イスラエルのテル・アビブ。中東有数の大都市は地中海に面したリゾート地としての顔を持ち、迅が招待されたホテルの裏にも砂浜が広がっている。ここで、貸し金庫の中にあった細かい細工の金の指輪と、添えられていた手書きのカードを確認して後、エルサレムに移動する。
 約束の時間きっちりに、豪華な民族衣装を纏った二人の男と、武装はしていなかったが戦闘服らしきものに身を包んだ男が四人、ボディーガードとして背後に控えていた。
 英語の通訳を用意していたが、その必要が無いこともすぐに分かった。ボディーガードの一人が、やけに流暢な日本語を話せたのだ。
 アラブ系の人種なのだが、くすんだ金髪にグレイの瞳をしている。迅と背の高さは変わらないが、体格は一回り大きい。相当に鍛え上げている様子がうかがえる。そして太ももまで隠れるほどの長い髪を後ろで三つ編みにしていた。

「私の家族は日本びいきなので、子供の頃から習ってたんだ」
 仕事中であるにも係わらず、妙になれなれしい態度。
「私は紅宝院迅、花月院の現当主からの依頼で参りました」
「ああ、亜矢音さんですね。写真で見ましたけど、お美しい方だ」
 灰金髪は目の前に座っている主を無視して笑顔を振りまいている。しかも、亮の母親の名前まで知っているとは…主人も咎める様子はない。
「失礼ですが、あなたは…」
「ああ、父の代理であなたを迎えに来ました。この人達は父の部下で、あなたが持っている指輪とカードの筆跡を鑑定してくれる人達です」
「…」
「イアン・イブン=サルマン・イブン=マジド・アル=ファルハン・グラント。略してイアン・グラント。イアンで結構」
「…ではイアン、これを…」
 イアンは迅が差し出した指輪とカードを受け取ると、指輪には目もくれず、カードを封筒から取り出す。指輪は。鑑定人に放り投げられ、あわてて受け取る鑑定人…
「この筆跡は間違いなくオヤジのだ。そっちは?」
「…」
 鑑定人は拡大鏡で隅々まで調べている。
「おい、イアン、こっちはもう解散して良いだろう?」
 他の三人は幾分だらけた様子で窓から海岸線を覗いている。
「いいぜ。近いうちに招集掛かりそうだから、ゆっくり遊んでな」
 ボディーガードではないのか…
「イアン、彼らは?」
「うちの私兵。ヒマなときはプロの傭兵やってるんだが、さっき任務が終わって帰ってきたばかりなんだ。日本人を見たかったらしい」
「ボディーガードじゃなかったのだな…」
「俺一人で十分だ」
 鑑定人が振り向いて、イアンに指輪を返した。
「オヤジの所へ行くぜ」
 本物だったようだ。疑ったことはなかったけれど。

 

 サウジアラビア…なぜ最初にイスラエルに行かなければならなかったのか分からないが、本拠地はサウジアラビアのリヤド郊外にあるらしい。ビザも何も持っていなかったが、自家用ジェットに乗り込む際にはなんのチェックもなかった。
「亮の写真はないの?」
 何かの証明にと、持ってきた物をシステム手帳の中から取り出す。
「へ〜、金髪碧眼、すごく美しい。亜矢音さんより美しい」
 穴が開くほど見つめた後、イアンはその写真をさりげなく胸ポケットにしまう。
「…返して欲しいのだが…」
「い・や・だ」
 どこかで似た男を知っているような…
「で、オヤジにどんなお願い事をするんだ?」
「秘密だ」

 

 イアンの父親、サルマンは車いすに乗った小柄で柔和な老人だった。イアンから渡された写真を見るなり笑顔に顔を綻ばせ、ヘブライ語で何かを繰り返す。ここはイスラム教の世界なのにヘブライ語で聖書の言葉らしきものを口に出している。
「私が生きている間に、お会いできるとは…ぜひここに連れてきて欲しい…」
「そうしたかったのですが、事情があって…あなたがたに、亮と家族を助けて貰いたくてここに来ました…」
 老人に、紅宝院と花月院の因縁から本家の悪行、現在の状況までを詳しく説明する。
「以前、亜矢音さんを嫡子と認めたのは私の父じゃ。その頃は花月院とも何年に一度かは交流があって、紅宝院とも仲よくしておったようじゃが…」
「私の祖父の時代までは…しかし、父の兄弟、私の叔父達の悪辣振りを制御できず、紅宝院は変わってしまいました」
「私が個人的に私兵を投じて護衛することはできる。じゃが、正式に光りある者となるまでは、候補者としてしか、会の力は借りられないのだ。それにはかなり時間が必要じゃ。それと、お前の覚悟が」
「覚悟はとうに出来ています」
「光ある者は、お前を選んだのかな?」
「選んだ、とは?」
「ほぉ、まだのようじゃな…」
 老人は心底楽しそうに笑った。
「具体的にどうするか、話し合おうかの…イアン、お前の傭兵仲間を最大限集めて日本へ行ってろ」
 

 サルマン老人は手招きしながら迅を屋敷の奥へ誘った。母屋を出て、幾つかある離れの中でも一際壮大で装飾的な建物に入る。エントランス・ホールを抜け、ダイニングを抜けた先の長い廊下には古い肖像画が飾られていた。手前のものが新しいようなのだが…どれも亮によく似ていた。奥の方は肖像画と言うよりも壁画と言った感じで、それでも光の輪や炎を纏った金髪碧眼の人物が描かれている。
「みんな光ある者の生まれ変わりじゃよ。先代は三百年程前にイタリアに生まれた。バチカンが近かったからそっちと相当もめたそうじゃ。最後はあちらの言う通りになってしまって、天使となるために飲み食いまで止めてしまって…三十才くらいで死んでしもうた。聖人に加えられただけで、何も成し得なかった」
「なし得る事とは?」
「まだ分からん。産まれた国や時代で大きく変わる。だが、花月院に産まれたと言うことは、日本と、その周辺には影響があるはずじゃ。お前さんの紅宝院にも関係があることで……ここじゃ。この部屋に、もうじき人が集まってくる。そやつらと、詳しい計画を立てる」

 

 僕の荷物は無いもんなぁ…
 屋敷から引っ越すための荷造りの最中。亮の荷物はここに来て与えられた服くらいしかない。悠木さんの遺品や旦那様の荷造りのほうが心配である。
 本家が迎えに来るクリスマス・イヴまであと一週間に迫っていた。その前日に、引っ越しと救出を同時にすることになっている。秋一さんは夜逃げと言っているけれど…
 旦那様は会社もこっそり手放すので、その処理で帰宅は毎日深夜過ぎ、出掛けるのも早朝。中東から帰って1ヶ月休みもなく、毎日こんな調子だ。
 悠木さんの書斎にあった蔵書は貴重な物が多く、僕にとっても価値がある物だったので、特別にどこかに保管してくれるそうだ。悠木さんの物を動かす事だったら本家にばれても構わない。
 僕は新しい家が何処にあるのか、どんなところか知らないけれど、バラの苗を持っていきたいのでその準備をすることにした。今は休眠期なので掘り返しても大丈夫。今日はどれを持っていくか決めて、こざっぱり刈り込むことにする。多くのバラを犠牲にしてしまうかも知れないけれど、来年の一年間はなんとか綺麗な花を咲かせられるように手を加えておこうと思った。
 

 巽さんと悠斗君は会社に缶詰状態で、会社の情報を盗みまくっているらしい。
 あれから悠斗君とつきあい始めた?巽さんの眉間には時々縦皺が見られるようになった。うまく行っていないのではなく、ご両親に報告するしないで時々揉めているのだ。悠斗君のご家族も危険かも知れないので、一時的に一緒に住む。その説明に、旦那様と巽さんと三人で悠斗君のおうちへ行ったけれど、とても温かそうな家だった。巽さんは立花家に時々泊まっている。
 巽さんのご家族は九州のどことかで大きな病院をやっていて、何かあっても自分たちで対処できるから放っておけと巽さんは言っていた。
 秋一さんの家族も一緒。旦那様とご挨拶に行こうと思ったら秋一さんに止められた。僕はともかく、旦那様が座る場所もないくらい家が狭いと…秋一さんには姉弟があと4人いて人口密度が高いんだって。それにまだ、自分が同性愛者だとは言っていないと…良い機会だからと、旦那様は強引にカミング・アウトして納得させてしまった…
 悠斗君、秋一さん、旦那様、三カ所同時に大夜逃げ大会?と、秋一さんはとても楽しそうだ。
 

 旦那様と僕は、あまり代わり映えしない日々を送っている。この1ヶ月、とても忙しくてちゃんと話していない。僕がどんなルーツを持つ人間なのかは教えてくれた。サルマンさんも、僕が読むべき本を沢山リストアップしてくれたけど、手に入れるのに時間が掛かりそうな文献ばかりで、まだどれにも手を付けていない。落ち着いたらぼくもサルマンさんに会いに中東に行く事になっている。
 サルマンさんの息子、イアンさんにもお会いした。旦那様からの連絡があって5分後に彼は現れ、いきなり抱きしめられ頬ずりされキスされ、すぐにいなくなった。
 旦那様とも沢山キスをした。身体が熱くなって溶けそうになって、しがみついていないと何処かへ飛んでいってしまいそうなキス。イアンさんとは、僕がびっくりしていたせいもあるけど、なんてことはなかった。他の誰から抱きつかれても、なんともないけれど、旦那様だけ、違う。そのうち慣れるのかな?と思ったけど、毎日毎日、慣れるどころか…
 

 今も、そのことを思い出しただけで、顔が赤くなるのが自覚できる。
「亮、お茶いれたぞー」
 秋一さんだ。テラスで叫んでいる。
 僕は水やりのための水道で手を洗い、ついでに火照った顔も洗う。長靴を、悠斗君からもらった赤い上履きに履き替え、テラスへ向かった。
「ありがとう、秋一さん」
 綺麗な食器類は既に梱包してしまい、今は秋一さんと一緒に買いに行った白い物を使っている。これはこのまま置いていく。
「あのね、秋一さん」
「なに?」
 さっき顔を洗ったので顔色は元に戻ったはずだった。 でも、僕にとって普通だったことが、普通でなくなった事を思い知った瞬間だった。
「どうしたら、秋一さんみたいにうまくできるようになるのかなぁ…」
「何が?」
「セックス」
 

 口に出したとたんに、僕はまた真っ赤になってしまった。
「はあぁっ!?」
 秋一さんは持っていたカップを落としてしまった。意外と丈夫で、派手な音はしたけれどカップは無事。
「…あの!」
 秋一さんは目をまん丸にして僕を凝視している。
「な、なななな、なんでいきなりそんなっ…」
「…ごめんなさいっ!」
「いや、あやまられても…」
 秋一さんは真っ赤になりながらも気を取り直して、零れてしまったお茶を入れなおした。
 僕も急いでお茶が零れたテーブルをふきんで綺麗にする。
 二人であわてふためいていたけれど、そうこうしているうちに少し落ち着いてきた。
 何かあった?」
 秋一さんは、赤くなりながらも心配そうに聞いてくれ
た。
「何も…ないけど…」
 何もなくて嬉しいんだけれど、時々もどかしくなる。
 もどかしくなっても、旦那様が素肌に触れると途端に怖くなる。直ぐに気がついて旦那様は身体を離してくれるけど、怖いのが落ち着くと、自分の身体の傷や、醜態を晒してしまったことを思い出して悲しくなる。
「秋一さんは、なんであんなことするの?」
「あんなことって…」
「セック…」
 口を塞がれてしまった。
「見た目に似合わない事を言わないっ!」
「んぐぐ…でも…」
「あの時は、愛し合ってて、もっとくっつきたい、一つになりたいって思ったし。亮は、思わないの?」
「いつも一緒にいたい」
「うん。そうだろ?身体の奥がむずむずして来ない?」「来る」
「じゃあ、今度そうなったら、ちゃんと迅に言え。あとは迅に任せればいい」
「うん…」

 

 二十三日二十一時。全てが静かに動き始めた。
 巽と悠斗はありとあらゆる情報を詰め込んだ膨大な量のディスクを運び出し、社内全てのパソコンを初期化するプログラムを実行。本社だけではなく、各支社・営業所の末端にまで実行されてしまう。復元するためのプログラムももちろん用意してあるが、それは、サルマン老人率いるファルハン・グループが乗っ取った後に実行される。最低でも3日は全ての取引が中断されるが損失を覚悟しての事だ。
 秋一は実家に戻り、かしましい妹たちを押さえつけながら速やかに伝えられた住所に向かう。強制カミングアウトされた後、父と母は寝込んだが、妹たちは何故か今まで以上に懐いてきた。弟は、かなり複雑な状態になっている。
 悠斗の実家には迅の秘書の一人で頭の回転が誰よりも速い山崎が向かい、のんびりしている家族を移動させた。
 屋敷では…全員が厨房に集まり、三家族と四十人の傭兵達の食料を積み込む作業に追われていた。
 遅れること十五分で全員が屋敷から離れた。

 

 迅は、イアンの部隊と共に突入。正面から入り、全てにお構いなしに進んでいく。精鋭五人と迅はとにかく亮の母と妹の居る部屋を目指した。背後ではドアというドアを蹴破り自動小銃を撃つ派手な音が聞こえている。やりすぎのような気もする。
「ここです」
 部屋の前に到着する。
 またドアを蹴破るのかと思えば、イアンはドアの前で居住まいを正し、ノックをした。
「レディの部屋にはいるときはな、ノックするもんだろ?」
 内側から、ドアが開く。迅が静かに部屋にはいると、喜びに輝く笑顔の亜矢音に迎えられた。
「お待たせして申し訳ありません…」
 深々と頭を垂れる、迅。
 しかしそうそう、感激している場合でもない。二人の兵士が亜矢音と由梨菜を抱きかかえ、残りの三人で前後を護りながら正面玄関へと急ぐ。
 二人を車の中に落ち着かせ、待つこと七分。突入からおよそ十五分で、本家の屋敷を惨憺たる有り様に変え、帰路についた。
 残念ながら叔父は留守だったが、連絡を受けて直ぐに駆けつけるだろう。しかしその前に、迅の携帯に叔父から連絡があった。今、電話に出る気はない。新しい家で再会を喜ぶ顔を見てからでも遅くないだろう。迅は携帯を手に取ると、電源を切った。

 

 新しい家に最初に到着したのは巽と悠斗だった。
 新築の二十五階建て高層マンション。この上部十三階が新しい住み家となる。十二階から下は一般の分譲マンションで、まだ入居者は誰もいなかった。地下三階が紅宝院家専用駐車場で、専用エレベーターで十三階まで直行した後、別のエレベーターに乗り換えて十四階以上に登る。十三階は警備室、十四階から十九階までは傭兵達の臨時宿泊施設、二十階は久実先生の居住区と医療施設、二十一階は秋一の家族専用、二十二階は巽・山崎・悠斗の家族、二十三階は亮の母と妹の居室と召使い達の居室、二十四階は大人数で過ごせるダイニングルーム、二十五階が迅と亮の部屋、屋上にはヘリポートと、マンション住人が自由に使える強化ガラス張りのサンルームがあった。
 一ヶ月と少し前、既に分譲が始まっており商談中の物件も多かったのだが、ファルマン・グループが強引に買い取った。直ぐに改装工事に取りかかり、警備室から上の階と地下三階から地上三階までは構造を強化している。
 

 巽の運転する二トントラックが地下三階に到着すると入り口には格子状の扉がはめられており、ぴったりと閉じていた。リモコンを向けると音もなく扉が開いたが、警備の兵士に道をふさがれた。今日ばかりは車のナンバーと運転手の顔写真で確認する事になっていたが、全員が一度ここを通過したら、その後はセキュリティ・カードを使用することになる。
 二トントラックの中には電子機器がぎっしりつまっている。これを全て悠斗の部屋に運び入れ、接続・設定しなくてはいけない。
 手が空いている兵士を呼んで手伝ってもらう。
 半分ほど運び入れたところで、秋一一家が到着。そして数分後に悠斗の家族と亮も到着。巽と山崎は亮を連れてまず最上階へ落ち着かせた。
「迅から連絡があって、無事に保護したそうだよ。あと三十分程で到着するそうだ」
 巽からの知らせに、亮は満面の笑顔で答えた。それ以外に喜びを伝える言葉が無い。
「山崎、二十三階のお母さんの部屋の支度をしてきてくれないか?暖房入れたり」
「あ、それは僕が…」
「いや、亮はここにいて。少し休みなさい。話しもあるし」
「話し?」
 巽は亮を座らせる。
「ああ、お母様のことで」
「…あの…お母様に何か…」
「いや。お元気で、ここに向かっている。だけど、まだ亮には知らせてなかった」
 亮の顔から笑顔が消える。

「お母様が車いすを使っていらっしゃる事には気がついてるね?」
 最初に見せて貰った写真でそれは知っていた。
「お母様は、かなりご不自由な身体になっていらっしゃる。右腕は健在なんだが…左腕と両足は、無くしてしまわれた…」
 亮はショックで声もない。どうして?事故で?
「本家に…」
 巽はそれ以上言わなかった。言わなくとも、本家のすることを誰よりも亮は知っている。
「ただね、ご本人はあまり気にしておられない。さすが、亮のお母様だね。とても強くて美しい方だ。妹の由梨菜ちゃんも、本家で生き抜いてきた。もしかしたら心に傷があるかも知れない。これからは亮が二人を幸せにしてあげなきゃな」
 良く分かっているつもりでも、実際、この数ヶ月は具体的にどうすればいいかなんて考えたこともなく…僕が出来ることと言えば家事と庭の手入れぐらいだった。
「もうそろそろ到着する頃だな。お湯でも沸かして待っていようか?」
 巽さんは、僕らしいことをすれば良いと言ってくれているようで、少し、安心した。でも、もっとちゃんと考えてあげなければ…

 

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光りある者