「お母様…」
 僕は小さかった子供の頃に還ってしまい、思いっきりお母様に抱きついてしまった。後ろにイアンがいなかったら車いすごと吹っ飛ばしていたかも知れない。でも、本当に、言葉にならないくらい嬉しかった。
「こんなに大きくなって…」
 泣いたのは、お母様が先だった。僕も涙で前が見えなくなった。嬉しすぎても涙が零れるんだな…嬉しいだけではない、辛かったことも、両親に会えなくて悲しかったことも、全ての思いが涙となって押し寄せる。そしてその後に、やっと笑顔が戻ってきた。
「この子が僕の妹の、由梨名ちゃん?」
「そうよ、あなたより五つ年下よ」
 漆黒の髪と瞳。瞳の輝きはとても強く、知性が溢れていた。旦那様と少し似ている。
「はじめまして、由梨名」
「はじめまして、亮お兄さん」
 僕は妹をそっと抱きしめる。出来る限りの優しさと愛情を込めて。それまでほとんど表情を崩す事がなかった由梨名の顔が、少しだけ朱に染まった。照れると俯くのは僕にそっくり。旦那様の血も僕の血も混じっているこの子は、僕にとっても宝物以上の存在になるだろう。
 

 そして、彼女たちを連れてきてくれたイアンと他の四人の兵士達に感謝のキス。もう一度お母様に抱きついて、お茶の用意をしようと思った。
「あれ…?キッチンどこだっけ…」
 新しい家にもまだ慣れていない…
 旦那様がそっと手を引いて連れて行ってくれた。キッチンに入るなり、旦那様の腕の中に抱きしめられる…そしてどちらからともなくキスを求め合った。唇を吸うように舐められ、吐息が漏れる。吐息で微かに開いた僕の唇に旦那様の熱い舌が侵入してくる。口の中を大胆に動き回るその舌に僕の頭の中は直ぐに真っ白になる。舌と舌を絡める湿った音に体中がぞくぞくし、鼓動が跳ね上がり息が苦しくなる。苦しくて藻掻きたいけれど、気持ちとは裏腹に僕は旦那様の背中に回した手でもっと強く抱きしめる。そうでもしないと、僕は足の力が抜けてしまって、立っていることも出来なかった。
 

 お茶の用意をして戻ると、イアンがウィンクをして窓の方へ顎をしゃくっている。何もないはずの窓に、キッチンの中がばっちり映っているではなか…もう、もうっ!口に出して抗議することも出来ず、亮はただ心の中で地団駄を踏む事しかできなかった。
 しばらくすると、昨日から越してきていた久実先生がやってきてお母様と妹にドクター・ストップ。もっと話していたかったのだけど、今日は絶対に早く休めと強く言われてしまった。
 僕はお母様と妹を部屋まで送り届け、妹に教えて貰いながら初めてお母様の手助けをした。
「明日から、少し辛いかも知れませんが義手と義足を作る為の診察をします。家の中くらいだったら手すりにつかまって歩き回ることが出来るようになりますよ」
 久実先生は召使いを一人呼ぶと、彼女と妹に世話を頼み、僕と一緒に部屋を後にした。
 妹にもこれからは外に出て色々なことを学んで欲しかった。その間は僕がお母様をちゃんと助けられるようにしなくては…
 

 新しい部屋に戻ると、もうみんなそれぞれの場所に戻った後で、旦那様が一人でソファーに座りパソコンを操作していた。僕は邪魔しないように食器を片づける。といっても食洗機に放り込むだけで直ぐに終わってしまった。ここはキッチンがリビングの直ぐそばだし、ちょうど良い広さで使いやすいな、等と考えながら眺めていると、旦那様が近寄ってきた。
「もう、お仕事は終わったのですか?」
「ああ。あとは明日で良い」
「あ、旦那様のもの、箱から出さなきゃ…」
「それも良いから、亮、こっちへおいで」
 僕はおずおずと、旦那様の側へ近づいた。
「お前と夜景を見るのは初めてだったな」
「夜景?」
 窓の外には街の光が沢山、星のように散らばっている。一人でも、見たことはなかった。
「星は一緒に見ましたね…」
 秋一さんに、旦那様に任せろと言われた日、旦那様の帰りが遅く、僕も寝付けなかった。旦那様は僕を抱き上げてバルコニーに出ると、バルコニーに寝ころんで羽毛布団にくるまり、ずっと腕枕をしてくれた。それこそ、何もせずに。でも抱かれていたいと思った僕の心を見透かすように。
「僕が眠るまで、色々な星の話しをしてくれた。ただ抱きしめていて貰いたかった僕の気持ちを知っていたみたい…」
「そうだな。不思議と伝わってきた。いつも通りが良いけど、それだけだと不満そうだった」
 少し笑いながら僕を背後から抱き寄せる。
「明日・明後日は帰れないかも知れない。誕生日には必ず帰ってくるから…今夜は少しだけわがままを言って良いか?」
「わがまま?」
 

 返事の変わりに、耳元に温かい吐息がかかり、身体の中に光がはじける。
「あ…」
 そのまま唇が項をとらえる。柔らかい舌がそうっと項を撫であげると、膝が震え始め旦那様の腕を掴んでしまった。右腕を身体に回し、しっかりと抱き留める。背中から伝わる旦那様の体温にも飲み込まれてしまいそうだ。左手が肩を包み込み、ゆっくりと腕を滑り降りる。手のひらが触れたところから、さざ波がおこり全身に広がる。指の先まで滑り降りると、そのままウエストに手を這わせ、今度はゆっくりと脇を登り始めた。腕を撫でられたときよりも大きな波に僕は少し怖くなり、手を掴んでしまう。でも、本気ではねのける事が出来ないくらい僕の身体は自分では動かせなくなっていた。
「は…んっ…」
 自分で恥ずかしくなるような甘い声…
 暖かな手のひらは殊更ゆっくり這い登っては降り、また登っては先ほどよりも確実に高いところを捉える。
 やがて指先が胸を彷徨い始めた。服の上から乳首の周りを円を描くように触れられ…乳首をかすった瞬間、僕は初めて恐怖や絶望感を伴わない疼きに、一瞬意識が遠のきそうになった。
 

「だんなさま…」
 左半身をはだけたまま、僕はベッドの上で悶える。何度も少し掠っては遠のき、を繰り返され、心臓が破裂しそうなほど強く拍動している。僕の右手はしっかり胸元で、傷を見られないように、シャツを握りしめていた。旦那様も決して右側には触らない。その優しさにまた嬉しくなり。声をあげてしまう…
「だんなさ…ま…」
 呼ぶたびに与えられる口づけ。
「亮、もうそろそろ、名前を呼んでくれないか?」
 それだけで腰が砕けてしまう甘い囁きを耳元で受け止める。
「でも…んっ」
 口づけで、唇をふさがれた。
「呼んでごらん」
「…じん…さん…」
 呼んだ途端に、激しい口づけ。
 頭の中で、何度も名前を、呼ぶ。
 口づけは、次第に口元を離れ、所々に甘い痕跡を残しながら胸元に降りていく。
 乳首をすっと舐めあげられた瞬間、僕は名前を声に出して叫んでしまった。
 舌先で輪郭をなぞり転がす。
「じんさんっ…あっ…じ…」
 口に含まれ、ねっとりと吸い上げられると、僕はどうしようもないくらい感じてしまい、意識を無くしてしまった…

 

 秋一は初めての部屋で寝付かれず、しかも無用に広い家に来てはしゃぎ回る妹たちの甲高い声にも辟易し、何となく部屋の外に出てみた。料理人の板井ぐらいは起きているだろうと思い、冷蔵庫にあったビールを片手に。
 エレベータのボタンを押して到着を待つ。開いたドアに一歩足を踏み入れて思わず叫んでしまった。
「うわぁぁっ」
 先客で、武器を持った兵士が三名いた。まさか夜中に出くわすとは思っていなかったし、三人とも迫力の大男だ。秋一の大声に三人が一斉に自動小銃を向ける。
 エレベーターに片方だけ足を突っ込んで固まる秋一。
 固まったままでいると、ドアが閉まりかけ、兵士の一人が慌てて開くボタンを押す。
「でけぇ〜」
 近くに寄られると尚更大きく感じる。
「あ、俺、この階に住むことになったの。だから、それ、下ろしてくれる?」
 恐ろしげな武器を指さす。
「#○§…」
 秋一には判別不能な外国語で三つ編みの男が何か言うと、他の兵士は銃を下ろした。
「さんきゅー」
「何階に行くんだ?」
「二十三階。って、日本語おっけー?」
「私はおっけー。何しに行くんだ?」
「厨房のやつと酒のみに…」
「子供は早く寝ろ。着いたぞ」
「うるせー。ありがとよ」
 イアンと秋一の出会いはこんな調子だった。

「悠斗、今日はもうその辺でやめて、また明日にしないか?」
 最低限必要な物は繋ぎ終わり、ディスクを読み込ませる作業に入ったところで、巽は悠斗を後ろから抱きしめた。パソコンで作業している間は集中しているのか、抱きしめても困った状態にならない。何もしていないとき、不用意に触れたり抱きしめたりすると、悠斗は我慢の効かない子供になり、巽の理性を揺さぶる。しかし高校生になるまでは手は出さないと、変な誓いを立てたのだ。
 先に悠斗の部屋を出ると、リビングがやけに騒々しい。なんとイアンと山崎が悠斗の父親と酒盛りをしているではないか。
「山崎さん…仕事は良いんですか?…」
 山崎は謎が多い人物だ。アメリカ生まれアメリカ育ち、ハーバードまで出ていながら日本で就職。就職した先はいわゆる中小企業で、彼の能力ではもったいない会社だった。初めて取引するとき、ベテランの担当を補佐していたのが彼で、巽は彼の明晰さに惚れ込み、五年掛けて引き抜いた。プライベートも全く謎で、本家の様子を探るための役割に最も適した人物だった。本家側についているよう見せかけていたため、今も大騒ぎしているだろう本家に呼び出されているはずだ。
「今日はプライベートで飲み歩いているので携帯もっていないことになっているんですよ。そろそろ帰宅して留守電聞いて、大あわてで本家に行きましょうかね…」
 巽より5歳年上だが、ぼーっとした童顔で小柄なので同い年くらいに見られる。しかし、付き合っている女性もいないのか、身の回りの事に対してもぼーっとしている。五十になった悠斗の父親と隣り合わせて座っていても馴染んで見え、妙なオヤジ臭さも持っている。

「しかしこのメンバーで、何の話しでもりあがっていたんだ?」
 山崎と父は分かるが、イアンが加わると想像がつかなくなる。
「彼は武器オタだったよ」
 日本語が堪能とは言え、どうみても外人の口からオタクと言う言葉を聞くのはむずがゆい。
「私も若い頃はモデルガンとか戦闘機とか好きでねぇ。自衛隊に入ろうか散々悩んだよ」
 自衛隊員でなくてほっとした。悠斗とのことが知れたら命が危なかったかも知れない。
 私は知性派なので一般的な武器については知っているがオタクにはなれない。身体も鍛えているがそれは格好良さを追求するためで…等と考えていたら
「そういえばさっき、美しい少年と会ったけど、あれは誰だ?」
 と、イアンに遮られてしまった。
「美しい?」
「うちの悠斗とはとっくの昔に会ったはずだな?」
 お父さんも悠斗は美しいと思ってるし。
「ああ、ちびちゃん達じゃなくって…中くらいの大きさで、青いピアスをしていたな」
「秋一か…サファイヤのピアス」
 美しいの規準がイアンと私では相当ずれているのだな。
「そうそう。秋一っていうのか。彼はシングルか?」
 悠斗の父親の前でその手の話しは無しにして欲しかった。
「さぁ?彼女くらいいるんじゃないか?」
 まだ当分、父親を説得する勇気はない。ちらっと父親の方を見ると、視線がかちあってしまった。

「ところで、巽さんのご家族は大丈夫なんですか?」
 できれば今すぐにでもあなたの家族になりたい…
「うちの家族は殺しても死なないから大丈夫ですよ…」
「…プロか?」
「殺しのプロですね、ある意味」
「殺しの…」
 お父さんはノリが良い…
「ああ、田舎の医者なんですけどね。どうしようもない医者の子供が入れる医大にいって、やっと卒業したような兄妹が医者をしているような病院で。しかし古くからの病院なので患者さんには事欠かない…藪医者で天国に最も近い場所ですよ」
「しかし巽さんは医学部くらい簡単に合格できたでしょう?」
「ええ。でも実家を継ぐのは嫌でしたから。医学部受験するふりをして東京の進学校に通い、法学部に行ったんです」
「ほぉ、どちらの?」
「まあ一応、東大です…」
 好印象ゲットか?
「ほぉぉ…」
 少し目を伏せて恐縮してみる。
「東大って、凄いのか?」
「ああ、イアンさんは外国の人だから知らないでしょうが、日本一レベルの高い大学なんですよ」
「ふ〜ん」
 その時、悠斗が部屋から出てきて、スリッパをぱたぱた言わせながら近づいてきた。
「なに話してんの?」
「悠斗、巽さんは東大出身だそうだ」
「うん。聞いた。時々学校の勉強も教えてくれるよ。三学期から学校行くね」
 これは私も初耳だった。
「そうか…そう決めたのなら、ちゃんと行きなさい」
 お父さんは嬉しい気持ちを隠して、威厳を失わないような顔をして、一言だけ言った。

 

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光りある者