花・ひらく

園部と沙希

 沙希は台所方面からの凄まじい音で目が覚めた。何かが床に落ちて転がる音に混じって男達の怒鳴り合う声も聞こえてくる。沙希が真っ先に考えたのは『出入り』だった。
 園部を助けるべく、状況を確認するために足音を忍ばせ台所方面に向かう。ちくしょう、この野郎、なめてんのか、などの決まり文句を、園部が吐き出しているのが聞こえてくる。
「園部さん…」
 沙希の目に映ったのは、エプロン姿の園部が涙を流しながらタマネギを刻んでいる姿だった。
「…なにしてるんですか…」
「見りゃわかるだろう。タマネギ切ってんだ。目を、やられた。なんだこいつは?腐ってんのか?」
「逆です。新鮮なんです」
 隣に控えていた、昨日沙希が気絶させてしまった園部の世話係が説明を加える。
「お、俺、手伝います!」
 見ていられなかった沙希が流しに近づくと、園部が包丁を振り回して「来るな!」と叫ぶ。本当に脅していたのではなく、包丁を持っていることを忘れていたのだ。直ぐにその事に気が付いた園部は、包丁をまな板に置き、今度は素手で沙希を追い払った。
「おめぇ、沙希をテーブルに座らせて、こっち来ないように見張ってろ」
 黒服に命じると、タマネギ刻みを再開する。


 沙希は小一時間テーブルに座っていただろうか。たまに聞こえてくる悪態にも慣れ、そのうち園部が悪戦苦闘している姿を思い浮かべて笑いが止まらなくなった。
 やっと支度が終わり、盆に二人分の食事を載せて運んできたものをじっと見る。大きさが違う具が浮いているおみそ汁、がちがちに焼けた目玉焼き、ベーコンは綺麗に焼けている、海苔の小袋、そして炊飯器が完璧に炊いたほかほかのごはん。
「園部さん、これ、一人で全部作ったんですか!?」
「俺以外、誰も台所にいなかっただろうが?」
「そうですけど…」
 沙希は感激で胸がいっぱいになった。好きな人に食事を作ってもらいたい、と言った沙希の言葉を、園部は実行してくれたのだ。好きの意味は多少違うが、なんといっても園部は沙希の憧れの男だ。心を尽くしてもらえて純粋に嬉しい。
「嬉しいな…それに、美味しそうです」
 大きな目をキラキラさせながらお箸を取ると、まちきれないといったふうに食べ始めた。
 初めて作ったにしては上出来のおみそ汁。分厚い具もちゃんと煮えていて、沙希が作っていたときのことをしっかり思い出して作ったようだった。
「…どうだ?食えるか?」
 心配そうな顔で恐る恐る沙希に訊ねる。
「98点。味はばっちり」
「そうか。食えるか。ならいい」


 昨夜散々走り回って動き回って、もうすっかり足は良くなっていたけれど、医者に診せてからでないと駄目と言われ、今日も朝からずっと抱きかかえられていた。ニセ園部の処理にどのくらい時間が掛かるか分からないから医者には明日しか行けないとも言われ、なぜか少しだけ、沙希は嬉しかった。
 兄の志貴は過保護だけれど甘やかすことはなく、小さくて女顔の沙希が男っぽく育つのを望んだ。沙希も、兄や兄と一緒に見ていたアクション映画の世界に憧れていたので、世のため人のため、頼られる男になりたいと思っている。
 
 でも…
 
 正義のヒーローみたいな園部に抱きかかえられていると、兄とは違った安定感があり、自然体でいられるのだ。こんなに甘えて良いのかなと思う反面、居心地が良くて気が付いたらすっかり脱力して身体を預けていることもある。最初は人目もあるし恥ずかしいなと思っていたのに、それもなくなって、立ち上がるときには園部が手を差し伸べてくれるのを待っていたりもする。何から何まで全てを誰かにやってもらう特別待遇もそろそろ終わりで、また元の日常にもどるのかな、と思うと寂しい気もする。


「沙希ちゃん、退屈?」
 そうだ、克彦さんが来てたんだ…
 園部のことを考えていて、沙希のためにケーキを買ってきてくれた克彦のことをすっかり忘れていた。
「いえ、ケーキおいしくって…」
「ふふーんだ。良いよ別に。園部さん、遅いよね。お兄さんは地下室に入れて貰えるのに、俺たちだけ駄目なんて酷いよね」
 地下室でいったい何が行われているのか…想像するのは容易いけど、沙希に対しては優しい園部が想像通りの事をしているのかと思うと複雑な気持ちになる。


「克彦さんも入ったこと無いの?」
 実は、克彦がなんで黒瀬組に出入りしているのか沙希は良くわかっていなかった。仕事はインテリアデザイナーで、このビルのインテリアをコーディネートしていて、組長さんと凄く仲が良いと言うことしか知らない。
「うん。雪柾が駄目って。ヤクザなところは見せてくれないんだよね。まぁそれも雪柾の愛情らしいんだけど…俺はヤクザがどんなものか分かってて、全部ひっくるめて雪柾が好きなのにね」
「えっと…愛情って…」
 鈍い沙希でも、克彦と組長さんがいつも寄り添っていて、愛情とか好きとかいう言葉まで出てきたら二人がただならぬ関係だと気付く。
「雪柾と俺はラブラブの恋人同士だよ」
 少しくらい免疫を付けておかないと、園部が不利すぎる。園部の肩を持つわけではなくて、克彦は沙希ちゃんに男同士だからとか相手がヤクザだからとか、そんな表面的なことに惑わされずに、どれだけ園部が沙希ちゃんを大事に思っているか分かって欲しいのだ。たとえ結果がどうなろうと、沙希ちゃんには良い恋をしてもらいたい。
 
 …とか言うきれい事はおいといて。好奇心とお節介の虫と悪戯小僧の心が騒ぎまくっているのだ。


「お、男同士…ですよね…」
 案の定、沙希は黒目をまん丸に見開き、口をぽかんと開けている。
「俺は男しか愛せないんだよ。まあ、そんな人間もいるってこと。多少は見た目の好き嫌いもあるけどさ、でも恋愛は心でするものだよね〜」
「お、俺はまだ、好きな人いないし…わかんない…かな」
「簡単だよ。好きって思ったら好きって言えばいいの。お友達として好きだとか、尊敬してるってのもあるけど、本当に好きな人が出来たときは心がきゅーってなって身体も反応するからすぐ分かるよ」
「か、身体って…!」
「男の子の場合は単純だよねー、こう、むくむくと…!」
 真っ赤になってあわてふためく沙希にトドメを刺しておこうと思った瞬間…バーンとドアが開いて、そこには吉野が仁王立ちしていた。
「克彦さん!子供相手になんの話しですか!?」
「…千草さん。もう終わったの?」
 吉野はいつも通り隙のないスーツ姿で、血なまぐさい事をするときの衣装ではない。と、言うことは単純に考えたらもう『処理』は終わったと言うことか。
「面白くなかったので早めに引き上げたんですよ。そろそろ園部さん達も上に上がってくるでしょう。あと一時間かそこらでお昼ごはんにしましょうか」


 園部から内線で連絡があったのはそのすぐ後だった。階下のゲストルームで着替えを済ませてから上がると言うのを無視して、沙希は克彦に無理を言ってそこまで連れて行って貰うことにした。一刻も早く園部に会いたい。
克彦は雪柾の部屋からキャスター付きの社長椅子を持ち出し、それに沙希を座らせて園部のいるゲストルームに連れて行ってやった。吉野が抱きかかえようとしたのだが、沙希に触れたら園部が怒り狂うだろうと思った。本田も、たとえ固い絆で結ばれた吉野や沼田であろうと克彦に触れると険悪な顔になる。


「園部さん!」
 歩かなくて良いように社長椅子に座って、克彦に押されてやってきた沙希の姿に強面が微妙に緩む。
「なんだ沙希、いつの間に組長になったんだ?」
 そう言いながら抱き上げると、沙希も大人しく園部の首に腕を回す。
「心配で…」
「あ?俺が殴る役だぜ?」
 そうじゃなくて、暴力で、園部の心が荒むような気がしたのだ。こんなに優しい人なのに…沙希よりずっと心も強い人なのだろうけど、怒りや暴力はしらないあいだに心をむしばむ。沙希は武道を通してそれを身をもって学んでいた。
「心配してくれてうれしいが、服を着替えるまでちょっとだけ待っててくれ」
 園部とは朝も夜もいっしょに風呂に入って裸もみなれていたが、そう言えば今、園部は腰にタオルを巻いただけの裸だと初めて気が付いた。ゲストルームのソファーに降ろされ、沙希は改めて園部の逞しい身体に見惚れる。
後ろを向いてタオルで濡れた頭をがしがし拭いているだけなのだが、そのたびに動く筋肉が美しい。


「すっごーい、園部さんは龍なんだね。二匹もいる〜」
 園部の背中一面に龍の刺青があるのはもちろん沙希も知っていたが、まじまじ見つめるのも失礼かな、と思ってなんとなく話題に出来なかったのだ。
克彦はなんの躊躇もなく話していて、沙希は少しだけやっかんでしまった。
「あ?若気の至りですよ。組長のは弥勒菩薩でしたっけ?」
「うん。俺のお守り。園部さんの龍は誰を守ってあげるのかな〜?」
「…克彦さん…こんな所で俺の裸見てないで、その椅子を返してきてくださいよ」
 口を開けば何を言い出すか分からない克彦。以前ならこの程度の会話も可愛いと思えたが、沙希にいつ告白するかタイミングを計っている微妙なこの時期に、混乱して突っ走ってしまったら目も当てられない。
「はいはいはーい」
 克彦は社長椅子にどさっと座り、足で床を蹴りながらガラガラとゲストルームから退場。残された沙希は克彦の言葉の意味を考えてみたのだが、刺青の意味など考えたこともなく、今まで話題にしたことがなかったので今更聞いてもヘンかも知れないと口ごもってしまった。


「沙希、腹減っただろ?今日は志貴もいっしょに食いにいこうな」
「あ、兄ちゃん、どうしてるんですか?」
「地下室の掃除中だ。終わったら部屋で着替えてから会議室に来る」
 腹減ったか?メシ食うか?こんな会話しかできない園部は自分に腹が立つ。ニセ園部の処理も終わった今、明日、沙希の怪我を医者に診せたら自分の元に引き留めておく口実もなくなる。明後日から沙希が仕事に戻れば会う時間も短くなる。今日明日で沙希に自分を深く印象づけるような行動を起こさないと…言い寄ってくる男達に事欠かず恋愛の駆け引きなどやったこともない園部は、実は沙希攻略法など一つも思いつかなかったのだった。

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