迅は亮を自分のベッドにそっと横たえた。
 まだしがみついた手を離さない。
「亮、眠る前には歯を磨いてトイレに行ってパジャマに着替えて、と言ってたよな確か」
 子供の頃の記憶が蘇る。
「はい」
 少し気持ちが楽になる。
「でも今日は特別。私もお前から離れたくない。」
 そう言うと迅は静かに亮の横に横たわった。
 胸に抱き寄せて、お休み。と言うと亮は素直に顔を埋めてきた。
「お休み、亮」
 もう一度言うと亮は小さく頷き、腕の中で安心そうに眠りに落ちていった。

「本家の別荘はあらかた調べたが、今いる形跡はないな…」
 巽は報告書をぱらぱらめくりながらため息をついている。
「やはり本宅だろうな。人の出入りが一番激しいから逆に隠しやすい」
 迅は隣に座る亮の腰を抱き寄せる。この二日ほど、一時も側から離さない。
「ほらそこ、また亮が怖がってる!」
 巽は面白くない。
 数日前までは、亮に触りまくれるのは自分だけだったから。初めて迅に触るなと叩かれて以来、触っていない。
「巽は十代の少年オンリーだからな、もう近づくんじゃないぞ」
 亮はびっくり、目を見開いて巽を凝視する。
「男は、だ。それに女の方が多い」
 

 亮は特別なのだ。側にいるだけで安心する。しかもこのところ、迅と一緒にいるときは特にオーラが強い。二人の周りだけ白く光っているようで…その光を定期的に浴びていないと具合が悪くなりそうなのだ。
 亮は、幸いなことに、まだそういった迅の行動に慣れていないようで、時々こちらに助けを求めるような視線を送ってくる。
「あ、それで悠斗か」
 秋一がニヤニヤと訳ありそうな顔をして悠斗の名前を出す。
「いや、あれは…いくらなんでも…ちょっと…無理」
 ウマは会うけれど、巽は美しいもの推奨派だ。
「才能は認めてるから、ずっと見守りたい子だな」
「この短時間で素晴らしい報告書を出してくれた子か?」
「ああ。このまま育てば良い人材になる」
「おら、その悠斗くんをお迎えに行く時間だぜ」

「京史郎さん、この人じゃないの?」
 本家の監視カメラの映像を盗み見ていた悠斗は、ある年配の女性を発見した。傍らには十代の少女が寄り添っている。どちらの女性も非常に美しく、特に年配の女性はどことなく面影が亮に似ている。
「この映像をアップに出来る?」
 悠斗は返事もせずにキーボードを叩いた。静止画を撮影し、拡大する。
「この写真を迅にメールで送ってくれ」
「会社のパソコンのセキュリティは大丈夫なの?」
 悠斗は印刷して手渡した方が無難だと言う。
「それからこの部屋の監視カメラは一台だけか調べなきゃね。様子を伺って、数時間分保存しておくから。実際に侵入するときに、今日保存した映像を流して騙すから」
「悠斗に任せるよ。私はたこ焼きでも売ってくる」
「うん。後で持ってきて」
 後は彼女たちが居る部屋を特定し、侵入ルートを探す。悠斗は次々に変わる監視カメラの映像をパズルのように組み立て、詳細な屋敷内の地図も作りつつあった。 

「お母様…」
 プリントアウトした写真を見るなり、亮は堪えきれずに涙を浮かべた。零れそうな涙を必死で止めようとすると、寄り添っていた迅の温かく大きな手のひらが、すっと亮の両目を隠し、自分の胸元に引き寄せる。
 どうして旦那様は、僕の気持ちが分かるのかな…
 結局成功しないのだが、人前で泣くのは好きではない。涙が誘発するのは他人の嗜虐心や快感でしかないと、インプットされている。
 生きていてくれた。これはとても嬉しいことなのに、なんで泣いているんだろう。
「ここは笑う場面だぞ」
 ほらね、分かってくれている。
 涙がスーッと引いて、自分から旦那様の手をそっと退ける。もう一度写真をみると、少し年はとったものの、昔と同じ穏やかな瞳の母がいた。
「居場所は特定できたのか?」
 迅は、一人掛けのソファーにどっかり腰を下ろし興味なさげに話しを聞いていた悠斗に問いかける。話しには聞いていたが、冗談を絵にしたような出で立ちの中学生を目の前にして呆れ返っていた。
 わざとそんな格好をしているのか、大きなサングラスの向こう側に隠れて見えない目のお陰で、誰も真意を見抜くことが出来なかった。

「まだ」
「いつ頃までに分かりそうだ?」
 悠斗は閉じていたノートパソコンを開いてしばらくのぞき込んだ。
「二時間」
 そう答えると、再びパタン、と閉じた。
 皆が沈黙する。
 悠斗は閉じたパソコンの上でキーボードを打つように指を動かした。
「お父さん外人?」
 これは明らかに、亮に対する質問だ。
「日本人」
「おばあさん外人?」
「日本人」
「おじいさん」
「日本人。たぶんきっと、お祖母さんも曾お祖母さんも…」
 亮はうきうき楽しそうに答えている。
「金髪」
 悠斗はおもむろに亮を指さして言った。
「うん。ずっとずっと昔の人の血なんだって」
「両親と違う子供が産まれても、良いよね?」
「うん。だから悠斗君も、僕達と居るときは素顔で良いんだよ?」
 

 悠斗本人も、他の者もその言葉に絶句。
 悠斗はまたしばらくパソコンの上で指を動かす。
 みな沈黙して、悠斗の言葉を待つ。興味もあるけれど、彼が何かに心を煩わされているのがうかがえた。
 二分間ほど考え考え指を動かし、長い一考のすえ、エンターキーを押す様が見て取れた。
 悠斗はおずおずと、鼻まで覆うマスクを外す。
 形の良い可憐な唇、人前に素顔をさらすのが恥ずかしいのかほんのり桜色に染まった頬、品良く通った鼻筋に三人の視線が釘付けになった。
 これで目だけ貧相なわけはない。いや、もしかしたらバランスが悪く、本人も気にしているのかも知れない。
 が、青年期に入る前の少年ぽさを残した両手の指先でそっと外されたサングラスの向こうの瞳は、大きなアーモンド型で可愛らしい仔猫のような瞳だった。

「めっちゃ可愛い…」
 秋一はそう言ったきり開いた口が塞がらず。
 迅は元から亮以外目に入っていない。
 巽はにこやかな微笑みを保ったまま、しかし心の中では卒倒していた。
「あと一時間四十分」
 秋一の反応は嫌だったが、他の人達のごく普通(?)の態度に、今まで突っ張っていた自分が不思議に思える。けれど性格や言葉遣いはどうやら今までも素だったようで、素顔になったこそばゆさはさておき、口を突いて出たのは解析終了までの残り時間だった。
「と言うことは、明日には侵入ルートを決定できるかな?」
 迅はやはり亮を抱き寄せて髪を弄んでいるが、悠斗に向ける眼差しは真剣だった。ただ面白がって自分を見ていた他の子供達や、数学的なことやコンピューターに関する事に異常なほど才能を発揮する自分を持て余す大人達とは違う、一人の人間として評価しようとする真剣な眼差しだった。
「うん。明日の朝までに、結果と僕からの提案を用意します」
「ありがとう。助かるよ」
 悠斗は勢いよく立ち上がると、ぺこり、とお辞儀をした。
 偉そうな感じだけど、優しそう。隣の人は…
 すごく、綺麗なひとだなぁ…
 

 悠斗は亮に会った瞬間からずっと亮だけを見ていた。 サングラスの下で、亮の瞳を見た瞬間からずっと目を逸らせないでいた。数学の公式や、プログラミング言語を眺めていると吸い込まれるような気分になることがあるが、それに似ていて、でももっと優しく体中を包み込んでふわふわと浮いているような心地にさせてくれる、そんな瞳。さらさらの金髪にも触ってみたい。自分の髪は真っ黒で重い。切りっぱなしの洗いっぱなしなので好き勝手な方向をむいている。なんだか自分と正反対な感じ。
 京史郎さんも秋一さんも、ハンパないくらいこの人にはまってる。
「亮さん、さっきは…ありがとう」
 母親の写真に見入っていた亮は静かに顔を上げ、にっこり笑う。
「もう遅いから、早く帰ってゆっくり休んでね。巽さんに送ってもらって…」
 悠斗は素直に頷いて、巽の方を見た。さっきから微笑んだままぴくりともしない。
「帰る」
 巽に近づくと、巽の視線も動いて悠斗を追いかけているが、なんだかいつもと様子が違っている…スーツの袖をつんつん引っ張ると微笑みがゆっくり解除され、うんうんうなずき始めた。
「送りましょう…」

「亮は、悠斗が素顔に戻りたいと分かっていたのか?」
 母親の写真と妹の写真を何度も何度も見ては外国語でぶつぶつ言っている亮をすっぽりとその大きな体の中に包み込み、迅は囁くように話す。
「そうではないけど…ご両親に似ていないんだなって事は会話で分かったけど、あの格好はそれを気にしているってことですよね?七不思議の一人がここに居るんだからそんなの気にしなくて良いでしょう?」
「そうだな。でもその事でイジメにあって、学校にあまり行っていないらしい」
「イジメ?」
「ああ、そうか。亮は知らなかったな…最近の子供達は、自分達と違っていたりどこかしら目立っていたりすると寄ってたかって虐めるんだ。学校の先生や親にばれないようにこそこそと、しかも陰湿に。それで悩んで自殺する子供もいる」
「大人に相談したら、助けて貰えるの?」
 そう言えば自分も、助けるどころか酷い目にあわせた続けた…亮は人生の三分の二を、大人のオモチャにされてきたのだ。
「…すまない」
 誤って済むことではないが、そうとしか言えない。
「どうして誤るの?旦那様は…助けてくれたのに…」
 子供の頃の約束は覚えている。が、それを守った自覚が迅には無かった。
「私も他の大人と一緒だ…お前を、レイプした」
 思い出しただけで虫酸が走る。
 悔恨の念で体中が熱くなる。
 腕の中に亮を包み込んでいた事を忘れ、両腕に力を込める。否定したくてもできない自分の過去を押しつぶすかのように、拳を握りしめる。

「旦那様?」
 様子の変化に多少驚いたものの、苦しそうにわななく拳に気が付き、亮は自分の手でそれをそっと包み込んだ。見上げると、きつく閉じられたまぶたが少し震えている。
「旦那様?」
 ゆるやかに綻ぶまぶたの下には暗い瞳。
「あれは…僕が旦那様を傷つけたから…助けて貰う資格なんてなかったのに。本当は優しい人だから、苦しんでいたことも分かってます…それに…」
 亮は言葉をつまらせる。
「……ちゃんとできないから…秋一さんみたいに…だから、気に入って貰えなくて…」
 いざ言葉にすると無性に恥ずかしくなり、最後の方は自分でも何を言っているのか分からなくなっていった。 自然と俯いてしまい、迅の瞳に静かな光が戻ってきたことに気が付くはずもない。 
 

 愛しい。ただその一言に尽きた。
「私はお前が思っているほどの人間ではない。欲深く、計算高く、自分の都合しか考えない最低ランクの男だ。その証拠に、さっきまで自己嫌悪に落ちいっていたと言うのに…今は…」
 抱きたい。思うさま貫いて、溺れてしまいたい。
 重ねられていた手をそっと解き、今度は自分からそのたおやかな手に指を絡める。細い手首を軽く握り柔らかく揉みしだく。熱く、熱を放つ手のひらが肘の関節をとらえる頃には、その手の動きの意味を感じ取った亮の身体は緊張で強張っていた。
 もうすぐ亮は身体の力を解いて身を任せるだろう。諦め似た感情と共に…
「今は…どうやったら頬にキスして貰えるか、謀略している」
 それこそが謀略だったのだが。
 驚きと安堵が混じった表情で迅を見つめる亮。見つめるうちに何時しか、身体の緊張も解け、軽く拘束していた迅の腕から完全に解放されていることにも気が付いた。
 驚きと安堵が入り交じった表情が慈愛に満ちた表情に変わった時、亮は迅のシャツを軽く握って背筋を伸ばし、迅の頬に口づけた。
「ありがとう、亮。これはお礼。嫌だったら、私を突き飛ばすと良い…」
 ゆっくりと、亮の唇に、羽根よりも軽い口付けが舞い降りる。触れるだけのキス。短い時間の中で心の奥に芽生えた甘いうずきを鎮めようと、亮は迅の胸に顔を埋めた。

「京史郎さん」
「なんだ?」
「お願いだから。前向いて」
 赤信号で止まるたびに、巽は助手席に座る悠斗を振り返る。青になっても気がつかないので、そのたびに信号が変わったことを悠斗が伝えなければいけない。
「悠斗は見た目のことで友達に何か言われたの?」
 黙っているが、聞かれて怒っている様子でもない。
「今考えたら、ありきたりの言葉だったかな…女みたいとか、おかまみたいでキモイとか」
 確かにその辺の女の子よりは可愛い。だが、性格や身振りは男の子らしい。
「親のことも言われたけど、一番ショックだったのは…ねえ京史郎さん」
 悠斗は前を向いたまま尋ねた。
「ん?」
「亮さんと迅さんって、恋人同士なの?」
「ああそうだよ。子供の時からずっと」
「男同士なのに?」
「二人を見ていたら嫌な気持ちになる?」
「…そんなことは無いけど…」
「けど?」
 悠斗は膝でキーボードを叩いている。
「イジメに遭っていたとき、副担任が助けてくれた。相談にのってくれたり、励ましてくれたり。でも…」
 

 文章をたたき出す動きがはたと、止まる。
「あるとき、キスされた。体中触られた。僕の目がいけないんだって、言われた」
「…それは、親に相談したのか?」
 悠斗は首を横に振った。
「怖くてできなかった…」
 巽は悠斗の声が少し震えているのを感じ、車を路肩に止め、悠斗を見やった。
「悠斗?」
「暫く学校休んで、パソコンで、教育委員会とか学校とかいろんな所に投書して、そしたら先生、学校辞めてた」
「…それで?」
 出来る限り優しく、先を促す。
「サングラスして学校に行ったらますます虐められて…それで行かなくなった。でもね…一番怖かったのは…」
 

 怖かったのは…
「嫌じゃなかったんだ…そう言うサイトとか行ってみたら…嫌じゃなくて…」
 その先は聞かなくても分かる。
「悠斗、無理に言わなくても良いよ。分かったから…」
 悠斗は首を横に振った。
「周りにそんな人居なかったから、凄く悩んだ。でも、京史郎さん達に会って…みんなの中にいると、凄く気持ちが楽になって居心地が良かった…」
 巽は少しづつこの会話の行く先が恐ろしくなってきた。
「京史郎さんは…初めて僕に会った時、びっくりしたよね?」
「ああ、実を言うと笑いを堪えるのに必死だった」
「ひどい…じゃあ、今は?」
 

 来た、この質問。以前のとんでも無い格好の悠斗と接しているときは普通に好きだった。さっき、実は美しかった悠斗を目の前にして、あらぬ下心が芽生えたのも事実。だが、どっちの悠斗も好きだと、どう説明したら良いのだろう。傷つけずに。
「今は、あまり美しいので緊張してる」
 …何を言ってるんだ私は…
「でも、出来れば、その美しさは私のために隠しておいてくれないか?」
「…それって…」
「さっき、お前に一目惚れしたって事だ」
 巽はゆっくりと車をスタートさせた。もう、こうなったら押しまくるしかない。
「だがな、悠斗。これだけは言っておきたい。とんでも無い格好をしていたときだって、私はお前の事をずっと見守って行きたいと思っていた。あのままの格好でもお前が好きだった事には変わりない。いやまて、あのままで居てくれた方がお前の年齢を気にしたり、淫行でお縄になる事にびくびくしなくて良かったかもしれない…」
 最後の方はほとんど独り言に近い。
 十三才…亮より五つも年下…考えれば考えるほど焦る。
「悠斗、ちょっと気になるんだが…お前は私の事を…」
「…好き。凄く好き」
 再度、車を路肩に止める。悠斗がまっすぐに私を見つめている。自分でシートベルトを外すと、私目がけて飛びついてきた。
 

 手入れのされていないごわごわの頭を胸に抱き寄せる。が、これ以上は…
「悠斗…お前は未成年だから…私もそれなりに対応しないと…ちゃんとご両親に付き合う許可をもらって…」
「はぁっ?」
 すっとんきょうな声を上げて悠斗は不服そうに私を見つめる。アーモンド型の目は、不機嫌になると倍増しで怖くなることに気がついた。
「なんで親に報告すんだよ」
「淫行条例って言うのがあってな、親に告発されると私は逮捕されて懲役二年くらうんだ。二年も離れていたくない」
「でも…そんな事…言えないよ」
「悠斗は私と付き合うことが、悪いことだと思うか?」
「…思わない」
「じゃあ、私に任せて。認めてもらうように説得する。ただ、少し時間がかかるかもしれない」
「どのくらい?」
「私たち次第」
 

 安全速度で悠斗の家まで送り届ける。少しでも時間を稼ぐための運転だが、それでも家についてしまう。
 玄関から入り、いつものようにご両親に挨拶する。
「毎日遅くまですみません」
 少し違う点は、いつもよりお辞儀が深く長かったことだろうか。
「申し訳ないのですが、あと少しだけ打ち合わせをしたいので悠斗君の部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか…」
 打ち合わせは嘘ではないが…
 にこにこと許してくれる両親に罪の意識を感じる巽だった。
 悠斗の部屋に入ると、既にパソコンを立ち上げ、画面とにらめっこしている。サングラスにマスクも元通り掛けている。
「あとどのくらい掛かりそうだ?」
「四十五分。コーヒー持ってくるね」
 その夜、珈琲を何杯飲んだか定かではない。結果が出た後、朝まで計画を練ってしまった。
 ヨレヨレの格好で悠斗の家族と朝食を摂り、ついでに父親を会社まで送り、自宅に一度戻ることに…
「悠斗、書類を持って来い、お父さんの会社と私の自宅経由で屋敷に戻るぞ」
「…ふぁあい」

「悠斗、お前もシャワーくらい浴びておけ」
 自分だけ先にシャワーを浴び、支度をする。その間に悠斗を風呂場に押し込み、こざっぱりさせる。
 巽が超速で朝の支度を済ませてみると、悠斗も既に用意万端だった。どれだけ適当な身支度なんだ、と思いつつ、大急ぎで自宅を後にした。

 

8
光りある者