花・ひらく

園部と沙希

「志貴、お前しばらく街ん中でフラフラ泳いでろ。てめぇが昨日は隠れてたお陰で雑魚も捕まえられなかったからな。そう言えば吉野…」
 涼しい顔で車窓を眺めていた吉野に昨夜のことを問いただす。確かちんぴらを一名、預けたと思うのだが…
「何発か殴ったら使えなくなって…最も、探せと言われただけで詳しいことは知らなかったようですよ」
 

その『何発か』がお前の場合は問題なんだよ…と、吉野一人で向かわせたことを園部は後悔していた。
「志貴には見張りを付けておく。周囲にばれるような素人じゃねぇから気にせずに行動しろ。ニセ黒瀬が出てくるまでは助けに行かないからな。そのつもりでうまくおびき寄せろ。そのくらいできるだろうが?」
「…やる。そしたら沙希が…沙希が危ない目にあわないようにしてやってくれ!」
「あたりめぇだ。沙希は関係ねぇだろうが。沙希はたまたま路地裏で俺がひろったんだ。たまたま足を怪我していて、それにたまたま俺が眼鏡を壊したから面倒みてんだ。沙希を拾ってなかったらお前らの悪巧みで顔に泥塗られてるところだしな」
 

適当な所で志貴を車から放り出し、園部は胸ポケットから携帯を取りだした。そう言えば沙希の番号を聞いていなかったことに気が付き、舌打ちする。事務所に電話し会議室に繋がせると…
『は〜い園部さんごきげんよう』
 電話を取ったのは克彦だった。
「克彦さん…いらしてたんですか。そこに小さいのがいるでしょう?そいつに変わってもらえますかね?」
『いいけど、あとでお話し聞かせてくださいね、園部さん』
 
 

 克彦は返事を待たずに電話を取り次いでくれたようで、微かに、はい、沙希ちゃん、と言う声が電話の向こうから聞こえてきた。
『あの…沙希です』
「おう。一人で大丈夫か?」
『はい、大丈夫です。えっと…克彦さんが遊びに来てて…今一緒にケーキを食べてるところです』
「そうか。昼過ぎに一度戻る。それまで安静にしてろ」
『はい。あの…園部さん…』
「どうした?」
『兄ちゃんは?』
「さっき用事を頼んで車から降ろしたところだ。しばらく帰れないかも知れないが、護衛をつけておいた」
 物は言い様である。沙希を安心させるためだ、多少の脚色は必要だろう。
『そうですか…』
「心配しないで待ってろ。悪いようにはしない」
『あの…園部さんも、気をつけてくださいね…』
「おう、分かった。じゃ、また後でな」
 切った電話を見つめながらいつもの強面がにやついているのに気が付いたのは本人ではなく、同乗していた部下達だった。

 

 車から放り出された後、志貴は全く気配をさせない見張り役に感心しながらある場所に向かっていた。そこはニセ園部に会ったホテルで、東京駅の直ぐ側にあった。二度会ったが、二度とも同じホテルだったので定宿にしている可能性も高く、テリトリーの近くなのかも知れない。この辺りをうろつけば、見つかる可能性も高い。連絡は電話で、相手からプリペイド携帯を持たされていた。
 
 

 東京駅近辺を歩き回っていると沙希をここまで迎えに来た日のことを思い出す。五年前に自分が与えた眼鏡をはめ、もう卒業したのにまだ中学の制服を着ていた。どこから見ても田舎者で、自分と一緒に歩いていると二人の見た目があまりにもちぐはぐで怪しかったのか、道行く人の注目を浴びていた。兄ちゃん、兄ちゃんと高めの声で連呼していたが、その言葉を聞いた人でも信じてくれたかどうか…
 兄弟仲は元から良かったが、両親が死んで以後は志貴が両親の分まで可愛がり、よく女の子に間違われてからかわれていた沙希を守るために腕っ節だけは人一倍強くなっていった。
 
 

 大きくなれば多少は男っぽくなるだろうと思っていたが、沙希は母親に似たのか小柄で、ますます可愛さを増してくる。同じ施設で育つ間、可愛らしい沙希には何度も養子の話しが来たが、沙希自身が兄と一緒でないと絶対に嫌だと断り続け、養子に行かなくて良いようにするにはどうしたら良いか、考えたのが瓶底めがねで顔を隠すと言う簡単なことだった。その上で地味な服を着せると、養子縁組希望で施設を見学にくる人達から沙希に声がかからなくなった。しかもその姿で街を歩けば今までとは逆に『まあ可愛い』ではなくて『へんな子』と言われる始末で…
 
 

 自分が先に施設を出ることは分かり切っていたので、沙希が自分の身を守るために武道を習わせたのも志貴だ。頭が良く飲み込みが速い沙希があっという間に兄より強くなってしまったのは唯一の誤算だったが。けれどもそのお陰で、将来一緒に暮らすために志貴が一人で東京に行き土台を作り、後から沙希を呼び寄せ二人で働くという目標もできた。ただし、志貴の仕事はとても人に自慢できた物ではなかったが…金とコネはできた。
 
 

 沙希は兄が恐れていたとおりとんでも無い美人に育ってしまい、都会の闇を嫌と言うほど知っていた志貴は、沙希が出来るだけ人目に付かない仕事につかせようと「ビルのメンテナンス」を選んだのだ。中卒でも多くの資格を身につければ確実に食える。しかも人目につくような派手な仕事ではない。 
 
 

 沙希の容姿であればサービス業で稼げるかも知れないが、どんなヤツにたぶらかされるかも知れない。ちょっと見た目の良い少年が堕ちていく姿を見たことがある志貴は、もし沙希がそんな目にあわされたら…と考えただけで気が狂いそうになるのだ。
 兄ちゃん、兄ちゃんと兄ちゃんっ子の沙希の綺麗な目が死んでしまったら、相手を八つ裂きにしても物足りないだろう。大事な沙希に誰も手を出せなくなるような、そんな存在になりたいと志貴は思っていた。

 

 それが…こんな事で失敗してたまるか。
 今のところ、沙希に被害はない。だが、あの園部の、沙希に対する言動の数々は絶対に見過ごせない。沙希を構うのは自分の役目なのに。園部が沙希をどんな目で見ているかもひっかかりまくっている。
 あれは絶対に下心がある目だ。かてて加えてそんなものに全く免疫がない沙希は「園部さんは格好いい」とすっかり懐いている。
 
 

 自分の仕事はヤクザと関わり合いが深いもので、彼らからの仕事は実入りも良いし確実にやっていれば良い関係を保てるし、ごねる堅気よりはよっぽど潔い付き合い方が出来る。だが、沙希には絶対にヤクザと関係を持たせたくない。地味で良いからまっとうな世界で生きていて欲しい。
 一刻も早くニセ園部に接触してこの騒動を終わらせなければ、大事な沙希がどんな目にあわされるか分かったものじゃない。
 志貴はなるべく人目につくように、街の中を肩をいからせながら歩き回った。


「沙希ちゃん。その眼鏡、みっともないから取っちゃいな」
 園部や志貴の思惑など知ったことではない克彦は、感覚的に絶対許せない無粋な眼鏡を外させようと何度も説得していた。可愛いことは良いことで、それを隠すなんて人生を捨ててるとしか思えない。
 ほんの数十分前に知り合ったこのミジンコ並みに小さい少年は最初からとても素直で行儀が良く、克彦もすぐに気に入っていた。


『俺のおやつ食べたの誰!?』
 結構な剣幕で会議室に乗り込んできた青年を見て、沙希がもらした第一声が、『うわぁ、綺麗な人…』だった。当たり前のことなのでいちいち驚かないが、ぽかーんと見とれている少年があまりにもイケてない恰好だったのに驚いて、出鼻をくじかれたのだ。
 克彦を追いかけてきた都筑に聞くと、園部が連れ回しているらしい。あの見た目に似合わない美し物好きが連れ回しているとは到底思えない。

 

 絶対に何かある、と思った克彦は暇つぶしがてら沙希をからかおうと思ったのだった。割れた眼鏡の奥の瞳をじーっと見ると、真っ黒けの瞳がキラキラと光りを反射している。話してみると、希少種で、園部がキープしているのだろう事がありありと分かる。勝手に眼鏡を外すと、将来自分を脅かしそうな美少年らしき物体が現れた。ただし、髪型はださいし着ている服はセンスを量る事もできない作業着。かなり磨いてからでないと、自分と比べる権利も与えたくない。


「でも…」
「でも、なに?」
「兄ちゃんも、園部さんも、かけておけって…」
「人の言うこと聞いてあげること無いじゃん。沙希ちゃんはこんな眼鏡、重たくない?俺がコーディネートしてあげるよ?て言うか、レンズ片方割れてるし…」
 片方レンズが割れた眼鏡なんてかけてる意味が無いじゃないか。顔を隠すならレンズは入ってた方が良いし、この状態がどれだけ人目を引くか、園部も兄貴とやらも分かって言っているのだろうか?
 愛しすぎてワケわからなくなっている、としか考えられない。
「…レンズは、園部さんがあとから入れてくれるって。園部さんが、昨日踏んづけて割れちゃったから…」
 どうりで何となくフレームも歪んでいる。
「そか。じゃあ俺もついていって選ぶの手伝うよ」
 ついでに可愛い服とか格好いい服とか、この子だったら着物も似合うかも知れない。で、選ぶのを手伝ったお礼に晩ご飯をおごってもらおうと画策するのであった。

 

 程なくして事務所に帰ってきた園部は沙希の隣に座っていた克彦へ不気味な微笑みを投げかけると、沙希を挟むように反対側に座り抱き寄せる。いくら組長のお気に入りだからと言って油断はできない。百戦錬磨の克彦がなぜそんなに沙希を気に入ったのか、理由によっては克彦からも遠ざける必要がある。
「園部さん、お昼、ご一緒しませんか?」
 不気味な微笑みに極上の笑顔を返しながら克彦が訊ねる。
「組長は?」
 許可無しで克彦を連れ出せば、きっと殺されるだろう。
「雪柾?さぁ?約束はしてないよ?忙しそうだったから放っておいた」
 じゃあとにかく話しを通してから、と立ち上がり、沙希を抱えて本田の元へ向かった。


「まだ抱えてんのか…」
 今日ばかりは克彦より先に園部の行動に目がいってしまう。馬鹿にしたように唇の端を歪めていると、園部の背後から本田の様子を伺うように克彦が顔を出した。今日は克彦も一日中ヒマなようで、朝も早くから事務所にいたらしい。居たらしい、と言うのも、下の階から連絡が入っていたのだが一向に本田の元にたどり着かなかったのだ。階下の者達に挨拶をするのはいつものことだが、今日は本田の部屋の幾つか手前で沙希を見つけ、そこで行軍が止まってしまったのだ。
 
 

 まだ恋人になって数ヶ月。本田が自分に対して気を遣うなと言っているにも係わらず、こちらから押していかないと一定の距離を置いて立ち止まってしまう。
「おう、遅かったな、克彦」
 チラ見していた克彦に視線を移し書類が積まれたデスクから離れると、克彦は園部の後ろからそっと出てきた。
「うん。雪柾忙しそうだったから。沙希ちゃんとお茶してた」
 本田は克彦の腕を取るとぐいっと自分の方に引き寄せる。
「お前の居場所はここだろう?」
 腰を抱き、柔らかな髪に鼻先を埋めると、克彦の身体に走った緊張が解け、本田にゆったりと身体を預けてくる。
「お前のためだったら仕事も放り出せる。おれの身体も時間もお前のためにあると、何度言ったら分かるんだ?」
 
 

 一見華麗で派手な男遍歴を渡り歩いてきたようで、実は常に脅され、いつ別れなければならないのか、そればかり考えてびくびくして過ごしてきた。
 一緒に暮らさないかと問うても『嫌だ』の一点張りなのは、別れたときに帰る場所がなかったら嫌だから、と言う理由からで、七年付き合った前の恋人、倉石義童も同棲にこぎ着けるまで四年かかったという。
 
 

 そこまで待つ気はないが、強行手段に打って出るのもためらわれる。強気の克彦がしおらしく様子を伺う様も保護欲をかき立てられ、こちらが怒っていないと分かると強張っていた表情が解け、何とも言えない柔らかな表情に変わっていく。その後、いつもの悪戯小僧に戻るのだ。克彦の美しい顔が、自分の言葉で刻一刻と変わっていく様子を見るのは、ガラにもなく楽しい。
 今は嬉しそうな顔をしているが、もうすぐ照れはじめ、そして怒り出し、腹減ったとぴーぴー言い出すのだろう。
 
 

 案の定、克彦は周囲に人がいることを気にし始め、キスしそうな勢いで頭を引き寄せる本田を制して口をとがらせている。
「明け方仕事が終わって朝ご飯も食べずに来たんだ。みんなで何か食べに行こうよ。でなきゃ倒れちゃうよ」
 予想通りの展開に本田は微かに微笑んだ。
「みんなって…変な人形抱きかかえた園部も一緒にか?」
「変って…沙希ちゃん可愛いよ?」