沙希は車があるんだからあのマンションに帰れば良いのに…と思いながらも好奇心には勝てず、部屋中を探検してまわった。NYに初めて行ったときと、園部と旅行をしたときしかホテルに泊まったことがないのでそれなりに楽しいけれど、ホテルは自宅から遠く離れたときに使う物で、帰れる場所があるのにわざわざ泊まるなど考えられなかった。
「はるさん、どうしてうちに帰らないの?」
「あ?」
「だって、都内にマンションがあるのに…」
「ああ…新婚初夜はホテルに泊まるのが常識なんだ」
 沙希が世間知らずな事を利用して時々遊び、たまに自分も知らない事を質問されて困ってしまうことも楽しみの一つになりつつあった。吉野に聞けばまっとうな答えが返ってくるのだが、自分が質問したときと沙希が質問したときとでは答えが違っていて、だいたいいつも『園部の我が儘』でこんな事になるのだと、沙希の切り札を増やされてしまう。
「そっか…常識って、大変だね。でも、勝彦さんは新婚じゃないよ?」
「あれは…組長の我が儘なんだ」
「沼田さんも、吉野さんも泊まるって言ってた」
「沙希…」
 沙希はふふっと笑うと、困った顔の園部にちゅっと小さくキスをした。
「みんなで贅沢したかったって、ちゃんと分かってるもん。今日は特別」
 園部が沙希を抱き寄せてキスをすると、沙希はヒゲが痛いと文句を言いながらも身体を預けてきた。
 今日は本当に特別なのだ。
 一番好きな人と家族になれた日。大好きな人達もみんなお祝いしてくれた。うれしくてうれしくて、たまらない一日。
 沙希は園部にぎゅっと抱きつき首筋に顔を埋めると、大きく息を吸った。 大好きな園部の、大好きな匂い。
「沙希、愛してる」
 園部の低く優しい声とその言葉に、沙希はぶわっと熱い物がこみ上げてくるのを止められなかった。
「うん…俺も…っすき…はるさっ…」
 滝のように涙を流しながらしゃくり上げる自分を見て園部は困ったように笑っていたが、その笑顔がまた格好良くて、こんな格好いい人に愛されているのがまた嬉しくて涙が止まらなくて、ただもう顔中ぐしゃぐしゃにして泣くばかりだった。
 

 ひとしきり泣いた後、園部のキス攻撃を受けたのだがヒゲが痛くてどうしようもなくなり、仕方なしに二人でバスルームへ移動した。
「はるさん、初めて会った日、一緒にお風呂に入ったよね?あの時すごくドキドキしたんだ。はるさんみたいな格好いい身体に憧れてたから…」
 つなぎを盛大に脱がされパンツも一気に脱がされ、恥ずかしさを感じるより早く湯船に突入した。
「ああ。沙希の可愛いおちんちんと乳首はしっかり楽しんだけどな」
「もう…はるさんったら…でもさ、俺もびっくりした…」
「びっくり?」
「うん…はるさんのさ…大きくて…」
 実は今でもちゃんと見られないのだ。こうして一緒にお風呂に入る事も当たり前になってしまったが、それでも視線を反らせてしまう。どこまでも男らしい園部が羨ましいと言うこともあるが…自分がそれで正体を無くしてしまうのもめちゃくちゃに恥ずかしい。
「そうか?沙希のせいでますますでかくなってきたぞ」
 さっきからお尻にあたっている物をできるだけ意識しないようにしていたのに、墓穴を掘ったことに今更ながら沙希は気付いてしまった。
「もうっ!!」
 ばしゃっ!!とお湯を引っかけて、沙希は一足先に風呂場から逃げ出してしまった。
 沙希だって一応新婚初夜がどんな夜なのかは知っている。どうしようかなと散々悩んだけれど、園部がヒゲを剃っている間に決心を固め、用意しなければならない。
 例の紐と輪っかのパンツはあまり似合わないので記念に取っておくとして、おじいちゃんが着物と一緒に贈ってくれたまっさらの襦袢にするか、いつものお揃いのパジャマにするか…
 ええい!と意を決して沙希が選んだのは真っ白の襦袢だった。襦袢と言っても厚手の絹で綺麗な地模様が入っている。ぐちゃぐちゃにするのは勿体ないが、半ば強迫観念のように、これを着て正座して待っていなくてはいけないのだと思っている。
 バスローブを脱いでそれに手を通すとひんやりとしていて、すっかり暖まった身体に心地良い。
 沙希はそれをきちんと着て、ベッドの上に正座して園部が出てくるのを待っていた。それから程なく園部がバスルームから現れ、ベッドの上にちんまりと正座してはにかんだ笑顔で見上げる沙希を見つけ何かはじまるのかと近づくと、正月からこっち嵌っていたらしい三つ指ポーズをしようとしているではないか。
「沙希…」
 沙希がゆっくり、今までで一番綺麗な礼を披露する。
「ふつつか者ですが、末永くよろしくお願い致します」
「お前…」
 今更…と言う気がしないでもないが、ここはやはり沙希なりのケジメを付けたかったのだ。
「えと…これからの計画だけど…」
「…?」
「あの…ちゃんと、家族計画たてろって、二人で、その…本に書いてあったから…」
「あ?家族計画?」
 と言うと、あれだろうか?子作り計画…?
「うん。克彦さんが、雑誌のコピーをくれたの…」
 また彼奴か…
「見せてみろ」
「うん」
 沙希は神妙な顔でベッド脇に置いてあった巾着の中からコピーを取り出し、園部に渡した。

「夫婦のマナーとは、たがいのいたわりの心から、清水が湧くようにおのずと生まれてくるもの。今宵だけの婚約の最後の夜、新婚をひかえての家族計画について静かにおたがいをいたわる気持ちから考えるべきでしょう。計画がきまったならば、ふたりでそれぞれ準備をして、美しい夜にのぞみましょう。新婚の当夜家族計画をたてる人もありますが前もって相談する方がいい と思います。初夜というものの深い印象、感激、その微妙さを考えれば、二人の歴史がスタートするこの大切な瞬間を、とくに男性はいたわりの心を持って新妻のために準備しましょう。いろいろな本にいろいろの事が書かれていますが、二人だけの夜は永遠につづくのです。けっして無理をせず、やがてくる性の夜明けを待ちましょう。二人だけの初めての夜のマナーは、いたわりの心づかいが第一です」

「なんだこれ…」
 据え膳は無理矢理にでも喰う、がモットーだった園部にはちゃんちゃら可笑しい文章だが、沙希は真面目な顔で文面を見ている。
 克彦が、おそらく沙希をからかう目的で見せたのだろうが…策に見事なほどはまった沙希はとっくの昔に初めての夜など経験済みで、『性の夜明け』は既に明けているなど思いも寄らないのだろう。
 沙希は頻繁に我を忘れ、本人は気が付いていないだろうが、普段の明朗活発で清純な様子からは想像できない艶姿を見せるようになった。園部と出会っていなければ、普通に女性と恋に落ちていたら、沙希は己の性癖に気が付かずに一生過ごしたかも知れない。
「いたわりの心づかいが大事なんだって、何度も書いてあるよ」
「そうだな…最初は…家族計画か…」
「うん。俺さ、何度も考えたんだけど…やっぱり子供は無理っぽい。ごめんね、はるさん…」
 いや、最初からそんなことは分かっているし…と言いたかったが、それでも真面目に考えたのだろう。
「謝るな。俺にも無理だ」
「うん。じゃあ…そんな時は何を準備するんだろう…」
 文章を最初から丁寧に読み一つ一つ解決していこうとする姿は可愛い。そんないたいけ無い性格と容姿なのに、園部の愛撫に淫らに反応する姿とのギャップが激しく、あのときの沙希を思い出すだけで園部の雄の本能が鎌首をもたげはじめる。
「沙希はきちんと準備してるだろ?襦袢も似合ってるし、さっきの挨拶は今までで一番決まってたぜ?」
「でも…こんなんで良いの?もっと他に準備とか、忘れてないかな…?」
「俺には十分だ」
 そっと抱き寄せ、ふっくらと柔らかそうな唇に口づける。
「沙希、この先何があっても俺の側にいてくれ。俺はヤクザだ。危険なこともあるかも知れないが、必ずお前を守る。俺を信じて付いてこい」
「はい」
 沙希は園部の目をまっすぐに見て、きっぱり答えた。
「なあ沙希、こう、わき上がってきたか?」
「ん?」 
 沙希をベッドに横たわらせ、きっちり着付けた襦袢の裾に手を忍び込ませる。膝小僧を手の平で覆い、そのままゆっくりとなで回しながら太ももに移動させると、沙希は俯いて唇を噛みしめた。
「ん…」
 首を縦に振りながら鼻に掛かった声で返事をする様子が妙にそそる。
「お前の好きなことを沢山しような」
 からかうような台詞を言うと、途端に沙希の顔が真っ赤になり、園部がこじ開けようとしていた太ももをきゅっと閉じる。
「…はるさんっ!も…あ…んっ!」
 堪え性がない、と言うより園部がそう育てた。素直に反応する身体が新鮮で、好きなだけ何度もいかせてやるようにした。そんな後は普段からは考えられないくらい甘えて縋り付いてくる。気を張って、早く男らしい大人になって…そう思いつつ何処かで寄りかかって休みたかったのだろう。
 

 今日こそは正気のままでいようと思ったのに、園部に愛されると自分の身体はどうにも制御不能になってしまう。二人の共同作業、とどこかの誰かが言ったのか書いてあったので、園部と向き合って大人っぽく振る舞いたいのに…
 身体の中で、園部の悪戯な指が良いところを避けながらかき回す。
「あっ…あっ…んんっ」
「沙希、自分で腰、動かして…」
 さっきから言われたとおり動かしてるのに、あたりそうになると園部がすっと指を動かして逃げてしまうのだ。
「やあっ…もうっ…いじわるしないでっ…!」
 荒い呼吸を繰り返す口にちゅっと軽く口付け、園部は身体をずらして沙希の固く反り返った小振りで可愛らしい性器を舌先で舐めあげた。沙希がガクガクと腰をふるわせる。
「ふぁっ!あぁんっ…んんっ」
 待ちわびた愛撫をくれるのかと思ったら…園部は竿の部分に軽く口付けをくれるだけでそれ以上のことをしようとしない。
「はるさんっ…ん…」
「ん?どうした、沙希」
 じれったくてじれったくて、気が狂ってしまいそうだ。
「ここに、欲しいのか?」
 園部が指をくいっと動かす。沙希は必死でうんうん頷く。
「自分で入れてみろ」
 一瞬何のことだか分からなくて、でもすぐにどうするのか分かってしまった。上になったことはあるけれど、自分からなんて、そんなことやったこと無い。園部のものは、見てしまうと恐いのだ。触ったことも、数えるほどしかない。
 躊躇している沙希に構わず、園部は隣に仰向けに寝そべり沙希をぐいっと自分の身体の上に持ち上げてしまった。園部の硬くなったものが沙希の股間にあたる…
「うぅ…」
「沙希、そのままお前のを擦りつけてみろ」
 恐る恐る腰を動かし、自分の、どうみても園部のものより小さい性器をゆっくりと擦りつけた。
「はぁっ…ん」
 ぞく…とした快感が背筋をはしる。
「気持ちいいだろ?そう…そのままずっと…」
 あられもない格好で恥ずかしい事をやっているという気持ちが加勢して、沙希の快感が一気に高まる。
「あっ…あっ…あっ…」
 沙希が我を忘れそうになったとき、園部が沙希のものをぐっと握りしめた。
「やぁっ!んんっ…はるさっ!はなして…やだっ」
 髪を振りながらいやいやと首を振る。
「沙希、入れてみろ」
 もうどうにでもなれ、早くなんとかしたい…その一心で沙希は園部の大きなものを掴むと自分の後孔にあてがった。挿入の痛みで身体が止まる。
「良い子だ…力を抜いて、ゆっくり息を吐け…」
 いつもそう言われて吐き出すと、園部は一気に突き刺してくる。けれど今日は、沙希が深呼吸を繰り返しても園部は微動だにしなかった。
「お前のペースで良いから…ゆっくり腰を落として…そう…」
 随分長い時間をかけて、沙希はゆっくり園部を飲み込む。その間ずっと園部は優しい愛撫を与えてくれた。快感と恐怖とが入り交じって、それがまたたまらなく気持ちいい。
「はるさっ…まだ?」
 どこがどう繋がっているのかも分からなくなったのか、沙希は不安と快感が入り交じった表情で園部を見つめた。
「全部入った。偉いな、沙希」
 園部が軽く下から突き上げる。
「はぁんっ!」
 どうして良いのか分からず宙を彷徨っていた沙希の腕をしっかり握り、園部はゆっくりと沙希の中を愛し始めた。


 翌朝、仕事始めの克彦を全員で会社まで送り、克彦の仕事を見たいと言った沙希は克彦に預け、男達は事務所に直行した。通常の業務もあるが、それに加えて竜姫の動向もチェックしなければならない。昨夜あれだけ馬鹿にされ黙っているタマではない。道元組そのものではなく道元組の『格』を傘に着て、今頃は愚かにも黒瀬組を押さえ込む策を講じているだろう。
「吉野、竜姫が今まで女達を蹴落とすのに使った連中はどこのやつらだ?」
 本田は特に頼まずとも必要な全ての情報を調べ出す優秀な部下を見やった。
「竜姫が女だてらに後見しようとしている小規模な組があります。堅気ではない…と言う程度ですが…足立会ですね。元漁師などが集まって最近興った組のようです」
「北海運輸に関わっている連中か…」
 竜姫自身の収入はここからの物がほとんどである。
「はい。手は打っていますが…どちらも黒瀬組には必要ないかと」
 経費が掛かるマグロ漁船の採算あわせなど、やりたくないと吉野は暗に拒否している。
「どこかに安く売って現金化したほうが楽しみが増えるという物ですよ」
 にっこり笑う吉野に、異議を唱える者など本田以外にいるはずもない。
「なら売り払って克彦名義の口座にでも…いや…寄付しておきたい所がある…」
 寄付…金にあざとくは無いが寄付などしたことも考えたこともない本田が珍しいことを言い、幹部達は黙り込んでしまった。
 明後日までに心を入れ替えた竜姫が慰謝料を持ってくればそれでチャラにしてやるが、できそうもないのは事実なので会社を取り上げる準備は進めておくべきだろう。
「足立会は私が引き受けましょう。北海運輸は沼田さん、お願いします」
 やっと自分の出番が回ってきたのが嬉しいのか、うっすらと微笑みながら吉野は沼田に軽く会釈までしてのけた。
「仰せのままに」
 沼田はちらりと本田を見て、本田が軽く頷くのを確認した後、久しぶりの出張の準備をするために部屋を後にした。


 沙希は以前も克彦について仕事先を回ったことがある。でもその時はどん底に沈み込んでいたので、自分が生きてきた世界とあまりにも違うキラキラした世界だとは思ったけれど、そう思っただけで細かいことは全く覚えていない。年末に神経を逆撫でするような仕事があったそうで、今日は新年の挨拶を兼ねた詫びを入れるために大量の手みやげを持って色々な会社を回るのだそうだ。克彦の会社には注文していたお菓子が山のように積まれていて見た目にはワクワクする。でもこれを持って謝りに行くなんて、やっぱり勝彦さんは社会人で自分などより遙かに大人なんだな、と思ってしまう。
「さて…克彦さんの本領発揮といきますか!沙希ちゃん、都筑、いくよ!」
「「はい!」」
 大人の本領なんだ、と沙希は気を引き締め、手みやげを両手に抱えて沙希は克彦の後に続いた。

 どこへ行っても克彦は人気者で、年末の大騒動も大して問題にされていないようだったが、それは克彦の事務所が全てを買い上げたからであり、最終的にお金が入ればどの会社も表面上は問題にしない。ただ、克彦の首が飛ばなかった事は不思議がられ、躾が良すぎる付き人や高級車で乗り付ける最近の羽振りの良さも加わり、どこの玉の輿に乗ったのか噂の的にもなっている。それに今日はなんとも可愛らしいお人形のような和服少年までくっついていて、去年の仕事の話しより雑談でぽろっと口が滑るのを手ぐすね引いて待っているような雰囲気だった。
 二件目の訪問先を出たところで、沙希の携帯に吉野から着信があった。
「あれ?吉野さんだ…どうしたんだろう?…もしもし、沙希です」
『吉野です。沙希ちゃん、ちょっとだけびっくりさせるかもしれませんが、驚いたり振り向いたりしないようにできますか?できればにっこり笑っていて欲しいのですが…』
「…あ、はい!だいじょうぶですっ」
 沙希は思いっきり笑顔で答えた。
『きょろきょろしてはダメですよ?ちょっと困ったことになってしまって…克彦さんを誘拐しようとする悪い人達が、あなた達をつけているようなんです。都筑にはメールを送っていますから、良く言うことを聞いてくださいね。都筑が良いと言ったら思いっきり暴れて良いですよ。その時は私も加勢に行きますからね。園部さんも血相変えて向かっているところです。園部さんが来たら、沙希ちゃんは園部さんの指示に従ってください』
「わ、わかりましたっ!」
 にっこり笑いながら都筑の方を見るとメールをチェックし終わって携帯を閉じるところだった。沙希はえへへ、と笑いながら、そんなぁ、とか言いながら、克彦が車に乗り込むのを見届けてから、自分も乗り込み通話を切った。運転席に収まった都筑が沙希をちらっと見て、シートベルトをはめてくださいね、と言うと、沙希は嫌がる克彦のシートベルトも締め、自分もきちんと締める。シートベルトは園部も沙希に無理矢理装着するのでとっくの昔に抵抗するのを諦めている。していないと余計な悪戯をされるので、園部の魔の手を逃れる効果もある。
「都筑、次は六本木の店ね」
「はい。克彦さん、そこが終わったら組長が食事にしようとおっしゃっていますが…」
「ん、分かった。俺は何でも良いけど…沙希ちゃんは?」
「…美味しいカレーライス!」
 ランチタイムに間に合うかな…沙希は背筋をしっかり伸ばして座り、気持ちを引き締めた。

 
 いつもの付き人と子供を連れて会社を出たと報告があったのは昼前のことだった。克彦の付き人は都筑だけ、と報告を受けていた足立会は小さな沙希など外れたオマケとしか思っていない。それなりに武術を身につけていると言う噂の黒瀬組組員である都筑を警戒し5人の組員を送ったので、克彦を拉致するには十分すぎる人数だろう。昨日、道元組が手こずった吉野は付き添っていない事は確認済みだ。
「あの白いメルセデスだな?」
「ああ。さっき車に乗り込んだ女みたいな兄ちゃんがターゲットだ。小さい方は誰だか分からんが一緒に攫っておけ。金になるかもしれん。付き人は面倒だから…殺さない程度にやってしまえ」
 

 都筑は後ろを走るワゴン車を視界にしっかり捕らえていた。メールでの指示通り克彦の目的地までいつも通りの運転で向かい、地下駐車場に車を滑り込ませた。来客用駐車スペースが三台分ほど空いていて、その真ん中に止めると、後ろに付いていたワゴン車がメルセデスの鼻先に車体の側面を掠らせながら停まった。
「な、何、あの車!」
「克彦さん、車から出ないでください!沙希ちゃんも!」
 ワゴン車から転がり出てきた男達は手に金属バットや金属の棒のような物を持っていて、それで容赦なくメルセデスの窓をたたき割ろうと躍起になって腕を振り下ろしはじめた。もの凄い音と振動が車内に伝わり、克彦は沙希を抱き締めてシートに伏せた。
 そのくらいの攻撃では防弾仕様のメルセデスに穴を空けることなどできないが…悪い事に電気ドリルのような物で克彦の乗る後部座席のドアを壊しはじめた。ドアを解体されてしまえば防弾仕様などあってないようなものだ。
 都筑は運転席に取り付いていた男をドアではね除け車外に出ると、後部に行こうとするがバッドを振りかざす男達に阻まれ、なかなか動くことができない。襲ってくるバットを交わし、胴体に叩き込まれたバットを、苦しさを堪えて奪い取る。が、足がよろめいた瞬間、頭に一撃を食らって地面に頽れてしまった。
「都筑!!」
「都筑さん!!」
 何か赤い物が、都筑の頭に…
「克彦さんっ!こっちきて!」
 沙希は後部ドアを破壊しようとしているドリルの先端を見極め、内側から体当たりでドアを吹き飛ばす。驚いたドリル男がよろめいたとき、沙希の蹴りが側頭部に繰り出された。
 克彦は都筑の事が心配でたまらず、危険を顧みず車から出て地面に倒れる都筑に近寄る。
「都筑…?都筑??」
 真っ赤な血がコンクリートに広がっている。肩を揺するが、都筑はぴくりとも動かない。
「おい!そいつを捕まえて早く車に!!」
 バットを投げ捨てた男達が克彦に駆け寄り、両脇をがっしり捕まえ引きずるようにワゴン車へのせる。
「かつひこさんっっっっ!!!」
「都筑が…っ!沙希ちゃんっっっ!!」
 男達は沙希も捕まえようと襲ってきたが、沙希に触れようとするとあっという間に投げ飛ばされる。
「そいつは放っておけ!出るぞ!!」
 男達は沙希から離れると車に飛び乗り逃げようとしたが…
 沙希は落ちていたドリルを拾い上げ、車に向かって突進し、タイヤめがけてドリルを突き刺した。
 バンッ!!ガガガガガガッ!!
 恐ろしいような音がして車が傾く。
「このガキッ!!」
 運転席の男が窓から首を出して沙希を恫喝したが、沙希は運転席に駆け寄ると窓から突っ込み男の首に力一杯巻き付いた。
「沙希ちゃん!!」
 窓から上半身を突っ込んできた沙希を見た克彦は、自分を捕まえていた男の腕に思いっきり噛みつく。
(沙希ちゃんが頑張ってるのに!!)
「このっ!!」
 噛みついたままバタバタ暴れまくる克彦を抑えていた男の一人がナイフを取り出し、克彦の美しい頬にぴた…と押し当てた。途端に克彦の動きが止まる。
「おいちび!こっちの兄ちゃんがどうなっても良いのか!離しやがれ!」
 沙希が克彦を見ると、大きなナイフを頬に押しつけられて動けなくなっている姿が目に入ってきた。
 自分はともかく、綺麗な克彦さんに傷なんて付けられたくない。それでも最後にぐいっとのど元を締め上げ、沙希は力を抜いていく。悔しくて、涙が出そうだった。
「沙希、離れて良いぞ」
 渋々離れようとしたとき、聴き馴染んだ声が聞こえてきた。
「やばいっ…!」
 男達の視線を追うと、沙希の後ろに、いやワゴン車の周りには黒服たちが大勢取り巻いていた。
「はるさんっ!」
 園部を見つけた沙希が飛び付く。
「克彦さんが中にっ!」
「ああ。沙希は後ろにいろ」
 園部は沙希をそっと背後へ押しやりながら、自分も本田の後ろに下がった。怒りに満ちあふれた本田の前を塞ぐなど、誰もできない。ただ収まるまで待つしかない。本田は車の中で身動きできなくなり焦りはじめた男達に腹の底から響く冷たい声で言い放つ。
「今ここで死にたいならそのままにしとけ。克彦を無傷で帰せば、帰らせてやる。ここで死ぬか、竜姫のヒステリーのとばっちりを受けるか、どっちがマシか分かるだろ。五秒やる。五秒以内に大人しく出てこい」
 5、克彦を捕らえていた手の力がすっと抜け、
 4、ナイフが放り投げられ、
 3、克彦が車から押し出され、自由になった克彦は本田に走り寄った
 2、本田は克彦をしっかりと抱き寄せる
 1、男達が車から転がり出て…
 本田は周りの黒服達に合図を送り、その場から離れた。


「克彦、怪我はないか?」
 優しい手で頬を包み込まれ、ナイフが突きつけられていた部分を親指でなぞられる。うっすらと跡が付いているが、切られた傷ではなくナイフを押し当てられてついたものだ。だが、少しでも動いていれば鋭い刃は簡単にその滑らかで美しい肌に傷を作っていただろう。
「ゆき、都筑が…」
 立ち去ろうとする本田を押しとどめ、叫び声がする後方を見ないように都筑が倒れているはずの場所を探す。都筑の周りには知った顔の部下が二名ほど跪いていて、どうやら応急処置をしているようだった。相変わらず意識を失ったままのようで、克彦は悪い予感に苛まれて足の震えがどんどん大きくなる。
「もうすぐ救急車が来る。後は彼奴らに任せて、一旦ここを出るぞ」
「でも、都筑が…死んじゃうよ…」
「息はしてる。大丈夫だ」
 都筑の方へ行こうとする克彦を抱き締め、いつの間にか近くに来ていた本田の車に無理矢理押し込み、何事も無かったように静かに、駐車場を後にした。
「沙希、俺たちも帰るぞ」
「うん…でも、あの男達は?」
「事務所に連れ帰って口を割らせる。お前はどこもけがしてねぇか?」
「えと…」
 沙希は、初めて園部と出会った日のように足元から頭のてっぺんまで意識を滑らせた。
「大丈夫」
「よし、じゃあ帰るか」
 遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。

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