半年も経つと、雷は人が変わったように明るくなり、誰とでもすぐうち解けられるようになった。それが本来の性質だったのだろう。両親を亡くし、育ての親を亡くし、それ以上失う事がないように人との関わりを遮断してしまった。芯の強さを持ち合わせていたため、寂しさを押し隠して平気な振りをする方が楽だったのかも知れない。義童と二人きりの時はそうでもないのだが、外に出ると、凛とした強さを発揮する。車好きの社長の車は雷が整備担当になったが、カスタマイズの事で口論が始まり、そのうち大げんかになり、最終的には社長が言いくるめられ、結果は社長も大満足になったからいいものの、義童は辞表まで準備して成り行きを見守るしかできなかった。
「専門的なことはプロに任せればいいのに。俺だって子供の頃から自分のカートは自分で整備してきたから…。仕事初めて3年しかたって無いけど、その前十二年もやってたんだ。俺はあんたの設計図に難癖つけたことないだろ?あんたが車好きだから、見た目もメカニックも最高の状態にしようって思ったのに…」
 社長をあんた呼ばわりしたのはこのときだけだが、車の仕上げの良さと雷の可愛さに社長も涙目になるくらい感動していた。それ以来、雷に必要以上のスキンシップを取るようになった社長に、義童は警戒態勢を取っている。いや、事務所の全員が雷を可愛がってくれるのも嬉しいやら困るやら…
 そんな、雷にとって楽しい日々が続いていたある日の夕方。義童に来客があった。克彦だった。

 義童以外には挨拶もせず、勝手を知った事務所に入るやいなや来客用スペースのソファにどかっと腰を下ろし、対応に出た新入り事務員が不審に思っていると…
「俺が来たら義童を呼ぶんだよ!覚えておけ!」
 と、怒鳴り散らした。
 事務員が呼びに行く前から、克彦が事務所に現れたと伝令が飛んでいた。義童は頭を抱えながら克彦の元に赴く。
「久しぶりだな…克彦」
「義童!」
 ソファから立ち上がると、克彦は義童に飛びつくようにしなだれかかってきた。
「仕事終わったら話しがあるんだけど…」
 やんわりと克彦の身体を引き離し、改めて克彦を見る。思った通り、いつも以上にやつれ、焦燥しきった顔をしている。
「話しだけなら…今忙しい時期なのでゆっくりできないけど」
 克彦の勘に触ったのか、唇をぎりっと噛む。それでもやはり美しいな、と思った。でも…雷の顔が脳裏に浮かんだ。何度も同じ過ちを繰り返し、そのたびに甘やかし、許してしまった、その責任は義童にもある。雷と過ごす日々が楽しすぎて、克彦の事は敢えて気にしないでいたが、克彦がふらふらと付いていった某有名建築家の噂は微かに耳に入ってきた。今度も何とかコーディネーターだったかデザイナーだったか、自分の仕事に役立つ恋人らしい。
「少し片づけてくる。ここで待ってて」
 義童は自分のデスクに戻ると幾つか伝言を書き、これとこれやっといて、と同僚にメモを渡した。雷が来るまでには戻ってくるのでここで待たせておいて、と言うことと、雷には克彦のことを黙っているように、と言うこと。義童は事務所の全員に目で『よろしく』と頼むと克彦を連れて事務所を後にした。
「よく行ってたカフェで良い?」
「義童の家じゃないの?」
「また事務所に戻らなくちゃいけない。家に帰ったら腰が重くなるだろう?」
「……良いよ」
 
「あ、雷君、義童急にお客さんとこ行く用事が出来たからここで待っててって。待ってないで俺とドライブ行こうか?」
 社長直々に雷のお相手。急いで買いにやらせたケーキを『お客の手みやげ』と言うのは誰かにそっくりである。
「やめときます」
 ケーキに釣られたのか、社長の魔の手が伸びている事にちっとも気が付かない雷を心配してか、手が空いている者も空いていない者もわらわら寄ってきて、なんとなくお茶会になってしまった。
 義童が帰ってきたのは二十一時少し前だった。

「遅くなってごめんな」
 事務所で会った瞬間にも詫びたが、車に乗せてからもう一度、口づけと共に誤る。
「んっ…仕事だったんだから、仕方ない。みんなヒマだったみたいだし」
ヒマなわけではないが、雷が来たため自主的に休憩を取ったのだろう。今夜は残業、だろうなと思うと申し訳ない。
「お腹空いただろ?何か食べて帰ろう」
 こくん。

 義童はコーヒーを飲みながら克彦の話を聞いていた。細かいところは聞き流したが、大まかなところは想像していたとおりだった。
「最初に何度も言っただろ、ろくな噂は聞かないからやめておけって。それに…こうやって私の所に戻ってくるのもやめてもらえないか?私はお前のなんなんだ?お前が戻ってくるたびに許した私にも責任があるが…」
「何いってんだよ。俺はお前の別格。いつもそう言ってたじゃないか。戻ってくる場所があるから羽を伸ばして飛べる。義童の良さを再認識できて、いつも新鮮でいられる」
「他と比べないと分からないのか?」
「比べてなんか無いよ。改めて分かるんだ」
「ともかく…克彦、すまないが、これっきり終わりにしたい。お前との関係を」
「へっ?…なにそれ、急に」
「急じゃない。お前に振られて半年以上経つんだぞ」
「なんだよ。振ったわけじゃないよ。いつものことだろ?」
「何度も繰り返して、お前には悪かったと思ってるよ。ごめん。もう、頼られても何もしてやれない」
「義童!なんだよ、他に誰かと付き合ってるのか?だったらそっちと切れるの待つから…」
「…待って貰っても困る。切れるのはお前とだ」
「そんなの…待てよ、おまえそいつに、一生あなただけとか結婚してとか言われてるんじゃないのか?そんなの嘘だって。他にちょっと良いヤツが現れたらすぐ気が変わるんだから」
「…お前みたいにか?」
「俺は…!義童が一番で他はみんな二番なんだよ。だから必ず帰ってくるだろ?」
「克彦、いつかお前だけの誰かに出会えるから…ごめん、私はもうお前についていけない。悪いけど、まだ仕事が残ってるから…」
「ちょっと、義童!」
 義童は唖然としている克彦に背を向け、事務所に戻ったのだった。雷に会いたくてたまらなかった。以前はあんな事を言われて喜んでいた自分がバカみたいだ。
 翌日、義童は事務所で昨日の事の顛末を無理矢理聞き出された。全員、雷の事が好きだったのでつるし上げられたと言うのが正解かも知れない。
(毎度の事だけど、今回は大変かもね。克彦さん、絶対しつこく言い寄ってくるよ。雷君にも迷惑かかるんじゃない?)
「雷の事はまだ言ってない。雷には今夜にでも伝えるよ。話しておかないと、克彦が何しでかすか分からないからな」
(ちゃんと克彦と別れたのか?)
「私はこれっきり終わりにしたいって言ったけどな…まるで請け合ってくれなかった」
(お前も甘やかしてたからな、克彦のこと)
「ああ。自分の責任でもある」
(義童のためじゃなくて、雷君のためならなんだってするぞ)
(ああ、何かできることあったら遠慮無く言ってくれ)
「そうか、すまんな。雷だったらこういうかな?」
『仕事しろ』 
 全員でハモる。

 雷には次の日に話そうと思ったが、たまたまその日最後の仕事が遅くまでかかってしまい、いつもより帰りが遅くなってしまった。部屋に入ると見覚えのある靴が…克彦のものだった。
「…雷?いるのか?」
「あの子ならどっか行ったよ」
 克彦のために買ったパジャマにガウンを着て、克彦が選んだ居間のソファーで寛いでいた。
 義童は直ぐに部屋を出て、雷の部屋へ急いだ。車はあったから、家にいるはずだ。チャイムを鳴らして声をかけると、暫くしてドアを開けてくれた。
「雷…その…あがるぞ」
 雷は俯いたまま中に戻っていったので、後を追う。部屋の中は明かりがついていなくて真っ暗だった。
「雷、克彦に何かされたか?」
 首を横に振る。
「何か言われた?」
 こくん。
「今日帰ったら話すつもりだったんだ。昨日、半年ぶりに現れて、またよりを戻そうって言われたので…はっきり断ったんだが…明かりを付けても良いか?」
「だめっ…!」
 キッチンの外から入ってくる外灯の明かりで、雷が背中を向けて顔をこすっているのが見えた。
 近づいて後ろから抱き締めると、僅かに嗚咽が零れた。
「雷、心配かけたな。ごめん」
「…義童さん…俺…怖くなって…」
「ああ、心配するな。少し、嫌がらせが続くかも知れないが…」
「そうじゃなくて…いろいろ言われて…義童さん、いなくなるかも知れないと思って…」
「雷…電気付けるぞ。ちゃんと目を見て話そう」
「やだ…だめ」
 無視して、電気を付ける。雷は眩しそうに目を細めながら目ではなく、口元を隠した。不審に思って無理矢理手を掴むと…唇の端が切れて青あざが出来ていた。
「克彦に殴られたのか!」
「…うん」
「殴り合ったのか?」
「ううん。綺麗な人だったから殴っちゃいけないと思って…」
「今度手を出されたら殴り返して良いから」
 どんな修羅場になっても殴るのは克彦で、相手は絶対に手を出さない。出さない相手を見抜いて殴っているのかもしれないが…
「でもな、克彦を我が儘したい放題にさせてきたのは私なんだ。だから、時間がかかっても、克彦に理解させなきゃならない。私はもう雷のものだってね」
「克彦さん、あんなに綺麗な人なのに…俺で良いの?」
「雷も綺麗だよ?」
「ちび猿って言われたよ…」
「他には?」
「俺、いつもの寝間着姿でソファーに座ってたんだ…そしたらいきなりドアが開いて…鍵かけてたのに…」

「お前は誰だ?」
 克彦は部屋に入って来るなり雷に怒鳴りつけた。
「誰って…雷です。高津雷。あんたは?」
「水口克彦。義童の恋人だ」
「あ…」
 義童から名前を聞いたことがある。
「なんでお前が俺のパジャマとガウンを着て、俺のソファーに座ってるんだ?ついでに義童の腰にもまたがったんだろう?この淫売!」
 淫売と言われて、急に平手が飛んできた。雷も咄嗟にやり返そうかと手が出そうになったが、綺麗な顔に傷を付けられなかった。どんなに怖い顔をしても、汚い言葉を使っても、美しさが損なわれることがない。不思議な人だった。
「ったく、義童もこんなガキのどこがいいんだか…趣味が悪くなったもんだな」
 雷は急いで着替えた。洗っておいた作業着があったので、それに着替える。
「なにそのカッコ?現場の作業員?」
「車の修理工…です」
「は?そんな低俗な仕事してるのに義童と付き合ってるの?ああ、遊ばれてるのに気が付いてないんだね…」
「低俗って…そんな…」
「義童は建築家だよ?実力のあるクリエイターが肉体労働者と対等に付き合うと思ってるの?身の程をわきまえろよ」
 克彦はパジャマとガウンを洗濯機に放り込み、スイッチを押した。
「この部屋も、義童が俺のためにデザインしてくれたんだよ?義童が何処にいても寝室にいる俺が見えるように…家具は俺が選んだの。お前のものなんて此所には何一つないんだよ?自分の小屋に帰れば?」
 酷い言われようだった。雷が考えたこともないような事を言われて面食らい、突っ立っていると、更に追い打ちをかけられた。
「なにぼんやりしてるの?早く出ていけって。手切れ金でも欲しいの?義童もお前の身体には満足してるみたいだし、半年間ご苦労様って意味でお小遣い上げても良いよ?義童は俺みたいに色気のある大人がタイプなんだけど知ってた?お前みたいなチビ猿は趣味じゃないんだ。若い身体以外何も持っていないチビ猿は直ぐに飽きられちゃうから、捨てられる前に消えた方が賢いと思うんだけど?」
「義童さんは…俺のこと愛してるって、何度も…」
「下心があれば誰にだって何度でも言うよ」
「でも…!」
 ちゃんと両親と叔父さんにも報告してくれて、あんなに何度も…
「俺だって、七年間言われ続けてる。義童と付き合ってたかだか半年のお前に、義童の愛がどんなものかなんて分かるわけ無いだろ?しかも、幾つだか知らないけど、子供のお前には分からない深い繋がりってのがあるんだよ。悪いこと言わないからいきなり高望みはやめて、分相応の男と付き合いな」
 雷はすごすごと自宅に帰り、また独りになるかも知れない恐怖に怯えていた。言葉の暴力よりも、独りになることの方が怖い。失うことが怖くて深い関わりを持たないように人と接してきた雷は、義童のお陰でだいぶ恐怖心を克服できたけれど、それだってここ数ヶ月足らずのことだ。やっぱりすきにならなければ良かった、と弱気になる方がたやすい。義童の言葉や愛撫が嘘だったとは思いたくないが、本当に嘘だったら、二度と他人を信じることが出来なくなる。何もなかったことにして、どこかへ消えてしまおうかとも考えた。楽しい思い出だった、くらいに思うようにして、誰も知らないところに行って以前のように注意して暮らせば良い。
 でも…もう一度会いたいな…

 一言一句覚えているわけではなかったが、克彦の台詞で思い出せるものは義童に伝えた。
「凄いな。そこまで言うヤツだとは思わなかった…怖がらせてごめん」
 雷の狭いベッドの中で身体をぴったりくっつけて、義童の体温を感じる。温かさと共に染みこんでくる感情はなんだろう?叔父さんとも何度かこうやってくっついて眠ったけど、その時感じたのは安心感だった。義童とは、安心感もあるけれど、もっと切なくて苦しくて、もっとくっつきたくて、くっついて溶けてしまいたくて、体中がぞくっとして、じんじんして、わけが分からなくなる。キスして貰いたくなって、体中を優しく撫でて貰いたくなって、そのうちもっとして欲しくなる。
「雷…」
 義童さんにはどうしてばれてしまうんだろう?
 沢山キスしてくれて、撫でてくれて、そして何度も身体を繋いだ。
 最後だから、雷はどんなに恥ずかしくても、じっと義童を見ていた。
 目も鼻も口も耳も。肩、力強く抱き締めてくれる腕、優しく、時に激しく雷に愛撫を与えてくれる手、温かくて広い胸、時々雷に絡みついてくる足、そして雷を狂わせる義童の雄。目に焼き付けて、身体で感じて、いつか忘れるかもしれないけれど…さよならのかわりに、何度も名前を呼んで快楽の淵に沈んだ。

「雷、支度して」
 支度したくても身体が動かないし…
 雷の狭い風呂では義童といっしょに入れない。ここでも身体をくっつけて、と言うか抱きかかえられてシャワーを浴びる。身体を拭いて身支度を済ませたら、義童は雷を連れて車に乗った。
「義童さん、俺、工場に行かなきゃ…」
 義童は携帯を手にすると、行かなくて良い、と行って工場に休む連絡を勝手に入れてしまった。
 事務所に着くまで無言だった。
 雷は義童が出社したら、すぐにいなくなるつもりだった。荷物は後からで良いし、工場の人達には迷惑かけるけど、何も言わずに後から辞表を出すつもりだった。仕事は何をしても良い。何処でも良いから独りになりたかった。
 こうなったら暴れてでも逃げようかと思っていたけれど、途中からはネクタイで両腕を縛られてしまったのだ。
 朝から雷を連れてきた義童に、何事かとみんながわらわら集まって来る。
 ネクタイで縛られている雷を見て、一同指さし確認。
「それ何かのプレイの続き?」
「今日からしばらくこっちに連れてくるから。でないとこの子は独りで逃げるつもりらしい」
 なんで…
「雷の心の中なんてお見通しだよ」
 義童は笑って答えた。
「独りで姿をくらまして、前みたいに大人しく暮らそうと思ってただろ?」
 こくん。ついでに涙も出てきた。
「私の気持ちは考えた?」
 こくん。
「今まで、あたったことある?」
 ない。
「あたるまで、分かるまで、側にいて修行しろ」
 取りあえずはコピーとお茶くみ、と言われて雷はみんなのコーヒーを淹れに台所へ行かされた。コーヒーを淹れていると、義童もやってきた。
「雷、お前がいなくなったら私は死んでしまうぞ…当分は克彦がちょっかい出してくると思うけど、克彦と私と、どちらを信じるんだ?」
「そんなの…義童さんに決まってる…」
「だろ?だから、雷は私の側にいればいいんだ。何処にも行くな。克彦に騙されるな。克彦はお前よりずっと狡賢いから、何か言われたりされたら絶対に私に報告すること。克彦を通してお前に連絡するなんてことも絶対にないから。分かった?」
 こくん。
「絶対に何処にも行かないって誓うまで、工場にはやらないよ?」
 こくん。
「誓う?」
「誓う」
 義童は雷を抱き締めると、赤く熟れた柔らかい唇を包み込むように口づけた。くちゅっという音に、雷の身体が震える。
「義童さん、ここ、事務所…!」
 抗議の声も唇で塞ぎ、事務所の連中が見物に来てストップウォッチでタイムを計り初めても、わざと見せつけるように舌を蠢かす義童だった。

   

5
きっかけ

義童と雷