イアンの部屋は、何故か紅宝院や兵士達が独占している階ではなく、一般入居者と同じ階にあった。三階の一部屋を自分で買ったらしい。
(傭兵って儲かるんだな〜)
 昨夜の今朝、イアンが勤務中なのを確かめてから、秋一はこっそり三階に下りていった。十四階の詰め所で自分の家の鍵をひらひらさせながら、イアンの部屋に靴を取りに行くと言うと、笑ってすんなり通してくれた。昨夜の話しは噂のネタにぴったりだったらしい。
 玄関の鍵は最新式だったが、開け方はイアンから直伝されていた。もしもの時、誰の部屋にもすぐ入れるように、傭兵達が見つけ出した開け方だ。
「はい、失礼しますよ〜」
 そっと扉を明けて玄関を見回すが、秋一のスニーカーは見あたらない。仕方がないので靴を脱いで上がり込み、正面のドアを開けると…
 

 異国情緒溢れるリビングだった。床には高級そうなペルシャ絨毯が敷き詰められ、直に座れるようにクッションや気持ちの良さそうなラグがアクセントとして敷かれている。
「ああ、アラブ系だったよなあいつ…」
 などと呑気に周囲を見回していると、奥の方にあった扉が急に開いた。
「あれ、イアンじゃない…」
 腰に薄衣を巻いただけのほぼ全裸の見知らぬ少年が秋一を見つめている。
 秋一は、体温がじわじわ上がり、脳みそが沸騰するような感覚に襲われた。
「てめぇ、誰だよ?」
 ほぼ全裸の少年の背後の扉の向こうに、もう一人正真正銘全裸の少年が尻を丸出しにして眠っているのが見えた…
「てめぇら、なにもんだ!」
 喰いたいとか愛し合いたいとか散々甘い言葉吐いておいてこれかよ!
 少年はあまりの剣幕にびっくりして扉の向こうに隠れてしまった。

「あのやろーっ!」
 ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!
 ハラを立てる程の間柄ではないが、あからさまな態度と視線と言葉は単にヤリたかっただけなのかと思うと、それに、まんざら嫌でもない気持ちの自分がいたことが、悔しかった。床や壁に当たり散らしながらエレベーターで階下を目指す。外が危険だろうと知った事じゃなかった。新鮮な空気を吸って、気持ちを切り替えたかった。イアンと出会う前の自分に戻りたい…
 しかし、マンションの外へ出てものの三分も経たないうちにイアンと部下に連れ戻されしまった。
「どう危険か、分かってるのか?」
「薬漬けにされて売り飛ばされて死ぬまでやりまくられるくらい危険?」
 イアンは燃えるような視線で睨みつけている。
「分かっててやったのか?」
「薬漬けにされて売り飛ばされて死ぬまでやりまくられても良いって思ったから、外に出た」
 

 イアンと部下三人は、戦闘服姿で正面玄関から走り出てきた。普段は、正面から出るときは必ず私服に着替える規則になっている。任務で外に出るときは、地下の駐車場から出来るだけ人目に付かないように出る。余程泡喰ってたんだろうな、と思うとそれだけで小気味よい。
「俺がそれでも良いと思ったんだから、あんたには関係ないだろ?」
「関係ないだと?」
 爆発三秒前、二、一…
 カウント・ゼロの瞬間に目の前にあった事務所机が吹っ飛んだ。それは予想の範囲内だったけれど、この俺様をびびり上がらせたのは、一瞬全身を覆った熱風のようなモノだった。本当に何かが爆発したような錯覚に落ち、イアンの親友で精鋭の部下が止めに入らなければ、爆殺されていたかもしれない。その場にうずくまる俺様を抱え上げる部下と、イアンをなだめすかす部下。
 俺様自身を取り戻すために、何とか二本の足でたちあがり、部下の手を払いのける。俺様は少しよろめいたが、壁に背中を押しつけ踏ん張る。ついでに目の前のヤリチ○野郎を睨みつける。
 イアンは何も言わずに俺様を見ている。ものすごい怒りは既に去っていて、ただ見つめている。何も言えないところを見ると、俺様が何処で何を見て何故投げやりになったかもう知っているのだろう。
 一言二言部下に何か言うと、連中はあっさり出て行った。俺様と二人きりにして、どうするつもりなんだ?なんでそんなに見てるんだ?

「ヤリたいだけなら最初からそう言えば良いんだ。俺、男好きだし。後ろ掘られたら泣いて喜ぶし。でも…お前に心は渡さない…絶対に、心だけは渡さないからなっ!この、人殺し野郎っ!」
 早く亮に会わなきゃ…会えばきっと気持ちが落ち着く。俺様は高ぶる感情で震えが止まらない身体をやっとこさ動かし、尋問部屋を出て行った。
 イアンはただ呆然と立っていた。人殺しと言われて何も言い返せない自分は、ただ引き下がるしかできない。
 秋一はすれ違いざまに、なぜか久しぶりに懐かしい温かさを思い出してしまった。迅の、温かさ。でも恋しいわけじゃない。それよりもただ、亮に会っていつもの時間を取り戻したかった。


「やっぱ、亮の淹れるお茶はうまいな」
「ありがと。愛情込めたから」
「なぁ、今晩ここに泊まっても良い?」
「良いですよ。僕も一人で寂しいから…」
 寂しいという割に、笑顔はしっかりしていた。
「今日、何かあったの?これ、さっき預かったの」
 誰から預かったと言わないところが亮の良いところ。
 亮が指さす先には、俺様のスニーカーが三個。一つは昨日盗まれたやつで、もう一組は今日俺様が履いていたヤツ。
 どうやら怒りまくってて、靴を履くの忘れたらしい…
 迅がどういう態度を、亮に対して取っていたか、それが他人の目にどういう風に映るかわかっていたから、イアンに対してはごく普通に接するようにするべきなんだろうな…俺は子供みたいな真似したくないし。
 よく考えれば、付き合う気は最初から無かったし。そんなに怒ることでもないかな?友達のセックス・ライフをとやかく言う資格も無い。
 それに…俺もイアンを傷つけたかも知れない。人を傷つけたり、最悪、殺したりするようなヤツとは付き合えないと思っていたのに、俺はイアンを傷つけたかも知れない。
 その辺はやっぱり、誤っておくべきだろうな…
 こんな考え方が出来るようになったのも、亮のお陰かも…
 

 それでもやっぱり俺様な俺様が素直に謝る事が出来るまで、二、三日掛かった。やっとこさ言えたのは大晦日のカウントダウン直前だった。
「イアン、ちょっと良い?」
 俺様の呼び出しに、イアンはあっさりのってくれた。「こないだ…酷いこと言ってごめんな…」
 さすがに恥ずかしくてまともには見れないが…テレながらも、ちゃんと言った。
「酷いこと?」
「だからっ…人殺し野郎とか言って、ごめんっつってるんだろっ」
 聞くなよそんなことっ!
「構わんさ。本当のことだ」
 …さすがに俺様も言葉に詰まる…
「それより俺が気になっているのは、もう一つの告白の方なんだが…」
「俺様なんかゆった?」
「お前、マジで、後ろを掘られたら泣いて喜ぶのか?」 
 履いていたスニーカーでイアンの頭をぶん殴るまで三秒掛からなかったと思う。
「なっ…!」
 イアンは好きなだけ殴らせてくれた。殴られながら、嫌な顔一つせず、笑っていた。

「なあ秋一」
「なんだよっ!」
「この三月にもう一件だけ傭兵の仕事を受けている。それが片づいたら、足を洗う。そしたら…」
 え…
「そしたら、俺と真剣に付き合わないか?」
 え…?
「よ、傭兵辞めてなにすんだよ…」
「まあ、サラリーマン?」
 想像できないんですけど…
「スーツとか着て、営業とか行ったりするわけ?」
「そう言うことだ」
「似合わねぇ…」
 想像するだけで、笑いがこみ上げる。
「返事は?」
 俺様は暫く考える振りをした。
「死んだら殺す」
「あり得ない。俺はお前の所に必ず戻ってくる」
 俺様の心臓が一際強く拍動した。
 それを見透かされたのか、イアンは俺様の両手首を片手で封印すると、頭上高く持ち上げた。そのまま壁に押しつけられ、俺様はぴくりとも動けなくなってしまった。嫌いじゃない。好きかどうかなんて、まだわかんないけど、嫌いじゃない…
「ちょ、イアン…」
「黙れ」
 もう片方の腕で、さらにがっちり抱きしめられ、俺様はただイアンのキスを受け入れるしか選択肢が無かった。本当は、こういう事は、お互いの気持ちが高じて、たまらなくなって、自然にやるのが理想で…そんなことがどうでも良くなるような、キス。

 

 迅はきっかり十日で釈放された。自宅へ捜査員を派遣することが条件だったが、安全面や利便性を考えるとそちらの方が都合が良い。捜査員達も、警察署より居心地の良い紅宝院で事情聴取するほうが疲労度も軽くて済む。重要参考人もこの場所に集まっている。紅宝院本家で被害を被った花月院親子の証言は特に期待された。
「僕は、お役に立てるのなら、なんでも話すつもりです」
 十日振りに帰宅した紅宝院迅の腕の中にすっぽり収まりながらも捜査員達を堂々と見回し、亮はきっぱりと伝えた。
 接見を監視していた警察官達の噂で、紅宝院の恋人が類い希なる美少年だと知っていたが、実際に会った捜査員達は、見た目の美しさだけではなく、内から湧き出るような清廉さに度肝を抜かれた。十年間、拉致監禁され性的暴行を受けてきた少年とは、誰もが信じなかった。 職業柄、不幸な目にあった子供達を多く見てきたが、雪のように潔白な魂を守り抜いた少年にはお目に掛かったことがない。しかも、見た目は精神的に強そうな感じでもない。
 

 その日は、警備態勢や建物のチェックをするはずだったが、どうみても自分たちより強そうな四十人の兵士達と構造を強化された建物を見て、ただの見学ツアーになってしまったのだった。
「いや〜、ここに雇って貰いたいな〜」
 一番若い捜査員、榊が脳天気に騒いでいる。榊は人が良さそうな柔らかい見た目をしているので、花月院家の担当をすることになっている。
「あの可愛らしい目にやられて仏心出すなよ。聞くことはちゃんと聞いてこい」
 性的虐待の証言とその痕跡をカメラに収めなければならない。美少年は外から見る限りあまり傷も無さそうだが、母親は、両足が無いのは明らかだった。

「明日からの事情聴取の件でお願いがあるのですが…」
 榊は、一応撮影のことも知らせておくべきかと思い、迅の書斎を訪れていた。
「どんな事でしょうか?」
 やはり花月院君は紅宝院の腕の中にすっぽりはまり込んでいる。今日初めて二人のツーショットを見たが、この二人が身体を離している所はほんの数分あったか無いかだ。その間も少年はずっと紅宝院を見つめていた。これほど誰かを愛する事があるなんて…仕事に人生を捧げてきた榊には信じられなかったが、うらやましいとも思う。
「亮君、話しをするだけで辛いと思うけど、その…証拠の…」
 亮は美しい蒼瞳に落ち着いた光を湛え、じっと榊を見つめていた。榊の方がうろたえている。
「証拠の写真を…撮らなければならないんです」
 恐ろしく輝いたのは迅の瞳だった。
 亮が身体に回された迅の手に自分の手をそっと重ね、迅の怒りを静める。

「僕なら大丈夫です…」
 微笑みさえ浮かべ、答える。
「撮影の時は私が側にいる事が条件だ」
 迅の瞳には青白い炎が宿っているように見える。
「迅さん…迅さんには居てほしくない…」
「亮?」
「迅さんにだけは、まだ見られたくない…他の誰に見られても構わないけれど、あなたにだけは…」
 愛されることで、初めて芽生えた気持ち。
 …綺麗なままでいたかった…
 身体の傷だけではない。その背景にある自分の本家での過去が、忌まわしかった。
 亮の身体から急に体温が奪われていく。重ねられた手から温もりが消えて行き、小刻みに震え始める。
「すまないが榊さん、巽に、ドクターを呼ぶように言ってくれないか?」
「くすりは…やだ…いや…」
 迅にしがみつき、温かい胸に額をこすりつけながらひたすら横に振り続ける。
「薬より、人肌の方が落ち着くんですよ…」
 経験上、榊はよく知っていた。
 まだ話しは終わっていなかったが、二人に背を向け、静かに部屋をあとにするべきだろう。

「ごめんなさい…ごめんなさい…」
 亮はずっと、泣きながらその一言だけを繰り返している。
「お前が誤ることは何もないのに?」
「ある…たくさん…たくさん…よごれてる…」
 あれは、何でもない事じゃなかった…
「羽根…なくした…」
 天使の羽根だったのに…
「それは、お前のせいじゃない…私が守れなかったから…一人で戦って勝ち残った証だ」
 迅には分かっていた。亮がなぜ最後の最後で自分を拒むのか。
「迅さんに愛されるためだけに、生きていたかったのに…綺麗なままでいたかったのに…」
「お前は十八年間、私だけを見つめて、私だけを愛してきたのに、気が付かなかった私が愚か者だったんだ。私の全てを受け入れてもらえないのは、愚か者だった私への罰だ。これから一生、死ぬまで罰を受けるとしても、私の気持ちは変わらない」

「愛しているよ」

 

 何度も何度も繰り返され、亮は次第に落ち着きを取り戻していく。昔から、迅の言葉だけは信じる事が出来た。頭のてっぺんに優しく響き、全身を満たす。
「迅さんが助けてくれたとき、凄く嬉しかった。悠木さんも、秋一さんも、巽さんも、みんな優しくて…みんなの中で笑っている迅さんを見ているのはとても幸せだった。僕が側にいると、迅さんが嫌な思いをするの分かってた。それでも一緒に暮らすことを許して貰えて、幸せだった。なのに、僕は何もできなくて…何もお返しできなくて…ひとつになりたくても、僕は、秋一さんみたいに綺麗じゃないから…きっと、本家でしてたのと、同じ事しかできないから…自分が恥ずかしくて…」
 誰かと愛し合うためではなく、痛みや苦しみや絶望感から開放されるためにだけ、覚えた行為。
 迅から与えられる物が、それとは全く違うのだと分かったとき、亮の身体は反応しなくなった。
 本家とは違うと分かっていても、どんなに迅の事を愛していても、結局は淫らに反応してしまう自分の身体が嫌でたまらないのだ。
 心が温かい物で満たされ、そのうち体中が煮えたぎる。何も考えられなくなるくらい頭の中がぐちゃぐちゃになっても、最後に思い出すのは、愛されている自分ではなく、犯されてよがり狂う自分の姿だった。

「ずっと、お前が望むように、していればいい…お前が見つめていてくれるだけで、こうして私の腕の中にいてくれるだけで、私は例えようもないくらい安らかでいられる…二年前、お前に再会するまでは憎む方が簡単だった。助けたくても助けられず、何もできない、不甲斐ない自分に苦しむより、お前を憎む方が楽だった…だが私にも後悔の欠片くらいはあったんだ…無理矢理抱いて辱めても、遠くから私を見つめる瞳は澄んでいた。私は他の皆が羨ましかったよ。お前の笑顔や温もりを間近に感じられる皆が羨ましかった…子供の頃は温かく私を包んでいてくれたのに、私があんな目に遭わせたせいで、私が近づくとお前は青ざめて全身を凍らせてしまうようになった…今は、やっと戻ってきてくれたお前を抱きしめていられるだけで、魂が救われる」
 亮を抱きあげ、キッチンへ向かう。調理台の上に座らせると、冷蔵庫から四角い大きな箱を取り出し、亮に持たせた。
「七歳のお誕生日おめでとう」
 

 帰ってきたら毎日誕生日を祝おうと言った迅が用意したケーキ。亮は箱を横に置いて、そっと蓋を開ける。やはり、いちごのショートケーキだ。
「ありがとう…」
 添えてあった小さな七本のろうそくを立て、火を付ける。瞳を閉じ、願い事をする。子供の頃と同じ願い事。 口に出して言わなくても、おにいちゃんは分かってくれた。
(おにいちゃんとずっといっしょにいられますように)
 そうしたら、どんなときも亮と一緒だからね、と言ってくれた。
 ろうそくを吹き消す。
「ちゃんと願い事はしたのか?」
「はい…」
 背後から大きな胸の中に抱きしめられ、優しく甘い声が耳元に降り注ぐ。
「迅さん…」
 くすぐったいけれど気持ちよくて、体中にちりちりと痺れが走る。それを何とかしたいのだけど、どうしたらいいのか分からない。焦れったくて、名前を呼びながら背中をぴったりと押しつける。
「ずっとこうしていたいけど…何かが足りなくて…どうしたら良いの?」
「そのままで良い。何も分からなくて…まだ七歳の子供なのだから」
 迅はケーキのいちごを一つ摘むと、亮の口に運ぶ。苺の味の唇を楽しむために。

 

 春、三月。亮は迅と共にリヤドのファルハン家を訪れていた。
「わしが生きている間に、亮に会えて嬉しいよ」
 会った瞬間から、サルマン老人は亮の手をしっかりと握り離さない。
「去年の暮れから少し体調が悪くてな、そろそろイアンに家督を譲って引退しようと思っていたのだよ。亮に会ったら、急に元気が出てきたわい。もう少しお前と一緒に、世の中が変わっていく様を見てみたいものだ…」
 サルマン老人はしばらくの間眩しそうに亮を見つめると、亮を、肖像画が飾ってある部屋へと導いた。
「ここに居るのはみんな、亮のご先祖様達じゃ。恐らくもう少し沢山いたはずなんじゃが…生まれ変わるたびに私たちと会えるとも限らない。先代は解釈を間違えて餓死してしもうた。ローマの偏屈どもにもお前のことは話してあるが、お前が雄の蛇を選んだと聞いてさっさと諦めおった。この手は今後もしばらく使えそうじゃ」
 カトリックの総本山、バチカンでは雄同士など御法度もいいところだ。もちろん亮はそんなことは知らないので、老人が面白そうに笑っている理由は分からなかった。

サルマンさん、僕は、どうして生まれたのですか?」
 どんなに考えても、光ある者の存在理由が見つからない。ごく普通の人間とどこも変わらない。自分がこれほどまでして守られるべき人間なのか、亮には理解できなかった。
「お前が、生まれてからずっと幸せなまま暮らして、迅ともずっと仲良いままだったら、こんな大それた事にはならなかったろうな。だがお前達は引き離された。迅は悪の手先に成り下がり、お前は殺される寸前。もしお前が殺されていたら、麻薬はもっと社会にはびこり、生きたまま臓器を摘出される者も増え、臓器を売るためだけに育てられる子供達や、食用・玩具用のために生まれる子供達が増えていたはずだ。紅宝院のせいでな。迅がこちら側に戻ってきたお陰で、少なくとも数年は抑制できる。今、不幸に晒されている多くの人達を助けることが出来る。そんな世の中の善悪のバランスが崩れそうなときに、お前は生まれてくる。紅宝院の本家を乗っ取った連中がいたから生まれたんじゃろうな。そして、お前が迅を元に戻してくれないまま本家に殺されていたら…今、お前や迅には多くの敵が存在する。もし彼らに、お前達を奪われたら…不幸の根が広がる。一言で言うと運命じゃよ。お前が『運命』で済ますには大変すぎる目にあって来たのは知っている。だがそのお陰で私たちは会うことが出来たし、息子のイアンの炎も落ち着いてきた」

「イアンの炎?イアンも炎を纏う蛇?」
「そうじゃよ。わしには沢山の奥方がいてな、蛇の子も何人か生まれた。イアンはその中でも最強じゃ。ただ、強すぎて人殺しも平気でやってしまう。傭兵でもして炎をまき散らさないと時々手が付けられなくなっておった。亮と出会ってからは落ち着いておるが…ファルハン家を継ぐとか言ってきおったが…誰ぞみつけたのか?」
「秋一さんかな?」
「秋一だろうな」
「ほう、秋一と言うのか。美人か?」
 亮は困ったまま、黙り込む。
「美人ですが…元気の良い男です」
 サルマン老人は驚きの表情を見せ、深いため息と共に頭を抱え込んでしまった。
「あ、でも、サルマンさん…」
 亮は今一度老人の手を強く握りしめる。こうすれば、みんななんとなく元気になるのだ。
「秋一さんは、僕が大好きな人なんです。心がまっすぐで、いつも相談にのって貰ってるんです。イアンにも、人を傷つける仕事はするなって…お正月にその事で大げんかしてたけど…でも、ほんとに凄く良い人なんです。会ってもらえたら分かります」
 

 老人は、肩を落としつつ、亮の言葉だけは信じて心に刻み込んだ。
「お前がそこまで必死にかばう男じゃ。偏見の目で見ることはしないと誓おう」
 亮がにっこり微笑む。その微笑みと共に、光が老人を包み込む。亮は自分自身が光を発している所を見たことはないが、老人には、亮の心が変化する度に色合いや温度や大きさが移り変わる様が見てとれた。今は本当に、感謝と慈愛に満ちた光に包まれ、老いた細胞の隅々にまでそれが浸透していく。
「若返るような、良い気分じゃな、迅。本当にもう少し若かったら、わしが貰っておくところじゃ」
 確かイアンは、一番下の兄妹は一歳になったばかりと言っていた…迅は、失礼にならないよう、亮の手が老人から離れるように抱き寄せ後ろに下がった。年季の入った蛇は、にやりと笑いながら若い蛇に譲る。
「光ある者に選ばれたからには、その力、存分に発揮して貰わないとな」

 

13
光りある者