花・ひらく

園部と沙希

「「沙希っ!大丈夫か!」」
タイミングと言い、間と言い、一糸乱れずハモる園部と兄。
園部は兄を睨んで舌打ちするが直ぐに沙希に向き直り、出来るだけ怖くない顔をしようと努力していた。
「沙希!しばらくじっとしてろ!急に動くなよ!気分悪くねぇか?めぇ回ってないか?吐き気とかあったら直ぐ言うんだぞ!」
 
沙希は深呼吸を一つして、ゆっくり起きあがろうとした。園部は手を添えて沙希が座り直すのを手伝う。
「全然だいじょうぶです…」
「大丈夫ったって…頭殴られて失神したんだ。また後で医者行くからな!」
 

 昨日から災難だらけの沙希だが、一番の災難は園部と出会ったことではないだろうか…兄と二人で一生懸命に生きてきたので、いきなり過保護扱いされて面食らう。兄も過保護で弟馬鹿だが園部はそれ以上に過保護で、男っぽくなりたい沙希にとっては災難以外のなにものでもない。兄や園部みたいになりたいのにそうさせて貰えず、机の角でも囓って歯がゆさを何とかしたい沙希だった。
「兄ちゃん、寸止め下手すぎだよ…」
「…沙希が黒瀬組に拉致られたって聞いて、慌ててたんだ。ごめん」

 弟馬鹿の兄は沙希の目の前に移動し、応接テーブルに腰掛け、殴った部分をそっと触る。まだ、たんこぶは出来ていないが、もう少ししたら腫れてくるかも知れない。
「おぃ…気安く触んな。おめぇにはもう少し聞きたいことがある」
 もう少し大きな似顔絵を描かせてニセ園部を捜し出し、ニセ黒瀬組を血祭りにあげてやる。まあ、ニセ黒瀬組のお陰で沙希に出会えたので命だけは助けてやるが、ちんけな詐欺でこの園部と黒瀬組の名前を使ったお礼はきっちり払って頂く。


「橋本君!」
 昼休みの時間を狙って沙希の同居人である橋本君を待ちかまえていた沼田は、昨夜知り合った何人かの少年を先に見つけ、橋本君を呼び出してもらった。
「あ。えっと…沼田さん」
 近くのファミレスまで誘い座席に着くと、沼田は新しい住み家の権利書と鍵をテーブルに置いた。
「それは沙希ちゃん名義のマンションとそこの鍵だ。園部さんからのプレゼントで、君たちが住んで良いと言うことだ」
「…え?」
 

 橋本君は何のことだかさっぱり分からず、沼田をぽかんと見つめている。
「昨日、七夕のお願いをしただろう?園部さんは何でも叶えてやれと言ったからね。それは取りあえず沙希ちゃんが帰ってくるまで君が預かっておきなさい。引っ越すのは早いほうが良い」
「で、でも、そんな、うそでしょ!?そんなに簡単に願いが叶うわけないじゃないですか??」
 

 沼田はいつもの甘い表情をヤクザな鋭い顔に変えると、はっきり伝えた。
「黒瀬組本部長、園部春が叶えると言ったんだ。二言はない」
 橋本君は見た目が優しげな沼田の豹変振りに驚き、それでも必死に声を振り絞る。急にヤクザに戻った沼田は、今まで会ったどのやばい人間達よりも恐かった。
「でも…でも、あんた達はヤクザでしょ?…要求とか…見返りとか、後から言って来て俺たちをハメるつもりなんじゃないんですか!?」
「お前らみたいなガキをハメても何の得にもならん。ごちゃごちゃ言わないでもらっとけ」
「沙希は?沙希はいつ帰ってくるんだ?沙希と話さないと、なんともいえないよ…」
 沼田は今朝のあの様子では当分帰って来られないかもしれないと思った。心配していたのとは別の意味で。
 

 園部とは10代の頃からの知り合いだが、若い頃はさておき、この十数年、特定の相手をつくった事はない。ニューヨークでは愛人契約をしているがそれも長くて三ヶ月と聞く。たまに帰国しても一夜限りの遊びばかりで、その遊びっぷりには沼田も目を背けたいものがあった。それが、沙希ちゃんと出会った瞬間に…変わったのか新しい遊びに嵌ったのかは定かではないが、少なくとも今までとは違うのぼせようだ。その上珍しいことにまだ『やってない』ときた。

 沙希ちゃんは確かに可愛い。このまま育てば美しい男になるだろう。今時珍しいくらいに純情で、しかもあの強面園部にすっかり懐いている。園部にとっては美味しい獲物のはずなのに、手も出さず、過剰なまでに世話を焼いている。これが一時的なものなのか永遠に続くものなのか、沼田には見当も付かなかった。
「さてね。園部さん次第かな?沙希ちゃんの事をとても気に入っているからね」
「…沙希を酷い目にあわせたりしてないだろうな?」
「それはない。今日も朝から甲斐甲斐しく世話焼いていたぞ」
「じゃあ…沙希が帰ってくるまでこれは預かっておく。ここに住むなら、沙希も一緒じゃないとダメだ」
 

 沙希ちゃんと一緒に暮らしているだけあって、橋本君もなかなかの好青年だ。沼田を見つめる瞳はきりりと引き締まっていて、それ以上何を言われても沙希ちゃんが帰ってくるまではきかないぞ、と訴えていた。
「わかった。だが…ゲームとか、小物は受け取って貰えないか?もう買ってしまったし、うちにあっても仕方がないからな」
 橋本君は少し考えて、そのくらいだったら…みんないつもがんばって働いてるし、と付け加えて受け取ってくれることになった。

「良くできてるな…」
 沙希の兄、志貴が偽造した証券は確かに良くできた物だった。吉野から手渡された本田は偽造証券をじっくり眺めた後、志貴に向き直って今度は本人を眺めた。まるで絵に描いたようなちんぴらである。そして片方しかレンズが入っていない歪んだ眼鏡を掛けている小柄な弟…しかも園部が下にもおろさない溺愛?振り。
「もしこれを黒瀬組が偽造していたと言われると相当やっかいなことになる。否定する材料も無いしな。園部、吉野と組んで徹底的に潰してこい。俺の偽物がいたら連れて来いよ。じっくり顔を拝んでやる」
 

 園部と吉野は目を見合わせると軽く頷き、志貴を連れて出て行こうとした。
「園部…その坊やも連れて行く気か…?」
 あきれ顔の本田に園部は真剣に答える。
「こいつ、足けがしてるんで…」
 本田は頭を抱え、唇の端を歪めながら言った。
「会議室で丁重にもてなしとくさ」
「…絶対に一人で歩かせないでくださいよ。絶対に」
 自分の強面が本田に通用するとは思っていないが、一応睨みをきかせておく。
「分かったから…置いていけ」
 

 そんなものを連れていけば黒瀬組の威厳が吹き飛ぶ。克彦のことは下部組織には認めさせたが(懇親会で)上部にはまだ異を唱える者がいるはずだ。さすがに上部団体には懇親会等という冗談のようなイベント事で知らしめる事はできない。組織の頑強さを示さなければならないこの時期に、NY本部長がお姫様だっこでけったいな子どもを連れ回しているなど言語道断だった。自分が克彦という存在に出会ったことで、園部の奇異な行動と心の変化を頭から否定する気にはならないが、無惨なまでに園部らしくない様子を外部には絶対に知られたくなかった。
「克彦が持ってきた菓子が残ってただろう、あれを持っていけ」
 と近くの部下に伝えている本田も、あり得ない事を言っている自覚がないようで、ただ独り、吉野だけが冷めた目で笑顔を張り付かせていた。

 

 志貴が係わっていた黒瀬組の仕事は詐欺としては初歩的なもので、見せ金に使うか素人に売りつけるかくらいの用途しかない。今回の志貴の仕事は米国の有価証券の偽造で、英語で書かれているため簡単に騙される馬鹿も多いのだ。
「本物で儲けてるのに、わざわざ偽造なんてやばいことしないだろ?額面の総額も大したことなかったし、こんなんでわざわざNYから帰ってきてこっちで偽造なんて、なんか噂の黒瀬組らしくないなーって…」
 

 そう感じると全てが胡散臭くなってきた。ニセ園部もヤクザには見えるがエリートには見えない、たんなるヤクザだった。志貴は迷い、ものは出来ていたが理由を付けて納品を伸ばしに伸ばしたため追いかけ回されていたのだった。弟の存在は誰にも言っていなかったのでそれがばれたことに驚き、かなり焦っていた。だが、沙希が本物の黒瀬組に捕まったことは逆に幸運だったかも知れない。片棒を担いだことを許して貰えるとは思っていないが、何も関係ない沙希は助けて貰えるように何でもするつもりだ。ニセ黒瀬を潰してもらえれば沙希に迷惑がかかることもなくなる。その上であれば、自分の事などどうなっても良い。