朝早く施設を出て、昼頃には黒瀬組の事務所に帰って来られた。園部の部屋(会議室)では吉野が午前中に手に入れてくれた養子縁組手続きの書類を前に、克彦が直方土産のおせんべいをバリバリ囓っている。
「これ美味しいね、沙希ちゃん」
「克彦さん…書類にクズが…」
「いいじゃん、後からはらえば」
 おせんべいは美味しいけど、沙希がお嫁に行くのはなんとなく悔しい。克彦も本田から一緒に暮らそうとか結婚しようとか言われているが踏み出せないのに、沙希が大きく一歩飛び抜けたので面白くないのだ。自分の決断力が無いからと分かっている。おせんべいの食べ方も見た目も自分の方が漢なのに、中身は…何時までも過去の経験に引きずられている自分の方が女々しいじゃないか。
「去年の暮れに大急ぎで家庭裁判所の許可をもらっていますから、これと…証人は本田と私、吉野で書いてます。書類は全部揃っています。あとはこれをお二人で届け出に行ってください。今夜はささやかですがお祝いをしますからね、18時までにはここへ帰ってきてください。克彦さんは…たいがいで組長の部屋へ向かって頂かないと…」
「ねえねえ、俺も一緒に区役所行っても良い?」
 克彦が五個目のおせんべいの小袋をびりびり破きながら訪ねた。
「組長に聞いてください。はやく行かないと時間が無くなってしまいますよ」
 吉野にせかされ、やっと克彦も腰を上げたが…今朝、克彦は少しだけ我が儘を言ってしまったので後悔しているのだ。
 本田が怒っていないか気になって仕方が無くて、会議室で足が止まってしまった。
 本田が怒ることなどないし、どんな我が儘も聞いてくれる。それに甘えるたびに本田との関係が終わる日が近づくような気がするのだ。
 元旦の挨拶が終わった後は何も予定を入れておらず、克彦は本田と二人でゆっくりとした時間を過ごした。今年は久しぶりに実家にも顔を出し、両親とつもる話しをすることもできた。
 何もかもが本田のお陰なのに…なんで自分はいつも我を通してしまうのだろう。
 
 

 道元竜姫(たつき)の事があってから、本田は克彦の護衛を増やすことにした。竜姫の行動はヤクザ幹部の娘が取ったとは思えないくらい幼稚で、次はいつどんな嫌がらせを仕掛けてくるか分からない状態だ。今までも”本田のイロ”の地位を巡って女達は攻防戦を繰り返していたらしいが、もちろんそんなことは本田の耳まで入ってこない。最後まで残った者がその地位に座ることができるのだと、本田が言った分けでもないのに、みなが何故かそう思っていたのだ。吉野が時々、誰それにお見舞いを贈っておきました、と報告してきたが、それはどうも女達が本田の意向などどこにも存在しない世界で勝手に喧嘩して怪我を負っていたという。
 克彦は、女達の戦場に勝手に放り込まれたのだ。
 他の女が自分のことで怪我をしようが死んでしまおうがどうでも良いが、克彦はそんな女達とはレベルが違う。名前すら思い出せない女達とは、生きている次元が違うのだ。克彦はつねに本田の隣にいる。いつでも触れて、話しかけて、抱き締められる場所にいる。他の女達は本田の世界には住んでいない。
「女が諦めて俺たちの目の前に二度と現れないと誓うまで、ほんの少しだけ守らせてくれないか?」
「どんなふうに?」
「都筑以外にあと2名付ける。見本帳をいくらでも好きなだけ持って歩けるぞ。仕事が終わったら直ぐに事務所に来てくれ。飲み会も控えて欲しいが仕事の時は仕方がないな。それから、これは大事なことだが…新しい客は必ず俺たちに知らせろ。特殊な繋がりは俺たちにしか分からないことが多い。自宅周辺はこれまで通りと思ってくれて良い。できればしばらくの間、うちに泊まって欲しいのだが…」
「なんか…窮屈そうだな…都筑だけじゃダメなの?会社に泊まり込むことだってあるのに…都筑は凄く良くしてくれるから、俺が本気で仕事しはじめたら気配まで消して、俺の視界に入らないところでじっとしててくれる。それだけでも気の毒なのに…これ以上他の人に迷惑掛けられないよ…締め切り前とか、ゆきの家に行くのも絶対無理だし。相手は女だろ?こないだの事だって、めっちゃ迷惑だったけど、暴力沙汰になったわけじゃないし。どうして今までみたいに、普通に暮らしたらいけないの?俺からは何も奪わないって?俺、自由が少なくなってる。好きなように生きたいのに…」
 本田がいてこそ、なのだが…
「自由か…そうだな、お前には窮屈かもしれんな…分かった。お前は今まで通り好きに振る舞え」
 いつものように抱き締めてつむじにキスしてくれたけれど、本田の表情が硬くなったのが気になる。
 克彦が竜姫に嫌がらせをされた中でも何が一番嫌だったのか、本田は良く分かってくれた。克彦がデザインしたシリーズ物のソファは、本田が個人的に買い上げ、張り替えや修復に出された。それが終わればちょうど新しい家具が欲しいと言っていた沼田と恋人の山崎の隠れ家に運ばれる。二人ともいい人達なので、我が子の嫁入り先としては最高の家だ。
 会社への損害もカバーしてくれて、冬にもらうはずだったボーナスは3月に出ることになった。
 全てを丸く収めてくれたのに、自由が減るだなんて、自分でも良くそこまで我が儘が言えるもんだと呆れてしまった。後の祭りだけど…


「ゆき…」
 ドアをこそっと開けて首だけ突っ込んで中を見る。本田はコーヒー片手に書類に目を通しているところだった。
「ごめん、邪魔したかな…」
「いや。どうした?入って来い。ちょうどコーヒーが出来上がったところだ」
 本田が立ち上がろうとしたので克彦は急いで部屋の中へ入り、自分でコーヒーメーカーの所まで行き、自分専用カップにコーヒーを注いだ。
「沙希ちゃんと園部さんが今から役所に養子縁組の申請をしに行くんだって」
「ああ、そうらしいな。俺と吉野が証人だ」
「ついていっても良い?」
 本田は少し考え込むような表情をした。
「いや、それより二人に何か祝いの品物を贈ろうと思ってるんだが…今から一緒に選びに行かないか?」
 買い物、しかも贈り物は克彦の大好きな仕事だ。
「うん!どんなのが良いかな?園部さん何でももってるもんな…沙希ちゃん中心で考えて、二人でずっと使えるものが良いよね…うーん…」
「昼飯でも食いながら考えよう」
「うんうん、そうしよう。俺、今日はトンカツ食べたい」
 さっきまで様子を伺うように耳が寝そべっていた克彦は、悩みも忘れてあっという間にパワーを取り戻す。
 本田の部屋を出るとそっと自分の前に押しだし、なあに?どうしたの?と不思議そうに振り返る克彦に微笑みかけた。
「克彦、俺は直ぐ後ろにいるから。堂々と、先頭を歩いていけ」
 ここでは克彦がトップなのだ。
(お前がいなければ、もう黒瀬組は機能しなくなってしまう)
 すれ違う組員に『いってきまーす』と元気よく手を振りながら歩く様は子供のようではあるが、それに釣られ組員達の挨拶も以前に増して動作がきびきびしてきた。緊張感で淀みがちだった組内の空気が一新され、特に何もしていないのに、今津組長が言ったように、活気が溢れている。何より自分がこうだからな…と、一年前までは自分の前を歩く者を良しとしなかった自分を思い出す。本田の前を歩くことは危険でもある。だが、克彦が視線の中にはいることで五感が一層研ぎ澄まされ、いつ何時でも克彦を守れる自信が増した。克彦が克彦らしくいるために、自由に羽ばたかせたい、そのためには克彦の行動範囲を制限するようなことを絶対にしたくなかった。


 本田の仕事が気になりつつも、あれこれと一緒に買い物をしまくるのは楽しい。結婚祝い?は最近園部も嵌っている和服をひとそろい贈る事にして、沙希のおじいちゃんの店へ久しぶりに行ってみた。
「そうなんだー…もう白無垢とか、準備してあるんだ…」
「真っ白の衣装はよく似合うだろと思って、去年も二枚ほど贈りましたし、今回の入籍で、お二人の衣装はばっちり揃えさせて頂きました。もうだいぶん着物の数も増えたでしょうから、タンスなど贈られては?最近は嫁入りダンスなど持っていく方も少なくなりましたからねぇ…」
 克彦は自分が最も得意とする分野をすっかり忘れていた。
「ああ!!俺、家具の専門家だったよ!!」
「おや、そうでしたか!じゃあ話が早い。実は今…」
 最近の建物に合わせたモダンなタンスが欲しいと言うお客様が多く、自分が売った大切な着物を保管できる良い品物を探している、とのことだった。
 それを聞いた克彦の瞳が俄然、輝き出す。
「押し売りはしないけど、俺、沙希ちゃん用のタンスをデザインするから、おじいちゃんも手伝って!!」
 出来が良かったらお客さんを紹介してね、と付け加えることも忘れなかったが…
 それからタイムリミットの六時まで、和服を仕舞うための引き出しのサイズや小物の形、その場で思いつく様々な情報を教えてもらい、その間ほったらかしにされていた本田は克彦にばれないように浴衣を何着か買いながら、ほったらかしにした代償は払ってもらおうとほくそ笑んでいた。
 克彦は店を出るときに本田が持っていた大きな荷物に気を取られていたが、本田はいつも自分たちにそそがれる好奇の視線とは別の視線がじっとそそがれているのを感じ、その視線の主に気付かれないように、周囲に神経を張り巡らせた。
 克彦を防弾仕様の車に乗せ、忘れ物をしたからと、本田は一旦店の中へ戻る。何事かと出てきた店主を遮り、直ぐに携帯で吉野を呼んだ。
 誰かが自分たちを付けている。
 現在地と目的地までのルートを指示する。本田はこの事を克彦に知らせないようにと店主に念を押し、自分たちが出て行った後、何か変わったことがあれば直ぐに連絡しろと言い置いて店を後にした。
 思い過ごしであればいいが…悪意を含んだ蛇のような視線は素人を騙せても、本田の天性の感を欺くことはできない。


 沙希が招待されたホテルの部屋に到着すると、呉服屋のおじいちゃんと店子が新しい着物を持って来ていた。お祝いの食事会だと聞いていたが、まさかそんなに大げさなものだとは想像すらしていなかった。
 おじいちゃんが広げた衣装は白無垢、ではないが白地に優しい色合いの刺繍が施されていて、沙希の清純なイメージにはぴったり似合っている。ほんのちょっとだけ薄いピンク色の口紅と頬紅を施して、初々しい花嫁?さんの出来上がり。園部は利休茶色の地に龍の刺繍という地味派手な羽織を羽織っている。
「うわぁ…はるさん、しぶかっこいい…」
 沙希がぼーっと見とれる。
「お前も…カッコ可愛いぞ」
 可愛いとだけ言うと時々むくれるので、最近ではカッコ可愛いとか大人っぽい(=園部の脳内では、色っぽい)とか言うようにしている。
「今度貸してね、その羽織」
 沙希には全てが大きいだろうが、園部はまたしても脳内で別のことを考えながら、嬉しそうに頷いた。
「準備できたか?じいちゃんは先に席に着いていてください。店のみんなもご苦労だったな」


 竜姫は携帯を閉じるとテーブルの上に放り投げた。がしゃん、と大きな音がして、周囲の客が不快そうな視線を向ける。どんな意味が含まれていようと自分が注目されるのは快感だ。他人の注目を養分とする竜姫はさらなる満足感を得ようと、目の前の男に甲高い声で命令した。
「表に車を回して。それからエンパイヤ・ホテルのスウィートを予約して頂戴。今夜から一週間」
 男は軽く一礼すると携帯を取り出しながら店から出た。
「お車が到着しました」
 数分後に帰ってきた男がそう告げると、ムッとするような香水の香りを振りまきながら表に出る。ガラス張りの店内から見える白いメルセデスに竜姫が乗り込むと、店内の客達は一斉に顔の前を手であおぎはじめた。


 そこがスウィートなのかデラックスツインなのかすら知らない竜姫を部屋に残し、男達は言われたとおりに動き始めた。
 だが、予約を入れた数分後には竜姫の動きは黒瀬組に筒抜け状態で、手下の男達が幾分消極的に動き始めたときにはクモの糸のような罠が張り巡らされていたのだった。
「甘く見られたものですね、たった三人ですよ…私一人で余ります」
 吉野が、楽しそうに笑った。
「克彦に近寄らなければいい。男は仮にも組員…釘を刺すなら女だけだ」
 吉野の楽しみを奪うのは申し訳ないが、女を相手にさせるわけにもいかない。それに、先ずは警告からだ。それでもまだ手を出してくるなら容赦はしない。
「沼田、女を誘い出しておけ。吉野は男達を…閉じこめておくだけにしろ。手はだすなよ?」
 本田は少しだけ残念そうに笑う吉野のハラリと一房垂れた前髪を掻き上げてやると、踵を返して歩き始めた。もうすぐ園部と沙希の祝いの席がはじまる。都筑に克彦を会場から出すなと言っているが、テンションの上がった克彦相手では心許ない。克彦がそわそわし始めたら電話しろと伝えてあるが、まだ無いところを考えると沙希に掛かりっきりなのだろう。金太郎のように切りそろえられた髪をもっと可愛くしてあげるんだと、呉服屋で何やら小物を買い込んでいたが…あいつらの美的感覚は良く分からない…金太郎のどこが可愛いのだ?克彦の柔らかくしなやかな手触りの髪の方が余程美しい…女の長い髪などセックスの時には邪魔だと思っていたが…克彦の身体の一部だと思うと毛先まで愛しいと思うようになった。
 まさか自分がこうなるとは。
 その上、絶対にあり得ないと思っていた園部に先を越され、ひがみっぽいことをしてしまった。直方の施設に鮨を運ばせたのは…
 

 広くはないが美しく飾り付けられた会場に入ると、30人ほどの招待客が既に着席している。ほとんどが組関係で、元旦に会った今津組長と杉浦幹部は沙希ともうち解けていたが急に呼ばれて出てきた者も多く、今津と杉浦は質問攻めにあっていた。
 沙希の仲間の橋本君も代表で来ており、行儀良くきちんと座る様子は黒瀬組の最年少組員かと思わせるふうである。もちろん組員ではないのだが、沼田とは時々会っているようで沼田の部下達とも顔見知りになっているようだ。
 呉服屋のおじいちゃんは商売柄どんな人とも話を合わせることができるようでにこやかにしている。その隣にはお父さん代わりの岡部先生が冷や汗を垂らしながら座っている。岡部もまた昨日急に伝えられ慌てて参加したので誰が誰やら分からず、恐らくほぼ全員がヤクザなのかと思うと迂闊なことも言えずにひたすら水ばかり飲んでいた。しかも、聞こえてくるのは園部に関する恐ろしげな話しばかりだ。
「みなさーん」
 全員が噂話で盛り上がっていると、克彦が司会のマイクを握って話し始めた。
「黒瀬の関係者にはおわかりかと思いますが、知らない人もいると思うのでご紹介します。俺の目の前の席に座っている、そこのおじいちゃんと隣のおじさん、おじさんの方は沙希ちゃんのお父さんの岡部先生。おじいちゃんはお祖父ちゃん、銀座の呉服屋・藤倉の店主、藤倉十吉さんでーす。堅気の人だからお行儀良くね!もうそろそろ沙希ちゃんと園部さんも来ると思いますが…ん?何?都筑、どうしたの?」
 勝手に話し始めた克彦からマイクを奪い、大人しく席に着かせる。園部と沙希の前に本田が入ってくるはずだ。それまで座らせておけと命令されたのに、目を離すとすぐこうなる。
「組長がいらっしゃるまで大人しくしていてください…」
「だって、沙希ちゃんのお父さん、冷や汗かいてたから…」
「沙希ちゃんからみなさんに紹介する手筈だったんです」
「…なーんだ…俺は何をすればいいの?」
 大人しく座っていてください、と言いかけたところに本田が入ってきた。
「ゆき!」
「がまんも限界だったか?外まで声が聞こえていたぞ…」
「えへへ…マイクがあったら持たずにはいられないんだ…」
 本田が克彦の肩に手を回し、頬に軽くキスをして着席した。
「ゆき…吉野さんと沼田さんは?」
「仕事が入ってな…三十分程で戻ってくるはずだ。沙希の支度はできたのか?」
「うん。沙希ちゃん、すっごく可愛かったよ。園部さんが押し倒してなきゃいいけど…」
 その時、ライトがすっと暗くなり部屋の照明が消えた。扉にスポットライトが当たるのがもう少し遅ければ、黒瀬組の全員が抜いていたかも知れない。もちろん拳銃など持ち込んでいないが、それぞれが小さめのナイフなどを持っているはずだ。
 扉の向こうには沙希を抱きかかえた園部が立っていて…
 ゆっくりと歩み進む園部と沙希を、全員が凝視していた。半年前に良く見た光景だとはいえ、あの、毎日男をとっかえひっかえしていた園部が、良くできた人形のような少年を抱いているのだ…しかもその少年は人形のようでいて吉野が気にいるほど強い少年なのだ。克彦とはまたひと味違った男っぷりで園部を振り回し、黒瀬組ニューヨーク本部の組員達の世話も良く見ているという。兄の志貴も使える新入りで、組の仕事とは離れたところでの小遣い稼ぎで世話になっている組員も多い。


「えと…皆さん、今日は俺たちのためにこんな立派な会を開いて頂いてありがとうございます。俺、黒瀬組のみなさんと知り合えて、ほんとに良かったです。えと…今日は俺のお父さん代わりの岡部先生と、お祖父ちゃん代わりの藤倉のおじいちゃん、仲間の橋本君も来てくれました。えと…みんな仲よくして上げてください。それから…俺、まだなんにもできないけど、もっと強くなって俺を幸せにしてくれた人達に恩返しできたらって思います。これからも、どうぞよろしくお願いします」

 

 丁寧に沙希が頭を下げた後は、ほぼ無礼講だった。沙希は未成年のためお酒は飲めないが、好物のシャンメリーをみんなについでもらってご満悦状態。底が抜けたザルの園部も最近では飲み過ぎると沙希に怒られるようで、会の途中からは沙希に水割りのグラスを持たされ、一口飲むたびに水を注いで薄められていた。
「沙希ちゃんは策士だな」
 今津組長がその様子を見ながら言うと沙希は真剣な顔で、
「だって、はるさんに長生きしてもらいたいもん…」
 と言った。
「はるさんね、ブランデーを瓶ごと飲んだりするんです。格好いいけど身体が心配で…うちの酒瓶の中にも全部こっそり水いれちゃった…」
「え、沙希ちゃん、そんなことしてるの!?」
「克彦さんも飲み過ぎですよ」
 出されている酒はみな高級なものばかりで、こんな時に飲まなければ普段は飲む機会がない。本田の自宅には置いてあっても部屋に入るなり抱きついてくるので、視界にはいるだけで口にしたことは数えるほどしかなかった。
「はーい…でもね沙希ちゃん、あまーい日本酒はお肌にも良いし、ほっぺたがちょっとピンクになるくらいは嗜まなくちゃね?沙希ちゃんがちょっぴり色っぽくなったら、園部さんのお酒も減ると思うんだけど?」
 そうなのかな、と園部を見ると微かに笑っている。
「俺、お酒飲まなくてもはるさん見てるとぽーっとなるから、いいや…」


 その頃吉野は道元組の三人目に、にこやかに微笑みかけていた。
「あの…道元組の方ですね?」
 突然目の前に降って湧いた長身の美しい男の顔を見た途端、男は震え上がった。黒瀬組の夜叉…
「あ、あんた、黒瀬組の…!」
「吉野です。お願いがあるのですが…これを、905号室のあなたのご主人様に届けて頂けませんか?」
 それはリボンが掛けられた金色の小さな箱だった。吉野は男に手渡すと自分のポケットからボールペンを取り出し、ノックする部分に親指をかけた。
「それは小さなプラスチック爆弾で、こっちは起爆スイッチ。一緒に行ってただけますよね?」
 相変わらずにこやかだったが、先ほどとは違い、異様で妖しい視線に変わっている。男は小箱を見つめ、吉野を見つめ、また小箱を見つめ、小さく頷くとゆっくりとエレベーターに向かう。
「ああ、それは振り回しても火の中に投げ込んでも爆発しませんから…私が持っているスイッチを押したときだけ爆発します。運んでくださったらスイッチは押しませんから安心してください」
 エレベーターに乗り、9階で降り、吉野は905号室とは反対の方向へ行くように指示した。男が指示された通り、911号室のドアを開けると、両手両足を縛られ、口に同じ小箱をくわえさせられた同僚が椅子に座っていた。
「ご苦労様でした。もう暫くここにいて下さいね。三十分ほどしたらお迎えに上がりますので、それまで窮屈でしょうけど、皆さんで転がっていてください」
 吉野はそう言うと三人目の男も同じように縛り上げ、またにっこり微笑んで部屋を後にした。
「こんな所で爆発させると思っているんでしょうか?だとしたら可愛らしい人達だな…」

 道元竜姫はチャイムの音にゆっくりと腰を上げ、ドアへ向かっていった。やっと克彦を連れてきたのだろうか?今夜は黒瀬組の幹部がここへ集まって何かの会議が行われているようだ。普通、そんなところにイロごときは出入りできない。部屋かバーで時間を潰しているはずなので連れてこいと言ったのだが、あまりにも時間が掛かりすぎ、眉間に皺を寄せて待ちかまえていたところだ。会議があっている階は立ち入り禁止になっていて、一体何が行われているのか分からなかったが、今津組の連中も確認できている。何か重要な話し合いでもしているのだろう。
「遅いわよ!何やってたの!」
 ドアを勢いよく開けると、いつもの目線に知った顔がない。見えたのはシルバーとピンクの縞のネクタイだった。慌てて視線を上に向けると…
「失礼しました…」
 黒瀬組の沼田和希が柔らかい声で謝罪していた。
「あ、あら、沼田さん…どうしたのかしら?」
「本田組長のことでお話しが」
「本田さんのことで?あら…珍しい。お入りになる?」
 沼田を招き入れ、後ろ手にドアを閉める。本田ほどではないが、この男も自分のターゲットにふさわしい。謎めいたところがあるが、黒瀬組の中でも本田の人望が厚い。手に入れておいて損はしない男だ。
「何かお飲みになる?」
「いいえ。仕事の途中ですから。それより…」
 沼田は内ポケットからキーを取り出してちらちらと見せた。
「本田の部屋の鍵です。今夜はここにお泊まりになるそうで…あなたにぜひお会いしたいと。一時間ほどで仕事も終わりますから、こちらへ移って頂けませんか?」
「今津の組長もいらっしゃっているとか?大事なお仕事なのね…お疲れなのにお邪魔しても良いのかしら?」
「確かにこのところ煩わしいことが多くてお疲れのようですね。あなたがいらっしゃったらお元気になられるかもしれませんね」
(元凶がなくなって)
 と心の中で付け加え、沼田は竜姫を伴って本田の部屋へ向かった。

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