花・ひらく

園部と沙希

 克彦の肩を抱き笑顔で社長室に案内した後、これ以上邪魔が入るのを恐れた園部は、沙希を連れて事務所を出ることにした。沙希が強く望んだ、からでもあるが、家に一度戻ってみんなの分の食事を作り置きしておくために。
 行きつけのスーパーマーケットで食材を買い家に帰ると、一日いなかっただけの部屋が、かなり無惨な状況になっていた。何人か帰宅していたので沙希がてきぱきと指示を出すと、嫌がりもせずに言われた通りに動く。
「へえ…みんなよくお前の言うこときくじゃねぇか」
「そうかな?みんな自分の仕事してるだけ。食事係は今のとこ俺だけだけど…だからちゃんとしないと、みんなに悪いもん」
 大鍋に、頭と腹をちぎったいりこをぽんぽん放り込んでいると、園部が見よう見まねで手伝いはじめた。
「で、なに作ってんだ?」
「おみそ汁の、出汁とるの」


 夕食のメニューはワカメと揚げのみそ汁、豚肉の冷しゃぶ、もやしといんげんのサラダ、ゴマ豆腐。園部の担当は冷しゃぶ用の大根おろし。クーラーが無いうえにコンロを使っているので、ドアというドアを開け放しても暑くて堪らない。園部もいつの間にか上着を脱ぎネクタイを外し、慣れない手つきで大根をすり下ろしていた。火のそばに片足で立っている沙希も汗だくで、作業着の袖で汗を拭いながら作っている。時々園部を振り返って大根まみれになっているその姿に笑みを零し、その笑みはまた園部にすっぽん効果以上の刺激を与えるのだった。


 同居人達が次々に帰ってきて、そのたびに沙希は甲斐甲斐しく食事をよそう。狭い台所は食事をする者、その間をぬって風呂に入る者で慌ただしく、最初は強面の園部がいることでなんとなくよそよそしかったのだが、沙希と楽しそうに話す園部を見ているうちに慣れてしまったのかパンツ一枚でうろうろし始めるしまつだった。
(目の保養…にはならんな、さすがに)
 根っからの同性愛者の園部だが、好き嫌いが激しい。どの少年も健康的すぎて色気がない。今自分の隣に立って仲間と楽しそうに喋っている沙希は、体つきも未成熟で子供だが、なにか、醸し出すものがあるのだ。


「園部さんも、食べますか?」
 ああ、沙希を。
 と喉まで出かかってくいとめる。
「そうだな。沙希の手料理を食ってみたいな」
「いろいろ茹でただけですけど…」
「お前も食え。食ったら帰るぞ」
 帰る、と言った途端に沙希の顔が曇る。
「毎日ここで夕食をご馳走になっても良いか?」
 明日は扇風機でも持ってきてやるか、と思いながら、山盛りのごはんの上に豚しゃぶをのせ、豪快に口の中に放り込んだ。
 沙希は園部の問いが嬉しかったのだろう、みそ汁の湯気の向こうでにっこり微笑んで、そして頷いた。


 志貴がニセ園部に見つかったのは次の日の朝のことだった。
 空調の整った部屋で昨日の朝と同じように、スーツにエプロン姿の厳つい男にごはんをよそってもらっているとき、電話が鳴った。
 短い会話の後、直ぐに電話を切った園部は沙希に兄がわざと逃げ回っている事を伝えた。
「兄ちゃん…だいじょうぶかな…」
「うちの奴らが見張ってるから、心配すんな」
「うん…でも…」
 兄の自業自得かもしれない。でもそれは沙希のためでもあることは、沙希自身が一番良くわかっている。弱くて泣き虫だった自分を守ってくれた、たった一人の肉親。可愛いばかりじゃダメだ、立派な男になれと言ってくれたのも志貴だけで、自分より強そうな相手でも決してひるまずに向かっていた志貴に憧れていた沙希には最高の言葉だった。

 

 ある日急に両親がいなくなった。
 5歳になったばかりで、両親の事はあまり覚えていない。けれど、どんなに泣いても両親は現れず、兄ちゃんがしっかり抱き締めてくれても恐くて悲しくて仕方なかったことは覚えている。小学校に上がる頃、もう両親が死んだことを理解し、その後しばらくして、兄ちゃんも辛かったはずなのに自分のことを守るため悲しみをぐっと堪えていたのだと気がついた。
 兄ちゃんだって子供だったのに、誰かに頼りたかっただろうに、泣きたかっただろうに。歯を食いしばって生きてきた兄ちゃんは、沙希には唯一のかけがえのない存在なのだ。

「兄ちゃん、俺のためにやったんだと思うんです。前から、早くお金貯めて堅気になって、俺と一緒に暮らすって言ってたから…」
「一生二人で暮らす気か?それは無理だろう」
「…やっぱり無理?」
「兄貴に好きな女とか出来たらどうすんだ?お前だって他に一緒に暮らしたい誰かが見つかるかも知んねえだろ?」
 沙希は微かにほっとしたようだ。
「それは、たぶん大丈夫。俺も兄ちゃんも中卒だし、家とか買えないのかな…って思ったから」


「兄ちゃんが言ってたんだけど、兄ちゃんは兄ちゃんと同じくらい俺のことを大事に思ってくれる女じゃないと結婚しないって。俺もそれは同じ。もう絶対、肉親と離ればなれになりたくない。兄ちゃんも俺も、恐くて仕方なかったんだ。だから、死ぬまで一緒」
 志貴が弟離れできないのかと思っていたが、沙希もどうやら同じ気持ちらしい。やっかいな男に惚れたな…と園部は自嘲気味に微笑んだ。
「そうか。だがな、もし本当に好きな人ができてその相手が兄ちゃんの事を嫌いだったら…兄ちゃんを理由にしてそいつを切り捨てるのか?」
「んと…まだ好きな人がいないからわかんないけど…そうじゃないと思う…今は兄ちゃんのことが心配で、考えられないけど…切り捨てるとか、よくないよね…」
 あくどいやり方かと思ったが、少しきつい言葉を操ればこちらの思うつぼに事が運ぶ場合があることを、園部は知っていた。


 志貴を追う連中を確認すると、吉野はすぐさま身元を洗い出した。本命のニセ園部はまだ姿を現していないが、実際に追いかけ回している連中の身元は直ぐに割れ、まだどの組にも属したことがないゴロツキであることが分かった。
「三千万ぽっちくすねるのに何人の馬鹿を使ってんだ?」
「そのうちの一人が馬鹿では無かったことにも気がつかない大馬鹿大将ですね、この園部は」
 敢えて『ニセ』園部と言わないあたり、吉野には何か含むところがあるらしい。
「志貴は使えると思うか?」
「誰が教育するかによるでしょうね。こいつの原動力は沙希ちゃんのようですから。それに怒り、悲しみ、などの激しい感情」
「…また俺かよ」
「園部さんが拾ったのでしょう?」
「俺が拾ったのは沙希だ」
「拾ったら小姑付きだった…惚れる前に相手をよく知ることですね」


 一時間ほど逃げ回ってみたが、本格的に追いかけてこない。適度に距離を保ちながら志貴を見張る程度で、業を煮やした志貴がわざと距離を狭めても反応を示さない。追っ手の一人がしきりと電話をかけていたが繋がらないようなので、命令系統が混乱しているのかも知れない。
 志貴が近くにあったカフェで甘い飲み物を頼み体力の回復を図っていると、プライベート用携帯の振動が尻に伝わってきた。未登録の携帯からの電話…留守電に切り替えると直ぐにメッセージが録音されはじめた。
『黒瀬組の園部だ。番号は沙希から聞いた。もう一度鳴らす。電話に出ろ』
 何かあったのだろうか?
 志貴は急いで電話を切ると、再びなり始めた携帯の受話ボタンを押した。
『志貴、良く聞け。後ろの連中はただのごろつきだ。その近くがテリトリーらしい。信号三つ西に向かった界隈でメシでも食ってろ』
「はぁ?」
『雇い主は八時まで動けない。それまでは連中も恐らくお前には手は出さんだろう。後ろが動き始めたら適当に逃げ回って捕まれ』
「八時まで?なんだそれ?リーマンかよ…」
『銀行員だ』

 
 ニセ園部、富山は銀行員らしからぬ風貌から暴力団のフロント企業を担当しており、園部の噂はそこから耳にしていた。
 一日で一億の利益を生み出すヤクザがいる、と。
 資金さえあれば自分の知識で儲けることが出来る。その資金調達のために園部になりすましてニセ黒瀬組をでっちあげ、黒瀬組に憧れている街の不良どもにこの仕事を手伝えば黒瀬組と盃を交わしてやっても良い、と持ちかけたのだった。志貴から偽造証券を受け取った後、不良達に売らせ、その後は海外に移住し株取引で儲けて贅沢三昧、と言う甘い生活を夢見ている。
 園部としては、そんな富山の儚い夢が叶ったところで被害を被る事もない。富山の業績から見て、すぐに本当に甘い夢だったと分かるだろう。自分の知らないところで不良銀行員が海外でのたれ死にしようと構わないが
、名前を語られたことを知った今はどうにも我慢ならない。
 堅気の世界でも十分に通用する実力を持ちながらなぜ、黒瀬組に残って本田の下にいるのか。やられたらやりかえしたいという暴力的なまでの衝動。自分を貶める者、見くびる者には徹底的に制裁を下したいという欲求。園部は自分の中にあるヤクザの性に忠実に従っているだけなのだ。

 
「沙希、食事の支度しに帰るか?」
「はい!」
 今日もまだ一人で歩き回ることを園部に禁じられていた沙希は退屈でしょうがなく、ソファーの上でゴロゴロしながら沼田が差し入れてくれた雑誌を読んだりゲームをしたりして、夕方までの長い時間をどうにかやり過ごした。
 昨日約束した通り、園部は沙希を家まで送り、途中のスーパーでも買い物に付き合ってくれた。スーパーの入り口で特売品を確かめ、献立を考える。園部も一緒に食べるので、園部のリクエストのきんぴらゴボウ、鶏肉のトマトソース煮、カボチャとジャガイモのおみそ汁を作ることにした。
 今まで、瓶底眼鏡の小柄な沙希はその界隈でも目立つ存在だった。昨日、今日はまた別の意味で目立っているのだが、本人は全く気付いていなかった。毎日買い物に来る小柄な沙希を小学生のお使いと勘違いして手助けしてくれるお客や店員と仲良くなり、いつもだったら声をかけてくるのに、今日はみんな遠巻きに見るだけで、沙希が手を振れば振り替えしてくるくらいだ。
 沙希を抱きかかえている強面と、その後ろでカートを押している黒服達の集団はどう見てもヤクザで、それで誰もいつものように声をかけられなかったのだが、沙希はその事にも気がついていない。
 町のみんなは沙希が両親と死に別れ施設で育ったと聞いていたので、園部は亡くなった両親の兄弟で沙希の叔父さん、と勝手に決めて納得していた。

「園部さん、食事を作ってくれる人はいないんですか?」
「いねぇな。今までもいたためしがない」
「…すごくもてそうなのに…」
 園部の母親は、まだ春が幼い頃に男を作って出て行った。父親は…意外と子煩悩で面倒は見てくれたが、たぶん父親もゲイで、誰かの愛人だったような気がする。たまに現れるガタイの良い男がいて、ある日、一人で現れ中学生だった春を全寮制の私立学校に放り込んで姿を消した。そして暫く後、すまん、と言う短い手紙と父親の位牌が送られてきた。
 父親が何故死んだか、春は調べなかった。その男がどこの誰でどうなったのかも調べる気はなかった。春に不自由のない生活を与え、立派な位牌を届けてくれた男と父親の関係が悪い物であったはずはない。
 狭いが小綺麗なマンションの一室で、その男はスーツをきっちりと着たまま父親が作った食事を食べていた。春の父親も長身で春も体格が良く、でかい男が三人、静かに食事をする風景がいつまでも記憶から離れない。


「もてることはもてるがな…」
カボチャと悪戦苦闘している沙希から包丁を取り上げ、園部はいとも簡単にカボチャをまっぷたつに切った。沙希に言われるままカボチャを小さく切り分ける。
「もてるのに、何で?」
「どいつもこいつもたまーに朝飯は作ったが昼と夜は外食したがった」
 若い頃から特定の相手を持たないと有名だったので、ねだれるものはなんでもねだっておく魂胆だったのだろう。
「ふーん…好きな人に作って上げたいとか思わないのかな?」
「沙希は作ってやりたいのか?」
「園部さん、それ逆だよ。一応これでも男だし。作るより作ってもらった方が嬉しいに決まってる」
「…そうか」
(目玉焼きは…卵を割って焼けば良いだろ?みそ汁は…昨日も今日も見ていたから分かる。具は?タマネギとかワカメとかで良いのか?のりは小袋に入っている…そのくらいでなんとかなるか??)
 カボチャとジャガイモが煮えるのを待つ間、園部は明日の朝の献立を考えていた。

8