巽さんシリーズ

かいきんですよ

「じゃ、俺、大浴場に行ってくる。京史郎さんは来ちゃだめだよ!」
 部屋に帰るなり、備え付けの作務衣とタオルを掴んで牽制の一言。今すぐどうこうする気は無いし、むしろ意識させるだけさせておいた方が楽しみが増えるかも知れない。と、こちらの思惑に微塵も気がつかない悠斗は元気よく駆けだしていった。唯一大浴場を使っている人物がいるとしたら、あの美貌の青年だろう。本田が手中の珠のように護り、愛情を注ぐ存在。本田の発する気のようなものがそう語っていた。さすがにイアンの部下だったとあって、似たようなオーラを発している。

「うおおーっ」
 浴室へ続くガラス戸を開けると、絶景が広がっていた。湯船は天然石を自然な形であしらっており、その先に続く外の景色にとけ込んでいる。洗い場も蛇口が整然と並んでいるわけではないようで、所々から流れ出る石清水を汲むような作りになっていた。小さな滝のような打たせ湯もあり、洗い場だけで小一時間遊べそうだ。手近な石清水風蛇口でさっと湯をかけた後、誰もいない湯船に浸かる。
「京史郎さんも誘えば良かったかな…でもなー…」
 

 嫌なわけではない。自分だってこの時を待ち望んでいたはずで、準備だってしたんだ。けれども昨夜の口づけは今までと違い、息も出来ず、ただ翻弄されるばかりで腰砕けになってしまった。知識で知っているはずのその先が思いやられ、普通ではいられない。今まで巽が手加減していてくれたことが憎らしいが、以前の自分だったらきっと許容範囲を超えていた。改めて巽が自分のことを思いやってくれていた事に気付いて、ますます好きになる。本当は昨夜からどうしようもないくらい巽に触れていたいのだ。でも、そうするとぐずぐずと崩れて正体を無くしそうで怖い。今も、考えるだけで身体の芯から熱くなって腰が抜けそうになる。

「あ、そうか。ひょっとしてのぼせかけてる?」
 まだまだ子供の部分を無理矢理引っ張り出し、勢いよく湯船を飛び出る。
 備え付けの檜の香りがするシャンプーやらボディーソープで泡だらけになり、打たせ湯で洗い流していると急にガラス戸が勢いよく開き、ガラにもなくびびりあがる。
「ひょえっ!」
 素っ頓狂な声は悠斗である。
「さっきのいりこ君…」
 驚きつつも冷静なのは、先ほど寿司屋で顔を合わせた美貌の青年だった。
「いりこ君って…」
「まんまだろ」
 

 怜悧な表情をぴくりとも変えずに言うので、悠斗には冗談なのか本気なのか分からない。さっき寿司屋で見たときは結構柔らかくて綺麗な表情だったのだが…訝しげに見つめていると青年は悠斗の手からスポンジを取り上げた。
「ちょっ!なにすんの!」
 悠斗の手が届かないように高く上へ上げている。
「こんなの使っちゃダメ。せっかくの綺麗な肌が傷む」
「…へ?」
「こうやって、手で泡立てて、泡で洗う。顔と一緒」
「…別に気にしてないし」
「触り心地も大事だよ?」
「な…」
「ふふん」
 

 そう言ってゆっくりと手のひらで泡立て、顔同様に美しい身体を泡でそっと包み込むように洗っている。その仕草が妙に艶めかしく、悠斗は頬が火照るのを自覚した。うっすらと筋肉がのった身体は大人の男のものだが、ごつごつしたものではなくとても滑らかで、悠斗が知っている男友達の誰とも違っている。白磁のような質感がある肌に散らばるうす紅色の斑点…
「ええっ!」
 そこまでぼーっと眺めて、はたと気がついたその印。
「げーっ!」
 悠斗の視線が突き刺さるのも気にせずに洗っていたら目に飛び込んできた、自分の身体に付けられた印。
「そ、それって…」
 真っ赤になりながら指さすと、綺麗な顔をしかめながら毒づく。
「ちっ…雪柾の野郎…」

「雪柾さんって、さっき寿司屋にいた人?」
「うん。そうだよ」
 気を取り直して二人で湯船に浸かる。
「それってさ…き、き…」
「キスマーク」
「だよね…」
「キスマークってさ、最初は紅くて綺麗だけど、後から青痣になって汚いんだよ。あんまり付けるなって言ってるのに」
 美貌の青年、克彦はぶすくれながら言い放った。どうやらこの見た目を裏切るぶっきらぼうなしゃべり方は素のようだ。

「……」
「なに?キスマークがどうかした?」
「い、いえっ…どうもしないけど…」
「しないけど、なに?」
「いや、そーゆー関係なのかなって…」
「そーゆー関係だよ。いりこも連れとそーゆー関係なんだろ?」
 いりこ…って。
 しかも、そーゆー関係って…。
 まだだけど、そーゆー関係と言っても良いのだろうか?
「…まだ。っていうか…」
「おまえ、男だったらはっきりしろよ。語尾に点々つけんな」
 むかっと来た悠斗は思わず大きな声で叫んでしまった。
「そーゆー関係を前提としたお付き合いだよっ!」
 克彦は良くできましたとばかりに婉然と微笑むと、悠斗の髪をくしゃっと撫でた。
「俺の雪柾も良くこうやってくれるんだよ。気持ち良いよね」
 と言うか照れるんですが…
「前提と言うことはまだ、って事だよね?」
「うん」
「あ、もしかしてこの旅行で?」
 

 考えないようにしようと思っても頭の中にこびりついて消せない事実が、また一気に浮かび上がる。
「う、うん」
 語尾に点々を付けないように力強く頷く。
「どもらない」
(意地悪りぃ…これでこんなに綺麗なのって詐欺だよなっ!)
「しかたないだろっ!初心者なんだからっ!」
「ふーん。初めての相手なんだ?」
「わりぃか?」
 思いもよらず克彦はその綺麗な顔をまっすぐに悠斗へ向けて笑いかけた。
「羨ましい」
「へっ?」
「だって、すっごく格好いいし性格も良さそうだし愛されてるし」
「雪柾さんだって男前じゃん?」
「男前だからだよ。俺、初恋は最悪だったし。はじめっから雪柾と知り合っていたかったよ」
「それは俺も良かったとは思う。でも、めっちゃ緊張して、どうしていいか分かんない」
 

 昨日の夕方までは恥ずかしながらも自分でも準備したりなんかして楽しんでたのに、腰を抜かしてからは、急に現実味が増しておたおたしている。
「大人の罠にひっかかってたりして」
「罠?」
「うん。いりこを煽って楽しんでるのかも…」
「なんでそんなことすんだよ。てか、あんたも大人じゃん」
「そりゃあねえ…いりこのことが好きだからだよ。前戯は時間を掛けてたっぷりと、ね。昨日から始まってるんだよ。暫くは毎日腰抜かすんじゃない?」
 意識を普通に保っていることが出来ずに、お湯の中にぶくぶく潜る悠斗である。
  

 克彦と悠斗が揃いの作務衣を着て(旅館の備え付け)喫茶室に向かうと、大人達?は大人達で挨拶を済ませたようで何やら話し込んでいる様子だった。
「雪柾」
「京史郎さん」
 それぞれが相思相愛の相手に向かって声を掛け、その隣にすっぽりと納まる。
「京史郎さん達も仲良くなったの?」
 大いに語弊のある言い方に、巽も本田も苦笑う。
「悠斗、こちらは本田雪柾さんだ」
 悠斗が初めて出会ったヤクザは男の魅力の全てを備えた人物で、だからこそ近寄りがたい気にさせる。もし、巽も克彦もここにいなかったら、悠斗になど一瞥もくれなかっただろう。
「雪柾、彼は立花悠斗君。いりこで良いよ」
「始めまして。立花悠斗です。いりこじゃないし」
 この人の前で大人ぶってもしかたないけど、発育不良児のように思われるのは嫌だ。
 

 本田は軽く頷くと、腹の底に響くような声で話しかけて来た。
「身体の大きさは問題じゃない。紅宝のコンピューターシステムは君が構築したそうだな。その才能の方が貴重だ。しかし…年相応の悩みがあるのも、良いことだな」 巽のようににっこり微笑むわけではないけれど、優しい眼差しで語る本田は、ヤクザだけどいい人、と悠斗に印象づけた。
「雪柾、俺の仕事褒めたこと無いのに!」
 一方克彦は、思ったことは口に出すタイプのようで、ピンポイントな指摘には一瞬むかつくが本当のことなので反論できなくなる。それに意外と素直な一面も持っていて憎めないのだ。
「お前を抱くことに時間を使ってしまって、仕事を褒めるヒマがなかったんだ。拗ねるな」
 聞いている周囲のものまで赤面しそうなべた甘のこの台詞も、大人の前戯なのだろうか…

 

 本田と克彦が何やら怪しい雰囲気になってきたので早々に引き上げると、頼んでおいた和菓子が座敷のテーブルに用意されていた。
「京史郎さん、なんか、寒いんだけど…」
「湯冷めでもしたか?」
 ほら、やっぱり分かってない。あんなべた甘な台詞で歯の根が合わなくならないんだろうか?
「そうじゃなくて、普通あんな事言う?人前で…」
「…いりこ?」
「違うよっ!だ、抱くとかなんとか!」
 巽はくくっと喉で笑いながら悠斗の腰を抱き寄せる。
「私も同じ台詞を言ったが、寒くなったか?」
 

 ああそう言えば…今夜抱くとかなんとか…
 思い出して顔から火が出そうになる。今日は悠斗も墓穴を掘りまくりだ。
 空いた方の手で悠斗の顎を捕らえ、真っ赤になった頬に軽く口づける。
「だからっ…人前でっ…めっちゃ沢山人がいたし…俺なんか初対面なのに」
「人前でなければ良いのか?」
 もう何を言っても揚げ足を取られる。何も言わない方が良いのだろうか?答えなかったら人前でなければ良いと言うことになるのだろうか?焦って何も言えないでいると、唇を塞がれてしまった…
「ん…ふん…」
 巽の熱い舌が遠慮会釈無く口腔内をかき回す。唾液が絡まる音に気持ちをかき乱され、背筋を這い登る寒気のようなもので身体が震え始めた。
「…やはり、湯冷めか?」
 

 口の端を僅かに上げた意地悪な笑みを浮かべながら巽がからかう。
「ちが…っ!…んっ」
 再び口を塞がれ、作務衣の合わせ目から忍び込んできた手のひらを阻止しようとするのだが、素肌に伝わる温かさが一方では心地よく、遮る手に力が入らない。
「ん…きょうしろうさん…だめ…」
 力なくパタパタと動かしていた手に、柔らかい物が触れる。まだ食べていない練りきりだ。
 悠斗は薄い水色の練りきりを掴むと、これ幸いとばかりに巽の口に押しつけたのだった。
「んぐ……」
「まだおやつの時間が終わってないよっ!」
 

 端正な顔の口いっぱいに和菓子を詰め込まれた巽は文句を言うことも出来ず、悠斗と和菓子のどちらも堪能することが出来ず、喉に詰まりそうな練りきりをお茶で流し込む。
「…っはぁ…悠斗…おまえ、おぼえてろよ…」
「昼間からさかってる方がいけないんだっ」
(でも…気持ち良かった…)
 おぼえてろよ、と言ったときの巽の艶っぽい微笑みも悠斗は大好きで、口では憎まれ口を叩いても心の中では毎回惚れ直しているのだ。
 本当はされるがままに流されても良いと思う反面、体中にわき上がる想い以上の物が必要なのかどうか分からなくなり、今のままでも十分な気になる。心以上に大事なものがあるのだろうか?

「で、おやつの次は何をするんだ?」
 いつもと変わらない笑顔で巽が訊ねた。
「…ここの露天風呂に入る」
「そうか…では私は少し用事を済ませてくる」
 一緒に入るとごねられたらどうしようかと思っていたので、悠斗は巽の意外な反応に驚いた。
「仕事?」
「いや…でも少しは仕事に関係あるかも知れないな…悠斗はゆっくりしていると良い」
 実はまだ若頭、山崎さんの恋人にはお目にかかっていないのだ。露天風呂に悠斗と一緒に入りたいと言っても今は無理そうなので、別の好奇心を満足させようと思っていたのだ。
 

 

 悠斗が露天風呂に向かった後、巽はさっそく本館へと向かった。その辺にいる組員に若頭の居所を尋ねると、丁寧に案内してくれた。この辺の躾は一般企業より出来ている。
「いつもこんな団体旅行をしているのですか?」
 ヤクザがこれだけ揃って旅行しているなど、聞いたことも見たこともない。
「とんでもない!うちらも初めてです。姐…克彦さんが急にみんなで行こうと言い始めて…」
「へぇ…移動するだけで大変でしょう」
「いやそうなんですよ…でも今は克彦さんが一番強いですからね。へそ曲げると組長の機嫌が悪くなるんで、克彦さんのしたいようにしてるんです。組員の事も考えてくれて、俺ら普通の温泉とかには入れねえんで、今回はこんな贅沢させてもらってます。いやあ、堅気のお客がいるところなんてひさしぶりっすよ」
 

 調べたところによると、黒瀬組のほうが昔の紅宝院よりよっぽどまっとうな商売で利益を上げている。自分も昔の紅宝院の悪行の一端を担っていたので、堅気と言われてもぴんと来なかった。
 案内されてその棟に入ると、写真で見た以上の美丈夫な沼田和希が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。ゆきちゃんから話しは聞いてますよ」
「ゆ、ゆきちゃん…ですか…山崎さんの事ですよね…」
 失礼とは思いながら、にやけが止まらない。
「ひどい上司だな〜。彼はプライベートでは可愛いんですよ」
「そのプライベートを隠すことに、彼は長けているので」
「ゆきちゃんのスーツ姿は変装といって良いくらいですしね」
 

 スーツと浴衣と紋付き袴とトレーニングウエアと私服は見たことあるが、それ以外にあるのだろうか…
「ありますよ。素肌に俺のシャツ一枚とか裸エプロンとか紐パンとか」
 そっち系かよっ…
 驚きをポーカーフェイスで隠して微笑んでいると、この棟には二階があるのだろうか、どどど、と階段を下りる音がして、巽達が座っていた居間に、まさに裸シャツ一枚の男が下りてきた。
 黒髪がさらさらと顔にかかり、その奥から切れ長の瞳が訝しげに巽を見ている。巽と同じくらいの背格好。
「だれ?」
 擦れた声。
「ゆきちゃんの上司だよ。巽さん、こいつは千草。吉野千草のBクラス・レア・バージョン。ちなみにAクラスは黒瀬組の最高機密」
 

 写真で見た吉野とはまるで違う。見た目以上に、醸し出す気が、まるで飢えた猛獣だ。知的で上品な印象だったのだが、どこにもその片鱗は見られない。たった今まで何をやっていたのか…
 それを証明するかのように、別の、複数の足音が階段を下りてきた。
「あ。`*#%&7!」
 沼田が聞いたことあるような無いような外国語で短く叫ぶと、その足音がぴたっと止んだ。
「千草、さっさと風呂入ってこい。上の二人は上の風呂場使え!二十分くらいで出てきて挨拶すると思います。上の二人のことも紹介しておきたいので…」
 

 これ以上ヤクザと係わりたくないが、わき上がる好奇心はなんともしがたい。それに、山崎さんの事にしても、紅宝と関わりのあることで自分が知らないことがあるのは面白くなかった。
「吉野さんは色々な顔をお持ちで、上のお二人は私にも縁のある人達、ということですか…」
「その通り。それまで可愛いゆきちゃんのお話しでもしますか」
 馴れ初めから初デート、あんな事やこんな事まで聞かされて、週明けに山崎さんと会うときにどんな顔をすれば良いのやら…きっと頬が緩みっぱなしだろう。
 

 暫くして2階から下りてきたのはなんと…いちばんとにばんだった。イアンの精鋭、その一とその二。
 巽は目を見開いて凝視してしまった。
「なんでお前達がここに…」
「千草ちゃんが暴走しそうになったので呼ばれました」

 ??? 

 巽が沼田を見ると、沼田は腹を抱えて笑っている。
「ふははは…千草ちゃん…ぶっ…」
 吉野千草はストレスがある一線を越えると人格が変わってしまうらしい。普段は清廉潔白で仕事の鬼。崩壊すると淫乱になり、それを放置すると凶暴になってしまうそうである。
 

 イアンとは十代の頃からの知り合いで、吉野の凶暴さに目を付けたイアンが武術や戦術を教え、ついでに性技も教えてしまったのか、人格崩壊する前になんとかしておかないと収拾がつかない事態を引き起こすらしい。
「…で、お前達が二人がかりで?」
 気の毒と言うかお疲れ様というか…
「二人でやっと一人前」
 そう言ったのは、いつの間にか露天風呂から上がって巽の後ろに立っていた吉野千草本人だった。
 

 真っ昼間から情事に耽ったのがありありと分かる壮絶な色気を漂わせている。
「千草、お前上で休んでいて良いぞ。二人とも連れて行け」
 沼田はまだ足りていないとでも思っているのだろうか?吉野は挨拶もせずにスタスタと2階へ消えてしまった。いちばんとにばんもお互いに顔を見合わせて頷くと、吉野の後を追って2階へ向かう。
「頻繁にああなるんですか?」
 巽が沼田に問う。
「一月程前にいざこざがありましてね。それ以来時々ああなります。間隔が空いてきているんでいずれ元通りになりますよ」
「元通り?」
「年に4回くらい」
「彼なら恋人くらいすぐできそうですがね…」
「…居ない方が幸せな場合もあるんですよ」
 沼田がにっこり微笑む。
「千草は、今のままでいい」
 沼田の笑顔が作り物で、これ以上その話しはしたくないと訴えているのを分からない巽ではなかった。

「ところで山崎さんですが…」
 話題を少し俗っぽいものに変える。
「お二人のデート現場をそのうち見せて下さいね。社長と覗きに行きます」
 しかしあの山崎さんが…確かに出会った当初に比べれば妙に色気づいてきたが…仕事に関連した付き合いの中では『恋でもしたのかな?』くらいの変化で、それは誰にでも当てはまるような微笑ましい変化だ。相手が男でしかもエリート・ヤクザ(?)でモデルも裸足で逃げ出しそうないい男で、下世話な話しだがアッチの方も凄そうな男とラブラブだ等とは、どうも想像しにくい。
 

 そしてあの吉野千草。どこからどう見てもエリート・サラリーマンしかも絶対有能秘書(ちょっと私と似ている)で育ちの良さからくる品の良い立ち居振る舞いをしそうな写真写りの男が…
「デートと言っても、そうそう会えるわけではありませんから。巽さんも今回は強引に休暇をもぎ取ってここにいる。お陰で私は一人寂しく、そこら中で発情している獣たちの世話をしなくてはならない羽目に…ゆきちゃんから聞きましたよ。巽さんも可愛らしい恋人と初お泊まりだとか…」
 

 そう。他人のことより自分のこと。
 腕時計で確かめると、一時間は経っていた。いくらなんでも風呂からは上がっているだろう。
「まだ子供ですからね。もう少し子供らしい時間を過ごさせてやりたいとは思うのですが…」
「お互いに求め合う気持ちがあるなら、それを無理にねじ曲げる方が不自然だと思いますよ。もともと持っていた一面が花開くだけで、本質が変わるわけではない」
 それどころかいつも以上に悠斗の様子は子供っぽい。練りきりを突っ込まれた事を思い出し、巽は思わず口元を歪めてしまった。だいたい、外食先までいりこを持参したのも今日が初めてなのだ。それなりに舞い上がってぐるぐるしている事が分かる言動の数々も思いだし、さらに口元が緩む。
「楽しそうですね…」
 

 楽しい、と言えば語弊があるかもしれない。喰うまであと何時間、と言うようなカウントダウン・シチュエーションを作ってしまい少しばかり可愛そうだったか、とも思う。それを過剰に面白がっていた自分も多少子供っぽかったかもしれない…
 そう考えると無性に悠斗に会いたくなってしまった。 一人で放って来てしまったことを後悔する。
「湯あたりでもしていたら大変なので、そろそろ帰ります」