午前中は湖畔の散策をして、午後からは市内に移動。
 亮は聖堂を見つけるたびに入りたがったが、入るたびにかなり長い時間祈っていたので、三軒目以降は迅に却下された。でも、お祈りをしたせいか、気持ちが落ち着いて楽になった気がする。
 市内ではショッピングをしたり公園をぶらついたり、トローリーバスに乗ってみたり。日本でもサウジでも車移動しかしたこと無かったので、とても楽しかった。
「帰りにさっきのカフェに寄っても良い?」
 気にかけてくれたギャルソンにお礼を言いたかった。
 カフェはコテージに帰る道なりにある。ついでに寄るのは我が儘なのかな?と思ったけれど
「そうだな。お礼にシャンパンでも持っていくか?」
  

 シャンパンを携えてカフェに寄ると、お客も少なくて話しかけるにはちょうど良いタイミングだったようで、こちらに気付いたギャルソンが柔らかく微笑みながら近づいてきた。ふんわり香るような微笑みで、どことなく亮のそれと似ている。
「楽しかったようですね。良かった」
 彼はそう言うとまた、サービスで珈琲を出してくれた。
「僕はシリル・ブラン。フランス人だよ」
 シリルは十年前にスイスに来て、五年前からこのカフェのオーナーをしている。 それで勝手にサービスできるわけだ。
「僕は、花月院亮です。こちらは紅宝院迅さん」
 シリルは亮が日本人と聞いても別段驚いたふうはない。
「で、仲直りできた?」
「あ…喧嘩してたわけじゃないんです!」
 大あわてで否定しながら迅を見上げた。できれば同意して欲しかったのだが、意地悪そうに笑っている。亮はまた思い出して赤面しそうだった。
「ちょっと気持ちが高ぶってて…でも、散歩してるうちに落ち着きました。シリルのおかげです」
「そう、良かった。ここにはいつまでいるの?」
 あと四日?
 日程を良く覚えていなくて、迅を仰ぎ見る。
「あと四日。この先のコテージに滞在しているから、また寄らせてもらおう」
「もし良かったら、明日の夕食を一緒にいかがですか?良いお店を紹介しますよ。頂いたシャンパンを空けましょう」

「迅さん、やっぱりシリルって綺麗なひとだね…」
 今日はシリルの事が気になって、迅の腕に抱かれていてもその事ばかり考えている。人の心が読めるわけではないけれど、何かの拍子に心の中の風景がどっと押し寄せてきたり、何となく声が聞こえてきたりする。テレビや映像の音を消したものを見ているような、と言えば分かりやすいだろうか。でも、シリルの心の中はその瞳と同じブルーグレーが一面を覆っていて、何もないのだ。美しい笑顔が嘘なのではなく、本当に優しくて思いやりがあって、負の感情など何処にも存在しないのだけど…
 不意に、胸の傷に触れられびっくりする。
「あ…っ、迅さん…やだ…」
 本当に嫌かと言うと、実はもう、そんなに嫌ではない。傷に沿ってゆっくり指を這わされると、背筋がざわめき、身体が自然と震えてしまう。散々指でなぞられたあと、細い腰を抱き寄せながら膝で両足を割り開かれた。太ももで股間をまさぐられると、自分でも分かるくらい、そこはもう硬さを増し始めていた。
「あっ…あん…ん…あ…はぁ…」
 太ももに強くこすられるたびに吐息が漏れ、心も体も疼く。
「シリルの話しの続きは明日にして、今日は昨日の続きをしても良いか?」
 せっかくドキドキが治まっていたのに、その言葉と何時になく凄絶な色香を漂わせるまなざしに、身体がカッと熱くなり鼓動が跳ね上がる。
 腰に重く快感が積もり、逃げ出したいけれど、がっしり抱き留められた腰はびくとも動かない。
 迅に任せれば良い。
 そう言った秋一の言葉を思い出す。

「じんさん…もう…へんになっちゃう…んんっ」
 パジャマのズボンを下着ごと剥ぎ取られ、両膝を思い切り開かれた。サイドランプだけに照らされた室内は薄暗いが、無理矢理開かれ見つめられることで羞恥心は倍増し、部屋の明るさも三割り増しに感じられる。
 腰の下にクッションをあてがわれ、膝が胸に着くほど深く折り曲げられる。
 昨日と同じように、後孔のすぼみに熱い舌が触れてきた。
「あっ…!んんっ!…はんっ…じんさんっ…!」
 性器の付け根までの間を何度も舌で嬲られ、恥ずかしい蜜を溢れさせる。溢れかえった蜜は付け根にまで流れ落ち、舌に絡め取られてひくつくすぼみになすり付けられる。
「んんっ…!」
 執拗に愛撫され、解された部分につぷっと指が入れられた。止めどなく流れる蜜液と唾液が混ざり合い、ちゅぷちゅぷと卑猥な音を立てている。
「じんさんっ…ああっ…はんっ…あぁん…」
 気持ちよくて、恥ずかしくて、でももっと欲しくて、自然と腰が動きはじめる。
「亮…きもち良いのか?指に…吸い付いてくる…」
「んっ…きもち…い…っ…はんん…いぃっ…」
 二本目の指が侵入し、ますます動きが激しくなる。一際感じる部分を激しくこね回され、呼吸すら忘れるほど感じてしまう。
「も…だめっ…じんさん!…い…ちゃう…あああぁっ」
 精を放ったすぐ後、まだどくどくと脈打つ性器を激しく扱き上げられた。敏感になりすぎていたそこは新たな刺激にひとたまりもなく、勃起が治まるどころか壊れたように精液を垂れ流す。
「やっ…もう、やめ…っ!」
 いったのかいってないのか、分からないような快感に襲われ、亮はこれまでにないくらいガクガクと身体を震わせている。迅は一度身体を離すと、広い胸の中にしっかり抱き締めた。

「亮、つらかったか?」
 辛くない。辛いのはきっと迅さん…
 抱き締められた身体に、迅の熱い固まりが触れている。もうずっと以前から、何度もそれを感じてきた。でもどうして上げることも出来なくて…
「じんさん…ごめんなさい…ずっと…分かってたけど…」
 優しく口を塞がれる。濃密に絡まる舌。耳元をくすぐる指先…激しい愛撫とは真逆の、とろけるような愛撫。
「お前が嫌がることはしない」
 そう言いながらも、また、両腿の間に膝を割り込ませてくる。
「さっき…いやって言ったのに…ん…」
 耳元をくすぐっていた指が乱れた髪を掻き上げ、首筋から肩、背中へとゆっくり降りていく。腰の辺りを何度もさすられ、指先が少しづつ双丘のくぼみを攻め始めた。
「はん…っ」
「腰をゆっくり動かして…」
 後孔の入り口に指を当てたまま、もう片方の腕にぐっと力を入れ、亮の下腹を自分の熱くたぎった部分に押しつける。
 何度か繰り返すうちに、亮は自分で腰を動かし始めた。足を迅の身体に絡ませ、ゆっくり、大きく動かす。入り口を彷徨っていた指がすっぽりと潜り込み、亮の甘い喘ぎを誘う。
「ああん…んっ…」
 迅はその甘い声を飲み込むように深く口づけながら亮の膝を抱え上げ、熱い固まりを後孔にあてがい、ゆっくり身を沈めていった。
「んんん…っ!」
 仰け反る背中をなだめるように優しく撫でながら、殊更ゆっくり挿入する。繋がった部分からうねるような快感が乱れ広がり、身体ばかりか心までとろけそうになる。長い時間をかけ、優しく労るような心遣いがうれしくて、涙がこみ上げる。
「苦しいのか?」
「ちがうの…うれしくて…」
 どうしようもないくらい嬉しくても、迅に縋り付くくらいしかできなくて…もどかしい…
 奥深く侵入してきた灼熱の固まりが、ゆるやかに抽挿を始める。
 身体の中をかき回す圧倒的な質量と、それを凌ぐ愛しさ。魂を揺さぶるような喜びに、亮は気を失いそうになりながら何度も吐精していた。

 

 明け方まで愛されて、昼過ぎに目が覚めた。毎日、愛する人の腕の中で目覚める喜びを噛みしめていたけれど、今朝はまたいつもと違って、妙な気恥ずかしさがある。本当はずっとぐずぐずしていたいのだけれど…
 迅を起こさないように、巻き付いていた腕の中からそっと出る。立ち上がろうとして、腰のだるさに顔が赤らむ。ベッドサイドでもたもたしていたら、目を覚ました迅に腕を掴まれ、また引き倒されてしまった。
「恋人を一人でベッドに置き去りにしてはいけないよ」
 背後から抱き締め、肩に沢山のキスをしながら囁く。
 首筋から項、そして頬へと移ろい、唇に触れる。悪戯好きな手が胸元を優しくまさぐり、小さな突起を弄ぶ。
 …ぐーーーっ……
「……くっ…はははははは……」
 可愛い悲鳴を上げたのは、亮のお腹だった。絶妙なタイミングで迅の攻撃を阻止。迅は亮の首の後ろに顔を埋めて笑いを堪えようと必死だ。
「もうっ…!もうっ!」
「くくくくっ…」
「だって!もう、お昼過ぎたからっ!」
 ひとしきり笑われて、キスされまくって、やっと離してもらえた。恥ずかしいけど、でも嬉しくて楽しい。
 二人でシャワーを浴びて、文句を言い続けるお腹を宥めるためにシリルのカフェへ向かうことにした。
 

 シリルはなんだか海賊みたいに片目をスカーフで隠している。格好いい。
「シリル、海賊みたい」
「ああ、これ?似合う?」
「とても似合ってる」
 シリルはにっこり笑って亮の頭を撫でた。
「今日は一段とかわいいなぁ、亮。雰囲気が柔らかくなったね」
 そうかもしれない。今日ばかりは自分でも心の中のわだかまりや迷いが無くなっているのが分かる。
 何もかもが少しだけ違って見える。
「どうせ二人ともまともな物食べてないんでしょう?今日は美味しいお店に連れて行って上げるからね」
 その通り。適当なものしか食べていなかった。迅も亮も、基本的にお腹が満たされれば何でも満足するタイプである。
 シリルが立ち働く姿を眺めながら食べるクロワッサンはまた格別に美味しい。お客さんも常連さんばかりなのか、お店の雰囲気も良く、シリルがお客さんに笑顔を見せるたびに、その周囲だけぽっと明るくなるような気がして、それをずっと見ていたいと亮は思った。
「迅さん、僕もあんなふうにぴかぴかしてるの?」
「たぶん…昨日までは」
「昨日まで?」
「ああ。今は…ぴかぴかではなくて、周囲に降り注いでいるような感じだな」
「迅さんも、シリルがぴかぴかしているの、見える?」
 迅は、シリルをじっと見つめる。視線に気が付いたのか、シリルは一瞬真剣な表情を見せたが、直ぐに微笑みを返してきた。
「見える。弱い光りだけど、ぴかぴかしてるな。たぶん、お前のせいだと思うが…」
「僕のせい?」
「シリルと話して笑顔になっている客を見てご覧。みんなぴかぴかし始めた。私にはお前が幸せを振りまいているように見えるのだが?」
 
 
「スイスと言えば、チーズでしょ」
 と言うシリルに連れられて、チーズ・フォンデュとオイル・フォンデュの美味しいお店に行った。シリルは手際よく素材にチーズを絡めたり、油で揚げたりして、亮の口に放り込む。親鳥から餌をもらう雛みたいで、迅はその親鳥の役を持って行かれたことに少しだけ悔しさを感じてしまった。
 苦しくて歩くのが億劫になるくらい食べさせられ、亮はシリルと迅に両脇から支えられてコテージに帰る。
 コテージでコーヒーを飲みながら、シリルは産まれた街の事を話してくれた。
「エヴィアン=レ=ヴァンって言う有名なんだけどとても小さな街なんだよ。エヴィアンってミネラル・ウォーターがあるだろ?あの水が湧き出ている街。水と観光の街。両親が子供の頃事故で亡くなって、十三才まではそこで暮らしてたんだけど…この町の人の養子になるように勧められたんだ。独り者の老医者でね、とても優しい人だったよ。本当に良くしてくれて…それからずっとこの町で暮らしてる。義父の患者さんもよくカフェに来てくれるよ。あと一年したら、フランスで暮らした年月より、スイスで暮らした年月の方が長くなる」

「えっ!!と言うことは、シリル、二十五歳!?」
 二十五歳の時の迅を思い返しても、雰囲気がまるで違う。普通は東洋人の方が若く見えるのに…
「…僕と同じくらいかと思ってた…」
「若く見られてたんならラッキーだよ。もうちょっと年相応に見られたいんだけどね。十代の頃からあんまり変わってないのはやっぱり男としてちょっとね」
 もう少し渋い男になりたいんだけどな〜、と呟く表情は少し寂しそうだった。
「里帰りは?」
「ふふふ…一度もしてない。両親のお墓には行きたいけど…母がね、日本の桜が好きだったんだ。桜並木の写真を見て好きになったらしいんだけどね。僕を一番大切にしてくれた人が、葬式の時に日本から桜の枝を空輸してくれたんだ。その枝から芽が出てたから挿し木して増やして、お墓のそばに植えた。枯れてないと良いんだけど…」
「その人に聞いてみれば?」
「その人も、もういないんだ」
 シリルの表情はとても穏やかで、懐かしさがひしと伝わってくる。
「日本はもうすぐ桜の季節だよ。シリルも遊びに来れるといいのに」
「四月の始めだったっけ?」
「うん。もうすぐ」
「行ってみようかな…」
「きっと綺麗だろうな…シリルの髪や瞳の色は桜色によく似合うと思うの」
 亮は期待を込めて迅を見上げた。いつも乗る飛行機は座席が沢山余っているのだ。その飛行機はプライベートジェットなので自分たち以外乗っていないことを、亮は知らない…
「…私は構わないが…シリル、亮は滅多に願い事をする子ではないんだ。君の都合が付くのなら、私が亮の願いを叶えてあげられるよう、手伝ってもらえないか?」

「迅さんは一緒に行けないの?」
 スイスから帰国して一週間、半ば無理矢理連れてきたシリル、秋一、にばんとルカの総勢五名で桜前線を追いかける旅に出ることになった。行く先の所々で巽と悠斗、そして迅も加わる事になっているが、何しろまとめ役が秋一なので途中で何が起こるか分からない。
「途中で二日ほど合流するよ。すまない」
 去年からのすったもんだで社長を辞任したが、ファルハン・グループから再び代表取締役の辞令を受けたため異例の最就任。自分と共に退職した者まで元の条件で呼び戻し、元本家の残党は徹底的に排除した。結局、重要ポストの人員が減り、忙しさは去年以上。そのくらい自分でやれとばかりに、ファルハン・グループは手も口も出してこない。
 また、本家だろうと分家だろうと悪事を働いていたことに変わりなく、世間の紅宝院に対する風当たりは強い。自分と一緒にいることで、もし花月院が好奇の目にさらされたら…
「みんなと旅行するのは初めてだから、とても楽しみなんです。だから、大丈夫」
 

 バレンタイン・カオス以降、関係者以外と交流を持ち始めた亮は、少しずつ行動範囲を広めている。監禁されて育ったため外の世界を知らず、その容姿や言動から奇異の目を向けられる事もあるのだが、本人はそれすらも楽しいようである。
 未だ捕まっていない本家の叔父達の事を考えると、自分の目が届かないところには行かせたくないのだが…それと同時に甘やかしたい、と言う相反する気持ちもある。ただひたすら自分を待って、自分だけを見つめて、愛してくれた亮の望みは全て叶えてやりたい。
「細かいことは全て秋一に任せたが、二人の時の宿だけは私が手配したから、楽しんでおいで」
 そう言うと、笑みを湛えてこくりと頷く。
「はい。じゃあ。僕、先に寝ますね…」
 離れようとする亮の腕を取り、抱き締める。心も体も一つになったのに、まだ亮は自分から迅に触れることができないでいる。邪魔をしてはいけないと思っているらしいのだが、自分を押し込めることに慣れてしまい、押し込めていることも自覚していない亮は、側にいたいと強く思ってもそれが上手く表現できないでいた。
「私の全てはお前のためにあるんだ。私が仕事をしていようが眠っていようが、私を好きにしていいんだよ。今どうしたいか言ってごらん?お前の望みは全て私が叶える」
 側にいたい。抱き締めて貰いたい。キスしたい。あるいは…
「じゃあ…あと少しだけ、ここにいても良い?」
「ここ?」
 そっと瞳を閉じながら、亮は迅の腕の中で力を抜いていった。
「いつまでも、ずっとここにいてくれ…」
 

 眠ってしまった亮を抱きかかえてシリルが使っている寝室へ向かうと、ノックをしないうちから扉が開いた。亮と色違いのパジャマを着たシリルが部屋へ誘う。
「…俺のことは放っておいてくれて良かったのに…」
 亮をそっとシリルのベッドに横たえ、乱れたパジャマを直してやる。十分に愛した後なので、朝まで目覚めることはないだろう。
「係わった以上、放ってはおけない。サルマン老からも、君を亮に預けてみてはどうかと言われたしな」
 スイスで初めて会ったとき、迅はシリルが自分に示す興味を感じ取っていた。笑顔も言葉も行動も全てが亮に向けられていたが、その向こうにいる迅を見ようとしていることがうっすらと感じられたのだ。もっとも、少し勘の鋭い人物であれば、亮の様子から二人の関係や迅への気持ちを探るのは簡単で、そこから様々なことを推し量ることが出来ただろう。
 

 ぴかぴか光っていたのは亮だけではなかった。シリルも、亮に比べれば遙かに弱い光りだったが、天真爛漫で天使のようだと言われる人々が持つオーラとは別で、独特の、亮と同じ光りを放っていた。
「最初会ったときはびっくりしたな…懐かしくて、愛しくて、初めて会った気がしなかった」
 シリルは亮の美しい金髪をそっと撫でながら囁くように話している。
「最初に感じたのはあなたの炎だったよ。白い光りの中で、光りに戯れるように燃えさかっている炎。光りの主は隣の美しい少年で、あっという間に俺も光りに包まれて、生き返ったみたいな気がした」
 亮に言われるまでもなく気になっていた迅は、シリルの事を直ぐに調べさせていた。ある程度聞いていた本人の言葉を覆すような事柄はなかったが、最も欲しかった情報、炎を纏う蛇らしき人物との接点などは何も得られなかった。今回の旅行で使ったのがファルハン家所有のジェット機で、これに乗せるためにシリルの名前を提出したところ、シリルの隠された素性が明らかにされたのだった。ただし、サルマン老人とシリルは旧知の仲で、何も知らない迅と亮がシリルに出会う事も予想の範疇だったのか、驚いた様子もなかった。

「サルマン老人がたまには顔を出せと言っていたぞ?」
「…俺はもう、お役御免なのに…」
「本当にそう思うのなら、なぜ私たちと会ったときに声を掛けた?係わろうとした?」
 何も映さないグレーの瞳は昔の自分にそっくりなのではないか?心の壁は、その内側にある大事なものを自分で見なくて良いようにするためではないのか?
 愛しくてたまらなかったはずなのに、復讐のため、と亮を弄び、守りたいと素直に思っていたのに、半ば監禁するような生活を強いた。心の奥深くでの葛藤を誰にも気付かれまいと感情に鎧を着せ、何も見ないふり、聞こえないふりをしていた自分と、シリルは重なって見える。
「少し、懐かしかっただけ。それに、珍しかったから…」
 確かに、圧倒的に数が少ない『光りある者』の血をひく者同士が同じ時代に出会う確率はゼロに近い。厳密に言えばシリルは亮の母親と同じ立場で、血はひくものの『光りある者』ではない。が、炎を纏う蛇との関係の強さは全く変わらない。
 

 シリルを守るべき者とする蛇がいて、シリルもその者を伴侶として選んだのだろう。その絆が切れたのなら、今頃シリルがここでほのかに輝いているわけがない。亮がそうだったように、静かに見守っているのだろう。溢れんばかりの思いを壁の向こうに押し込めて…
「暫く、亮のそばで休むと良い。心を偽って生きるのはつらいだろう。私がそうだったように…」
「あなたは、亮が他の人間に触れられる事を嫌だと思わないの?」
「その程度のことで壊れてしまうような脆い絆ではないよ。それに…君が邪な人間だったら最初から構っていない。自分が選んだ蛇以外に、君は心を許しはしないし、身体を繋ごうと思ったことはないだろう?」
「……」
 シリルは無言でじっと亮を見つめた。様々な記憶が蘇る。無くしてしまった金色の髪、透き通った碧い瞳、そして…。
「どうしてかな、もう悲しいとも思わなくなってしまった。ううん、悲しいとか辛いとか、そう思ったのかすら分からなくなってしまったんです」
「君が壊れてしまえば、蛇も滅びる。愛する者が滅びる様は見たくないだろう?」
 だから壁を作って、全ての負の感情をそこに閉じこめた。敢えて開ける必要があるのかどうか自分には分からないが…
「スイスへ帰ったらサルマン老人と連絡を取ると良い。何か話しがありそうな気配だった」

 

15
光りある者