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兆す、銀

ユリアスとシリル

光りある者・番外

9

(もっと別の注射ってなんだよっ!)
 今日のシリルは威勢が良いな、と言われながら常連達と楽しく過ごした営業時間も終わり、珍しくゆっくりとバスタブに浸かって考え事をしていた。
 一応男だし、男の身体がセックスの時どうなるなくらいは知っている。生憎自分には面倒くさい男性器官がないのでお預けを喰らったらどんな気持ちなのか、想像できない。話しによると一旦火がついたら射精するまで体も心も収まらないらしい。
(昨日も今日も、ユリアス様は最初から最後まで冷静だった…気がする)
 自分だけあられもない痴態を繰り広げ、良いようにあえがされた…気がする。
(やっぱり俺じゃその気にならないのかな…)
 自分ばっかりで、相手にどうやれば喜んでもらえるのかなど全く分からない。風呂場で悶々としていても埒があかないのでさっさと上がろうとして、ふと手が止まる。長い髪を洗うのは面倒で、いつも適当にがしがし洗うだけだったし、あまり汗もかかないのでソープで身体をさっと撫でるだけで、かさかさしていようがひび割れていようが構わなかった。男だし。誰に見られる事もなかったし。
 ヴァンサンの肌は柔らかくきめ細かく、なんでも高級な手入れ用品を使っているのだそうだ。あんなのに慣れているユリアスには自分など最低ランクの相手なのでは…
(あとでヴァンサンに電話してみよう…で、明日は午前中買い物に行って…)
 そこまで考えていそいそしている自分が可笑しい。
(やっぱ乙女だよ、俺…)


 ヴァンサンに電話したのに、ラザールは真っ先にユリアスに電話を繋いだ。声は聞きたかったけど乙女な自分を認めたくなくて、自分からは絶対に連絡を取らないと決意していたのに…
『もう寂しくなったか?』
「…そんなんじゃないけど…ヴァンサンに用事があって掛けたら、ユリアス様に繋ぐって、ラザールが…」
『分かった。ヴァンサンに繋ぐ。そっちの用事が済んだら私に電話を回すように』
「うん」
(全く…みんな勝手なんだから…)
『シリル!?どうしたの?ユリアスから聞き出したよ!』
「もう…なんて話ししてるんだよ…」
『ユリアスが話しを聞いて欲しそうににやけてたから、聞いてあげたんだよ。何か困ったことある?えっちなことならプロにお任せ!』
(えっちなこと…か…)
 まさかこの年でこんな話しをするとは思わなかった。
「あのさ…」
 妙に顔が火照り、目の前にヴァンサンがいれば冷やかされるんだろうな、と思った。実際に冷やかされたら相談どころではないけれど、電話を通してだと少し大胆になれることも分かった。

 がさがさの皮膚の手入れ法などは分かったが、さすがに、ヴァンサンにもユリアスのやったことは謎だったようだ。
『シリルに、気持ちよさを知ってもらえたから満足なのかな…本当に好きな人相手だと、相手が喜ぶのを見るだけで良いときもあるらしいよ。僕は…恋人居たこと無いからわかんないけど…でも、あのユリアスがね…ちょっと意外かな。口でなだめすかして最後は強引にやっちゃったのかと思ったけど…』
「最初から最後まで強引だったよ。でもユリアス様は…冷静って言うか、自分は何もせずに…あれで良かったのかな、やっぱり俺じゃ魅力無いのかな…」
『僕はそんなこと無いと思うよ。シリルが大事すぎて手を出せなかったのかも。僕からユリアスに聞いた方が良い?』
「だめっ!そんなこと気にしてるなんて思われたくないから」
『そんなことって…恋人同士だったら大事なことだよ?』
「本当に恋人って思われてるのか疑問だよ」
『またそんなこと言う…大丈夫だって。ユリアスは誰よりもシリルのことを愛してるよ。話しを聞いてくれって気持ち丸出しでニヤニヤしてるんだから。ね、ユリアス』
「え!?ユリアス様そこにいるの!?」
『いないけど。電話盗み聞きしてるに決まってる』
「ええええっ!!」
『まあ後は二人で話して。電話繋ぐね。ユリアス、今すぐ受話器置かないとばれるよ』


 一応コール音はした。けれど電話を取るのも早く、電話の側に張り付いていたのは確かだった。
『話しは済んだか?』
「…うん」
 聞かれていたのかと思うと穴を掘って隠れたいほど恥ずかしい。
『用事は済んだのか?』
「…うん」
『今週末はヴァンサンもそちらへ行くと言っている。ホテルは勝手に予約したようだが、良いのか?』
「…うん」
『シリル?せっかく電話を掛けてきたんだ、今日は何があったか話してみなさい』
「別に…話すほどのことは…」
 今朝別れたばかりで、実を言うとユリアスのことしか考えていなかった。そんなことを言うのもしゃくに障るじゃないか。
「あ…ギスランを新聞紙ではり倒しました」
『何かされたのか!?』
 優しく響いていた声が険悪な物に変わる。
「そんなこと無いです。ただ、からかわれたから…」
『からかわれた?不本意だがあれにはお前の健康管理を頼んだ。今朝は熱がありそうだったので往診を頼んでおいた』
「あれはユリアス様が…!!」
 文句を言いおうとした瞬間に色々なことを思い出し、もごもごと口ごもってしまった。
『くくっ…私のせいか?』
 もう口なんて聞いてやるもんか。
『シリル?』
 返事なんかするもんか。
『へそを曲げたのか、それとも口が聞けないくらい会いたくなったか?』
「そ、そんなこと…」
 ユリアスに対して嘘やごまかしが出来ない自分に腹が立つ。
『明日の夜、また電話しなさい。おやすみ、シリル』
「お、お休みなさい」
 後ろ髪を引かれるような思いと、電話したいならそっちからしろよ、と言う相反する思いで口元をぷっと膨らまし、さっさと切られ寂しい通信音がツーツーなっている受話器を見つめる。
(はやく…会いたいな…)
 


 ヴァンサンに聞いたお手入れ用品はサロン専用とかで、デパートや小売店で気軽に買えるものではなかった。恐る恐るサロンに入ると、綺麗なお姉さんがにこやかに出迎えてくれた。
「あの…」
「はい。ご予約のお客様ですか?」
「いいえ…」
「では初めてのお客様ですね?」
「はい…あの、これが欲しいんですけど…フランスにいる姉に言われて買って来いと…」
 知らない人に対してはすらすらと嘘が吐ける。
 綺麗なお姉さんは少しお待ち下さい、と商品が陳列してある棚からあれこれ引っ張り出し…なんでも5種類の香りがあり、好きな香りのシリーズを選ぶのだそうだ。なんとなくヴァンサンの甘い香りを思い出す。
(あ。これ)
 ミュゲと書いてある香りはヴァンサンを抱き締めたときの香りと似ている。
(でも…同じ香りはなんだかな〜…)
 次々とキャップを開けて香りを確かめる。
 シリルが気に入ったのは白薔薇の香りだった。確か、亮も好きで沢山育てていた。甘いけれどさっぱり清々しい。ダマスクス・ローズもあるけれど、それより軽めだ。
「これ…みたいです」
 目が飛び出るような値段だったが、その事は一応ヴァンサンに聞いていたので、渋々貯金を下ろしてきた。
 ユリアスが気に入らなければどうしよう…と思ったが、嫌いなら虫除けになる。そう考えるとなんとなく元気が出てきて、店を出るときは軽やかな足取りになっていた。決して、これでユリアスの愛人過去最低ランクから脱却できるのが嬉しかったわけではない。


「何この香り…」
 アンリはお気に召さなかったのか、バスルームから寝室から、溢れかえる白薔薇の香りに鼻をしかめている。
「し・ろ・ば・ら。嫌い?」
「俺にこの香りで学校に行けと?」
 ユリアスに似ているアンリが嫌いなのなら、ユリアスも嫌いな確率が高い。
「いいじゃん?俺は好き」
「あのさ、父さんとも仲直りしたんだし、こんな香りを振りまくなら部屋変わったら?」
「これで嫌われるかもしれないだろ?」
「俺も嫌なんだけど」
「…じゃあ…」
「もう1個部屋があるんだし…いい加減俺離れしてもらわないと」
 出会って半年、いつの間にか身長も伸び、この分だとユリアスに追いつくのも早いだろう。シリルは全然構わなくても、年頃の男の子はやっぱり色々困るのだろうか…
 初めてアンリに会ったとき、とても懐かしくて離れたくないと思った。が、ユリアスとあんな事になってからはやはりアンリとユリアスは別の人間なのだと理解できた。
 アンリには、恋心は感じない。
「万が一父さんに振られたら、また一緒にいてやるから」
(俺様な所はそっくりになってきたんだけどな…)
 仕方なしに、シリルは自分のものをゲストルームに運び始めた。


 電話をし忘れたのではない。
 部屋を引っ越していたら遅くなったので今夜はもう電話しないでおこうと思ったのだ。ユリアスだって仕事を真面目にして疲れているだろうし、明日も早いのだろうし。
 思いやってのことなのに…
 不機嫌な声で電話が掛かってきたのは夜中をとっくに過ぎた頃だった。
『電話をしろと言ったはずだ』
「…だって…」
 はなっから不機嫌全開で、まるで攻めているように話さなくてもいいじゃないか。
「部屋を変わって、荷物を移動してたから遅くなって、ユリアス様は仕事で朝が早いから遠慮してただけだよ!」
『なぜ部屋を変わったのだ?』
「アンリが、たいがいでアンリ離れしろって。白薔薇の香りは嫌いだって言うから」
『…白薔薇?』
「…何でもないよ」
 口が滑ってしまった。軽く流してくれればいいのに、そこに突っ込まれると過去の経験上黙っていられなくなる。
「アンリも年頃だから一人の方が良いのかも」
『白薔薇は、お前達光りの血族が好むと聞いた事がある。もちろん、私も好きな香りだ』
 失敗した。明日にでも別の物に変えてこようか…
『シリル、早くお前に会いたい』
 それからは抱き締めたいとか、清楚な香りを吸い込みたいとか、腐った詩人のような台詞を言われて…体温を上げてしまった自分が情けないやら恥ずかしいやら。
 もう遅いからと早々に電話を切ってベッドに潜り込んだが、なかなか収まってくれない身体の火照りに何度も寝返りを打ち、アンリと一緒じゃなくて良かった、と無理矢理独り寝の気楽さを噛みしめたのだった。


 少し眠り足りないのか、翌日の午前中はボーとしていた。
 あと一ヶ月ほどでクリスマスのこの時期、ジュネーブの町は雪に覆われる。シリルの店も冬の間はテラス席の数を減らし、室内での営業をメインにする。が、今日のシリルは昨夜から止まらない身体の火照りを持て余しているため、テラスに続く窓を少し開けなければ我慢できなかった。常連には不評だったが、そうでもしないと暑さにやられておかしくなりそうだったのだ。
 熱でもあるんじゃないのか、そう言って何人もの常連がおでこに手の平を当てたけれど、身体の表面は熱くも何ともない。熱いのは身体の中で…シリルはそれをどうやって静めればいいのか、分からなかったのだ。
 こんな時、普通の男だったらさっとやって、すっきりするのだそうだ。
 普通ではないし、自分の身体は嫌いなのでなす術がない。
(ああもう、真っ昼間から何を考えて…!!)
 ユリアスがやってくれたことも、ただ恥ずかしいばかりで…
(あああああ!いい加減そこから離れろっ!!!)
 少しだけ柔らかくなった髪をくしゃくしゃっとかき乱し、冷たく冷やしたミネラルウォーターをごくごく飲む。
 ぷはーっと息を吐く様をみた常連が、まるでサラマンダーだな、と言った。
 それはユリアスの方だ。ユリアスがあんな事をするから俺がこんな事になったんだ。ユリアスのバカ野郎。
 そう思ったのがユリアス不在2日目の事だった。


 不在3日目に火を吹き終わったら、次は寂しさが吹きすさんだ。早く会いたい、でもまだ明日来れるかどうか、明日にならないと分からないとも言われた(電話は毎晩かかってきた)。
 口が裂けても会いたいとは言えないが、自分が素直になれない変わりにユリアスが出来損ないの詩人のような台詞を吐いてくれるので、自分は受話器を握りしめたまま頷けば良かった。
 明日には会えるかもしれない。それが叶わなくても、次の日には…
 13年会わなくても生きて来れたのに、たった3日で死んでしまいそうだ。
 電話から伝わってくるユリアスの気配はとても穏やかで、自分ばかりが舞い上がっているような気もする。それはやはり、自分の魅力が今ひとつ足りないからだとしか思えない。あのまま、ずっとユリアスの元で暮らしていたら…ヴァンサンと同じくらいには美しく育っていたに違いない。
 会いたいけれど、会うのが辛い。
 それが不在3日目。


 不在四日目の朝は、夜に会えるかもしれない期待と焦りにどうにでもなれと言ういい加減さも加わり、落ち着いていられる時間も多少はあった。
 金曜日だし、普通に仕事が終わってすぐにエヴィアンを出てもジュネーブに到着するのは夜の7時頃だ。定時に終われるほど暇な人ではないから、もっと遅くなって当然だろうし…仕事が終わってからか、終わるめどが付いたら連絡が来るかもしれない。疲れていれば今日は来ないかもしれない。
 連絡が来れば店を終わらせて帰ればいいし、来なければいつもの通り9時頃まで営業してから店を閉めよう。
 夕方近くまではまだ気持ちに余裕があったのに、仕事帰りのビジネスマンが店の前を通り始めると電話にばかり神経が行ってしまい、滅多に鳴らないのだが…たまに仕入れ先や、常連の家族から言づてを頼まれたりする電話がある…鳴るたびに受話器に飛び付いてしまう。
 いつも終業までのんびり過ごす常連がやってくる時間は店の雰囲気もにぎわい、あっという間に過ぎてしまう。客を追い出し、帰り支度をする頃には諦めムードになっていた。
 連絡をくれるって言ったのに…来る来ない、くらい連絡してくれても良いじゃないか…
 

 
「アンリ、電話無かった?」
 帰り着いて足元の雪や氷を払いながら、真っ先にそんなことを聞いてしまった。
「お帰り、シリル。電話?誰からもないよ」
「そっか…」
「約束でもあるの?」
「…そう言う分けじゃないけど…ユリアス様が今夜来るかもしれないから…」
「…なるほどね」
 くすっと意味ありげな笑いを返されむかついたが、べつにどうでもいいじゃないか。期待はしていない。
「今夜は冷えそうだから、シリルもさっさとお風呂入って寝たら?明日は絶対来るだろ、父さん」
 アンリの言うとおりだ。毎週土曜日には必ず来るのだし、半日くらい遅れるのがなんだって言うんだ。その半日のうち八割は眠っているのだから…眠れば何も考えなくて良くなる。
「めっちゃ寒かったよ。こんな日はやっぱりお風呂に浸かってワインだよね」
 それにお酒でも飲めば、いっぺんで夢の中だ。
「お酒はほどほどにね。お休み、シリル」
「ん。お休み、アンリ」
 シリルはワインセラーから一本くすねると、急いでバスタブに湯を張る。白薔薇シリーズの肌が柔らかくなるような気がする入浴剤を入れ、お湯が溜まるまでの間に少しだけ言うことを聞くようになった長い髪に櫛を入れる。髪を洗う前に一手間掛けると洗いやすいのだ。
 それから部屋に戻り、受話器をとってバスルームへ持ち込む。まだ未練があるのだ。こんな時間になれば来るはずがないけれど、来られないと電話が掛かるはずだから…それならそれでちょっとだけでも声が聞きたい。
 この期に及んで受話器をバスタブに落とさないよう、安全な場所に置き、丁度良い温度の湯にとっぷりと浸かる。
「ふーっ…」
 朝から、いや、月曜日にユリアスと別れて以来、めまぐるしく変わる自分の気持ちに翻弄されっぱなしだった。それももうすぐ終わる。明日の夜には自分はどう変わっているのだろうか。
 ずくん…と身体の芯が疼く。
「やば…」
 慣れないと言うより、恥ずかしい。そんな器官など持っていないから知りようもないと思っていたのに…まさかこんなに後を引くとは思わなかった。溜まるとか、出してすっきりとか言うけれど、そのどちらも出来ない自分はどうすればいいのか…
 温かな湯船で目を閉じると、ユリアスがしてくれたことを鮮明に思い出す。容赦のない指がシリルの秘めた部分を這い回り、どうしようもないくらい気持ちが良くなって…
 その部分、自分ではまともに触ったことも見たこともない部分に恐る恐る手をやる。
 何をやってるんだよ、と戒めながらも、シリルの指が触れる。
 しかし、感じたのは快楽ではなく、ざらりとしたおぞましい感触だった。

 嫌な気分をさっぱり洗い流したつもりだったが、心が晴れない。こんなに醜い自分のどこが良いんだ?ヴァンサン以外には会ったことはないけれど、どの愛人もそれなりに美しいはず。こんな自分は…珍しいから、飽きるまで抱いてみようとでも思っているのだろうか。素人をからかって遊ぶ悪趣味な所があるのかもしれない。
 そんな身も蓋もない考えに支配され、張り裂けそうな痛みを酒の力で麻痺させるように飲んでいると、ユリアスの声が聞こえたようだが無視した。
 シリル、髪も乾かさないで…風邪をひくぞ、とも言われたような気がしたけれど…でもそう言えば、寒気がする。風邪でも引いて高熱を出せばユリアスは飛んできてくれるだろうか…バカなことを考えていたら、身体がふわりと浮いた。
「…浮いてるぅ…」
「酔っぱらいが」
 
 ………

 やけにリアルな声だった。眠い目を僅かに開けてみると、ユリアスの顔がはっきりと飛び込んできた。


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