花・ひらく

園部と沙希

「沙希!大丈夫か!火傷は!?」
(以前のままの園部さんがここにいれば、また兄ちゃんとハモってたかな…)
 兄ちゃんがもう一人増えたのかと思った。それまでは兄ちゃんが理想だったのに、会った瞬間から園部さんが理想の男になった。あの時に戻れたらいいのに。戻れたら、今度は園部さんの気持ちをちゃんと受け止めるのに…
「…兄ちゃん…痛い…手の平全部火傷して、すごく痛いんだ…」
 本当に痛いから、素直にそう言わなきゃいけないんだ…平気なんかじゃない。今までも全部そうだった。両親ともいなくて寂しかった。兄ちゃんは大好きだけど、どうしようもなく辛いときもあったんだ。それは言ってもどうにもならないことだったし、困らせるだけだから言わなかったけど…
「…ちゃんと病院行ったのか?包帯は毎日取り替えなきゃだめだぞ?」
「兄ちゃん…吉野さんが毎日換えてくれるの。克彦さんは料理を作ってくれるんだよ」
「そっか…」
「兄ちゃん、あのさ…」
「なんだ?」
 いつもより、兄ちゃんが優しい。たぶん、園部さんとのことを聞いたからだと思う。
「お願いがある。俺…園部さんに会いに行って良い?」


 志貴は、沙希がいつその事を言い出すのか気が気ではなかった。たった一人の肉親が、成長したからとは言え自分の手から離れていく時がくるのが恐かった。誰の言うことよりも志貴の言葉を優先していた沙希が…よりによってあのヤクザ野郎に付いていくなんて、言語道断…
「…わかった。ただし、兄ちゃんも付いていく。もしあの野郎が沙希に酷いことをしたらボコボコにして、二度と会わせないからな?」
 思ったこととは裏腹の言葉が出てしまったのは何故だろう。園部は嫌いだが沙希は自分の命より大事だ。その二つの気持ちが渦を巻いていて、たまたま『沙希が大事』の的に当たったのだ。
(畜生、後もう少しタイミングをずらせていたら沙希はまだ俺のものだったのに)
 志貴の言葉で、花が綻ぶように、沙希が微笑んだ。
 

『さて。行くのは結構ですが、あなた達のパスポートを揃えるのに最低で10日かかりますからね』
 こんな時志貴の偽造技術が役に立つのだが、前科者でもないのでここは普通に申請して取得するほうが後々困ったことにならないと、忙しい中を吉野が申請してくれた。ただし志貴も沙希も未成年なので後見人が必要だった。その書類だけは偽造し、本田が後見人となる事に。
「いっそのこと雪柾の養子になっちゃえばいいのに。で、雪柾と俺の息子達ってことにしたら園部さんは絶対二人に悪いこと出来ないしー。沙希ちゃんはうちからお嫁に行くことになるんだよ。内野から本田になって園部になるって、なんか出世魚みたいだね〜」
「「「は?」」」
 良くわからない感覚である。
「…お前が産むのか?だったら子作りがんばらないとな」
 この数日、沙希の世話があるからと園部のマンションに入り浸る克彦に付き合わされ、家族ごっこに参加させられるのは我慢したが、克彦と沙希と本田で川の字になって寝るハメになり肝心なことはいたすことが出来ず、本田はずっと熱の籠もった視線で克彦を追いかけている。
「子…子作りって…」
 どうするのか知っているつもりで、しかもそれは確実に近い将来自分の身に降りかかってくる。目の前のこの二人が急に艶めかしく見え始め、ついでに自分がされることを少しだけ想像して頭が沸騰してしまった。
「あらら…沙希ちゃん真っ赤だよ…かわいいなぁ…」
 本田には克彦の方がよほど子供っぽくて可愛いと思えるのだが…清純な子供を何とかしようとする園部のような趣味はないので、子作り行為中の克彦の艶姿を早く拝みたい。一時でも早く沙希にはNYへ旅立ってもらいたいので、それを手助けする事に異存はない。


 俺がNYに行ったからって、園部さんが喜んでくれるかどうか分からない。あの、隣にいた綺麗な人と自分では比べものにならないし…どんなにがんばったって追いつくのも不可能だ。
 でも、このまま日本にいて一生会えなくなるかもしれないなら、行ってみて、諦めがつくまで園部さんの近くにいたい。仕立て上がった着物を着て恐る恐る鏡を覗くと、見たことのない自分が映っている。着物のことなど分からないけど沙希の何年分かの年収だろうかと驚くほどの値段で、金とかプラチナとかの糸で刺繍がしてあるのだそうだ。これをぽんと買ってくれたときの園部は、少しでも自分のことが好きだったのだろうか?遊び半分だったとしても、いまこの姿をけなされても良いから、ありがとうと、ごめんなさいと、好きです、と言わないと一生自分を呪うだろう。


「ほぉ…思った以上にお似合いですよ。凛としたお顔になりましたね」
 仕立て上がった着物を着た沙希の姿は本当にお人形のように可愛らしかったが、初めて店に現れたときに見せていたおどおどした表情はなくなり、少年らしい凛々しさが見え隠れしている、と店主は目を細めた。
「ほんと、沙希ちゃん良く似合ってるよ。園部さんに見せて上げなくちゃね」
 口々にそう言われ、少しはにかんで微笑む姿が一段と愛らしい。兄の志貴だけが最悪な気分で、この弟をあのくそったれヤクザに盗られるるのかと思うと、爆発寸前の火山のような形相になっていた。沙希が好きになった女を自分に紹介する時の事はとっくにシミュレート済みだが、沙希の横に立つのが似合いの可愛らしい女の子ではなく厳ついおっさんだなんて…せめて年上のしっかりしたおばさんなら許せるかも…が、園部顔のおばさんを想像してしまい、胃の中身が逆流しそうになる。
「志貴君も感動しているみたいですね。あなたはわざと沙希ちゃんを目立たないようにしていたんですしょう?…良かったですね、良いところにお嫁に行けて…」
 涼しい顔で恐ろしいことを言う吉野に、志貴渾身のガンを飛ばすが、睨んだ時にはすでに吉野は別のことに気を取られていた。
「…これは園部さんが利用しているホテル…の三軒先にあるホテルの宿泊予約票。パスポートは明後日に受け取れますから、その次の日の飛行機のチケット。これは私と連絡を取るための専用携帯。荷物は別便で明日送りますから荷造りして置いてくださいね。それから出発までの必要最低限の英会話のレッスン時間割。園部さんのオフィスや自宅への行き方。私と沼田と組長からのお餞別ですから帰ってくるときはお土産は三つです」
 至れり尽くせりな吉野達の選別に黒目をるううるさせていると、克彦が化粧ポーチのような物を沙希に手渡した。
「俺からも、プレゼント。だからお土産は四つね。新製品なんだよこれ。桃の味のローションとコン…ッ!!」

「「「ああっ!!」」」

 志貴は沙希からポーチを奪い取り、沼田が克彦の口を手で塞ぎ、吉野は沙希の耳を両手で塞ぎ…本田は克彦の口を塞いでいる沼田の踵に蹴りを入れた。


「く、そっ…」
 黒髪で黒い瞳、できれば東洋系。この条件でグレンとは別にもう一人呼び寄せてみたものの園部の欲求は満たされることが無く、初めから分かっていただけに尚更、自分の愚行に腹が立つ。沙希に代わる者が男娼にいるわけが無いではないか。
「HAL、駄目なら次を探せばいい。時間がかかっても。あなたの相手は何処かで必ず待っているんだから」
「だからなんで東洋系っつったら、目が糸みたいに細いやつばっかりなんだ!?丸っこい目が良いっつってんだろ」
「…ほらまた怒鳴る。まだ日が浅い子なんだから…怖がっちゃうだろ?切れ長で色っぽい目をしてるのにね?」
 強面の園部の剣幕に、涙を浮かべそうな少年を宥めるように抱き締める。
「せっかく京都で着物を買ってきたんだから、着て遊ぼうよ」
 着慣れない外人が着るとどこか滑稽なのだが、元が良いグレンはどんな衣装にも負けない。水浅葱と言うエメラルドグリーンに近い華やかな色の着物が、豪華な金髪と緑色の瞳によく似合う。
 少年の目元を舌で舐め取り、強張った口元を柔らかく解すように小さな口づけを落としはじめた。
「HALの顔は恐いでしょ?だから君はずっと僕を見ていればいい…」
 何抜かしやがる…と園部はまた眉をつり上げそうになったが、グレンの巧みな口づけに吐息を漏らしはじめた少年の姿はそれなりにそそり、飢えた園部を惹き付けるには十分だった。
 
 

「みんな良い人達だね…」
 初めて乗る飛行機の中でしばらくおっかなびっくり、辺りを見回して志貴を質問攻めにした後の沈黙を破り、沙希がぽつりともらした。
「沙希がそう思うんならそうだろ…」
 自分では出来ないようなことを簡単にやってのける大人達に嫉妬していた志貴はまだ素直に彼らのことを認められないでいた。志貴を動かしているのは、沙希を守る、と言う意思のみ。沙希が行くところにはなにがなんでも付いていって見守る、と言う意気込みだけ。最悪の結果になり、入国許可が切れる九十日後に日本に帰ることになっても、沙希のダメージがなるべく少なくなるようにする。はっきりいって帰国する方が志貴には有り難いが…


 沙希を守る、と言ってはみたものの、勉強などまともにやったことがない志貴は最初から沙希に世話になる始末だった。空港からはバスかタクシーの方が簡単だからとバス乗り場に行こうにも案内の英語が読めず、ただ沙希の後ろについて歩いた。やっと着いたホテルでもフロントと話すのは沙希で、志貴は後ろに突っ立って、本当は沙希とフロント係のねえちゃんが話す言葉の意味が全く分からず硬直していたのだけれど、SPみたいな顔が恐ろしく格好いいと沙希に言われてしまった。全く、沙希の好みは分からない。
「兄ちゃん、すごく綺麗なホテルだね。俺、緊張しちゃう…」
 そう言いつつも、ここまで来れたのが嬉しい沙希は笑顔一杯で、小さくて可愛らしい日本人少年は目立つのか、すれ違う知らない外人にハーイと言われっぱなしで、志貴はますます沸騰する。
「沙希!ニコニコすんな!知らないやつに声掛けられてへらへら笑ってんじゃねぇ!」
 それもこれも、全部園部が悪いのだ。園部が沙希に『惚れてる』などと言わずに、言ったとしても、そんなに沙希が好きなら沙希が分かるように言い含めてにっこり笑ってまたな、くらい言えば良かったんだ。お陰で外国にまで来なければならなくなった。沙希の日本情緒溢れる美少年振りは外人には恰好の餌だ。今更こうなったことを悔やんでも仕方がないが、一発は必ず殴ってやる。


 吉野へ到着したことを伝えた際、園部の行動予定を教えてくれた。午前中は忙しく動き回っているが、午後遅くになると約束がない限りどこかをほっつき歩いて連絡が取りにくくなるそうだ。夜の自宅は沙希のためには避けた方が良い。もしまたあの綺麗どころがいれば気持ちが萎えてしまうかも知れない。なにより、遅い時間だと沙希が眠ってしまう可能性もある。23時には電池が切れたように眠りにつく沙希が時差呆けにならないわけがない。夕方までに園部を見つけて突撃するのがベストだろう。
 到着したその日は沙希を着替えさせるヒマもなかったし、初めてのことだらけで疲れた二人は、周辺の交通機関や地理を把握するために少しだけ周囲を歩き回った。園部がよく利用するというホテルにも行ってみたが、もちろん園部はいない。何も言わないが、行き交う人混みを必死で見つめている沙希を見ると志貴はなんともやるせない思いに駆られた。
 
 
 似たような背格好の人が園部のように見えて、どきどきする。会いたいと思ってここまで来たけれど、あんなにあっさりと拒否された後では歓迎されない確率の方が高いんじゃないか?今更自分の気持ちが分かったからと、それを園部に言ったところでなんになるんだろう。本当に好きでいてくれたのなら、園部だってつっぱねられて辛かったはずだ。それを蒸し返すのは子供の我が儘じゃないだろうか?
「本当に来ても良かったのかな…」
 日本にいるときはみんなが背中を押してくれたので、勢いできてしまった…いや、それも自分のことを自分で決められなかった言い訳かもしれない。
 園部は誰から指図されたわけでもアドバイスされたわけでもなく、自分の気持ちに忠実に行動していた。園部の過去は知らないけれど、誰とも付き合うことなく、ただお金で愛人を雇っていて、惚れたのは沙希が初めてだったらしい。自分にとってはもちろんこれが初めての恋で、戸惑うことばかりだ。初恋が実らないっていうのはたぶん、それまでの自分の全てを変えなければならない状況に陥り、恐かったり迷ったりしているうちに駄目になるからじゃないだろうか…それは自分にもぴったり当てはまる。
 でも園部は…迷わず好きになって気持ちをぶつけてくれた。園部のことが好きだったのに、仕事や仲間のことをダシにして逃げたような形になったから、園部は辟易したんじゃないか?
 何も言わないですっぱり元の生活に戻ろうとしたのは、園部が沙希の子供っぷりを理解した上での優しさだったのじゃないか?次はがんばれよと、沙希に身をもって教えてくれたのでは?沙希がこれから先初恋の失敗を繰り返さないように記憶に残すため、マンションや服はとっておけと言いたかったのではないのか?


「…でも沙希、お前は来たかったんだろう?」
「うん…本当に、来たかったんだ。ただ、園部さんに会いたかったんだ…」
 今更こんなところまで会いに来るが正しいのか間違ってるのか分からないけど、会いたい、と言うのが一番正直な気持ちだ。
「じゃあとにかく気が済むようにしてみろ。何がどうなっても、兄ちゃんが支えてやるから」
「うん」
 到着したその日はやはり、起きているように頑張ったのだが、機内であまり眠れなかったこともあり、沙希は夕方の七時には倒れるように眠ってしまった。
 夜中に目が覚め、隣で眠る志貴を見つめていると子どもの頃からの思い出が次々に蘇る。いつもどこかにほんの少しだけ寂しさがあったけれど、志貴が先手に回って考えてくれたので、寂しさに時間を食われることなく毎日が充実していたように思う。そしていつも、沙希が本当にそうしたいと思ったことには全力で手を貸してくれた。今回だって、園部のことは大嫌いなはずなのに沙希が望んだから手を貸してくれた。
 起こさないようにそっと志貴の腕に抱きつき、沙希はまたうとうとと眠りに入っていった。


「沙希、兄ちゃんはくそったれの会社までの道順をきっちり調べてくるから、準備して待ってろ」
(準備と言われても…寝癖で派手に広がっている髪の毛をなんとかして着物を着るくらいかな…)
 袴は着慣れているので和装で過ごすことに問題はないけれど、綺麗な着物を汚してしまったら…
 髪の毛はこの十日ばかりの間に三度も美容院へ連れて行かれて、随分柔らかくなり、扱いやすくなった。いつも適当なシャンプーしか使ってなかったのでゴワゴワしていて、トリートメントや手触りが良くなるムースやらを使うように言われたのだ。美容室でもやってもらったが克彦さんがまた色々と買ってくれて…
「えっと…」
 克彦さんのプレゼントを急に思い出し…
「今日は…てか、とうぶんいらない…よね…」
 あの後、克彦さんは兄ちゃんと吉野さんに散々怒られた。結局兄ちゃんに取り上げられたけどそこはさすがに克彦さんで、プレゼントはもう一つ同じ物がちゃんと用意されてあって、あとでこっそり貰ったのだった…
 端布で作られた巾着になるべく見ないようにさっと入れて、沙希は舞い上がった気持ちを鎮めようと浴室に飛び込んだ。


 先に周囲の人々が囁く言葉に気が付いたのはグレンだった。園部も英語は堪能すぎるほどだが、雑踏のなかの些細な会話などに聞き耳を立てる性格ではない。
 凄く可愛い子、真っ黒な瞳がキラキラしてる、豪華な着物、東洋の王女様…美しい物の噂は園部の耳にもすぐに伝わるはずだが、今の園部はどんなに美しいものにも興味を示さない。その理由を知っているグレンは、真っ黒な瞳…と聞こえたところで周囲に目を向けた。
 初めて日本に行った日に見た今にも泣き出しそうだった黒い瞳を、グレンは忘れられなかった。目があった瞬間、驚き、諦め、悲しみへと感情を変化していった美しい瞳。
 グレンは園部を沙希が見えない方へ向きを変えさせ、園部の首に手を回して自分の方へ引き寄せると、軽く口づけた。
「HAL、この子に言って聞かせることがあるから、ホテルの部屋を少し貸してくれる?」
 そう言って似てもにつかない東洋系の愛人の腕を掴み、またグレンと目があって立ちすくむ沙希ににっこり微笑む。
「あ?」
「あなたにお客さんみたいだよ」
 振り返った園部の視界に、煌びやかな町の雑踏すらくすんでしまう美しい花が目に飛び込んできた。

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