花・ひらく

園部と沙希

眼鏡のレンズは店に話しを通していたので、まるでオモチャのような変なレンズがすぐ出てきたが、それに合わせるフレームはと言うと…
「結局今までのが一番あってるんだね、そのレンズに…」
 克彦の審美眼を総動員してみても、その渦巻きレンズに似合うフレームは最新流行のショップでは見つけることが出来ない。そのくらいインパクトのあるレンズで、克彦もおもしろ半分にかけてみようかと思ったほどである。
 
 
 克彦は園部の高級な靴に踏まれて少し歪んだ無骨なフレームを直し、レンズの加工を頼む間、園部と沙希を引っ張ってその辺のブティックを荒らし回り、沙希の服を本人の意思を無視して買い込むことと言ったら…
「ねえ園部さん、沙希ちゃん可愛いから何を着せても似合うよね」
 曖昧に返事をしながらも、園部は克彦が選ぶままに次々と買いまくる。
「でさ、俺、沙希ちゃんには和服も似合うと思うんだけど…」
 園部がどこまで散財するのか試してみたかった克彦は、老舗の高級呉服店にずかずかと入っていく。和服は浴衣と紋付き袴くらいしか着たことがないし、着る機会も無い。知識もほとんど無かったので、この際、勉強のために園部に買わせてみようと思っていたのだった。

「あの…これ…女性用じゃ…」
 合気道を習っていたので色つきの袴は履いたことがある…が、今目の前に広げられている反物には色とりどりの花が描かれていて…女性が着るような柄だ。
「似合うじゃねえか、なあ」
 沙希の風貌を見た店主も店主で、可愛らしい柄や綺麗な柄をどんどん畳の上に広げている。
「お人形さんのように可愛らしいお顔立ちですから、よくお似合いですよ」
「ほらね。似合うって言っただろ?」
 沙希だけがすっかりふくれて俯いてしまったが、その姿すら可愛い。
「でも、でも、さっきも洋服をあんなに沢山買ってもらって…着物はもう良いですから…着る機会もないし、仕舞うところも無いし!」
 元から他人の言うことなど聞かない園部と克彦には沙希が何を言っても無駄だ。それに店主も加勢して、結局、秋口まで着られるものと季節を問わず着られそうなものを四点、小物は全て店に任せ、注文されてしまったのだった。

 
「うそですよね…冗談ですよね…」
 初めて小切手での支払いを見て、その額面の数字の多さに意識が飛んでいきそうな沙希を抱き上げた園部は満足げな表情で、待たせてあった車に乗り込む。
「沙希、俺のために着てくれ。俺がお前に着て欲しいんだ」
 愛人達にねだられて高い物を買わされることはよくあったが、自分からこれほど望んで与えたことはなかった。服を贈るのは脱がせることを目的としているからと言われるが、それよりも沙希の心の中にどんな自分でも良いから刻みつけたいのだ。一生忘れられないような自分との関係を。それが今は非常識な贈り物でも金でも何でも構わない。


「雌の気を引くために贈り物や自分を飾り立てる動物がいますが…」
 夕方、事務所へ帰って連絡事項を吉野に報告する必要があった。実はさっきの小切手は会社のもので、自分のものではない。
「なんですか、この異常な金額は…呉服屋…?」
「あー。自分の口座の小切手持ってなかったんだ。明日、振り込んでおくから…な…?」
「良いですよ。ただし…」
 吉野は電卓を操作して園部に突きつけた。
「うちはヤクザですからね。利子付けさせていただきます」


「園部さん…」
「ん?どうした?沙希」
 会議室に戻り沙希の隣に座った園部を、沙希は青白い顔で見上げてきた。
「顔色悪いぞ?大丈夫か?」
「大丈夫じゃないです…あんなこと…」
「どんなことだ?」
「買い物…」
 沙希だって買い物は嫌いじゃない。給料日には必ず街へ出掛けてみんなと遊んだし、色々なものを買って楽しむ。それが必要最低限の安いものでもあれこれ選ぶのが楽しいのだ。考えないで手当たり次第に買い込む園部のやり方は沙希のような堅実派の子供にはもはや恐怖で、しかも昨日知り合ったばかりの自分になぜ買い与えてくれるのか分からず、思い当たる理由と言えば『売り飛ばされる』だった。服はきっと、あとで克彦さんが着るのだろう。
 自分自身にはあまり価値がないだろうけど、内臓は若い方が良いときく…
「あ?俺が気に入って買ったんだ。沙希は気にすんな」
「そんなこと言われても…理由も無いのに…」
「理由?俺が理由じゃダメか?」
「園部さんが理由って…ますます分かんないです…」
「簡単だ。沙希にプレゼントしたいからした。それだけだ。貰えるときに貰っとけ」
 

「なあ、沙希。お前、施設で誕生日とかクリスマスとか、プレゼント貰ったことあるか?」
「誕生日には名前入りのケーキと…クリスマスはケーキとかごちそうが出たよ。お正月も。俺は道場に通わせてもらってたからプレゼントはいらないって言ったんだ。段とか取るの、お金かかるし…」
 頭を撫でている大きな手は優しく、何より自分に向けられている園部の『気』には悪意がない。本当に売り飛ばされるとは思っていないが、でもやはり、会ったばかりの自分に、園部がなぜここまでしてくれるのか理解できない。今までにも優しい人には沢山出会ったことがあり、そのほとんどは自分より恵まれた環境にいる人達だったけれど…園部ほどスケールが大きい人は知らない。


「欲しくなかったのか?」
「そんなことは無いよ。両親とか親戚とかいて、旅行に行ったりいろいろ買って貰ったりしてる友達が羨ましいな、って思ったことはある」
「だろ?そのぶんを俺が補っても良いだろが。親の優しさとか愛とかは与えてやれねぇけどな、それ以外のものだったら、何でもやる」
「何で?」
「そりゃお前…お前が大好きだからだろ」
「俺も園部さんは大好きだけど…なにか欲しいものあるの?」
「俺が良いと言うまで俺の言うことを素直に聞いてくれればいい」
  


 沙希にとって園部は、そうなりたくてもなれそうにない要塞のようにがっちりした体格や精悍な男らしい顔を持っていて、仕事もできて、地位もあって、でも優しい、理想の男そのものだ。そんな園部の言うことだったら何だって聞いてしまうのに…だけど、物はいらない。
「俺は、物が欲しいっていうより…園部さんみたいになりたくて…だからちょっとでも沢山園部さんの事をそばで見ていたいです」

 
 沙希の純粋な気持ちは園部の胸を打つと同時に、もし沙希が園部の『大好き』がどういった類のものか知ったときに嫌悪し、拒絶されるのではないかと身がすくむ。自分のような職業の人間は、愛情も金で買えるのだと思い込みがちだ。金額が上がれば容姿もセックスも性格もランクが上がり、所有者のステイタスとなる。
 そんな世界に長く居すぎた自分は、金額でしか自分の愛情の大きさを示せなくなっていたらしい。
 もし沙希に拒絶されたら。
(らしくもねぇな…コンクリ履かされて沈められても死なねぇんだよ、俺は)
 拒絶されればそこで終わり。
 普段の生活に戻れば良い。

(とは言ってもまだ拒絶されたわけじゃぁない。自分がやりたいようにやるさ)


 そのころ志貴はひたすら待っていた。自分から探し回ればもっと早くニセ黒瀬組に遭遇できるのだろうが、逃げていた志貴が逆の行動を取れば怪しまれるかもしれない。一週間ほど引きこもっていたので仕事ははかどったが、手渡しの相手には渡せないでいたので、闇雲に歩き回って怪しまれないように適当に人にも会った。そこから志貴の居場所がばれることも見越しての行動だ。二カ所ほど回った後、一旦ねぐらの一つに帰り休み、今度は風俗店が建ち並ぶ界隈に足を運んだ。
 金が入るとたまに風俗に行くことはあるが、馴染みの女を持ったことはない。沙希が立派に成人するまで、女に裂く時間も金も心の余裕も無いのだ。
 両親が死んで以降、沙希がいたから寂しくなかったし、泣きじゃくる沙希を守らなければと思う一心で強くなった。元から頭が悪かったので手っ取り早く金を稼ぐためにあくどいことをやってきたが、それだって金が貯まるまでの仕事で、メドが立てば飲み屋でもやろうかと思っている。自分の過去は変えられないが、沙希が日の下を、大手を振って歩けるように、堅気に戻るつもりだ。
 それなのに…
 焦りすぎてまんまと騙された自分に無性に腹が立つ。そしてそれ以上に、自分も沙希も、両方が欲しいと思っている全てを持った男、園部が現れたことに底知れぬ怒りを覚えていた。


「志貴の野郎はどうしてる?」
 階下の事務所に一人で向かった園部は部下達の報告をつまらなさそうに聞いていた。
「うまいこと立ち回ってますね。けど、偽物はまだ姿を現してません」
「志貴の野郎、全くの馬鹿じゃなさそうだな…」
「引っかかった事ですでに十分馬鹿だと思いますが…」
「ふん。それはそうだな」
「園部幹部、心当たりは無いんですか?」
「…ありすぎて絞れねぇけどな…やり方がしょぼすぎるんだ!くそっ!俺の名前使うんだったら億単位の金動かせや!!」
 志貴の話しだと、総額で三千万ほどの詐欺らしかった。十分高額なようだが、黒瀬組NY本部では毎月それくらいの上納金を納めている。
 沙希のことで何かを期待しつつそれが期待通りにならないときの事が頭をよぎり、多少いらついていたのか、見た目通り荒々しい態度の園部に事務所の組員達は手を焼いていた。


「園部幹部、そろそろNYから定時連絡が入る頃です。幹部のPCは会議室でしょう?部屋に戻って待機していてくださいよ」
「あ、園部幹部、克彦さんが会議室のPCでゲームしても良いかと連絡が…」


「…ああ、ああ、分かったよ!仕事すりゃいいんだろ!?」


「ったく…」
 廊下で、エレベーターの中で、悪態をつきまくるも、会議室の近くに来ると沙希を怖がらせないために呼吸を整えて気分を鎮める。遠慮がちにノックをして名前を呼びながら会議室のドアをそっと開けると…克彦が口に指を当てて静かにするようにゼスチャーで伝えてきた。指さす方を見ると、沙希がソファーの上で丸くなって眠っている姿が目に飛び込んでくる。
「おなか一杯で眠くなちゃったみたい…沙希ちゃん寝顔も可愛いんだね、園部さん」
「ああ…」
 園部は沙希が起きないようにそっとソファーに座り、寝顔を見つめた。今朝も寝顔を堪能した。広いベッドの隅に丸くなって眠る姿は月並みだが仔猫のようで庇護欲をかきたてられ、一日中でも抱き締めていたいと思わせる。
「園部さんって、一応優しい顔できるんだね」
「沙希限定ですぜ」
 
 その時ちょうど会議室の電話が鳴り、NYからの定時連絡が入ってきた。ちらっと沙希を見ると、電話の音で目が覚めたのか身じろぎ、ソファーの上に起きあがろうとしていた。園部は電話口で『Wait』と言うと電話をテーブルに置き、沙希が起きあがるのを助ける。まだ眠いのか、ふにゃっと温かい沙希を抱き起こすと、園部に寄りかかって目を擦っている。
「沙希、今眠ると夜寝られなくなるぞ?」
「……うん。電話、なった?」
「ああ。ちょっと待ってろ」

 ぐんにゃりしている沙希をそのまま自分にもたれさせ、電話に腕を伸ばす。PCは克彦の手元にあったのでこちらに渡すように手を振る。
 動画を観ていたのか、画面が動いていて……!!!
 園部はノートパソコンをひったくるように克彦から取り上げ、思いっきり乱暴に閉じたのだった。
 それは…今の愛人が毎晩送信してくる、すっぱだかで怪しい一人遊びをしているもの。沙希に見られたのでは?と焦りまくって沙希を見たが、まだ目を擦っている真っ最中で、こちらを見ていないことを確認すると、克彦に中指を突き出して見せた。
 悪戯を仕掛けた本人は口を覆いソファーの上で転げ回って笑っていたのでそれを見たかどうか確証はないが…

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