吉野は男を一人拘束して手が空いていなかったので、書類と証拠写真を道元組の若頭に手渡したのは園部だった。
「そこの男が、うちの組に頼まれてやった…そう言うんだな」
 それはボロボロになったメルセデスと救急車で運ばれる都筑の写真と竜姫につきつけた請求書のコピーだ。
「そっちの請求書はな、去年、おまえんとこの蛇女がうちの組長のイロに迷惑掛けたときのもんだ。それだけなら金で解決しても良かったんだが、その後二度も誘拐しようとしやがった。一回目はホテルで、二回目は昨日。しかもうちの車を金属バッドでボコボコにするは電気ドリルで穴あけるは組員に重傷負わせるわで、ここまでされて許す気はさらさら無い。道元組長の娘だと言うことは知った上で言わせてもらう。今すぐ竜姫をこっちに渡して貰おうか?」
 園部は普通に淡々と話したつもりだが、次男の沙次郎が息を飲む音が大きく響いた。園部の凄みにやられたか自分が一枚噛んでいることがばれそうで慌てたか…
「証拠は?この男か?」
 若頭の道元一郎太はあまり臆することなく、不気味に微笑む吉野に腕をねじ上げられた男を見ながら言った。
「そうです。早くこの男の出番を作ってあげないと、もう少しで気を失いますよ?」
 吉野がどこまでも楽しそうに話しながらねじ上げる力を少しだけ加えると、男は途端に悲鳴を上げた。
「ただ痛いだけではありません。この男は仲間が同じようにされて腕を失った光景を見ているものですから…恐ろしいでしょうね」
 腕をねじ上げられた男は吉野の言葉でその光景を思い出したのか、聞かれもしないのに、脂汗を垂らしながらべらべらと喋りはじめた。


 竜姫に言われてやった、とその男ははっきりと言った。
 竜姫の後ろ盾で道元組の傘下に入れば今よりは足立会の格が上がり凌ぎやすくなる。そのために女達への暴行や監禁を手伝った。克彦に関しても、監禁し顔に傷でも付けるかその手の店に売り飛ばすか、そこまで実行するように言われていた、と…。
「北海運輸の副社長をそそのかして足立会を立ち上げさせたのは竜姫です。道元の娘として贅沢に暮らしていれば良いものを…なぜ今更組を起こそうなどと考えたのかは分かりませんが…組員を放り出して自分だけ隠れるとは、躾がなってないようですね」
 吉野が意味ありげに若頭と沙次郎を交互に見つめた。この二人の確執は周知の事実なのだが、穏健派の若頭と強行派の沙次郎、どちらの性格も道元組には必要で、沙次郎を擁護する組員もかなりの人数が存在し、排除すれば組の土台が揺れる恐れもある。現組長が引退するときには波乱を免れず、少しでも地盤を固めておきたいのは両派とも同じ。
若頭は竜姫が本田にぞっこんなのを心良く思っていなかったが硬派な本田は適当にあしらうと読んでいたので、まさか女のことで黒瀬組が関わってくるとは思いも寄らなかった。沙次郎側は同腹の妹が本田に気にいられれば強みになる。正式な組員でもない竜姫が足立会を道元組の傘下に引き立てるなどあり得ないので、沙次郎も多少は今回の件に関与していたかもしれない。
 沙次郎を黙らせる絶好の機会になるが、穏健派の若頭はどう出るか…
「沙次郎、お前はこの事を全く知らなかったと言うつもりか!」
「女同士のいざこざにいちいち首突っ込むわけないだろ!竜姫が足立会とつるんでるってことは知ってたが、今回のことに俺は一切関わっちゃいねぇ」
 

「お前らの事情なんざどうでも良い。竜姫出すのか出さねぇのかどっちだ?」
 黒瀬組の幹部達はそれぞれ一癖ある連中で、中でも園部は気が短く乱暴者だ。
「まあまあ園部さん。女性でしかも妹さんですから出せと言われても今すぐにご返事は無理でしょう…」
 外面の良さにかけては天下一品の吉野が宥める。
「組員ほったらかして逃げる卑怯者に男も女も妹も弟もねぇ」
 幹部全員がこれほど執着するイロ…だがそれは、弱味にもならないだろうか?道元の若頭は園部に煽られていきりたつ弟を制し、腹を決めて本田に向かった。
「本田組長。その克彦さんとやら、黒瀬組にとって相当大事な人だと見受けられるが…たかが男のイロとうちの妹、誠仁会副会長の娘の社会的な立場が対等とは思えん。黒瀬の組員に対する慰謝料と車代なら出しても良いが、妹まで差し出すのはうちの沽券にも関わることだからな。それに…お前が強引に身内を奪えば、黙っているわけにはいかねぇ…」
 身内を置いて逃げるような妹を擁護したくはないし、今までも散々迷惑をかけてきた我が儘な妹などどうなっても良いのが本音だが、自分が同じ穴の狢になるのは御免だ。ついでにこの弟にも罪をなすりつけて一緒に差し出したい気分でもあるのだが。
「たかが男のイロ…言ってくれるじゃねぇか」
 それまで黙っていた本田が唸るような声を絞り出した。
「妹取られて黙ってられねぇならいつでも仕掛けてくればいい。誠仁会の全てを敵に回しても、ケリつけさせてもらう。竜姫の居場所は分かっている。巻き添えを食らいたくないヤツは今すぐ女を放り出した方が身のためだ」
 沙次郎の頬がぴく、と動いた。
「竜姫を、どうするつもりだ…?」
「それは交渉次第だ。先ずは竜姫を渡してもらおうか」


 克彦が頼んだ食材とともに沙希が現れたのは正午を随分過ぎた頃だった。ごく普通のセーターにジーンズという出で立ちだが、昔に比べるとずっと趣味も良く、雰囲気も格好良くなっている。土台が良いのでちょっと手をかけるとあっという間に美少年のできあがり…
「克彦さん、都筑さん大丈夫でした?」
 部屋に入るなり、沙希は本当に心配そうな表情で聞いてきた。
「うん、意識もしっかりしてるし、後遺症も今のところ無いし、ゆっくり休んでいたら直ぐに元気になるよ」
 沙希は自分がみんなを守れなかったことを悔いていて、少し元気がないのだと園部から聞いていた。克彦も、自分の存在がよもやこんな事態を引き起こそうとは夢にも思っていなかった。
「みんな大丈夫だったんだから、気にしないで素直に喜ぼうね?」
 沙希のように腹を決めて本田と添い遂げる覚悟をするか、今すぐ元いた世界に戻るか、はっきり決めなければ多くの人に迷惑をかけるどころか命までも奪ってしまう。
 沙希にはああ言ったが、内心では素直に喜べない…
「うん。俺もお見舞いに行きたいんだけど、はるさんが行っちゃだめだって」
「…どうしてだろ?」
「警察の人がうようよいるから。こないだ会った滝川さんって人に克彦さんと俺が事務所にいるの見られたし、しばらく目に付かないようにしないと余計な詮索されるからって」
 警察官のあくどさは身に染みて分かっている。あれ以来牛島は全く連絡を寄越さないがどうしているのだろう…教えてもらえないが、克彦と牛島の関係が滝川に知られれば、本田も疑われるのじゃないだろうか?
「俺、今のままで良いのかな…」
 誰よりも好きな人だから、迷惑だけは掛けたくない。今更自分の性格を変えるなんて事もできないし…

 克彦さんがウジウジしています…
 そんな報告がもたらされたのは、道元組に乗り込んで暫く経ったころだった。一時間ごとに克彦の様子を報告しろと伝えていたのだが、朝から入る報告は大人しすぎるだの、座ったまま考え込んでいて動かないだの、沙希が来ても一向に復活する気配がない。
 本田の眉間の皺が報告の度に深くなり、目つきも鋭さを増す。
「吉野、竜姫を連れ出してうちの事務所の特別室にでも放り込んでおけ」
 具体的な金額を提示しようと話を進めていた道元若頭の言葉を全く無視して、本田が言い放った。
「本田!何を突然!!お前ら、吉野を出すな!」
 若頭が叫ぶ。
「最初から金額なんぞどうでも良いんだ。金にも道元組にも興味はないが、あのアバズレと共犯者は地獄の底に突き落としてやる」
 本田の台詞にゆらりと笑った吉野の異様さに足がすくんだ組員達は、それでも奇声を発しながら吉野に飛びかかっていったが、最初の二人があっという間に床に伸びて白目を剥いている姿を見ると、素手では叶わないと思ったのか、手近にある椅子や灰皿、隠してあった刃物を手に突進していく。
「吉野、殺すなよ」
 本田の言葉が耳に入っているのかいないのか…
 先ほどまでこの場の誰よりも優しげで常識的だった吉野が武器を交わしながら、次々と目に見えない拳を繰り出しながら、出口までの道を開いていく。
 黙って立っていれば格闘技などとは縁のないエリートサラリーマンにしか見えないが、今はまるで別人で、『吉野は黒瀬の夜叉』という噂が現実に目の前に繰り広げられている。
 吉野の豹変振りに気づき、賢くも向かっていかなかった道元組の一部の組員はその惚れ惚れするような動きと破壊力にただ呆然とするばかりだった。
「竜姫をどこに隠しているかは分かっている。ここの修理代と治療費代わりに後で教えてやる。ったく、素直に差し出せば良いものを…」
 出口までほぼ一直線に切り開かれた道を歩きはじめた本田の後を追いながら、園部が言い放った。


 克彦は沙希が持ってきたDVDをプレーヤーに放りこみ、沙希の隣にばふんっと腰を下ろした。
「何持ってきてくれたのかな?」
「学校であったクリスマスパーティーの時の。はるさんの部下が録画しててくれたんだ」
「ああ、合気道部の?」
「うん。俺の通ってる学校は勉強も難しいけど、スポーツも盛んなの。でも空手とか合気とか無くって…つくってもらっちゃった」
 それがお金持ちの子息が通う学校で護身術として人気になり、特に身体の小さなひ弱そうな少年達がこぞって入部し、みんなメキメキと腕を上げているらしい。
「おぉっ!みんな可愛い〜〜!美少年ばっか!」
 その美少年達が華麗に技を披露している。
 夢中になって見ていると、玄関が騒がしい。本田と園部の予期せぬ帰宅だった。
「ゆき!どうしたの?こんなに早く」
「様子を見に帰ってきただけだ。またすぐ出掛ける。変わりはないか?」
 克彦の元気がないと連絡が入り、顔を見に帰らずにはいられなかった。元気がないときは必ず、余計な事を考えて妙な行動を起こす。
「うん。沙希ちゃんが格好いいDVD観てたんだ」
 テレビ画面には、沙希がもう一人の少年と大人相手に戦っている場面が映っている。気迫は伝わってくるが、殺気はない。が、半年前に比べると随分打撃の重さが増しているようだ。
「園部、お前よく投げ飛ばされなかったな」
 意味ありげに口の端で笑いながら言うと、園部より沙希が早く反応した。
「あ!そうか!なんでだろう…」
 嫌なことを沢山されるのに、園部に技をかけたり投げ飛ばしたことはない。園部に組み敷かれても、逃げることは容易なはずだ。
「そりゃお前、俺が好きだしえっちも好きだからだろ」
「はるさんっ!!」
 悪びれる風でもなくにやついている園部と、そんな様子にますます茹で蛸のようになって小言を言う沙希を放置して、克彦を書斎まで連れて行く。
「克彦、朝からずっと元気がなかったそうだな?何を考えていた?」
 抱き締めて柔らかい髪に顔を埋める。ふんわりと薫る、いつものシャンプーの香りが愛しさとやすらぎを与えてくれる。
「…都筑の事が気になって…」
「それもあるだろうが…俺から離れようと、一時でも思わなかっただろうな?」
 図星を指され、克彦は本田に見えないようにきゅっと唇を噛んだ。
「そんなこと、無い…」
「そうか…?」
「嘘。思ったよ。これ以上みんなに迷惑掛けられない。でも…一人になるのはもう嫌だ…どうすれば良いの?」
「そうやって何でも俺に話してくれ。何度でも同じ答えを言ってやる。俺の言葉が信じられるようになるまで、必要なくなるまで、何度でも言ってやる。お前はそのままで良い。変わるな。お前らしくいてくれれば、俺や黒瀬組はより強大になれる」 
 2,3日中にカタを付けるから、と言い置いて、本田と園部はまた出掛けていった。
 余計な真似さえしなければ相応の暮らしができていただろうに。
 だが手を出してくれたお陰で、煩い蠅を追い払える上に、克彦に手を出せばたとえ共生関係にある組でも容赦しないと思い知らせることができるだろう。

 黒瀬組には少なくとも二つの手札が必要だった。
 一つは竜姫の身柄、そして北海運輸の経営権を奪うこと。北海運輸など黒瀬組にとっては無用の長物なので、竜姫を返す際の条件として買い取ってもらう。
「女の処理なんざ冗談でもやりたくねぇ…」
 園部が心底嫌そうな顔で吐き捨てると、部下も頷きながら現状報告をはじめた。
「いつもの部屋に閉じこめていますが…この期に及んでまだぎゃーぎゃー騒いで、見張りがげんなりしてます…。吉野さんも大層機嫌が悪いようで、こっちは組長にお願いするしか無いんですが…助っ人は呼びました。十分ほどで到着するようです」
 竜姫には二度と会いたくないのでそのまま放置するように伝え、それよりも、女のヒステリーをもろに浴びてなかなかスイッチが切れない吉野を抑えなければならない。いつもだったら沼田が快く引き受けてくれるのだが、生憎出張中である。
 本田は渋々立ち上がり、吉野が待機している部屋へ向かった。
「千草、入るぞ…」
 部屋は真っ暗で、ベッドサイドに頭を抱えて座り込んでいる吉野のシルエットが見える。本田はゆっくり近づき、隣に腰を下ろした。
「苦しいのか?」
 荒く不規則な呼吸と、声を出したいのに出せないような嗚咽が聞こえる。この状態を収めてからお気に入り達に渡さないと、怪我人が出る。吉野がこんな時何を考えているのか分かっていない。助けたくても助けられず、自分の目の前で切り刻まれながら死んでいった、師匠であり最愛の恋人だった男の断末魔は記憶の底に封印しているのだが、敵を何十人何百人殺しても殺し足りない程の憎悪と悔恨で気が狂いそうだった記憶は残してあるのだそうだ。
 何があったのか、助け出したときに狂っていた吉野から聞き出すことは無理で、現場の状況から推測できる事実に、本田でさえも涙を止められなかった。
 本田は頭をかきむしりながら呻いている吉野をがっしりと抱き寄せ、耳元に何かを囁き続ける。
 そうするうちに吉野は次第に身体の緊張を解きはじめ、恐怖が宿っていた瞳に安堵が訪れ、呼吸も正常に戻ってくる。
 その後は目下のお気に入りに受け渡していつもの吉野に戻るまで待つ。    今もドアの向こうから足音が聞こえてきて、案内してきた組員が控えめにドアをノックした。
 本田は吉野の上着を脱がせる振りをしながら首筋に手刀を浴びせ気絶させると、そっとベッドに横たえ部屋のドアを開けた。 

「沼田からの連絡は無いのか?」
 部屋に戻って、にやけている園部を無視して仕事に専念する。
「まだ。もう一時間ほどで定時連絡があるだろ」
 園部はにやけ面を止めようともせず、本田を見てはますます口の端をねじ曲げている。園部は黒瀬組に入った経緯が本田達とは違うので、吉野に何があったのかは詳しく知らない。ただし、幹部としてニューヨーク支部を預かるときにある程度のいきさつを聞いている。吉野の取扱説明も一応受けているが、元々ゲイなので、最後まで手を出されて困った事にならないように、できるだけ関わらせないようにしていた。
「それより、さっき道元組長から連絡があった。鉄田会長からも。会長は手打ちを望んでいる。道元はその内容を話し合いたいようだったぜ。どうする?」
「こっちは道元の頭上の蠅もおっぱらってやってるんだ。取引はしても、手打ちはしねぇ」
「そうか。あ、それとな、沙希が今日は自宅で食事しますかって聞いてきたぞ。克彦さんが超豪華手料理を作って待ってるらしい」
 沙希は園部の仕事のペースを完全に読んでいるらしく、日に一度は電話をかけてくるのだが、それが仕事中だった事は一度もない。単に園部がさぼりまくっているだけかと思うとそうではなく、一息ついて声が聞きたいと思うと直ぐに掛かってくるらしい。
 克彦はあれでも社会人歴が長いからか、就業時間中はめったに連絡をしてこない。用事があるときは秘書である吉野に、電話をしても良いか尋ねてから掛けてくる。気にするなと何度言っても聞き入れてくれない。
 むかつく仕事は早く終わらせて早く帰りたい。本田は受話器を取ると道元組に繋げるよう交換係に指示した。


 沼田からの連絡があったのは道元組長との会話が終わった直ぐで、定時連絡よりも少し早めの時間だった。
 北海運輸の社長は竜姫の男である。克彦を監禁して海外へ売り飛ばす計画に荷担しており、沼田が身柄を確保しているのでその処遇をどうするか…道元組の構成員ではないが、北海道での道元組の動きに関わっているので知っていて損はない情報を持っているはずだ。今日中に口を割らせるので少しだけ待っていて欲しいそうだった。
 北海運輸の社長の持ち株は沼田が強引に買い取り済みで、親族に評価額の倍額を提示して喜んで売って貰った分と合わせると竜姫の持ち株数を遙かに超え、経営権は完全に掌握。これから先も大した利益を上げないだろうから現金化して他に投資した方が得である。経営に口を出そうと思っても竜姫相手には面倒だったのではないか。
 たった一日でここまで…と言うわけでは無いようで、去年の暮れから少しづつ動き、昨日今日で一気に決着をつけたのではないか。本田が指示を出した覚えはないが、沼田も去年からの竜姫の行動には怒りを感じていたのだろう。網を張り、必要が無ければ撤収する。
 道元組が北海運輸を切り捨てずにいた理由、その中には人身売買や処刑も含まれているはず。めぼしい該当者がいなければ、黒瀬組が海に放り出した者達に役だってもらうことも可能だ。
「克彦さんを手玉に取っていた、あの刑事はどうしたんだ?」
 沼田との電話を終え、何事か考え込んでいた本田に園部が遠慮無く話しかけた。
「牛島か。今頃誰かの栄養になってるかもな」
 ドラム缶に入れたときには息をしているのかしていないのか分からなかった。太平洋のど真ん中か、はたまたアラビア海か、どちらにしても二度と日本の地は踏めない。
「沙希はマグロが好きなんだ…正体のはっきりした魚しか食わせられねぇな…」
 あの状態では魚の餌になるのは永遠に無理がある。魚礁にでもなっていれば世の中の役に立つだろう。
「身体の中を通過するだけだ。沙希は若いから新陳代謝も盛んだろうしな」
「沙希のタンパク質は常に吸い取ってる」
「お前が補給してどうする」
 吉野がいなければ園部の下ネタは延々と続く。
「いつNYへ帰るんだ?」
「この件が終わったらな。沙希は克彦さんが心配で堪らんらしい。もっと良い方法があったんじゃないかと、ずっとその事ばかり気にしてる。お陰でタンパク質の出が…うわっ!」
 本田の高級ライターが空を切り、園部の顔面を掠って壁にぶち当たり、床に落ちる。ガチャンッと音がして、良く見ると高級ライターの蓋の部分が反対側にねじ曲がっていた。


「お待たせ〜、沙希ちゃん特製のチョコバナナの甘くないヤツだよ」
 一口大に切られたバナナにチョコレートをかけ、ココアパウダーや粉砂糖、スプレーチョコ、ココナッツなどがトッピングされている。テーブルの真ん中にはとろりとしたチョコレートソースとバナナも置かれている。
「温かいソースを付けて食べても美味しいからね。沙希ちゃんは小さいけどバナナ一本食べて良いからね〜」
 童謡にかこつけたのだろう台詞と共に沙希に丸ごと一本バナナを渡し、チョコレートソースを押しやる。
 ちらっと園部を見た克彦の瞳はキラキラと輝いていた…
「俺、作りたては初めて。いつも冷やして固めたのばっかり作るんだ」
 沙希が串に刺したバナナを手に取り先端にチョコレートソースをどっぷり付ける。
「あ、沙希ちゃん、ソースが垂れるから…あーあ…ぺろって舐めちゃいな」
 バナナを舐める。
 どうやらそれをやらせたかったようだ。
 意味深な行為に全く気が付かない沙希は、ぱくっと銜えてチョコレートソースだけを舐め取る。
「このソース美味しい!シナモンを入れたんだよね?」
「そうそう。シナモンと胡椒を少しだけ。スパイシーで美味しいでしょ。砂糖入ってないから沢山食べてね」
「うん。俺バナナ大好きでさ、こうやって歯でこさいで少しずつ細くしていくの」
 あむっと口に入れて歯の跡を付けながらゆっくり引っ張り出す。
 それはまるでアノ行為を思い出させ、本田と園部の欲情を煽る。
「沙希ちゃん上手に食べるんだね〜」
「施設で、一人一本ずつ貰うんだ。で、いつも俺が一番最後まで食べてた」
「そうなんだ…園部さんもバナナ好き?」
「…モンキーバナナが良いな。小さいけど濃厚なやつ」
 一斉に、視線が沙希に突き刺さる。
「何?チョコレート付いてる?」
「付いてない。沙希、それ食ったら帰るぞ」
「え…もう?」
 園部は沙希を引き寄せ、耳元で小さく囁いた。
(二人きりにさせてやれ)
「な?」
 と問いかけると、沙希はしっかり頷いた。
 沙希は園部と暮らしているけれど、克彦は違う。特に克彦が忙しいと週末にしか会えないのだ。こんな事件が起こって辛いときこそ一緒にいたいはず、と沙希は純粋に思ったのだが…
「バナナ持って帰れ」
 とバナナを付きだした本田の表情がなんとなく恐い。
 園部と沙希が部屋を出た瞬間、本田は克彦を、園部は沙希を抱き締めて、朝まで離さなかった。

 翌日、足腰立たない沙希と眠くて仕方のない克彦は会議室に放り込まれ、午前中は二人ですやすやと眠っていた。本田と園部が時々覗きに来たがさすがに悪さをすることもなく、可愛らしい寝相と美しい寝顔を堪能。吉野も時々覗いては、ふっと微笑みを漏らすのだった。
「今朝早く沼田から報告が上がってきました。北海運輸が関わった道元組の仕事内容です。今回使えそうな件に印を付けています」
 本田に手渡された資料にはいくつかの赤丸が付いており、本田は素早く目を通すと吉野に向かって言った。
「早朝からご苦労だった。この、環境保護団体代表の失踪事件は使えそうだな。あの代表はヤクザと繋がりがある官僚とも関係があると噂されている。芋づる式に害虫駆除ができる。そこまでする気はないが…掘り起こせば他の組織との関係も悪化する恐れがある」
「道元組長の指示では無いと思います。相当な金額が動いていますから、竜姫か沙次郎が金目当てにやったと…」
「沼田に連絡してこの件を掘り起こせと伝えろ」
「了解しました。今日中に。竜姫はどうしますか?」
「放っておけ。明日、終わらせる。道元組には今夜にでも話しをするか…」
「沼田次第ですね。できるだけ早めに、必要なだけの情報を取ってくるように伝えます」
「…あまり無理をさせるなよ?」
「普段ふらふら遊び歩いてるんですから、たまには仕事させないと」
 遊んでいるわけではないが、仕事にかこつけた遊びも半分を占めている。それが沼田のやり方で、結果も良好なので誰も文句など言わないが、目を光らせないと公私混同して金を使いまくる園部よりマシなだけで、沼田の交際費は吉野から見れば目に余る金額だ。
「…克彦が目覚めたら都筑の見舞いに行く」
「分かりました」


 どうせ何時かはバレる。
 滝川刑事もバカではないので、今頃は克彦のことも沙希のことも調べ上げているだろう。できるだけ滝川に合わせたくないが身内以上に心を痛め心配している二人の見舞いを控えさせるわけにもいかず、いっそのことその存在を知らしめてやるのも良い。
 バカではない証拠に都筑の個室の前にはもう警官の姿はなかった。逃げる必要もなく狙われているわけでもないので、わざわざ人員を割く必要がないと判断したのだろう。
 克彦と沙希、本田と園部の四人が病室へ入ると、付き添っている母親は席を外していて都筑がベッドの上でノートパソコンを弄っていた。
「克彦さん、沙希ちゃんも!」
「都筑、寝てなきゃだめだよ…」
「もう大丈夫です!たんこぶくらいなんて事無いですよ」
「都筑さん、俺、何にもできなくてごめんなさい…」
 ベッドサイドで沙希がうなだれてしまった。
「沙希さん、そんなとんでもない!沙希さんがドリル振り回して運転手の首締めたって聞きましたよ。俺の方が見習わないと!」
「俺、もっと強くなって、吉野さんみたいになります。そしたらきっと、誰も怪我したりさらわれたりしなくなりますよね?」
「お前は良くやったぞ」
 園部が沙希の頭を撫でると、都筑も克彦も強く頷いた。
 克彦がお茶の準備をし始め、沙希が作った一口大チョコバナナを器に盛りつけていると、都筑の母親が嫌な客を伴って入ってきた。
 滝川である。
「ごめんなさいね克彦ちゃん、入り口で掴まっちゃって…」
 都筑ママは振り向きもせず、踵で滝川の脛を思いっきり蹴った。
「いでっ…!!」
 そして振り向き、持っていた新聞で頭を一閃。小気味良い音が病室に響き、全員がぷっと吹き出した。
「…このくそばばぁが…おう、そこの綺麗な兄ちゃん、冷やしたおしぼり」
 克彦が無視してお茶を注ぎ続けると、滝川はずかずか病室に入り、冷蔵庫を開けて中を物色する。
「あー?おしぼりないじゃねぇか。ヤクザには必需品だろう?」
「黒瀬組には脂ぎった汗だくのオヤジはいないんだよ」
 普段からは想像もできない低い声で、克彦が応戦する。
「わぁ、克彦さん格好いい…オヤジはいないんだよ…俺もそんな声だせたらなぁ…」
 喧嘩越しになりそうだったその場の雰囲気を変えたのは沙希だった。ただし、沙希の場合は空気を読んだ結果ではなく、本当にそう思ったからだ。
「おう、小さいの、お前可愛いな、なんで未成年がヤクザとつるんでるんだ?」
「おじさん、俺は園部沙希って言います。小さいの、じゃないです」
 黒目をむっとした光りで満たしながら沙希が文句を言った。
「園部沙希って、お前…」
 滝川は園部春と沙希を交互に見回し、驚きに目を見張っている。
「お前、いつのまに子供…」
「ふん。甲斐性無しのお前には永遠に無理だな、おっさん。だがそのくらいとっくに調べただろ?」
 水口克彦の身辺調査はしたが、園部の子供についてはまだ調べが付いていなかった。ごく最近入籍したらしいと知ったが、ゲイの園部がなぜコブ付き女と…そんなバカな…あり得ない…まさか…
「お前まさか…冗談だろ?」
 滝川がどんな事を冗談だと思ったのか興味津々の園部は、口の端を少しだけ歪めて鼻をふっとならし、敢えてその言葉には答えずに滝川の次の台詞を待つ。
「趣旨替えしたのか?」
 病室の天井を見上げて知らん振りを決め込むと、滝川はまどろっこしそうに沙希を指さしながら口を鯉のようにぱくぱくしている。
「おい…お前これ、犯罪だぞ」
 ヤクザに向かって犯罪者、とは…組織犯罪対策課の刑事が何を言っているのだか。
 沙希は一口大のチョコバナナを滝川のぱっくり開いた口の中に放り込みたい気分だった。いつまで経っても誰も何も言わないので本気でそうしようかとチョコバナナを爪楊枝でとりあげた時、園部がやっと口を開いた。
「おう、おっさん、趣旨替えした事はないぜ。女なんか気持ち悪くて触るのもお断りだ。それに、沙希のことは家庭裁判所の許可も取ったし証人も付けた。れっきとした俺の…伴侶だ」
「伴侶?伴侶…はん…マジか!?」
「マジです。これ、俺が作ったの」
 やっぱりそうしたくなって、沙希は背伸びをしてチョコバナナを滝川の口にぽいっと放り込んだ。
 皆、うざったそうな目で滝川を見ているが、本気で嫌がっている風でもない。ヤクザと警察、水と油のような関係だろうに、これが癒着というものなのだろうかと、沙希は首をかしげて滝川を見上げた。

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