い…やっ…さわらないでっ…!」
 やっとの思いで声を振り絞り、抱き上げようとする迅を拒む。
 今触れられたらどんな醜態を晒すか知れない。
 部屋に帰って、独りになりたい…
「直ぐに久実先生が来る。身体も楽になる。明日の朝にはもうお前を苦しめる事は全て無くなる。本家にも、渡さない」
「…………?」
 幻聴か?
 夢か幻か。どちらにしても残酷過ぎる。
 身体に何かが触れ、ふわり、と浮き上がる感覚。
 その瞬間に射精感が襲い、身を縮める。ぶるぶると、震えが止まらない。
 

 旦那様は僕を抱き上げるとバスルームに向かった。
 夕方、僕がお湯を張っておいたバスタブにゆっくり沈められる。身体の中は燃えるように熱かったけれど、いざお湯に浸かってみると、身体の表面は冷え切っていたのか、皮膚に染み入るような温かさが心地よい。
「久実先生が来たら呼びに来る。それまでに本家の残痕を洗い落としておけ」
 着替えを手の届く場所に置くと、旦那様はゆっくり出て行った。
「独りで、できるな?」
 僕は何度も何度も首を縦に振った。

 

 久実が到着し、バスルームからベッドへ向かう間も、点滴をするための用意をしている間も、亮は触れられるのを拒否して暴れ回った。身体を洗っている間も何度か射精してしまい、もう足元はフラフラだった。
「これで明日の朝には薬も身体から無くなっていると思いますよ」
 久実は優しい声で亮を慰めた。
「眠れる薬も入れておきますから、ゆっくり休んで…明日の朝、また様子を見に来ます…」
 久実が去ってからも迅はベッドサイドに残り、亮が嫌がって軽い抵抗を繰り返そうがお構いなしに、硬く握りしめられた手を、大きな手のひらに包み込む。
「亮…」
「…んんっ…」
 声にすら反応してしまい、返事をしたのか喘ぎを漏らしたのか自分でも分からなかった。
「亮…」
 名前を呼ばないで欲しかった。
 身体の反応より、低く優しい声色が心に響くのが辛い。
「もう二度とお前を本家に触れさせない…ずっと私の側に、居てくれ…」
「…」
 猛烈な眠気に襲われて、それでも必死でその言葉の意味を考える…きっと夢。でなければ、
「だ…なさま…こわれた……」
「…ん?」
 壊れた。請われた。壊れた、が正解なのだろうが…

(おでこ、いたいの)

 

 おでこに制服のボタンの跡をくっきり付けた幼い亮の姿が思い出された。
 あの時も、深刻な状況下にもかかわらず笑ってしまったな…
 迅は表情を緩めると亮の額にかかった髪の毛をそっと掻き上げ、額に軽く指を押し当てた。
 覚悟を決めれば、いっそ清々しい。
 2年前、傷だらけの身体を目の当たりにして驚きを隠せなかったのは事実だ。胸の刀傷、そして剥ぎ取られた翼。大小様々な傷に『いぬ』の刺青。そうまでなってまだ滲み出るような美しさを失わない瞳。驚愕したのは見た目の惨さにではなく、幼かった頃以上に慈愛に満ちたオーラをその身に纏っていたこと。粉々に壊してやりたいと陵辱しても侮辱しても、自分の悪行を自覚させられるだけで、なんの実りもなかった。
 

「んん…」
 寝返りを打とうとすると、何かに阻まれて動けない。
「目が覚めたようですよ…」
 久実先生の声が、背中の方から聞こえてくる。
「ああ…」
 頭のてっぺんから微かに聞き覚えのある暖かな声が響いてきた。
 まどろみの中、丸めていた身体をゆっくり伸ばす。
 頬が何か温かい物に触れ、それが気持ちよくてもっと頬を寄せると、ぎゅっと抱きしめられる感覚。
「…ん?」
「そろそろ離れろ。びっくりして心臓発作でも起こしたらどうする!」
 巽さんだ。
「私は化け物か?」
 

 旦那様だった。
 密着していた身体を離そうとしたが、力が入らない。
 身じろいでいると、旦那様は抱きしめていた腕を解き、起きあがった。夕べのことを思い出し、身体が震え出す。でもそれは本家との事で、ではなく、眠りに落ちる寸前のあの言葉を思い出し、自分に都合の良い夢だったのならどうしようという不安に取り憑かれてしまったから。
「亮、具合はどうだ?」
 巽さんがじっと僕の顔をのぞき込む。
「だいじょうぶ…です」
「今にも消えそうな表情なんだが…」
 そう言って心配そうな目で僕の頬に触れようとしたら、巽さんは旦那様にその手を凄い勢いで掴まれてしまった。
「触るな」
「…はいはい」
「巽、話しがある」
 掴んでいた手をさっと払うと、何事も無かったかのように気配を変え、二人は部屋を出て行った。
  

 ふと時計を見ると、もう昼の二時を回っていた。
 半日以上眠っていたんだなぁ…
 心とは裏腹に、身体はいつも以上にすっきりしている。これからどうしよう…温かく優しい胸のぬくもりがまだ身体から離れない。子供の頃とは異なる奇妙で甘い心地…ずっと包まれていたい。でも、僕がここにいてはいけないんだ。昨夜、自分で選んだんだから。ここにいれば、また何時、本家に脅されるか知れない。
 そしてまだ会ったことのない妹とお母様の事を考えると、いても立ってもいられなかった。

「全く。雁首揃えてなにやってたんだ…」
 秋一さんに腕をしっかり掴まれたまま引きずられるように、僕は屋敷に戻された。僕が居なくなった事に気が付いて、騒々しく皆が動き回っている屋敷に。
 本家に戻ろうと思い準備をすませてみたものの、どうやって本家まで行けばいいのか分からず、屋敷の近くの駅で右往左往しているところを秋一さんに見つかってしまったのだ。
 今まで独りで外に出たことがなかった僕は、よく考えてみれば本家の場所も電車の乗り方も知らなかった。人に道を聞きながら駅にたどり着いたものの、その先は全く分からず、途方に暮れていると、秋一さんが現れたのだ。
「こいつ、独りで本家に戻ろうとしてたんだぜ。なんでそんなことになったんだ?昨日、何があったんだ?」
 秋一さんには昨夜のことは何も伝えられていない。
「…行かなくて良いと、行かせないと言ったんだが…」
 旦那様は、驚いた風に僕を見ている。
 

 だってあれは、夢だと…
「…疲れてて、眠かったから…夢かと、思って…」
 本家に戻らなければ、みんながどうにかなってしまう…
「だからどうしてそんな話しに!」
 秋一さんは旦那様と巽さんを交互に見比べて、説明を促す。
「亮が本家に帰らなければ、おまえと巽、そしてその家族を手に掛けると脅された。だが、私は本家には二度と戻らせる気はない。そう言ったんだが…」
「そんな、あったりまえだろうが!んなことさせたら、俺が許さない。一生あんたのこと恨む。殺すかもしんない」
「でも…お母様と妹もいるから…行かなくちゃ…」
 二人がどんな酷い目に遭っているのか、想像しただけで気を失いそうなほど。僕が戻ったからといってどうなるものでもないかもしれない。でも、僕一人がここで温々と暮らしているのは身を切られるより辛い。
「お前の母親と妹の行方は、今朝から捜している。見つけ出して必ず助ける。それに…」
 旦那様はじっと僕を見つめている。
「お前の母親なら、もっと詳しい事情を知っているかも知れない。全員が幸せになれる方法を、知っているかも知れない」
「まだ三ヶ月もあるじゃん。何か良い方法が見つかるよ、絶対に」
 秋一さんは、掴んでいた僕の手をぶんぶん振った。
「では、私は陣頭指揮をとってきますから。秋一、この不器用な二人は放っておきましょう。お前には手伝って欲しいこともあるので…」
 そう言って巽さんは秋一さんを連れて、屋敷を出て行ってしまった。
 

 残された僕は…
 二人きりになった緊張感やお母様を捜してくれると言ってくれたことや本家に行かなくて良いと言ってくれたことや、色々なことがごちゃまぜになり、嬉しさで心臓が飛び出しそうだった。
「少し、散歩にでも行くか…」
 旦那様はそう言うと、がちがちになって動けない僕の背中にそっと手を置いて歩みをうながす。
 足、うごいてっ!
 最初の一歩を踏み出すまで、気が遠くなるような時間がかかった。
 一緒に歩いて良いのかな?
 同じ時間を共有できるなんて思ってもみなかった。
 遠くから見ていたときは、旦那様の全部が見えたけど、今は足元しか見えない。もう少し顔を上げても、見えるのは胸元のボタンくらい。ただ、今まであまり感じることの無かった生身の人間の体温や息遣いが伝わってきて、僕のがちがちだった身体も鼓動も自然と緩んでくる。いつもは僕の前からさっさと遠ざかっていた歩調も、合わせてくれている。
 

 敷地の真ん中に木造の小屋があり、屋敷の窓から良く見ていたのだけど、近づいたことはなかった。四角く区切った大小の柵があり、その中は雑草が生い茂っている。
「以前、馬を飼ってた」
 ぽつりと、頭の上から声が降ってきた。
「お前を助け出してここに戻ってみたら、使用人も馬も居なくなっていた」
 旦那様はそう言うと、僕の両脇を抱え、柵の上に腰掛けさせた。不意のことで、驚くヒマもなかった。頭一つ高い位置から、旦那様を見下ろす。
 どこに視線を持っていけばいいのか…焦ってきょろきょろしていると、旦那様の視線にぶつかってしまった。
 切るような鋭い視線に身構える。
 でも、その視線もいつもとは違って、懐かしいおにいちゃんの目だった。思わず詰めていた息を吐き出す。
「お前の馬だった。芦毛の馬で、年をとれば白馬になりそうな、そんな馬だった」
 ここは馬場だったのか…
「うちで調教して、お前が大きくなったらプレゼントするつもりだったのに…」
 亮は間近で馬を見たことは一度もなかった。競馬の中継は本家にいた頃に見たことはある。

「昨日の夜、お前を突き放したわけじゃない」
 旦那様は悲しげに僕を見つめている。
「あの時お前を止めて本家から奪っていたら、今頃全員捕まっていた。そうなればお前が誰よりも苦しむと思った」
 旦那様が僕の腰に手を回して、抱き上げる。
 そのままゆっくり、僕は地上に降ろされた。でも、今度はしっかり顔を上げて、旦那様を見つめる。
「だが、お前一人だけを犠牲にするつもりは無かったよ。紅宝院は、私と本家がいなければ崩壊するからな。本家は私が…」
 どうすると言うのだろう…
「でも…」
「私に任せていればいい。お前はもう何も心配しないで良い」
「でも、危ないことは…」
「私は肉体派ではないから、頭を使うよ」
 初めて間近で見る旦那様の笑顔は心地よい温かさで、僕のこわばっていた体中の力も抜けていく。
 だけど、どうしてだろう、鼓動がはやくなり身体が熱を持つ。それ以上見ていられなくなり、また顔を伏せてしまった。
 また柵の上に座らされたらどうしよう…
 ドキドキしていると、旦那様は僕の肩を抱いて歩き始めた。

 

 秋一は目の前のまん丸サングラスにマスクをはめた少年をじーっと見ていた。妙な少年である。全然会話が続かないのだ。会話以前に見た目もどうしたものか…髪はぐしゃぐしゃ、着古したスウェットの上下に小学生が学校で履いているような赤いゴムで縁取られたズックというか…上履き。今時のオタクでもしないような格好だ。
 巽さんと屋敷を出た後、たこ焼きの屋台を引っ張る軽ワゴンに乗せられ、この変な少年に紹介された。年上の俺様から名乗ったと言うのに、どうも、と言ったきりパソコンをいじっている。話しかけても無視するか、答えても一音節でお終い。体つきや声から、まだ中学生くらいだと思われる。
 

 なんでこんなのと巽さんが結びつくのかよく分からなかった。その上…
「これ着て」
 と放り投げられた服は…タコ中、と書かれ、二匹のタコが口をくっつけているロゴマークの入った最悪なシャツ。
「悠斗、これどこで調達してきたんだ?」
 さすがの巽さんも嫌そうだ。
「知り合い」
「ネットの?」
「サイバーポリス」
 サイバーポリスと来た。
「ああ」
 そこで納得するなよ巽。
「京史郎さん、たこ焼き焼いて」
「…秋一、お前、焼け」
 なんで俺が!
「なんで!」
「お前ならこういうバイトやったことありそうだから」
「ないよ!」
「早く焼いて」
 もうどうでも良い。この妙な空間から早く出たかった。
 

 さっさと着替えると、ワゴンの外に出る。
 何となく、たこ焼き屋の動作を思い出しながら鉄板に火を入れた。
 巽さんも直ぐに後から出てきたが、タコ中シャツがなかなか似合っている。
「なんであんなヤツと知り合いなんだ?」
 巽さんを知っている人なら誰でも聞きたい質問だろう。
「ネットで知り合った」
「うへ〜っ。まさか出会い系?」
「そっちは間に合ってる。前から利用できる人材がいないか、アンダーグラウンドで探し回ってたんだ」
 それって危ない人達なんじゃ?
「結局、警視庁の知り合いに紹介して貰ったんだけどね」
 なーんだ。
「最初に会ったときは私もびっくりしたが…何せあの格好…」
 巽はがっくり肩を落とした。
「まぁ、性格と腕は確かだから。小学生の時から不登校で、パソコン相手に暮らしていたらしい。一芸に秀でてればそのうち何とかなる」
「で、俺たちここで何やってるの?」
「本家に色々仕掛けて、内部を探る準備」
「え?」
「百メートルくらい先の突き当たりに石の塀があるだろ?あれが本家の壁」
 それってやばくないか?俺たち面が割れてるのに…
「今日は電柱に色々仕掛けてるだけ。あと別働隊がセキュリティのチェックをしてる」
 

 その時ワゴン車の中からコンコンとノックの音がした。
「どうした、悠斗」
「たこ焼きまだ?」
 巽はちらっと俺を見た。
「ちょっと待て。なんでお前に言われなきゃならないんだよ!」
「食べたいから」
 巽は、笑っている。
「なんでたこ焼きやをやってるんだ?」
「悠斗はたこ焼きがたべたかったんだって」
「はぁっ?」
「今回のギャラはたこ焼きだそうだ」
「追加注文三つ」
「はぃっ?」
「別働隊」
「だれだよそれ!」
「どろぼー」
 巽は高級そうなライターで煙草に火を付けながら笑っている。
 

 とにかく、俺はたこ焼きを焼きまくった。一心不乱に。これ以上誰とも話したくなかった。屋敷ではきっと迅と亮が深刻な顔をして悩んでいるだろうに、なんでここだけ吉本新喜劇みたいな芝居を演じて居るんだ!
 そして結局その日は身内だけではなく近所の人もわらわらと出てきて注文殺到。家路につけたのは深夜過ぎだった。
「迅んちに寄らなくて良いの?」
 巽さんは貰った携帯電話の番号を登録するのに夢中だった。高級住宅地の奥様連中がこっそり手渡していったものだ。金持ち奥様はヒマなんだろうな〜。独りくらい回してくれても良いだろう?その気になったら俺だって女の一人や二人!
「そんな無粋なことできるか」
 それもそうだ。今頃…
「それに、中学生を送り届けないとな」
 仲間の?ドロボー(本職)達に的確な指示を与えながら次々と盗聴器やら赤外線装置やら盗撮カメラやらを仕掛けながらパソコンいじりながら、たこ焼きを食べて眠ってしまった。
 巽さんはワゴンの中でタコ中シャツを脱ぎ捨てると、また高級ブランドのスーツに着替えた。薄暗がりの中で見た巽さんの裸は、意外と筋肉が乗っていてドキリとする。
 少年が丸めていた背中を少し伸ばして、また直ぐに丸くなった。

 

 早めの夕食をすませた後、亮は迅と悠木の書斎にいた。
「悠木は私よりも父との付き合いが長いからな。何か手がかりがあるかも知れない」
 亡くなった人の物をあれこれ探るのは良くないかもしれない。でも、今は仕方がなかった。
 亮は悠木さんの寝室にはなるべく入らないようにしていたが、迅は無遠慮に入って行く。
 後ろからおずおず着いていくと、迅はクローゼットの上に置いてあった大きな旅行カバンを軽々と下ろす。
 中には何冊かの本とアルバム。
 ベッドの上に全部を出すと、早速中身を確かめる。亮は本を手に取った。ジャン・コクトーの詩集と単行本、いずれもフランス語の原典だった。亮は詩集に見入った。迅は『Le Livre Blanc』と書かれた本をぱらぱらめくっている。が、静かに閉じると自分の脇に置いた。
 そしてアルバム。若い頃の悠木さんが沢山いる。迅になんとなく似ている男性は迅の父親だろうか。
「この人は?」
「ああ、私の父だ。悠木は父が小学生の頃からずっと一緒に暮らしていたんだ。悠木の父親が早くに亡くなって、祖父の会社の部下だったから、祖父が引き取って父と一緒に育てた」
 

 祖父からも慕われ、他の兄弟達より優しい性格の父を見守るように頼まれていたらしい。
 ただずっと見守って。結婚もせずに、父が愛したもの全てを愛し、信じて全てを捧げ尽くした。
 私よりよっぽど父を愛していただろうに…花月院に父が殺されたと知っても、亮を守れという言葉に従った。
 迅はベッドの上にあった本を片づけると、静かに亮を抱き寄せた。とたんに強張る、亮の身体。
「亮」
 抱きしめると、心臓の脈打ちが強く伝わってきた。
「あの…」
 しがみつく両手に微かな抵抗が感じられる。
「私には本家と同じ血が流れている。誰よりも本家を憎んでいるのに、自分だけではどうすることも出来なかった…この二年、お前がいたから私は本家の血を抜き去ることが出来た」
「でも、旦那様、僕の父は旦那様のご両親を…:」
「昨夜、お前が本家に行かないで済むなら、私はどうなっても構わないと思った。たぶん父も、思うところあって身を呈したのだと思う。その理由もいずれ分かる。お前の母親から知らされる前に、そうに確信が持てたのもおまえのお陰だ」
 迅は抱きしめていた腕を緩めると、美しい蒼瞳を見据えた。吸い込まれていく心地よさ。
「愛しているよ」
 

 亮の心の奥深くで、大きな光がはじけ飛んだ。驚いたけれど、それは今までになく熱く、心と体を満たしていく。ただし、亮にはそれが何なのか、よく分からなかった。自分の心が読めないもどかしさで息がつまる。もどかしくてもどかしくて、ただひたすら迅の胸に縋り付いた。
「愛している…愛している」
 何度も言われて、どんどん身体が熱くなってくる。苦しくなってくる。
「もう、言わないで…どうすればいいのか分からなくて、苦しくなってくる…」
「あいしているよ」
 とどめのように耳元で囁かれ、気を失いそうな亮だった。体中から力が抜け動けなくなり、ただ迅にしがみついているしかできない。
 迅は亮を抱き上げると、悠木の寝室を後にした。

「お疲れ〜」
「おつ」
 焼鳥屋を撤収した後、巽の車で悠斗を送り届ける。
「遅くなったからご両親にお詫びを入れてくる」
 そう言って巽は悠斗と一緒に車を降りようとした。
「必要ない」
「ダメだ」
「僕が警察の仕事を手伝ってることは知ってるし、両親も喜んでるから」
 おお、長文の答えだ、と秋一は驚嘆している。
「ダメだ」
「…じゃあ、待ってて。セキュリティ切ってくる」
 こんな普通の家で何がセキュリティだよっ。秋一の独り言は続く。
 悠斗はスタスタと門の中に入り、庭の方にあるバラック小屋に入っていった。しばらくすると二階の電気が点いた。またしばらく待たされ、やっと悠斗が出てきた。
「父は母屋の方にいる」
 あいそもくそなく、付いてこいと手招く。
 

 玄関の扉を開けると、父親らしきひとが立っていた。
「夜分恐れ入ります。警視庁の友人からの紹介で、悠斗君に仕事を手伝って貰ってこんなに遅くなってしまいました。申し訳ございませんでした」
「ああ、これはご丁寧に。構いませんよ。こいつで役に立つならいつでも使ってやって下さい」
「私、こういうものです」
 巽さんは名刺を差し出した。
「ほお、立派な会社にお勤めですね。悠斗が役に立って良かった」
 その父親は、息子が不登校でも構わない様子で、好きなことを好きなだけやれ、と言っているそうだ。その結果をこうやって悠斗が出している事が、嬉しいようだった。
「当分の間、力を貸して頂くと思いますが、どうぞよろしくお願い致します」
 巽さんは丁寧に頭を下げて、玄関から出た。
 その直ぐ後、また玄関が空いて悠斗が出てきた。
「京史郎さん、明日は何時?」
「朝十時に迎えに来るよ。ゆっくりお休み」
「そか、じゃ、また」
 スタスタとバラック小屋に戻っていった。
「俺は何時?」
「朝八時に屋台前に集合」
「朝っぱらから?客もこねーよ」
「予約が五件入っている。私が受けた」
「綺麗な若奥様っしょ?」
「帰るぞ」
「へいへい」

 

7
光りある者