花・ひらく

園部と沙希

可愛いよ、と言われて克彦に笑顔を向けられた沙希は、それが自分のことだと理解するまで数秒かかった。
 何しろ初めて見るような綺麗な男の人が二人、目の前で寄り添っているのだ。その一人に可愛いと言われても…本田の「変な人形」の方がよっぽど的を得ている。
 それに、可愛いとか小さいとか、ごつい男になりたい沙希には最も堪える形容詞だ。せめて人形のよう抱かれた状況を何とかしたいのだが、ごつい男の中の男、園部の力強さには全然かなわない。その事実がまた沙希を憂鬱にさせ、もうどうでもいいや、とばかりに園部の腕の中で足をぶらぶらさせるのだった。


「沙希、お前も腹減っただろう?食べたいものあるか?」
「さっき克彦さんとケーキ食べたから…」
「あ?それはおやつだろうが。子供はごはんを食え」
 沙希は身体が小さいからか食も細く、がんばって食べているけれど普通の少年の半分くらいしか食べられない。だから小さいのかも知れないが…
「…うぅ」
 昨日からあまり動き回っていなくてお腹も空かない。でも食べなきゃ、食べたらますます動けないかも、と考えていたら小さく唸ってしまった。
「まあ良い。克彦さんは何か食べたいものがおありで?」
 付け足しのように克彦に尋ね、それに気付いた本田が片眉を僅かに上げて園部を睨む。
「んー?俺は沙希ちゃんと同じ物で良いよ?食欲無いんだったらお粥食べに行こうか?」
 お粥だったら何とか食べられるかも…そう思った沙希の表情がポッと明るくなったが…

「「お粥…」」
 

 文句が言いたそうなのはごつい男達だった。
「…大丈夫って。ウナギとかすっぽんとかもあるからっ!ウナギの白焼きがめっちゃ美味しいんだってば。雪柾も園部さんも今夜のために精を…」

「ああっ!!」
 
 園部が突然大声で叫び、びっくりした克彦が本田に飛びつき、沙希も身体が跳ねて園部の腕から落ちそうになりしがみついてしまった。
「なっなにっ!?どうしたのっ!?」
「子供の前ですから」
 園部にびしっと返され、何のことだかさっぱり分からない克彦が本田を見上げると、心底呆れ返った本田は克彦を部屋の隅まで連れて行き何やらコソコソと耳打ちしている。
『…ふーん…そうなんだ…ふんふん』
 と、園部と沙希をちらちら見ながら、克彦の表情が悪戯小僧のそれに変わってくる。沙希は沙希でまた子供扱いされたことに憤りを感じるのだが、ウナギはともかく、すっぽんなど食べたことはおろか見たこともなかったので園部さんか克彦さんが頼んだのを味見できたら良いなぁ、と何となく期待しはじめたのだった。

 
 克彦が誰かと行ったことがあるそのお店はこぎれいだが狭く、ランチタイムを過ぎていてもまだ賑わっていた。中華粥がメインのこの店の客層は女性が多いようで、見た目は全く異なるがイケメン揃いの本田一行に熱い眼差しを送ってくる。店の外に護衛を置いているので新しい客足はぱったり途絶えたが、出て行く客も居ない。そんなことに頓着しない克彦は勝手に人の分まで注文し、ウナギの白焼きとスッポン鍋も頼み女性客の妄想を膨らませていた。
 
 沙希にとってお粥と言えば白かゆに梅干し、卵、が定番だがこのお店には沙希が知らない食材を入れたお粥が沢山あり、何よりスッポンは鍋でみんなで食べられるというので内心わくわくして待っていたのだが…
 だが…最初に出てきた『生き血』を見た途端卒倒しそうになったのだった。
「生き血って…生き血って…血?????」
 目の前に置かれた小さなグラスには深紅の血。呼び名が『生き血』なだけかと思ったら本当の血らしい。ただし、お酒を混ぜてあるので未成年の沙希は飲まなくても良かった。


「そうだよー。すっぽんの血。元気が出るんだよこれ。雪柾も園部さんも忙しいからね。俺は、実はちょっと苦手」
 本田と園部は一気にあおり、克彦は園部の前に口を付けていない自分のグラスを置く。
「組長は良いんですか?」
 何かを企んでいそうな克彦にのせられたくはないが、黒瀬組の姐さんといわれる立場の克彦から勧められたものを断る事もできず…一応、本田にお伺いを立ててから二杯目のグラスを一息に空けた。
 
 昼真っからこんな物を飲んでいたら今夜どうなることやら…組の幹部の中では歳もいっているが、精力は負けていないと自負している。その上すっぽんで精を付ければ一週間は危険だ。一から少しづつ教え込もうと思っていたのだが、自分自身がどこまで持つか…隣に座る沙希を見ると、黒い瞳でじーっと見つめている。
「ん?どうした、沙希」
「えと…園部さん、飲み方が格好いい」
 生き血のせいではなく、沙希が昨日から何度も繰り返すその台詞に園部の理性は陥落寸前だった。


「はい、沙希ちゃんはこことここ食べてね。すっぽんはコラーゲンが豊富でお肌が綺麗になるからね〜。雪柾と園部さんはスープを沢山召し上がれ〜」
 見事すぎる鍋奉行。普段の食事ではかいがいしく世話を焼いてもらうのが好きなタイプだが、下心がある今日は率先して采配を振るっている。
 沙希はグロテスクな見た目の肉に生き血同様引き気味だったが、食べてみると意外に美味しく、ぷるぷるした食感も好きだった。
「美味いか?」
 はふはふ言いながらせっせと箸を動かす沙希に訊ねると、必死で頭を縦にふっている。
「でも、俺だけこんなの食べて…みんなちゃんとごはん食べてるかな…」
 

 

 あの小さな部屋で暮らし始めてまだ五ヶ月くらいだが、中学を出たばかりの少年達との暮らしは大変だった。誰も料理などしたことがなく、戒める者もいないのでお菓子ばかり食べる子やコンビニ弁当ばかりの子。栄養が偏りがちだったので、沙希は料理の本を見ながらみんなの食事を考え、食費もできるだけ切りつめられるようにしてきた。最近少しづつみんなにも手伝ってもらい、料理を覚えさせ、食事の準備を当番制にしようかと思っていたところだった。
 昨夜から自分ばかりが贅沢をしているようでみんなに悪いと思う。


「あいつらのことは沼田に任せてある。今日もあの子達に用事があるとか言って出掛けたぞ」
 仲間のことを考えて箸が止まった沙希の頭をくしゃっと撫でながら園部は早朝の沼田からの電話を思い出していた。
「用事?」
「ああ。七夕のお願い事のゲーム機とか買ったから渡してくるそうだ」
「ええ!沼田さん、そんなことまで…」
「買いに行ったのは沼田の舎弟で金を出したのは俺で届けに行ったのが沼田だ」
 一番美味しい役を沼田が取った事ははっきりさせておきたい。
「どうして園部さんはそんなに良くしてくれるんですか?俺たち、お礼言うくらいしかできないのに…」
「それは、お前…」
 
 

 克彦と本田も箸を止めて園部の答えに期待を込めて耳を澄ます。
「たまたま通りかかって、黒瀬組って言葉を聞いて、お前の眼鏡を踏んづけたからだろうが。人のもの壊したら弁償するのが礼儀だろ?ニセ黒瀬組の存在も分かったしな」
「それは…俺に対してだけですよね?」
「…う…まぁな。だけどみんな一緒に暮らしてるんだろ?お前がいないと食事にも困るんだろ?俺の仕事のことでお前を借りてるんだ。あいつらにも礼はしないとな」
 我ながら上手く答えられたと思った園部は、ちらっと本田を見たが、もちろんそんな付け足したような答えに満足しているはずがない。


「園部さんは沙希ちゃんが大好きなんだよ〜。大好きな沙希ちゃんの大事なお友達だから、園部さんも大事にしたくなったんだよね?」
 好き、と言う言葉の使い道が少ない園部は一瞬ぎくっと克彦を見たが、すぐに沙希がまだ十五才の初心な少年であることを思い出し、自分の過去の経験を大急ぎでたぐり寄せて学校の友達で仲が良かったヤツを捜してみたが、どいつも手下か喧嘩相手で「好き」なヤツなどいなかった。強いて言えば本田は好きで、本田が大好きな克彦の事は大事にしたい…確かに大事にしたいが…どこか意味が違うような気がする…
 要するに、克彦の青少年風模範的解答に助けられたのである。好き=大事なお友達なシチュエーションを、ここは続行すればいいわけだ。


「おう。そんな感じだ」
「俺も園部さんはかっこよくて優しくて大好きです」
 すっぽん効果は半日くらい経たないと出てこないが、沙希の決まり文句のようになってしまった『園部さんはかっこいい』はいつ出てくるか予測不能で即効性があり、破壊力も強かった。
 本田はウナギの白焼きのしっぽの部分を少しだけとりわけ、それをまた半分にして克彦の取り皿に置き、残りは全部園部の方におしやった。
「残りはお前が食え。俺は先に事務所へ戻る。克彦はどうするんだ?」
「んー…俺、沙希ちゃんの眼鏡選ぶの手伝って良い?」
「分かった。仕事は早めに終わらせるから、終わったら迎えに行く。園部、克彦を頼む」
 そう言って立ち上がると、本田は先に店を後にした。


「良かったんですか?組長を先に帰して…」
 良くはないが、克彦の言葉は本田にとって絶対なのだ。今はまだ克彦を甘えさせたいのか好き放題にさせており、いつもの本田らしさ、全てが自分の思い通りになるように事を運ぶ、という本田らしさはなりを潜めている。
「良いの。だって仕事させなきゃ。雪柾がイエスと言わない限り事が終わらないんでしょう?だったら今日の分は今日終わらせないと…俺のせいで仕事が遅れたとか、言われたくないもん。それに、沙希ちゃん可愛いから一緒にいたいの!」
「ほぉ、いつも我が儘ばかり言ってるのかと思ったら…一応真面目に考えて行動してるんですね」
「あったりまえじゃん!俺だってちゃんとした社会人なんだから」
「克彦さんの眉間の皺を増やしたら俺が組長に殺される。早いとこ用事を済ませましょうかね」
 
 

 園部が立ち上がり沙希を抱きかかえようとすると、故意か無意識か、沙希は両腕を園部の首に回し自ら園部の腕の中に吸い込まれるように身体を預けていった。抱きかかえられ居心地の良い態勢に収まると、片腕は自分の身体の上に置いたが、もう片方は園部の首に回したままである。
「沢山食べたから、重くなったかも…」
「まだ大丈夫だ。克彦さんよりは軽いだろ」
 声をひそめて耳元に囁く。
 沙希は足を少しだけパタパタさせてにっこり微笑んだ。