花・ひらく

園部と沙希

 食事が終わり沙希と自宅に戻った園部は二人で素早くシャワーを浴びた後、沙希を置いて事務所へ戻った。志貴が捕まって、事もあろうに黒瀬組とは反目している組のシマに連れ込まれたのだ。
「素人が、余計な手間をかけさせやがって!」
 さっさと事を終わらせて沙希とのんびり風呂に浸かり直そうと思っていたところを邪魔され、園部の怒りは頂点に達していた。明日の朝も早起きして食事を作らなくてはいけないのだ。
「吉野、何か手を考えろ!」
「手と言われてもね…」
 どことなく妖気を漂わせている吉野は、すっかり『その気』になっている。喧嘩沙汰がすっかり減ってしまったこのご時世、血に飢えた吉野はまたとない狩りの時間を今か今かと待ちわびている。
 吉野一人で片づけられるが、一人で行かせると限度を知らない吉野の後始末に頭を悩ませられるだろう。沼田か本田がストッパーで付いていなければ全員瞬殺されるかもしれない…
 どこかをほっつき歩いている沼田を呼び戻し、出来るだけ目立たない地味な車で志貴が捕らえられている倉庫街にたどり着いたときは22時を回っていた。


「なあ沼田。なんでうちの組は下っ端が働かないんだ?」
 他の組のシマで目立つわけにはいかなかったので、沼田、吉野、園部の幹部三人だけが目的の倉庫の前にいた。戦場で訓練を積んだプロフェッショナルの本田、沼田、吉野の三人は、素人が前にいると邪魔でしょうがないから、と言うのが理由だ。
 吉野が先頭に立ち、その後ろから本田と沼田。組員達は組長を守るために前に出られない事を悔やんでいるが、邪魔をするよりはましだろう。
「吉野、できるだけ静かにあのドアを開けてきてくれないか?」
 沼田が穏やかにお伺いを立てると夜の闇にとけ込むような黒いレザーのつなぎを着た吉野が、音も立てずにドアへ向かう。しかも真正面から。監視カメラがドアの前に一台あるが、完全に無視している。
 しばらくすると、すっと中からドアが開いた。
 滑り込むように中に入り、10秒も経たないうちにドアが開け放たれる。
 沼田と園部が中にはいると、若者が二人、床に転がっていた。二人とも息はしているが、腕があり得ない方向に曲がっている。
「声を上げるヒマもなかったらしいな…」
 園部が倒れている男を足でつついたが、目を覚ます気配もない。
「こいつらはここに置いていく。ニセ園部さえ手に入れば良い」

 

 倉庫の脇の細い廊下を進んでいくと、光の漏れるドアがあった。躊躇せずに思い切りそのドアを開けると広い部屋の真ん中に椅子に座らせたまま縛られた志貴とチンピラが四人にふんぞり返ったニセ園部らしき男が目に飛び込んでくる。
「あ、あんたたちは誰だ!?」
 ニセ園部が、元は銀行員らしい控えめな声で聞いてきた。どこまでも肝の小さそうな男だ。
「ああ??てめぇ、俺のこともしらねぇで名を語りやがったのか!?」
 園部の地に這うような声音に、ニセ園部は顔を蒼白に変え、心なしか震えながら、これまた本物のヤクザの圧倒的な気に立ちすくむヒヨコの群れに何かを伝えようと口をぱくぱく動かしている。
「お、おまら、やっ、やっちま…」
 虫けら以下の連中に煩わされて怒り心頭の園部が一歩踏み出すと…

 

 吉野が園部の腕をガッと掴み、動きを封じた。
 なにをっ、と言いかけたところで、目の端に白い小さな物体が高速ですり抜けて行くのが映った。

「「沙希!!!」」

 園部と志貴がハモった時は、既にヒヨコがいっぴき床に叩き付けられており、殺気を振りまきながら二匹目のヒヨコに手がかかった瞬間だった。
 受け身などとれないヒヨコは床の上でのたうち回っている。その後、吉野がトドメをさして気絶させていくのだが、何とも良いコンビだ。
「兄ちゃんっ!!」
 最後の一人の腹に拳を叩き込み、ひるんだ隙に顔面を蹴り上げ、志貴に突進して抱きつく。あまりの勢いに、椅子に縛られたまま沙希共々後ろに倒れ込んでしまった。
「兄ちゃんっ!!」
 泣きながら志貴にきつく抱きつく。


「沙希ちゃん格好いいーっ!!」
 拍手をしながら叫んだのは…克彦だった。
 

「なんでお前らがここにいるんだ!?」
 克彦の後ろにはもちろん本田がいる。
「克彦が沙希の腕前を見たがってな…」
「こんな危険なところに沙希と克彦さんを連れてくるなんて…沙希は足も怪我してるんですよ!」
「すまんな。それは悪いと思っているが、危険はないと判断した。克彦と沙希がわめいて煩かったんだ。克彦はともかく、自分のものは自分で管理しろ」
 沙希は自宅に置いてきたはずだ。護衛兼世話係も二名残してきたはずだが…まさか…兄を助け起こして縄を解いている沙希を見ると、結び目が固いのか、小さな細い指で結び目と格闘していた。吉野が近寄って、助けてやる。
「沙希、お前どうやってここまで来たんだ?」
 先ほどとは打って変わった優しい声で訊ねると、すまなさそうにぽつぽつと話し始めた。


「…園部さんが出掛けた後に、護衛の人を気絶させて…事務所の場所は分かってたからマンションの管理人さんに自転車借りて…克彦さんと組長さんが帰る所に出くわしたから、頼んで連れてきて貰ったんです…勝手なことしてごめんなさい…でも、俺の兄ちゃんだから…兄ちゃんのことは、俺が助けたかったんです」
 園部がゆっくり沙希に近づき、沙希の頭のてっぺんをピンッと指で弾いた。
「沙希…びっくりさせやがって。足の怪我が悪くなったらどうするんだ?」
 一瞬首をすくませた沙希を抱き上げようとすると、自分からぽんっと腕の中に飛び込んできた。
「もう痛くないです。園部さんがずっと抱えてくれてたから…」
 

「ヒヨコの大将を事務所の特別室に放り込んでおけ。そいつの処理は明日俺がやる。志貴も今夜は事務所に泊まってろ」
 それまで事の成り行きをぽかんと見つめていたニセ園部がびくっと我に返り、近づいてきた吉野と沼田から逃げようと試みたが、動き出そうと片足を上げた瞬間に吉野に反対の足をはらわれ、床の上になぎ倒されてしまった。
「ひ…っひぃーーーっ!!」
「情けない園部だな」
 十分に暴れられなかった吉野が不満丸出しの低い声で呟きながらニセ園部を掴み上げ、志貴を縛っていた縄でがんじがらめに縛り上げる。
「ニセだろ、ニセ。ニセを付けろや」
 

「沙希ちゃんさ、ミジンコみたいで格好良かったよ〜〜」
 本田の車の後部シートで克彦が沙希の手を握ってはしゃいでいる。
「ミジンコって…」
「だって沙希ちゃん小さいだろ?で、ぴょこぴょこ跳ねてミジンコみたいですっごくかっこいい!ミジンコって目が黒くて丸くて、目も似てるよね、ミジンコに」
 綺麗でセンスの良い克彦がミジンコは格好いいと言っているので、良くわからないけどそうなのかな?と沙希は頭を悩ませていた。
「沙希ちゃん、足は大丈夫なの?」
「あ、はい。大丈夫です」
「帰って園部さんに良くマッサージしてもらうんだよ?急に使ったからバランス崩れてるかもしれないからね?」
「はい」


 本田は園部と沙希を事務所まで送り、自分たちは車を降りずにそのまま帰宅した。見送りがすむと、沙希が兄の安否を確かめたがったので仕方なく事務所に入る。志貴は何発か殴られており、その手当と、優しくしてくれる園部を疑いたくないが、他の組員達が志貴をどう思っているか分からなかったので兄の安全を確かめておきたかったのだ。
「一応客用の宿泊施設も事務所にある。何でも揃ってるから一晩くらいどうってことないさ」
 そうは言っても、さっきは話も出来なかったし、手短にでも良いから兄がこの二日間どう過ごしていたのかも聞きたい。
「でも…でも…」
「分かってる。もう遅いからな、少しだけだぞ。ゆっくり話すのは明日でもできるだろ?」
「はい…ありがとうございます」


「兄ちゃん!」
「沙希!」
 園部の腕から降りると、志貴が駆け寄ってきた。
「兄ちゃん大丈夫?」
 殴られて切れた唇の端は化膿止めが塗られ、絆創膏が貼られていた。頬の青痣にも塗り薬が塗布されている。
「全然大丈夫。沙希は?足はもう良いのか?」
「うん。園部さんがずっと抱えててくれたし、日に二回も湿布をかえてくれるんだよ」
「そうか…」
 志貴は園部を睨みつけながらも、一応の礼儀を示すために、深く礼をした。
「兄ちゃん、今日ここに泊まるの?」
「ああ。すっげぇ部屋だぜ。沙希も一緒に泊まるか?」
「あ?何言ってやがんだ。沙希はうちに泊まってる。ここよりも立派な部屋だ」
 

 沙希はあからさまに残念そうな顔をしたが、これだけは絶対に譲れない。
 園部にも色々と沙希との予定があるのだ。克彦が言っていたマッサージもしなければならないし、明日は朝飯も作って食べさせなければならない。
「沙希、お前…あいつと一緒で…大丈夫か?」
 変な事をされていないか聞きたかったのだが、変なことの意味を沙希が分かるわけがない。できるだけそう言うことから沙希を遠ざけてきたのだ。
「うん。園部さん、すごく良くしてくれるよ。寮のみんなにもね。だから、兄ちゃんは心配しないでゆっくり休んで。お腹空いてない?」
「ああ。ちゃんと食った。沙希もちゃんと食べてぐっすり眠ってるのか?」
「うん。園部さんが美味しいもの沢山食べさせてくれたんだ。園部さんのおうちってすっごいんだよ。お風呂場もめっちゃ広くて、ふたりで入っても泳げるくらい広いし、ベッドもうちのみんなで一緒に寝られるくらい広くてふかふかなんだよ」
「は?風呂?お前、こいつと一緒に入ってんのか?一緒のベッドで寝てんのか?」
 志貴の声が、だんだん怒気を含んだ物になる。志貴と園部が睨み合いをはじめ、雰囲気が怪しくなってきたのを察した組員が志貴の腕を軽く掴み、園部に近づけないように押さえた。
「うん。俺、足怪我してるからお風呂場ですべったら大変だし。小さい頃兄ちゃんと一緒に眠ってたでしょ?安心できてぐっすり眠れるよね」
 にこにこしながら答える沙希。今にも爆発しそうな志貴。勝ち誇ったように志貴を見下ろす園部。三者三様の反応を、周囲の組員達は固唾をのんで見守っていた。


「沙希ちゃん」
 そんな危うい均衡を簡単に崩したのは吉野だった。
「吉野さん!」
 沙希は吉野が苦手だったが、自分の後で悪い奴らを確実に仕留めていく様子は普段の神経質で堅苦しそうな吉野とはまるきり違って、拳法を知っている沙希が見ても見事すぎる腕前だった。計算し尽くされ、無駄が無く美しい動き、そして凄まじい破壊力。
「小さいのに強いですね。惚れましたよ」
 惚れた、と言う言葉に照れて頬を染めた沙希を見て園部の機嫌は急降下をはじめた。
「おっと…この辺で止めておきましょうかね、園部さん。沙希ちゃん、今度いつかお手合わせお願いしますよ」
「はい」
 黒目をキラキラさせている沙希の視界から一刻も早く兄と吉野を追い出さないと、と内心焦りはじめた園部は短く、帰るぞ、と声をかけ、大股でその場から離れたのだった。
 

 すっぱだかに剥かれる事にも慣れてしまった沙希を抱いて湯船に浸かる。沙希は、うーん、と言いながら気持ちよさそうに全身を伸ばし、急に動き回って少し疲れ気味の身体をゆっくりさすりながら解していく。
 大人しい沙希も愛らしいが、今日のように活き活きと動き回る沙希も魅力的だった。吉野の狂気が宿る動きも園部は好きだったが、沙希の、小ささとそこから来る力の弱さをカバーして有り余るスピードと躍動感のある動きに目が釘付けになった。
「沙希はいつから合気とか習ってんだ?」
「んー…小学校の3年から」
「たった6年で段持ち?」
「どうだろ…段取るの、年齢制限があるから…東京に来る前に15才になって、それでやっと初段の試験を受けることが出来たの。でも、もう道場では三段くらいの課題も練習に入ってた」
「ふーん、どんなのだ?」
「刀とか杖とかを相手にするやつと、大人数相手のやつ。ちょっとだけどね」
「俺よりは強そうだな」
「でも俺、小さいから力ないし。今日だって、素人相手だったから倒せたけど…吉野さんがいなかったらみんな直ぐに立ち上がってたよ」
「一応俺もいたんだぜ」
 

 倒れて隙だらけのやつであれば、園部にも簡単に仕留められたはずだ。だが、急に沙希が飛び出してきた上に、見事な技を見せられて唖然としてしまったのだ。
「園部さんも何かやるの?」
「うちは武闘派だぜ。空手は入社試験の必須科目だ。まあ今日はお前も吉野もいたからな。俺と沼田は必要なかったな」
「吉野さん一人で余ってたよ。入り口に倒れてた人達、死ぬ手前だったもん」
「あいつは黒瀬の最高機密なんだ」
「…もしかして…サイボーグとか?」
 子供らしい発想に、園部が声を出して笑った。
「そうかもな。頭も切れるからな。コンピューター並みだし、頭も」
「でも…園部さんもやっぱりかっこいいよ」
 沙希の秘密兵器が突然発射され、園部の下半身がもろに反応しはじめる。
「あんまり俺を喜ばすな、沙希」
 このくらいで慌てる園部ではないが…
「でも、園部さんは俺の憧れだから」
「沙希、もうすっかり遅くなったな。さっさと上がって寝るか?」
「はい」
 深い深呼吸を一つして、園部はまた沙希を抱いて湯船から立ち上がった。


 気も張って余程疲れたのか、滑らかな身体をマッサージしているうちに沙希は眠ってしまったようだ。パンツ一枚でマッサージしていたのでパジャマを着せてやっても、眠りこけている。
(安心してぐっすり眠れるんだ)
 沙希がそう言ってくれたのなら、兄に近い存在にはなれたのだろうか?出国まであと10日。その僅かな時間で、沙希の身体も心も手に入れる事ができるのだろうか?
 兄弟や父親の代わりになりたいわけではない。恋人にしたいのだ。だが、女だろうと男だろうと、自分以外の人間がその役を担う所など見たくもないので、沙希が自ら進んで自分を選びたくないのであれば、金輪際沙希とはおさらばだ。
 無理に手折れば枯れてしまうだろう。手折る事無く、沙希の秘められた花を自分の腕の中で開かせたいのだ。
 そのくらい、園部は沙希に惚れていた。

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