いから一人でも大丈夫でしょ?」
「吉野が危ないんじゃなくて、吉野がキレたら相手がやばいからな」
「あ、なるほど…でさ、今日来てた景也って子わかる?一番若くて可愛い子ね、あの子の彼氏が二次会に来てたんだけど、温暖化防止と経費節減でビルの壁に苔を貼り付けてるんだって。黒瀬組でもやってみない?最近結構はやりでさ、ついでに環境ISOとか取っちゃったら超最先端を行く環境に優しいヤクザとか言われるよね?」
「…」
「…怒った?」
「いや…それより」
「良かったーっ!」
「克彦…」
「…あ、こっちって雪柾のマンションじゃないよ?何処か行くの?」
「俺のマンションの三軒ばかり先だ」
 そう言うなり、本田は克彦の唇に噛みついた。
「んぐっ…」
 そのまま強引に舌を割り込ませ、おしゃべりな口を封じる。
「…克彦、あと五分だけ静かにしていてくれるか?」
 抱き寄せて一層深く舌を差し込むと、微かに頷いたような動きが感じられる。強引さに怯えたのか、少し緊張してしまった克彦が落ち着くまで優しく身体をさすりながら舌を絡め、吸い上げる。
「ん…」
 落ち着いたところですっぽり包み込むように抱き締めると、甘えるように顔を埋めてきた。
「もうすぐ着く。今年の誕生日プレゼントの最後から2番目だ」

 
 本田のマンションの直ぐ近くに新しいマンションが建っているのは承知していた。高層型ではないが落ち着いた高級感溢れるデザイナーズ・マンションで、克彦も時々外から眺めていた。
 本田の車はそのマンションの駐車場に入っていく。
 駐車場には高級外車が並び、一台ごとのスペースも広く取られている。その一角に車を止めると、近くで待機していた本田の部下達が走り寄り、本田と克彦をマンション内に案内した。
「…雪柾、もう五分経ったよ、質問しても良い?」
 うずうずの虫が騒ぎ始めたのか…本田は歩きながら克彦の唇に軽く指を当て、かすかに微笑んだ。
「もう五分」
 エレベーターに乗り込み、カードキーを読み取らせ最上階のボタンを押す。これは本田のマンションでも同じだ。
 エレベーターを降りると、広いホールの先にドアが一つ。ドアの前には見知った顔の本田の部下達。その一人が開けてくれたドアの中に入ると、両脇にドアが一つずつ、正面には観音開きのドアが一つ。それが入り口なのは何となく分かった。
「で、ここどこ?」
 五分も辛抱できなかった克彦が豪華な室内を見回しながら訊ねる。
「お前の新しい家だ」
「は!?」
 

「雪柾、それどういう事?俺、こんなとこ住めない。てか、引っ越したいとか言ってない!」
 つきあい始めて直ぐ、本田から一緒に暮らそうと言われたけれど断った。本田が好きでたまらないけれど、先が全く読めなかったしのめり込むのも恐かったので、自分が戻れる場所を確保しておきたかったのだ。
「お前の気持ちは分かっているつもりだ。だからお前が納得するように決め事をしようと思う。少しだけ俺の提案を聞いてくれるか?」
 

「縛り付けてでも俺の家に置きたいという気持ちは全く変わらないが…それでお前の男としてのプライドを傷つけてしまうなら、お前が一緒に住んでも良いと思うまで待つ。だが、せめてもう少し近くにいてくれ。セキュリティも今のお前の家よりは安心だ」
 納得がいかない克彦は、爪を噛みながら強く首を横に振っている。
「住む部屋が変わるだけで、他は今までと何も変わらない。俺もここに入り浸りはしない。お前が好きなときにうちに泊まりに来ればいい」
「それもあるけど…」
「ああ、家賃は払って貰う」
「はぁ!?」
 どう考えても払えるような額の家賃じゃないはずだ。
(俺の年収ぐらいか!?)
 あまりに突拍子もない意見で思わず突っ込みそうになる。
「月15万で貸す。共益費込みだ」
「…それ冗談?」
「本気だ。黒瀬組が買い上げた。滅多なやつに貸す気はないが遊ばせておくのもな…で、お前に貸して、出て行くときは一ヶ月前に言ってくれ。お前が出て行った後に売り飛ばせば損はしない」
「…」
「悪くねぇだろ?」
「…隠しカメラとかついてないよね?」
「付けた。だが、赤外線探知だから裸で歩き回ってもわからない。カメラは駐車場から部屋の入り口までに数台。入り口の手前にあったドアの中は護衛の部屋になってる。常時2名置くがこの部屋には非常時以外一歩も入らない。ガラスは全部防弾、駐車場も借りてるが、お前は車持ってねぇだろ?護衛が使うから駐車場代はいらねぇ。他に質問は?」
 克彦はまだ納得出来なくて考え込んでいる。
「今までとほとんど何も変わってねぇだろ?部屋が広く新しくなって、うちに近くなっただけだ」
「…光熱費とか高そうなんだけど…」
「…きっかり一万円で良い。セキュリティも電気を食うからな」
「…雪柾が俺のこと嫌いになっても、一ヶ月待ってくれる?」
「あり得ねぇって、何度言えば分かる?」

  

 そんなことわかんないじゃないか…と言いたかったけれど…
 本当は、一緒に住んで一秒でも多く視界の中に本田を捕らえておきたいのに、男としてのプライドを傷つけられて自分から別れることになっても一生忘れられない人になりそうなのに、そんな自分のことを理解して譲歩してくれているのに、それでも「うん」と言えないへそ曲がりな自分…このへそ曲がりこそが別れの原因になるかもしれないのに、曲がらずにはいられない。
「お風呂とか、トイレとか、キッチンとか、全部見てから」
 何言ってるんだ俺、と思ったけれど、そんな言葉しか出てこない。
 手当たり次第にドアを開けて隅々まで見ているのは自分の気持ちを確かめるため。
「…なんか見たことある服がかかってるんだけど…」
 寝室のクローゼットを開けたら、最近お気に入りのスーツが三着ほど掛かっていた。シャツもネクタイも靴下も、自分の物。ついでに大きなサイズのもある。たぶんそれは本田の物だろう。
「お前の家から持ってきた。俺のもな」
 少量だったが必要最低限のものが全て揃っていて…
「週末に泊まってみてから返事しても良いぞ」
 背後からそっと抱き寄せられ、耳元で囁かれるとだめなんだ…
「ジャグジーバスとか、サウナとか、使って良いの?」
「お泊まりセットは俺の所から持ってきてる」
「うぅ…」
 本田のペースに巻き込まれて少し悔しくなった克彦が唇をツンと突き出す。本田はのどの奥で低く笑いながら、大きな手で、ふっくらと締められたネクタイの結び目を解いた。


 いつでも、どんなときでも爽やかな目覚めを迎えられるのは幸せだ。
 思いっきり伸びをして、ベッドに大の字になる…のが日課だけれども、それが出来ない日もある。恋人が隣にいるときだ。大抵、そんなことは忘れていて、恋人を半分下敷きにするか殴るかだが、最近はちょっと違うのだ。
 ぎゅっと抱き締められていて動けない朝がある。
「んー…ゆきぃ…」
 朝からこの態勢というのは前の恋人までなかったことで、眠るときは抱き合っていてもいつの間にか好き勝手に向いているのが普通だった。
 いつも忙しい恋人を起こしたくはないけれど、目が覚めた恋人が寝ぼけながら抱き締めてくれるのも至福の瞬間。
 少しザラザラし始めた本田の髭に引っかかれないように、胸元に顔を埋めて抱き返すと、頭のてっぺんにキスをしてくれる。
「おはよ…」
「ああ…おはよう」
 そしておでこやら目元やらほっぺたにキスの雨を降らせ、最後に朝っぱらからディープキス。
 目が覚めた瞬間から愛しくて愛しくてたまらない人。


「昨日さ、最後から2番目の贈り物って言ったのはここの事だよね?」
 克彦のお気に入りで本田の特製シソジュースを飲みながら克彦が訊ねた。 甘酸っぱくて紅い色がとても綺麗で、美容にもばっちりで、一気に目が覚める。
「ああ…最後のやつがまだだったな」
「もう、そんなにしてくれなくても良いのに…雪柾の誕生日の時が大変だよ…」
「俺のは気にすんな。最後のプレゼントを使ってくれればそれでいい」
 他の部屋から本田が持ってきた大きな箱の包みを丁寧に開くと…
「ちょっと…これ…」
 色目は落ち着いているが、型はどれも超セクシーなパンツ。
「今時の小学生でも履かないようなお前の下着は全部処分したからな。それしかないぞ」
「ちょ…、なんでそんな勝手なこと…だって、こんなの、なんか安心感がないっていうか、お腹冷えちゃうよ…それに…なにこれ、うわっ、はみ出たらどうすんの!」
「それが良いんだ」
 相好を崩さずに言う本田に呆れ返ったものの、以前履いた例のパンツの時を思い出すと死ぬほど恥ずかしい。
「絶対履かないからね!」
「シソジュースで顔が紅くなったのか?まあ、今日明日は履いているヒマもないだろうがな」
 暫くは克彦の罵詈雑言と本田の高笑いが響いていたがそれもいつしか消え、飲みかけのシソジュースと散乱した新品のパンツは、夕方までその場で部屋の主が片づけてくれるのを待っていなければならなかった。
 

end.

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大変遅くなりました。お誕生日でもありましたが、なんだか次の話へのプロローグのような気も…黒瀬組面々の次の日、がおまけです♪

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おまけ1 

後編
お誕生日編1

獅子座な男