花・ひらく

園部と沙希

「「「お…はょぅございます…」」」
 ヤクザの朝は早い。
 磨き上げられた真っ白のベンツから降り立った園部に、居並んだ組員達の視線が釘付けになった。朝っぱらから見たくない種類の顔は、いつもなら深々と礼をするので見る事はないが、今日は礼の角度も甘く、園部の歩みに合わせて全員の首が左から右へと微かに流れている。
 園部が…
 何か白い物体を抱えている。
 それはどう見ても人間だった。良くできた人形なのかも知れないが、だとしたらもっと薄ら寒い。その人形のような物体は白い作業着を着ており、片方にしかレンズが入っていない黒縁の大きな眼鏡を掛けている。
「…おはよう…ございます…」
そしてその白い物体は、居並ぶ男達に小声で挨拶を返した。


「園部幹部、幹部に会わせろと言う野郎がいたので地下に閉じこめていますが…」
 園部は抱きかかえている沙希にちらりと視線を送る。沙希は藻掻いて園部の腕から逃れようとしたが、やはり無駄だった。
「園部さん、その人って、兄ちゃんかも…」
「そうだろうな。そいつを会議室に連れてこい。できるだけ丁寧にな」
 園部の部屋は幹部専用フロアにあるのだが、一年のほとんどをニューヨークで過ごすためそこは物置同然になっている。会議室には前室がありソファーセットなどが置かれていて、園部はもっぱらその部屋で寛いでいた。会議室など名目で、年に数回あるかないか下部組織の幹部が顔を揃える報告会のようなものに使われるだけなので邪魔者も現れない。組織の事全ては本田が決めるので会議をする必要もない。

 
 克彦が選んだというラグジュアリーな皮のソファーに沙希を座らせる。小柄な沙希が座ると足が床に届かず、靴の底が丸見えだ。
「ここでちょっと待ってろ。一人で歩き回るなよ。ねんざでも後に残ることがあるからな」
 ここに来る前にはもうすでに、知り合いの医者をたたき起こして沙希の診療を済ませてきた。骨に異常はなく、安静にしていれば2日で治ると言われたが、その安静の度合いがはっきりしなかったので、園部は常に沙希を抱きかかえて移動するしまつだった。
「組長は?」
「今、駐車場に着かれました」
 部屋を出て、沙希にはまだまだ見せられないヤクザの顔に戻りながら、昨夜のニセ黒瀬組に関する報告をするべく本田の元へ向かった。

 
 30分後、10人ほどの組員達に取り囲まれて、紗希の兄が部屋に連れてこられた。どの組員達も朝一番だというのに服装は乱れ、疲れきった顔をしている。紗希の兄も似たような様子だったが、彼だけは怒りを全身に表しており、殺気を振りまいている。兄はなかなか腕っ節も強く、組員達と一騒動おこしていたようだ。
「兄ちゃんっ!」
紗希が足に構わずソファーから立ち上がり兄に駆け寄ろうとすると、園部がその腕を掴んで引き止めた。その一瞬、何を勘違いしたのか兄の怒りが炸裂し、園部に拳を向けながら突進していく。
「紗希に何しやがるー!」
後ろの10人より紗希の動きは素早かった。殴りかかる兄と園部の間に滑り込み、園部の首に飛びつき片腕でしがみつく。
ゴッと言う鈍い音と共に、軽い振動が園部に伝わってきた。
「にいちゃ…いた…寸止め…へた…」
しがみついていた体から力が抜け、ぐったりと重さが増していく。


「「紗希?」」
遅まきながら組員達に押さえられた兄と園部が見事にはもる。
園部はぐったりと気を失った紗希を慎重にソファーへ寝かせ、自分もその側に跪く。組員達に背中を向けていたため表情は見えなかったが、このときの園部は恐らく、呆けた面をしていただろう。
「紗希?紗希…おいっ?」
呆然と名前を呼び、沙希に触れようとする園部に兄は怒鳴りつけた。
「う、動かすなよ!絶対動かすなよ!」
いつの間にか組員を振りほどいた兄がソファーに駆け寄り、園部のとなりで紗希を覗き込む。
「きゅ、救急車…救急車呼んでください!」
「あ?あぁ…救急車だな、救急車…おい、てめぇら誰か救急車呼んで来い!」
何人かが携帯を探りながら部屋を出て行こうとすると、ちょうど出勤してきた吉野とでくわした。


「朝っぱらから何の騒ぎだ?」
ワケあってほとんど朝帰りの吉野はすこぶる機嫌が悪かった。自覚した以上に冷たい声だったようで、転がり出て来た組員はその場で固まって動けない。
「吉野か?救急車よべっ!」
吉野は軽く眉をしかめて園部と見たことがない若造が屈み込むソファーに向かって行った。
「紗希ちゃんですね。朝っぱらから激しすぎたんじゃないですか?園部さん」
「何もやっちゃいねぇよ!こいつの兄貴が殴ったんだ」
結果的にはそうだが、中身は思いっきり端折られている。
「どれ…」
吉野は園部をどけると、紗希の首筋で脈を確認し、まぶたをつまんで瞳孔を確認。
「気を失っているだけですよ。朝っぱらからこの程度のことで救急車なんて恥ずかしいものは呼ばないでくださいね。それより打った所を冷やしてあげないと。タンコブができるでしょうから」
「氷!誰か氷持って来てください!」
「氷だ!氷!」
兄と園部が二人で喚くなか、吉野は冷めた態度で部屋を出ていった。

 
 何故そんなものがあるのか不思議だが、沙希の頭の下に氷枕をそっと差し込むと、園部は改めて兄に向き直った。
沙希よりは大きい。が、沙希が小さすぎるだけで、兄はごく普通の背格好だ。黄色みが強い金髪に染められた髪の根元からは二?ほど黒い髪が伸びており、カラメルソースを掛けたプリンのような頭だ。派手な花模様のシャツにホワイトゴールドのアクセサリーをじゃらじゃら着け、たとえ偽物でも「黒瀬組」を名乗るのは御免頂きたい。
「てめぇ、黒瀬組に世話になってるそうだが、ここがどこか分かってんのか?」
兄は沙希とはあまり似ていない顔を歪めて答えた。
「黒瀬組?」
「おう。おまえんとこも黒瀬組らしいな」
「…そう、みたいだな」
「組長の名前は?」
「本田雪柾」
「…会ったことあるのか?」
「ない」
「黒瀬組の誰に世話んなってんだ?」
「園部…春」
「俺かよ!」


「俺、こっち出てきてから証券とかパスポートとか公文書の偽造とかやってて…三ヶ月くらい前かな?黒瀬組の仕事手伝ってくれって頼まれたんだ。頼んできたヤツは俺がこの仕事はじめた時からの知り合いだったし、黒瀬組ってこの辺じゃすげえ組だし、チャンスだと思ったんだ…」
 兄は子どもの頃から札付きのワルだったが、手先も器用で頭の回転も悪くなかったため人を騙すことが得意だった。領収書の金額を改ざんして差額を小遣いにすることは日常茶飯事、上京してからはその道のプロに弟子入りまでして偽造の腕を磨いたが、最新技術とのいたちごっこにうんざりし始めたところだった。そんなことをしなくても、儲けている連中が確実にいる。本物の書類を堂々と交わし、大金を動かす者達。
 黒瀬組もその一つで、一般社会ではゴミ扱いされる日陰者の集団『ヤクザ』が、立派な家で何不自由なく当たり前のように最高の教育を受けて育った煌びやかな人種がふんぞり返る上辺の世界で同じラインに立つ…そんなヤクザの黒瀬組に憧れを抱いていた。
 もちろん、馬鹿ではないと自負していたので自分に係わろうとしてきた『黒瀬組』について調べた。
 連絡を付けてきたヤツに組長に合わせろと詰め寄ったが、大仕事であっても末端の人間に会ってくれるはず無いだろうと一蹴され、それでも詰め寄ると『本部長』とやらには会わせてくれることになった。この『本部長・園部 春』はNY在住で黒瀬組が係わる海外取引を一手に引き受けている人物らしい。日本に居ることはほとんど無いが、今回の仕事のために一時帰国していて、証券類の偽造で世話になるからと、特別に会わせて貰えることになった。


「俺は外部にあんまり顔が知られてないからな…で、どんな野郎だった?」
 背格好や雰囲気さえ合わせておけば、田舎から出てきたこいつに直ぐにばれることはないだろう。こいつの腕が余程借りたかったのか…?ばれてもこいつなら沈めるのは簡単だと思ったか。もしくはこの黒瀬組に恨みがあるヤツの謀略。そうだとしたら多少やばいことになる。暴力団指定をうけている団体だ。名を語られた被害者であっても、警察にとってはあら探しの恰好の餌になる。
 沙希の兄は胸ポケットから小さなメモ帳を取り出すと、新しいページにさらさらと何かを書き始めた。
 それは似顔絵だった。
 五分ほどで出来上がった似顔絵を、園部に渡す。
「ほ〜っ。さすが、絵も上手いな…しかし…みたことねぇ野郎だ」
 髪型は園部と良く似ていたが、似顔絵の園部は本物より少し丸い顔をしていた。一重の吊り上がった目、薄い唇、耳にピアス、どこから見ても極悪そうなヤクザだ。
「…似てるのは髪型とピアスだけやないか…どこが俺に似てるってんだ!」
 その極悪そうな雰囲気が…とは誰も言えない。
「園部さんの方が格好いい…」
 何時の間に目を覚ましたのか、沙希がソファに寝転がったまま、隣に座っていた園部の手元の似顔絵をじっと見ていた。